8-8 禁断の森
「あの、佐太郎さん。 実は今思い出したんですけど、私、ラムール様に拘束具の事で佐太郎さんに助けてもらったこと、話しちゃって」
リトは言った。
佐太郎が全く予想していなかったリトの言葉に目を丸くする。
「で? あいつは怒ってたか?」
――怒ってた?
「えっ、い、いいえ。 怒ってはいなかったんですけど、ただ、佐太郎さんが弓達の保護者になってもいいって考えているって言ったら」
「言ったら?」
リトは考えた。 あの時のラムールの態度は……
「――ほっとしてました」
佐太郎がくりかえす。
「ほっと?」
佐太郎の方眉がぴくりと上がる。
「やっぱりアイツは陽炎の館のガキたちの事なんかどうでもいいって思ってるのか?」
それは明らかに快く思っていないサインだった。
――あっ、やぶ蛇になっちゃう!
リトは慌てた。
「ちっ、違いいますっ。 他の人がしてくれるのか、ラッキーとか、そんなんじゃなくて、えっと、自分の後に来るのが佐太郎さんなら安心だ、みたいな」
どうにか佐太郎に好感を持ってもらわなければならない。
「おれだったら安心?」
「そう、そうです。 佐太郎さんなら安心!って信じてる感じ」
佐太郎の片眉が元にもどる。
「信じてる、かぁー」
いい兆候だ。
「信じてます信じてます。 ラムール様は佐太郎さんだから安心して、まかせられると……」
「なのに新世達の墓の事は相談してくれないってか?」
また怪しい雲行き。
「えっ、いや、っと、それは、きっと絶対訳があって、その、信じてるけど言ったら――そう、言ったら迷惑がかかっちゃうんですよ。 迷惑をかけたくなくて! 」
リトはとりあえず必死。 つまらぬ口の軽さから佐太郎とラムールの仲をぶち壊してしまう!
しかし佐太郎は芳しくない表情で返事をする。
「迷惑をかけたくない? どうしてだ。 おれなら安心してまかせられるんじゃないのか? それともまかせられるのはガキ共の世話だけってか?」
「あいやぁぁあ。 そうじゃなくって、えーっと、その」
リトが一生懸命フォローの言葉を考えていると、佐太郎がクスクス笑い出した。 クスクス笑いはやがて本当の笑いになって、佐太郎は楽しげに笑った。
リトはぽかんと佐太郎を見る。
佐太郎は笑い終えるとリトの頭をポンポンと軽くたたいた。
「いやー、すまんすまん。 リトにも心配かけちまったなぁ。 おれとあいつが喧嘩なんかしたモンだから。 ああ。 おれ達が悪かったな」
「……はぁ……」
「リトが必死にとりつくろうとするからつい面白くてな、 意地悪を言っちまたなぁ。 大丈夫だよ。 おれも子供じゃないんだ。 別にもうラ…ラムールの事怒ったりしてないから」
「ホントですか?」
リトが目を輝かせる。 佐太郎が頷く。
「まぁ、何か事情があるんだろうなって事は最初から分かっていたしな。 そこに翼族調査委員会の殺滅権を持った輩が絡んで来てるんじゃあ、あいつだってそうホイホイと事情が話せなかったってのも納得できたし」
リトは激しく頷く。 佐太郎が続ける。
「まぁ、おれも新世を殺したゴールドメンバーがどこの誰か分かったら、それを土産にあいつの所に話に行こうかなと思っていたんだわ。 お前が探している相手はこれだろ?ってな。 驚いて尊敬するだろうなぁ、あいつ」
佐太郎が微笑む。 リトは更に激しく頷いた。
「まぁ、そのうち、きちんとラムールに会いにいってゆっくり話をきくさ。 ここまでおれ達に知られてもまだ言わないってほど、馬鹿じゃねぇから」
リトはそれを聞いてホッとした。
なんだか話が変な方に進みそうなので、葉書の事は言うまいと決めた。
佐太郎は少し遠い目をして呟く。
「あいつ、新世の仇を一夢と一緒に、そんじゃなきゃ一人で取ってやろうと思ってるんだろうな。 相手は殺滅権を持っているから万が一もある。 それで陽炎のガキ達の事はおれに、って訳か」
リトは頷いた。
「ラムール様にとっては新世さんは本当に大事な人だったんですね」
佐太郎も頷く。
「新世がいるから。 新世の迫害をなくすために、あいつはこの国で偉くなろうとしたくらいだからな」
リトはもう一回、頷く。
「そんじゃあ、もう行くぞ」
佐太郎はそう言うと、次の部屋に入った。
次の部屋は全体がごつごつとした岩肌で、扉は長年風雨にさらされたような風合いでボロボロだった。
「この扉の向こうは、陽炎の館の裏の森に続いているんだ」
佐太郎が扉をさする。
「この扉をおれ以外の奴が使うなんて何年ぶりだろうな」
そして扉を引く。
扉の奥には薄暗い闇と、まるで滝のように上から下へと垂れているツルが見える。
「先に行け」
佐太郎に促されてリトは先に扉をくぐる。 なんだか微妙にふわふわした奇妙な空間だ。
「そのツルを左右にかき分けて外に出るんだ」
背後からやってくる佐太郎の声に従って、リトは垂れているツルをかき分けて先へ進む。
やがて最後のツルをかきわけ、リトは外に出る。
「――!」
リトは声を失った。
そこは深い深い、森の中だった。
空はどこまでも高く、青い。
しかしその空へも届くのではないかと思える位、左右に広がる高い、高い、壁。
いや、壁ではない。
無数の木が重なり合って育った、巨木。
そう、この、マーブル模様は、神の樹。
まるでそれ一本で一つの山であるかのような多くの葉と緑を携えて。
そして、相手は植物なのに、こうして触れて立っていると、まるで自分も神の樹の一部分、そう、枝の一本、葉っぱの一枚であるかのような一体感と、錯覚。
「リトっ!」
佐太郎に大声で名前を呼ばれ、リトは我に返る。
「はいっ?」
リトが大声をあげて返事をすると、佐太郎がリトの両脇を支えてそっと抱えあげる。
リトの足下から葉っぱがはらはらと落ちる。
佐太郎が呟く。
「ここで気を開くんじゃねぇ。 吸収されるぞ?」
佐太郎の声と一緒に風がさわさわとそよぐ。 リトは青くなった。
あの、この樹と一体感のような感覚。
――私を吸収しようとした?
「おめぇさん、裸足だったからなぁ。 神の樹も勘違いしたんだろ」
佐太郎の声が聞こえる。 さわさわ、さわさわ、と、風の音も。
さわさわ、さわさわ。
佐太郎は少しの間、ただ黙って風の音をきいていた。
風の音が、止む。
「よっしゃ、もう平気だ」
佐太郎はそう言うとリトを地面に下ろした。 リトの足が地面に降り立つ。 沢山の枯葉と土と草の感触。 樹との一体感は、ない。
リトはおそるおそる佐太郎に尋ねた。
「ここって、もしかして、禁断の森――?」
佐太郎は当然のように答えた。
「そうも呼ばれてる」
――ここが、禁断の森。 ハルザがその昔、子供の命を助けたい一心で葉っぱを貰いに来た、その場所。
立ちすくむリトを気にせずに、佐太郎は神の樹の周りを何かを探すように歩き回る。
リトは思いきって、自分も同じように歩いてみた。
――この樹は、生きている。
リトは歩きながら、神の樹のエネルギーを肌で感じた。
理屈ではない。
神の樹の神々しいまでの迫力。
神の樹が神の樹と呼ばれるその理由。
すべてはここで肌で感じれば事足りた。
尊敬と畏怖。
本能がそれを感じ取っていた。
凄いと褒め称える事も愚かに思え
あり得ないと拒否することも不可能に思えた。
「昔はこんなのがあちこちの国にゴロゴロしてたんだぞぉ」
佐太郎が黙ったままでは何だと思ったのか口を開く。
リトも恐る恐る返事をする。
「知ってる……。 ハルザおばさまが言ってた。 神の樹は育てるのが難しいって……よほど人間界に興味がなければ居残ってはくれないって……」
「はっはっ」
佐太郎が笑った。
「この樹はまだまだ好奇心旺盛だからなぁ」
そんな事言って、幹を気軽にポンポンたたく。
「神の樹が去ると、そこはつまらない国になっちまうか、滅びるか、どっちかだって知ってるか?」
佐太郎が急に言う。
「神の樹は繁栄も表すってこった。 でも育てるのに骨がおれるから、たいていは神の樹に成長する前に神の樹の方から見切りをつけられて枯れちまう。 オルラジア国とか科学でたいていの事が済む所なんかでも育たないんだよな。 これは。 テノス国ならではってこった」
「他の国にはもうないの?」
リトは尋ねた。
「んにゃ。 あるよ。 そんなに大きくないやつならちらほらとね」
「この樹――無くなったら、そこは滅びちゃうの?」
佐太郎は頷いた。
「つまらない国じゃなかったら、な。 つまらない国は滅びないんだ。 それも何だかなあって思うけどな。 そうそう。 だから、あいつ――ラ、ラムールの母国の、ドムール王国は良い国だったけど滅びた」
リトは不思議だった。
「良い国なのに?」
「……避けられない自然災害だったからなぁ」
佐太郎が悲しげに答えた。
何かがリトの胸にひっかかった。
「ありぃ?」
ところがリトの考えを途中で邪魔するように佐太郎の素っ頓狂な声が響く。
「リトぉ。 来てみろ。白の館にすぐ帰れそうだぞ」
リトは佐太郎に呼ばれるがまま側にいく。 佐太郎は枝から垂れたつるの束の中に頭をつっこんでいた。
リトが近づくと、佐太郎が顔を出す。
「この先はどーも白の館の神の樹っぽいんだが、見てみろ」
リトは佐太郎が首をつっこんでいた所に首を突っ込む。
頭を差し込んで顔を出し、左右に首を振って、目を開ける。
すると視線の先にはハルザがこちらに背を向けて神の樹に捧げモノを蒔いている。
リトは首をひっこめた。
「うん! ここ、白の館の場所よ? すごい、これってやっぱり科学魔法?」
佐太郎は肩をすくめた。
「いや逆。 神の樹のこの力を分析して作ったのがおれの科学魔法。 だけど今、白の館に繋がるとは思わなかったな……」
佐太郎が神の樹を見上げる。
神の樹がどことなく胸を張って誇らしげに見える。
佐太郎がリトに向き直る。
「リト、んじゃもう、忘れ物は無いな? おれが行くと面倒だからおめぇさんだけで行けるな?」
リトは頷く。
「一応、今日の事もラムールには内緒だぞ? ま、絶対言うなっては言わないがね。 数日もしたら翼族調査委員会の奴らも国から出て行くだろう。 そしたら安心だ」
リトの胸に何かがひっかかる。
「あのう」
リトが口を開いた。
「何だ?」
佐太郎が首をかしげる。
神の樹がざわめく。
「い、いいえ。 ありがとうございました」
リトは頭を下げて例をすると、向きを変えて枝から垂れたツルの束の中に入った。
背後で、いいってことよ、という佐太郎の声が聞こえた。
同時にリトは水面から空中に飛び出すような感触を通り抜けて――
すとん。
足が地面に降り立つ。
辺りを見る。
白の館、だ。
「おや、リトぉ!」
いきなり背後で気配を感じて振り返ったハルザの喜んだ声が聞こえた。
ハルザが蒔くのを止めてこちらへ近づいてくる。
――ああ。
リトは、急に気がついた。
ラムールが新世の仇を捜しているのは事実かもしれない。
しかし、それにしては時は2年近くもたち、ラムールの腕をもってして、と考えると時間がかかりすぎた。
それならば。
――新世さんがこの国にいない今、ラムール様がここにいる理由はないのね?
ラムールが、優秀なこと。
ラムールが陽炎の館のみんなの世話をやかないこと。
ラムールが欲しがっているのは「権力」だとレイホウ皇女が言ったこと。
ラムールが言った「時間が無い」ということ
ラムールに届いた、葉書。
ラムールの代わりに佐太郎が陽炎の館の保護者になると聞いて喜んだこと。
ラムール様はこっそりと、余所の国にお移りになられるつもりなんだ……
もう、その国に行く日は決まっていて、今はそれに向けての準備やこの国での後始末……
リトは空を見上げた。
空は禁断の森で見たのと同じ、青く、どこまでも澄み渡っていた。
この美しい空の中にラムールの姿を求めたが、それは叶わぬ願いのようだった。
願わくば、私の予想が、外れますように。
リトは、願った。