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8-9 シンディの過去

「ただいまぁ」


 シンディが行動室の扉を開く。

 ところがトシの姿はどこにも見えない。


「あら? どこに行ったのかしら?」


 シンディは首を傾げながら各部屋をのぞく。


「いないわねぇ」


 そしてシンディも行動室のモニターを切り替えて「狂った翼族」を隔離している部屋を映し出す。

 隔離室の中では「狂った翼族」が、肩をふるわせて笑い声のような泣き声のような気持ちの悪い声をあげていた。

 シンディがモニター横の小さなボタンを操作する。

 モニター画面に文字が浮かぶ


−−−−−

【狂った翼族】

 セルビーズ・ターニャ(207)

 ♂ 

 事件ナンバーFG-985456

−−−−−


 事件ナンバーにカーソルを合わせる。



−−−−−

 事件ナンバーFG-985456

 609/35

 コロリネ村 8名を食殺

 612/85

 ボネミカト村 4名を食殺

 633/56

 エクルイ村 2名を食殺

 翼族調査委員会メンバー ナンバー23234が確保 

 翼族調査委員会にて矯正

−−−−−



 シンディの瞳がその文字をじっと見つめる。


――君には悪いことをしたと思っている――


 その言葉が、最初だった。

 シンディは過去をじっと見つめた。





 何の音もしない。

 それだけで安心できた。

 最初、何の音もしない部屋に放り込まれた時は寂しくて仕方がなかったが、あらゆる拷問と責め苦を受けた今、物音がしないということは自分一人であり、だれも自分を傷つける者はいないと思うとそれだけで安心できた。

 その時のシンディにとっては、この部屋の前の通路を職員が歩くコツコツと床を響かせる足音すら、拷問が再開される合図のようで恐怖だった。

 いっそ死ねたらと思ったが、死のうとしても「生かされるだけ」と悟った今、シンディは膝を抱えて部屋の隅でうずくまり、ただじっとしていた。


 どうしてこうなったのだろう、と何度も何度もくりかえして考えた。

 

 シンディの父と母はシンディが学校を卒業するのと同時に離婚した。

 お互いに他に愛する者がいながら、世間体のために夫婦でありつづけた両親。

 そしてそれに気付かなかった、自分。

 シンディが職について独り立ちした時、父と母は祝うより先に――いや、祝ってくれたのだ。 「もうお前は一人前になったのだから、これで私達は我慢しなくてすむ」と、祝ったのだ。

 そういえば、シンディの父が言った。

「お前の意地悪そうな鼻の形と目の形は、尻軽な母親にそっくりだよ」と。

 そういえば、シンディの母が言った。

「お前の話し方は四角四面な父さん譲りだね。 イライラする」と。

 ずっと普通に愛されていると思っていたのに、父と母が別れを覚悟した時、娘の自分に向けられた言葉は全く正反対の言葉だった。

 だが、実の両親を見限るにはちょうど良かった。

 シンディは誰にも頼らず生きていこうと思った。

 幸い、シンディの勤める事になった会社はそう大きくはないが、老舗であり、将来性もある会社だったから、シンディは真面目に勤めてさえいれば一生は保証されたも同然だった。

 シンディは真面目に働いた。

 男になど期待はしなかった。

 恋など、無縁と思っていた。


 そんなある日、それは雪が降る寒い日だった。

 シンディはいつも通り夕食の買い物をして家路を急いでいた。

 近道をしようとシンディは線路を横切った。

 ところが靴のヒールが線路の間に入り込んでしまった。

 しかも地面が凍っているのでもう片方の足にもうまく力が入らず、身動きがとれなくなった。

 ”誰か”と助けを求めたが、裏通りであったため近くを通る人は全くいなかった。

 遠くにきらりと輝いた光を見て、シンディは一瞬誰かが助けに来たと思ったが、それはものすごい速度で向かってくる汽車だった。


 ”誰か! 誰か!”


 いくら叫んでも誰も応えない。

 汽車のライトがどんどん近づいてくる。

 死にたくないとか、生きたいとは思う暇はなかった。

 ただ怖くて助けを求めた。

 雪で視界が悪く、運転手は全くシンディに気づいていない。

 汽車が近づいてくる。

 シンディは死を迎える直前だったのだろうか。

 一瞬一瞬がスローモーションのように、一こま、一こま流れた。

 汽車があともうほんの少しでシンディを轢こうとしたとき、シンディの目の前に手が見えた。

 そして、白い羽が一枚、舞った。

 シンディは目を閉じた。


”――危なかったね”


 シンディはそのささやき声で目を開ける。

 足下には走りすぎていく汽車の天井が見えた。

 シンディは空中に浮かんでいた。



――助けてくれた彼は、翼族だった。



 シンディはそのまま彼に抱かれて翼族調査委員会分室まで連れて行かれる。

 分室では数名の委員会メンバーがおり、シンディは簡単な事情聴取をうけた。


”私はホゴセキニンシャを持ってないから、ここに連れてくるしかなくて”


 翼族の男はそう言った。 


”誰かニンゲンが助けてくれるなら、私の出番は無いと思っていたのだけどね”


 自分が助けると手続きが面倒になるから、と。


”ソレデハ、気をつけて。 サヨウナラ”


 翼族の男は自分の名前も名乗らずに去ろうとする。

 シンディは思わず男の翼の端を掴む。


”あの、名前を教えてはいただけませんか?”

”もう会うコトモ無いでしょうから、名前は聞かなくても、いいでしョウ?」


 シンディは首を横に振った。


”御礼もしてないし……”

”オレイなんていらないから”


 シンディは唇を噛んだ。


”名前だけ”


 男はしばし、黙った。


”――レセッド”


 男がそう言うと、シンディは頷きもじっと翼族の男を見つめた。

 男は少し困ったように笑った。


”レディの名は?”


 シンディの顔が赤くなる。


”私は――”

 

 

 

 

 

「いたっ」

 シンディはこめかみを抑えて前のめりになる。


『ギュー、キプュー、キュー』

 スピーカーから流れてくる狂った翼族の鳴き声がシンディの意識を今の時間に戻す。

 シンディはこめかみを押さえたまま、ボリュームのスイッチを調節する。

 鳴き声が遠くなる。


――君にはもう昔の名前はいらないだろう?


 シンディの脳裏に、シルエットだけの姿を見せた男が言った言葉が繰り返される。


――君は翼族調査委員会シルバーメンバーナンバー562 シンディだ。 シンディという名の女性には美しい人が多い。 きみにぴったりじゃないか


 はたして、ノーという選択肢があったのだろううか。

 シンディは自分の指先をじっと見つめた。  

 




 

 シンディとレセッドとはその後全く会わなかった。

 当然だろう。 お互いに名前しか知らないのだから。

 しかしシンディは、いつかまた会えたら、という想いを育てていた。

 シンディの願いが届いたのか、それとも運命だったのか、その日は1年後に訪れた。

 凶暴化した猫鳥が大量発生し、街を襲ったのだ。

 餌を求めた猫鳥は手当たり次第、家畜や人間を襲った。 人間は猫鳥に見つからないように外に出る時は細心の注意を払わないといけなかった。

 シンディはその日、仕事のサンプルである魚の薫製を他社に届ける最中だった。

 匂いが外に漏れないように厳重に鍵がしてあったカバンが、なぜか途中で壊れてしまい辺りに魚の薫製をばらまいてしまった。

 シンディがそれを慌てて拾う。

 しかしその香ばしい香りは猫鳥をおびき寄せるには十分すぎて、あっという間に何百という猫鳥がシンディの上空を円を描いて舞った。

 そのうちの一匹がシンディに向かって直滑降で襲いかかる。


――だが、しかし。 


 猫鳥がシンディにたどり着く前に、シンディの視界に舞ったのは、やはりあの時と同じ白い羽だった。

 レセッドがシンディと猫鳥の間で、シンディを守るように大きな翼を大きく広げて立ちふさがったのだ。

 猫鳥と翼族では翼族の方が断然力も強く、上位であった。

 猫鳥達は喉から手を出してでも欲しいご馳走を目の前にしながらもレセッドに威嚇されるとすごすごとその地から去っていった。

 猫鳥がいなくなった事を確認すると、レセッドは翼をたたみ、シンディが落とした薫製を一緒になって拾った。

 シンディは薫製を拾うレセッドの横顔をじっと見つめた。

 もう一年も前なのだ。

 この翼族は親切なだけで、きっとあちこちで誰かをこうやって助けているのだろう。

 自分の事なんか、忘れているだろうに。

 シンディがそう考えて何と声をかけていいか迷っていると、レセッドが言った。


”1年ぶりだね。 ずいぶん綺麗になったものだ”


 そう言われて、恋に落ちた。

 笑顔がすてきな、巻き毛の、翼族の男と。

 


 レセッドは当分の間、街の翼族調査委員会分室に宿泊することになった。

 分室は旅の途中の翼族が気軽に泊まれる場所ではなかったが、保護責任者がいないにもかかわらずシンディと個人的に交流を持とうとしたレセッドにとっては最適の場所だった。

 レセッド自ら、いつ、どこで、何をしているかを報告することによってシンディは調査されずに済むという事である。

 おかげでデートは昼間限定だし、シンディの部屋に遊びにくることはあってもほんの小一時間の滞在、食事もレセッドは人間界のものは水以外全く口にせず、【喜びの新芽】が主食だった。

 夜になるとレセッドとは会えないのでシンディは会社の昼休みや休日にレセッドとデートを重ねた。

 デートとはいっても一緒に図書館に行ったり、散歩したり――空を飛んだり。

 手を握ることも、当然、キスも無かった。

 だからシンディは空を飛ぶのが大好きだった。

 もちろん、空という広い空間を自由に動けるという以外にこの時ばかりはレセッドがシンディを抱きかかえないと始まらないのだから。


 レセッドは紳士で、博識だった。

 シンディと会っていない時は分室で街の人の依頼に応えて薬草を煎じたり魔法で傷を癒したりしてあげていた。 


”ねぇ、あなたの彼氏って翼族なの?”

”翼族って人間よりも長生きなんでしょ? 年はいくつなの?”


 同僚の女友達がよく心配してくれた。 怖くないのか、危険ではないのか、と。

 シンディは何も怖くなかった。 彼と一緒にいられればそれだけで幸せだった。

 そして皮肉なことに、シンディと両親は離婚を期に全く交流が無くなっていたので反対する者は誰もいなかった。


 ある日シンディは尋ねた。

”ねぇ、レセッド。 あなたって私よりもすっごく年上なの?”


 レセッドはとても困った顔をした。

”――うん。 寿命が君たちより長いし、生きている時間が違うから、すっごく年上だし、君よりも長生きするよ”


 シンディは目を輝かせた。


”それじゃ、ずっと、私が生きている間はずっと生きているってこと?”

”そうなる……かな”

”じゃあ私より先に死んで、私をひとりぼっちにしたりしないってことよね?”


 レセッドが頬を赤く染めた。


”うん。 君をひとりぼっちにはしない。 君が――好きだから”


 その日、初めてレセッドはシンディにキスをした。 そう、シンディのおでこに、そっと。

 シンディは幸せだった。


”誰か保護責任者になってくれる人を探さないといけないな”


 レセッドが笑った。


”そうしたら堂々と君を抱きしめられる”



――それが、最後の言葉だった。

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