8-2 信頼するのはおよしなさい
シンディが手帳のようなものをリトに渡す。
そのページにはラムールの事が載っている。
「指でページを下になぞれば続きが読めるから」
シンディに言われるがままリトは指先をページの表面で上下させる。 すると書かれていた内容が上下して動く。
なんだか面白かったので「すごーい」と声をあげる。 まったく携帯端末も知らないなんて、とシンディがぽそりと言うのが聞こえた。
リトは気を取り直してページに目を通す。
一番大きく書かれているのは――そう、名前よりも大きく――【テノス国発行殺滅権所持者】
そして、名前。 ラムール=ロム=テノス
――へええ、こんな名前だったんだ。
その下には各種表彰や、発表論文などがずらりと並ぶ。
さらに【空中浮遊能力保持】【絶対威嚇能力保持】ついでに【瞬間記憶能力保持*特殊分類】なんてものもある。
「瞬間記憶能力ってのは……何ですか?」
リトが教えて欲しそうにシンディを見た。
「そのまんま。 一瞬で見た物を記憶できるという能力よ。 それにかかっちゃいくら【肩書きの意識】を変えても見た目が変わらないからね、役に立たないのよ。 ――ほら、あなたの分の保護証明書。 あれにあなたの瞳虹彩――ええと、瞳の模様ね。 あれも彼が記憶できていたからこそ申請できたのよ」
「って、こうやってただ話していただけなのにラムール様は私の瞳の模様を記憶していたって事ですか?」
シンディが頷く。
リトは再度しげしげと携帯端末を眺めた。
「あの――殺滅権って誰でも持ってるものですか?」
そんなはずはないだろう、と思いながら。
シンディは鼻で笑った。
「国が発行しているのは今のところラムール教育係だけじゃなかったかしら。 殺滅権を持つ代わり王位継承者を【身代わりの護り】で保護してるって訳ね」
「どうして?」
「殺滅権を使ってクーデター起こさせない為に決まってるでしょ」
――なるほど。
「しかも国発行、だから【王族にもっとも近い者】である称号として名前の最後にテノスがついているでしょ?」
――なんかそんな称号があるって、はるか昔に聞いたような覚えもある。
「たいていの国は王位継承なんかは揉めるからね。 そんな簡単に殺滅権なんか手に入らないわ」
――それはそうだろうけど……
「じゃあ、あなた方、委員会の人は?」
リトは素直に尋ねた。
シンディが一瞬口ごもる。
「……それは――まぁ、いるわね。 結構。 沢山」
「あなた方は?」
リトの再度の問いに少しの間面白く無さそうにシンディは考え込んでいたが、口を開く。
「調査委員会発行の殺滅権は、ある一定の数の翼族を殺す事ができたら半ば自動的にもらえるわ。 奴らはそんな簡単に殺せないからね。 そうとう腕に自身が無いと。 ――翼族は仲間を殺されたら、殺した相手を殺しに来る習性があるのは知ってるわよね?」
リトは頷く。 なんとなく知ってる、程度だったが。
「だから翼族を殺す者は翼族よりも腕が強くなければ務まらないのよ。 こちらが強かったらそうそう簡単に翼族も復讐には来れないでしょう?」
ごもっともだ。
「ま、参考までに言うと殺滅権を持っている可能性が高いのはbメンバーかgメンバーね」
――つまりはシルバー、sメンバーのあなたは持っていない、ってことで。
「名前とかって分からないんですか?」
リトはg-∞について知りたかった。
「名前は知らないわよ。 というか、翼族調査委員会メンバーはすべて偽名ですもの。 私の名もトシの名も便宜上使っているだけで本名は別にあるわ。 メンバーだって証は――あなたは見たでしょ? 拳の上の空間にマークを出すの。 あれ。 今は私はメンバーとしてここに居るわけじゃないから出せないけどね」
なんかそう言えば最初に会った時に、門兵に見せていたような気もする。
どんなのだったか覚えていないけど。
――にしても……
「あなたは親切ですね」
リトは思わず口にした。
突然だったのでシンディが驚いてむせる。
だって分かりやすく親切に教えてくれたことで、リトの知識がこの数分でどれだけ増えたことか。
――ん? でもこの人は何かを忠告しに来たとか言ってなかったっけ?
「えっとー、で、何の忠告をしに来られたんでしたっけ?」
シンディはひとしきりむせる。
リトは仕方がないのでベットから出て、引き出しに隠しておいた瓶詰めのお茶を取り出しシンディに渡す。 シンディはそれ受け取ると口に含み、ひと息つく。
「ふぅ。 ああ、びっくりした」
そう言って笑うシンディは悪い人には見えなかった。
リトはもう一度ベットに入る。
シンディは一度微笑んでから、真面目な顔つきになり、身を乗り出す。
「忠告はね、いいこと? 翼族にあんまり近づかないように、てのがまず一点。 正確には翼族の血を引いている者には近づくな、ってこと。 たとえそれがハーフであったとしてもよ。 この国はまだ翼族に寛容だけど、他の国では問答無用もいいところよ。 あなたは自分の良心のままにあの巳白というハーフと友達でいるつもりでしょうけど、自分を守るためには危険を呼び寄せるモノとは距離をおくべきなの」
おそらく忠告ってそんなものだとは思っていたが、それを告げるシンディの眼差しは真剣だった。
彼女なりに心配してくれているのだろう、とリトは感じた。
「あと」
シンディがリトの両肩をがっしりとつかんだ。
「ラムール教育係を信頼するのはおよしなさい」
そしてそう、はっきりと告げた。
リトが言い返そうとするのを、シンディはそっと指を口に当てて制した。
シンディが困惑した眼差しでリトを見る。
「分かるわよ。 そんな信頼するなって言われても、はいそうですね、とは思わないわよね。 でもこれはあなたのためなの。 話をもう少し聞いて」
シンディの目があまりに真剣なのでリトは思わず気勢をそがれる。
それを確認して、シンディはリトから手を離してリトのベットに腰掛ける。
「巳白の保護責任者はラムール教育係よね? あなたの保護責任者も」
シンディの問いにリトは頷く。
「保護責任者ってのはね、どんな人がなれると思う?」
リトはちょっと考えた。
「えっと、自分で言うのも何だけど、保護する相手を大切に思ってる人……」
だって「保護」とつくのだ。 当然じゃないか。
「それじゃあ、ラムール教育係は巳白に関して、彼に特別優しい? 保護してるって思う?」
――それは――
リトは首を横に振った。
ラムールは巳白を突き放している。 何があっても譲歩しているのは巳白であって、ラムールは巳白に危害を加えた村人達の肩を持っていたじゃないか。
「そうでしょう?」
シンディがゆっくり頷いた。
「保護責任者っていうのはね、名前だけじゃないのよ。 教会の聖水と同じ、誓いなの。 何の誓いかというと、保護責任者が殺したいと思った時に簡単に殺せちゃうっていう、誓いなのよ」
リトの視た記憶の中の『保護責任者はいつでも君を殺すことができる』という幼いラムールの言葉がよぎる。
「翼族とはいっても、世界中には普通に人間と一緒に暮らしている者がいるのも事実よ。 じゃあどうしてそれが認められているかっていうと、この保護責任者制度があるからなのよ。 これがある限りそこの村なり国でその翼族が何か危害を加えたら誓いに基づき殺せるの。 そしてこれは誓いだから翼族も仕返しには来ないってわけ」
リトは泣きそうな瞳でシンディを見た。
シンディがリトの頭をなでながら続ける。
「ところで、あなたは愛する人が悪いことをしたとして、簡単に殺せる?」
リトは首を横に振った。
「そうよね? 大切に思う相手ならなおさら、かばいたくなるのが優しさってものよね。 でもそれじゃ保護責任者として、切り札にはならないの。 いつでも情け容赦なく対象を殺すことができるからこそ、保護責任者制度は生きてくるの」
シンディの手がやさしくリトの肩をさする。
「つまり保護責任者になれるってことは、その相手を簡単に殺せるってこと。 つまり大事に思っていないってことよ。 ラムールは新世という翼族の保護責任者も兼ねていたわ。 でも新世って翼族は結婚していたのよ。 一番相手を大事に思っている人が保護責任者になるというのなら、それはラムール教育係じゃなくて、その旦那さんだったと思わない? でもその人はならなかった。 なぜか。 それは愛しているから新世という翼族を殺すことができないと自分で思っていたからよ。 じゃあなぜラムールは保護責任者になれたのか。 それは、簡単に殺してしまえる程度の思いしか無かったからよ」
リトは首を激しく横に振った。 認めたくなかった。
だって、だってそれを認めたら、ラムールが自分の保護責任者になったってことは……!
「ショックなのは分かるわ。 でもあなたも思い出してご覧なさい。 あなたに保護責任者の契約の書類にサインをさせようとした時、私は一番大事な事を説明不足よって忠告したわ。 本来はあなたにそこで事実を告げるべきなの。 自分はあなたを殺せますって。 でも彼はそれをしなかった。 なぜか。 それはあなたに知らせたくなかったからよ。 みんなに知られたくなかったからよ。 自分のために」
リトは目に涙をいっぱいためて、ゆっくりと首を横に振った。
シンディはため息をつく。
「でも事実なのよ」
とても哀れむ眼差しだった。
シンディは、先ほどの手帳のような携帯端末を手に取ると、ペンで操作をする。
「これが、保護責任者申請プログラム体験版」
シンディがそう言って画面をリトに見せる。
画面には翼族調査委員会のマークと、魔法陣が書かれている。
「あなたが真実を知りたいなら、ここに両手を当てて目を閉じて意識を開いて。 そうしたら保護責任者になるために必要な試験の一部を体験できるわ。 安心して。 体験版だから最後まではいかないから。 ほんの一部、5パターンだけよ。 まずはこれを体験して、それから人は保護責任者になるかどうかを決めるのよ」
リトはじっとその画面をみつめる。
「あなたの大事な彼でも、友人でもいいわ。 どちらか思い浮かべて、ここに触れて」
リトは一度目を閉じた。
――弓。
自分が保護責任者になるなら、きっと相手は弓だと思ったから。
シンディは頷き、そっとリトの手を導いて画面にのせる。
リトの意識の中に、何かが入ってくる――