ヘッドホンとバースデー
ヘッドホンで、音楽を聴いていた。
俺は周りに人がたくさんいるのは、得意ではなかった。人と話さない俺にとって、騒がしい空間は、嫌なもの以外の何物でもなかったからだ。
だから、俺は耳を塞ぐ。音楽を聴いていれば、雑音は俺の耳に入ってこない。ミュージックプレイヤーから流れる音楽は、イマドキなポップな曲でも、激しいロックな曲でもない。いわゆるクラシックの部類の音楽だった。特に詳しいというわけでもないが、いつも、CDショップで新しい曲を買っては、このミュージックプレイヤーに入れて、ヘッドホンで聴く。癖というか、習慣のようなものだ。
友達がいない俺にとって、このヘッドホンは、唯一の大事な相棒のようだった。周りの音が聞こえにくいタイプの、遮音性に優れたものだ。とても高かったし、5年前の年が明けた時に、自分がもらったお年玉を全て使って買えた年季が入っているものだ。
なぜその時ヘッドホンを買おうと思ったかは、よく覚えていない。その時から、俺は人が苦手だったのだろうか。
俺は今日、20になる。でも、祝ってくれる友達は、俺の周りにはいない。それも慣れっこだったし、一つ年をとっただけで、何かが変わるということでもないと思っていた。
だから俺は今日も、ヘッドホンをして、一人で大学へ向かっていた。
しかし、途中でぽつり、ぽつりと雨が降り始め、やがて、ごうごうと激しい雨になった。俺は、相棒であるヘッドホンが壊れるのを恐れて、近くの屋根がついたバス停に雨宿りしようと思った。折り畳み傘を持っていなかったのだ。
このままでは一限に遅れてしまう。だけどこのままこの豪雨の中歩く勇気もなかった俺は、立ち尽くすしかなかった。濡れてもいい。そう思って歩くことが、嫌だと思っていた。それは、例えばスポーツの大会で「負けてもいい。全力を出しきれ。」と言う顧問やコーチ。授業で発言してほしいけど誰も発言してくれない時に「間違ってもいい。答える事が大事。」と言う教師の発言に対して俺が持っていた「嫌悪感」と似た様なものだった。
勝負をするなら、勝ちにいかなくてはならない。
答えるなら、間違っていてはいけない。
こういう考え方を、世の中は「極端」と言うのだろう。いわゆる「グレー」な考え方が、俺にはできなかった。
傷つくのが嫌なら、一人でいればいい。
周りが騒がしくて嫌なら、耳を塞げばいい。
俺の考え方は、間違っているだろうか。ばらばらと降る雨は、排水溝へ流れ込んで、道路の凹みに水たまりを作った。
ヘッドホンをして、ミュージックプレイヤーをいじって、曲を流し始める。クラシックは、俺の暗くなった気持ちを、無闇に照らすことなく、染み込ませてくれる。だから、今日も俺は耳を塞いで、自分で自分をなぐさめる。
すると、クラシックの代わりに、どこかで遠い声が聞こえた。
「誕生日おめでとう。」確かにそう言ったのだ。俺はキョロキョロと辺りを見渡した。けれど、どこにも人はいない。気のせいではない。確かに人の声で、誕生日おめでとう。という声が聞こえたのだ。
そして、俺の顔に、何か熱いものが流れる感覚がした。手で頬の辺りをさする。涙だった。
一人でいるのは、人に傷つけられるより、悲しい。
耳を塞いでいても、俺をなぐさめる声は聞こえてこない。
俺は、誰より一人が怖くて、寂しかったのだ。そして、その自分の声が聞こえない様に、俺はヘッドホンで耳を塞いでいたのだ。
俺が聞こうとしなかったのは、周りの声ではなくて、自分の声だったのかもしれない。そう思った時、俺はヘッドホンをはずして首にかけた。誕生日を祝ってくれたのは、他の誰でもない。俺の相棒だった。
そして、俺がヘッドホンをはずした瞬間、ざあざあと、雨の音が聞こえた。その一つ一つの音が、俺の誕生日を祝ってくれている気がした。騒がしいと思っていた音達が、今の俺には、大事な言葉に聞こえたのだ。
俺は、雨の中、傘をささずに走り始めた。俺の考え方は、何も間違ってはいなかった。だけどそれは、寂しい考え方だった。今の俺は「間違ってもいい」と思える。「負けてもいい」と思える。たとえ間違っても、負けても、俺は一人じゃない。そう気がついたから、俺は、濡れてもいいと思った。
一つ一つの音が、きっと俺を応援してくれているから。