蒼い女神の契約を持つ娘
軽い設定ざんす。
さぁ幼子よ。
まぶたを開きなさい。
その蒼い目は私との契約のしるし。
あなたが願えば一つだけ、願いは聞き届けられましょう。
それは遠い遠い物語。
『女神が見ているから夢魔は来ない。
さぁ怖くないからお眠りなさい』と眠る前に聞く子守唄。
「ちか!」
突然大きな声で呼ばれて、千佳は身体を震わせた。
初めて腕を通した少し背伸びした服を両手で握りしめる。
千佳は今日、ずっと計画していたことを実行してみた。
── 今日は会わないで済むと思っていたのに……。
学校が終わると同時に走り出して、日が陰るこの時間まで、千佳は寂れた酒場の裏手にずっと隠れていたのだ。
大きな声で呼びかけられて嫌々振り向けば、そこには銀次が立っていた。
銀次は幼馴染みで、なにかと言えば千佳に意地悪をしてきたり、気に入らない事をすると叩いたりもする男の子で、千佳にとっては苦手な存在だった。
「なぁに……?」
「こんな、はぁ、時間になるまで、はぁ、おれにあいさつを、ふぅ、してこないとは、お前もいいどきょうだな、はぁ!」
銀次は少し頬を赤く染めて、呼吸を荒く繰り返している。
軽く汗もかいているようだ。
── 今まで、おつかいか何かで走っていたのだろうか?
珍しいこともあるものだと千佳は首をかしげた。
銀次はいつも『走るなんて余裕のないやつのすることだ』と鼻で笑って言っていた。
しかし千佳は余計なことは言うまいと、俯き足元を見つめる。
余計なことを言えば、また「なまいきだ」といつもみたいに頭を叩かれるに決まってる。
「……『毎日あいさつしろ』なんて言われてないもん。
ほかにもしてない人だっているし!」
「ほかの人はどうだっていいんだ!
でもおまえは、おれに会いに来なきゃならないんだっ!
今からこれも俺の子分としてのルールにしたからな!!」
「そんなのヤダ!
そんなのしない!!」
千佳が言い返せば、銀次は不機嫌そうに顔を歪めた。
「なまいき言うなよ!
ちかはおれの後についていればいいんだ!」
憤る銀次が本当は恐いが、今更『ごめんなさい』なんて言ったってどうせ許してはもらえない。
それにこの機会に千佳は、いつの間にか周りからも言われている『銀次の子分』という立場を、終わりにしたかった。
『金魚のふん』なんて、同級生からからかわれるのも、もうゴメンだ。
「やだもんやだもん!
わたしだってさおりちゃんや、はるちゃんとあそびたい!」
千佳の言葉を聞いて、銀次がフフンと勝ち誇ったように笑う。
「じゃぁさおりやはるをいじめ「コラ!銀次!」…!」
銀次が言い出した言葉に被せるように、突然よく通る低い声が、銀次をたしなめる。
「げっ!
金武兄ぃ!」
「かなちゃん!」
嫌そうな銀次の声と、嬉しげな千佳の声がほぼ重なる。
二人の傍には成人した男が立っていた。
それは銀次の兄の金武で、淡い金髪を後ろに結び、温厚な見た目をした青年だ。
ちなみに千佳は『金武と銀次はまるで似ていない』と思っている。
似ているとすれば金色の髪と琥珀色の瞳だけで、性格も顔つきも全く違った。
「変に慌ててるから何かと思ったら!
ごめんね、ちーちゃん。
銀次、ちーちゃんに意地悪言っちゃダメだよ!」
『いつも』とまでは言えないが、それでも気がつけば必ず助けてくれる金武を、千佳は大好きだ。
「かなちゃん、かなちゃん」
千佳は蒼い目を潤ませて、金武の腰にしがみついた。
金武は千佳や銀次よりも11も年上なため身長が高い。
金武はしゃがみこみ、千佳の頭を優しく撫でる。
「あぁ泣かないでちーちゃん。
本当にごめんね」
頭を撫でられて安堵したためか、千佳は余計に涙が溢れた。
「銀次、お前はいい加減にしないとちーちゃんに嫌われるよ?」
呆れを含んだ声色で、金武は銀次に声をかけた。
「う、うるせーよ!
べつにきらわれたって、べつにおれは」
「ぎんなんていつも意地悪でキライだもん!」
しどろもどろになる銀次を横目で見つめながら、金武に守られて強気になった千佳は大声で叫んだ。
「っ!」
銀次が目を見開いて驚いた顔をする。
「ホラみな、女の子は優しくしなきゃダメだよ。
……特に好きな女の子にはね」
金武がため息混じりに銀次を見た。
つられるように千佳は銀次を見つめたら、今度は真っ赤な顔の銀次が視界に入る。
── 銀次って好きな人いるんだ。
銀次が好きな相手も可哀想に!
千佳の物言う眼差しに堪えられなくなった銀次は、目をそらして足元を見た。
「べっ!?
べつにちかなんて、おれはそんなすっ「ストーップ!」」
銀次にみなまで言わせず、金武が少し大きめな声を出し肩をすくめる。
「全く、本当に銀次は天の邪鬼なんだから」
「あまのじゃく?」
だいぶ落ち着いてきた千佳は、視線を金武に戻して首をかしげた。
「そう、銀次に似た性格はみんな『天の邪鬼』って言うんだよ。
ほら、銀次も泣かせたこと謝って!
じゃないと母さんに言いつけるよ?」
苦笑しながら金武は千佳の肩に手を乗せた後ゆっくり立ち上がり、銀次をきつく睨んだ。
金武の迫力と、母親という切り札に負けて銀次は渋々謝ってきたが、それよりも千佳は銀次みたいな性格の人が他にもいると聞き、ゾッとして身震いした。
涙を拭って千佳は家の扉を開ける。
「おばさん!ただいま!」
「ちーちゃん、おかえり!
あらあら、泣いちゃったの?」
千佳の叔母が困ったように笑う。
銀次の気持ちを千佳の叔母は知っていたため、銀次の家に乗り込んで行って「いじめるな」とあまり強くも言えない。
千佳は両親から離れて暮らしていた。
両親は千佳が産まれる前にこの町から都に移住していた夫婦で、当然家も都にある。
治安も空気も良いとは言えない都に、千佳の病弱さを心配した両親は、療養目的で叔母の家に千佳を預けたのだ。
千佳自身寂しいとも思うが、叔母は優しいし友達も増え、月に一度くらいのペースで両親も会いにも来てくれる。
おかげで千佳はそれなりに楽しく毎日を過ごしていた。
銀次にはときたま泣かされてはいるが。
そんな毎日を千佳が過ごしていた3年後、千佳の国は他国同士のいさかいに巻き込まれ、同盟により多くの国民が戦地にと送り込まれることになる。
しかし千佳の町は国境からも遠く、比較的規模の小さな町だったので、まだまだ緊迫感もなく平和であった。
「おい、千佳!
帰るぞ」
銀次の声に千佳は顔をあげる。
戦が始まってから2年経ち、千佳は15になると叔母の家から出て町役場に勤め始めた。
両親は「都に戻って来ないか?」と言ったが、千佳は不思議とこの町が離れがたかった。
銀次に声をかけられたとき、千佳はちょうど役場の日誌を書き終えたところだった。
「あ、待って。
まだ荷物しまえてない」
扉の枠に手をかけて顔を出す銀次に向かって声をかけながら、ガタガタと机の中から小さなポーチを引っ張り出す。
ポーチのなかには、お気に入りの筆記用具や良い香りの練り香水が入っていて、千佳は毎日それを大切に持ち歩いている。
「ったく、とろいなぁ」
銀次の顔を見なくても、声色ではっきり『呆れてる』とわかり、千佳は眉を寄せる。
「今日は朝から『日誌を書かなきゃダメだ』って言ってたもん!
『遅くなるから待たなくていい』ってちゃんと言ったんだから、同僚の人と先に帰ってよ」
「いいから早くしろ、ト・ロ・子!」
相変わらずの上から目線にムッとするが、銀次との関わりも長い千佳は、ため息と一緒に腹立ちも追い出した。
千佳も無駄に長年泣かされてはいないのだ。
千佳が同僚に「お先に失礼します、お疲れ様でした」と声をかけるが、返事はまばらで多くの女性同僚は銀次のことを見ていた。
銀次の子どもの頃からあるヤンチャな雰囲気は今でも健在で、最近は「少し悪そうなのがいい」という猛者も現れ、銀次は人気がある。
千佳といえば銀次と小さな頃からあまりにも近くに居たため、色めき立つ同僚達を見ても首を捻る程度だ。
だからといって、千佳にだって銀次に対して何の感情もないわけではない。
もし銀次に恋人が出来たら、寂しく感じるだろうと千佳は思う。
それこそ叔母が笑う程度には子どもの頃から一緒にいるのだから。
「町長が、か?」
訝しげな銀次の声が、夕方市の賑わいに溶けて消える。
「う~~ん、町長というより、その息子さん?
えーっと、確か明正……さんだったかな?」
「あーー、あいつな。
金武兄ぃの同級生で、知り合い……まではいかないか。
顔見知り程度の関係かな。
ちょっとごう慢な感じのやつ」
この町は基本的に同じ一族が町長を担っている。
だから町長の息子である明正も、次期町長になることが決まっていて同然なのだ。
『町一番の権力が望まずして勝手に手の中に転がり込んでくるんだから、そりゃごう慢にもなるだろうさ』と、銀次は金髪の頭を掻きながら軽くため息をついた。
千佳は軽く乱れた銀次の金髪と、自分の薄汚れた水色のような、枯れた灰色のような髪色を横目で見比べて、相づちを打ちながら『……綺麗な金髪、良いよなぁ』と思う。
自分のぱっとしない髪色が、千佳は嫌いだった。
千佳は自分のネガティブな気持ちを振り払い、話を続ける。
「最近ね、町長が町役場に居るときは、いつも部屋に来て話しかけてくるの。
なんかいつもにやついていて、ちょっと気持ち悪いんだ」
「そうか、そりゃ対応困るよな」
同僚は「うまくいったら玉の輿よ!」と羨ましがっていたが、千佳にとっては好きでもない男に言い寄られても困る。
誰か代わって欲しいくらいだった。
言葉が足りなくとも銀次が自分の気持ちを分かってくれたのが嬉しくて、千佳は頬を赤らめて見上げる。
喜びに笑う千佳を見た銀次は、口をへの字に曲げて視線をそらす。
銀次の頬が赤く染まっていたが、夕日に照らされていたため、千佳は気付かないり
銀次に露骨にそらされたことが不思議と寂しく感じて、千佳はどうしてなのかと首をかしげた。
「そういえば……金武兄ぃといえば、もう2年だな」
市場も抜けて、そろそろ家に着くころになると、銀次はため息混じりにポツリと呟いた。
「そうだねぇ、かなちゃんが都に行って2年も経つんだぁ。
元気にしてるかな?」
千佳の心に寂しさが広がる。
金武は『無駄な戦を早く終わらせたい』と言って、国の中枢で働く事を決意をすると、一人都に旅立っていった。
有言実行をし、うまく政の中枢部に潜り込んだ金武に、当時は町中が驚いたものだった。
「……お前、金武兄ぃ好きだもんな」
何か物悲しそうな銀次の物言いに、千佳は銀次を見上げる。
実際千佳は、金武と会わないでいる時間が長すぎて、金武の面影が霞んできてしまっていた。
「な、何言ってるの!
過去形じゃなくて、今も好きだよ」
忘れてきていることに少しやましい気持ちになって、思わず千佳の言い方が強くなる。
金武は千佳にとってヒーローであり、王子様だ。
色々と優しくしてもらっていたのに、あっさり忘れる自分に不甲斐ないと思いつつ『それならば銀次と会わなくなったらどうなるだろうか?』と考えて、妙に嫌な気持ちになった。
「まだ……好きなの、か?」
「そりゃね、たぶん『ずっと』だと思うけど……なんで?」
急にぎこちなくなる銀次を千佳は見上げる。
「そうか」と呟いて寂しそうに笑う銀次を千佳は見つめた。
千佳は金武は元気でいると信じていたし、銀次ともずっと一緒にいられると信じて疑わなかった。
夜中、扉を叩かれて千佳が顔を出すと顔色を悪くした銀次が立っていた。
「銀次?
こんな時間にどうしたの?」
「千佳……金武兄ぃが……亡くなっていた、らしい」
「え?」
何かの聞き間違いかと、ひきつりながらも銀次に笑いかける。
「何、冗談?」
乾いた笑いが千佳の唇から溢れ落ちるが、項垂れ様子の変わらない銀次を見て、一気に血の気が引いた。
心臓がドクドクと激しく鼓動を始める。
衝動的に千佳は銀次の服を掴んで揺すった。
「そんな冗談……た、質が悪すぎるからね?!
う、うそなんでしょう?
だってっ、だってもうすぐ帰れるかもって……書いて、あったもん……!」
つい先週届いた手紙には懐かしい字で『和平団ができて、戦終結へと道が開けてきた』と書き連ねてあった。
それを見せてくれたのは、他でもない銀次だ。
「そのはずだったんだ。
夕刻のは……あれは『虫の知らせ』だったっていうのかよっ?!
ちくしょう!!」
銀次が俯き唇を噛む。
夜の冷たい風が銀次の髪を揺らした。
しかし二人とも感覚が麻痺して『寒い』とは感じない。
「ひどい傷を負ったが、なんとか生き残れたやつに聞いた話なんだが、ゲリラに移動中の和平団が襲われたらしい。
そのなかに金武兄ぃが居たんだ。
二国間は責任の擦り付け合いで、戦も泥沼化する様相になった。
町長の息子に招集が来てるらしい。
そのうち、年下の俺達の年代も招集されるだろう」
「そ、んな。
だってこの戦っ……この戦って、うちの国の事じゃないんでしょう?
だったらっ!
だったら行くことないじゃないの!?」
頭が真っ白になった千佳は、銀次の服を掴んだ。
「千佳、静かに。
声が大きい。
もう夜だし、戦の話はみんなが怯える」
周りを気にするように、銀次が見渡す。
どうせ『また幼馴染み同士のケンカ』程度しか周りは思ってないだろうと銀次は見当をつけたが、それでも余計な詮索はされたくない。
「千佳、聞いてくれ。
俺はお前のことが……好きだ。
ずっと好きだったんだ。
だから最後に千佳に謝りたい」
驚きに揺れる千佳の目を、銀次は目を決意の込めた目で見つめる。
「俺は初めて見た時からずっと千佳が好きだった。
千佳が金武兄ぃを好きだと分かっていても、諦められなかった。
気になって、傍にいて俺を見て欲しくて……いじめたつもりはなかった。
本当は時期をみて言うつもりだったが……悪かったな、許してくれ」
自嘲気味に笑う銀次に、千佳は動揺が隠せない。
「……だって、だって」
嫌われてるとまではいかなくても、呆れられてると千佳は思ってた。
情けないし鈍くさいけど幼馴染みだから、気安さで銀次は自分と一緒にいるのだと思ってたのだ。
千佳はしばらく喘ぐように呼吸を繰り返したあと、ようやく銀次の手を握りしめた。
「そんなの……言ってくれなきゃ、私鈍いからわかんないよ。
ヤダ行かないで、銀次……行かないでよぉ」
千佳が涙で見上げれば、銀次は苦しそうに眉を寄せて千佳を抱き寄せた。
「イヤよ、絶対いやだ」
抱かれた千佳はすがり付き、銀次はより一層きつく抱きしめる。
泣きながら千佳はようやく気がついた。
なんで両親のいる都に戻らないのか。
それはここに銀次がいるからだ。
同級生が兵に志願して町を出立したときも、金武が都に行く時だって、悲しいとか寂しいとは思ったけれど、取り乱す事はなかった。
だけど銀次は別だった。
銀次が招集されると聞いた途端、ひどい喪失感に胸の奥が潰れそうになる。
自分にとって銀次が特別なのが、千佳はよくわかった。
千佳は涙が止まらない。
ずっと一緒だと思っていた。
ずっと共にいれると信じきっていた。
意地悪ばっかりだったけど、大切な時には守ってくれた。
多くを語らなくても、よく理解してくれたのは銀次だけだ。
「銀次、私だって銀次が好きなの。
かなちゃんは、私にとっても『兄ぃ』なの。
『兄ぃ』として好きなの!
行くなら、私を置いて行かないで!
『いつも後ろに居ろ』って言ったでしょう?」
「千佳のバカ。
……お前嫌がってただろ」
抱かれた身体が熱かった。
銀次だって逃げれるものなら、本当は逃げ出したい。
けれど招集から逃げ出した者は『脱走兵』として追われる身となるし、家族共々白い目で見られる。
戦地行きが『片道切符』なのも間違いない。
今までに招集されて戦地から戻ってきた人数は少なく、10人行って4人帰ってくるような有り様だった。
「銀次、銀次、だったら私もお願いがあるの」
これ以上ごねては銀次を困らせるだけだと、涙を拭き、抱きとめてくれる銀次を見上げる。
「帰ってくるって約束して。
帰ってくる約束に私を抱いて」
「千佳?!
お前……そんなことをしたら」
銀次は驚きしかない。
この町では貞淑である事が好まれる。
未婚であるにも関わらず純潔ではない女は、結婚したくてもできない古い因習が残っていた。
それ故にこの町の女は結婚前の交わりを、極端に嫌がっていたのだ。
「自棄になってるわけじゃないよ。
絶対に戻ってきて。
銀次が戻らないと、私いかず後家になっちゃうからね」
千佳の唇が弧を描き、いたずらが成功した時のように目がキラキラと輝かせた。
千佳が銀次の腕を掴み部屋の中に引くと、ずっと銀次の方が体重も重く力強いはずなのに、銀次の体は抵抗もなく引き込まれていく。
「千佳、好きだ」
お互いにぎこちない口付けだけど、心が満たされていた分驚くほどに気持ちがいい。
「あーーっと……俺さ、正直初めてなんだ」
「わ、私だって!」
頬を染めて見上げる千佳の顔を、銀次は片手で隠す。
「なんで隠すのよ?」
「……やばいから」
「『やばい』って意味分からないんだけど?」
口をへの字に曲げて「うるせー」と呟くと、銀次は噛みつくようなキスをして、千佳は息が吸いづらくなり喘ぐ。
キスは乱暴でも銀次の手は労るように優しくて、千佳は嬉しかった。
一つ一つの行為は拙かったかもしれない。
でもお互い求めているのが分かって、本当に幸せだった。
「お願い銀次、私が待ってるって忘れないで」
「あぁずっと一緒だ」
半月前の事を思い出して、銀次はふっと表情を緩めた。
胸ポケットにしまわれた練り香水の匂いに、自分の意識がこんな場所でのんきにも飛んでいたのかと、銀次は苦笑した。
練り香水は千佳に「私の代わりに傍に」と渡されたものだ。
── あぁ、千佳は元気にしているだろうか?
銀次が小さなため息をついて『こんなところ』を見渡す。
辺りにはつい今朝がたまで笑い合っていた仲間の死体が転がっている。
人の死体を見ても、もう心は動かない。
敵方の包囲網も段々と狭まっていて、自分の逃げ場なんてすでにないのが分かっていた。
どうやら仲間の援軍も絶望的で、完全に見捨てられているようだと、銀次は深いため息をつく。
「おい、銀次。
そろそろヤバいかもな」
話しかけられて、銀次は前方に視線を向ける。
「あぁまぁな、明正も残念だったな。
戦さえなせれば、平穏無事に町長になれたのに」
同郷ということで、同じ隊に配属された銀次と明正は、壁を背にして腰をおろしていた。
たまに『ガッ!』と壁にぶつかる音がして、砂ぼこりが舞う。
生きているのは銀次と明正だけだった。
「へへへ、悪いがなヤバいのはお前だけだよ。
俺はこのあと町に帰れるしな」
「……明正、お前気でもふれたのか?」
内通者でもなければ、現状で生きて帰ることなんて無理な話だ。
銀次はどう考えても明正が内通しているようには思えなかった。
明正ははっきり言えば愚鈍で、銀次から見ても内通が出来るような器用な男ではないのだ。
「お前『蒼い女神と契約の目』って知ってるだろ?
お前はここで死ぬから特別に教えてやるけどさ、あれに頼るんだよ」
「は?
あれは子供だましのおとぎ話だろ」
再び「カツッ!」と音を立てて、銀次のそばの壁が小さく削られる。
「それがな、町長一族だけ口伝されているんだけど、あれは真実なんだよ。
オヤジが『何がなんでも言うことをきかす』って言ってくれたからな、ここで死んだって俺だけは生き返って、また町に帰れるんだよ。
まぁ今から無駄に死ぬ痛みを味合わなきゃならないのは最悪かもしれんがな!」
にやつく明正の顔が銀次の目に映る。
不意に『あぁこれが「気持ち悪い」とあの時千佳が言っていた明正の顔か……』と銀次は納得した。
銀次が明正から距離をとろうと腰を浮かせた途端、肩にひどい痛みが走り、じくりと生暖かい何かが広がる感覚がした。
次に腹、足と続けざまに痛みが広がり、溢れ出る血と共に身体から力が抜ける。
「うわぁ!」と情けなく叫ぶ明正の声が遠く聞こえた。
明正に向けて『ざまぁみろ!』と銀次は心の中で嘲笑う。
せめて最後に一人取り残される恐怖ぐらい味わえ、と。
── ちくしょう、最後に聞くのが明正の声とか最悪だな、おい。
仰向けに倒れ意識が遠のく銀次の目に映ったのは、青く遠くに広がる空だった。
── あぁ!
千佳の色だ。
なぁんだよ、お前。
ここでも一緒だったんだなぁ。
……千佳、ごめんなぁ。
……愛してるよ……。
小さな紙がヒラリと床に落ちる。
泣きはらした銀次の両親から手渡された紙には、銀次の名前と『死亡』という簡素な文字だけが並んでいた。
「う、そ……だ!
嘘だ嘘だ嘘だっ!」
千佳は大声で叫んだ。
帰ってくるって言った!
ずっと一緒と言っていた……!!
荒れ狂う感情が千佳を襲う。
その乱暴な感情が、千佳から表情を奪った。
その日から千佳はもう微笑まない、怒らない、嘆くこともない。
仕事以外はひたすら家に閉じこもり、誰から何を言われても、千佳の表情は虚ろで変わらない。
銀次の訃報から数日後、家の扉を乱暴に叩かれた。
やせこけた千佳が扉を開けると、そこには息を乱しグシャグシャになった紙を握りしめた町長が立っていた。
「おい娘、今すぐ明正を生き返らせろっ!」
「あぁ、あれは本当に酷いもんだったよ。
蒼い目をした娘がね、町長に『息子を生き返らせろ』って命令されたんだよ。
近くで聞いてた私も度肝を抜いたね。
当然なんだけど、町長の息子は生き返らなかったわけだ。
まぁ普通の人間が死んじまった者を甦らせるとか、神様じゃあるまいに出来るはずないだろ?
それなのに怒り狂った町長は、その娘にひどい暴力振るってさ、正直気が狂ったかと思ったよ。
今思えば実際狂っていたかもしれないねぇ!
すぐにみんなで慌てて止めたんだけど、結果的にあの娘の片目は潰れちまったし、打ち所が悪かったのか足も引きずるはめになっちまって、本当に可哀想なことになっちまったんだよ。
だけどね、可哀想なことばかりでもないんだ。
戦が終結した後金髪の男がね、ほら……あの子あの子。
あぁそうだ銀次君だよ、銀次君!
死んだとか言われてたけど良かったよねぇ。
やっぱりあのやんちゃ坊主はそう簡単にはやられなかったわけだ。
あの娘も大層な喜びようなもんで、本当にみんな心配してたから良かったよ。
ん?
『蒼い女神と契約の目』の話?
やっぱりね、あんなものはただの伝説でしかなかったんだと思うよ?
そんなことできたら、まず自分の身体を治すはずだもの」
Rを削って全年齢向けにしちゃったよーん。
R?
なにそれ?
書けねーーーよ!!
。゜゜(*´□`*。)°゜。わぁ!