5.解体屋と破壊の理由
5.解体屋と破壊の理由
「……もう、撃つよ。あとで相棒さんも一緒に送ってあげる」
そう言って、アデルは深呼吸をする。
止めを刺そう。復讐を、果たそう。
だが、アデルは気付く。己の手が震えていることに。
手だけではなく、足も震えている。息は荒く、汗がびっしょりだ。
……もう、殺しちゃったもんね。
銃を撃つのは初めてではない。だが、的を撃つのと人を撃つのでは大きな違いがあった。
先ほど撃った時、全身の血の気がすうっと抜けていくような感覚に襲われた。
あれが殺すと言う事なのだと知った。
人の命という形の無いものが壊れる瞬間。アデルはそれをどうしようもないほどに感じさせられた。
吐きそうになる。だが、今は吐くわけには行かない。
仇敵が目の前にいるのだ。引き金を引いて、仇を討つまでは弱みは見せられない。
……やってやる。パパの仇……取るんだ。
少なくとも、アデルにとっては良い父親だった。
金に汚く、色んな女の人と寝ていたのも知っている。でも、優しかった。
殺されて当然だったのかもしれないけど、アデルにとってはただ一人の家族だった。
理屈ではない。感情が、『解体屋』を殺せと言っている。
アデルは今一度銃を握り締める。
もう一回深呼吸し、高鳴る鼓動を鎮めようとする。
だが、うるさいくらいに心臓がバックンバックンと脈打っていた。呼吸が乱れる。
……仇を……!
あとは引き金を引くだけなのだ。銃口は既に頭に突きつけている。避けられる事はまずない。
人差し指を引くだけ……。
「――辛いだろう、アデル」
「っ!」
クリストファーが、がしっとアデルの銃を掴んでいた。
しまった、とアデルは舌打ちする。だがもう遅い。
クリストファーは、銃を握りつぶしてしまった。
これでは、もう撃てない。
仇が、討てない。
「う、あ……」
アデルはへたりと座り込む。
一方、クリストファーは立ち上がっていた。
腹を撃たれ大量出血しているのに、立った。そしてこちらを見下ろしている。
怖い。
これが『解体屋』。
「ひぁ……」
全身の力が抜け、動けない。立つ事もままならない。
殺されるのだろうか、とアデルは思った。
当然だな、とも思った。自分は引き金を引いたから。
たとえ復讐のためであっても、引き金を引いたならばやり返される覚悟をしたと言う事だ。
つまり返り討ちにあっても文句は言えない。
ここはそういう世界なのだ。
やったら、やり返される。
そして、力あるものが生き残るのだ。自分には力が無い。だから、殺される。
クリストファーが、こちらに手を伸ばす。アデルは目を瞑り、身を強張らせた。
思い切り殴られるのだろうか。それとも、首を捻じ曲げられるのだろうか。
死を覚悟する。
だが、訪れたのは人肌の温もりだった。
「えっ……」
クリストファーに抱きしめられたのだと気付くと、アデルは慌てて抵抗する。
このまま潰されてしまうかと思うと、身体が自然と抵抗を始めたのだ。
だが、クリストファーは優しくアデルの小さな身体を抱きしめていた。
「どうして……」
最早、抵抗する気力すら無い。
アデルは呟くように問う。
「どうして、こんなにあったかいの……?」
殺し屋なのに。父親の仇なのに。
なのにどうして、こんなに温もりを感じるのだろう。
「すまない。全ては俺のせいだ」
「あ、謝られたって……パパは帰ってこないわ」
「そうじゃあない。俺が謝っているのは……お前をこんな風にしてしまった事だ」
「えっ……?」
「アデル。お前は本来、銃など握らずに生きていけた筈だった。だが、俺がお前に銃を握らせた」
クリストファーがアデルの父親を殺したから。
だから、アデルは銃を握る事になったのだ。全ては復讐の為に。
「俺はどうしようもなく最低の人間なんだ、アデル。何かを壊さないと落ち着かない。
……十四歳の時、俺は街の不良グループのリーダー格の奴を殺した。快感だったよ。
そいつは俺の恋人を辱めた糞野郎だったんだ。俺は怒りに任せ、そいつを徹底的に破壊しつくした。
だが、その光景を見ていた恋人は、あまりの恐怖とショックで精神に深い深い傷を負った……。
結局俺は大切な人を救うことが出来ず、より深く傷つけてしまっただけだった訳だ。滑稽だろう?
だから俺は、全部壊してしまおうと思った。そうでないと、耐え切れないような気がしてな。
それ以来こうして殺し屋をしている」
狂人だ、とアデルは思った。
元々変な奴だとは思っていたが、クリストファーは寒気がするほど狂っている。
「何かを壊していないと落ち着かない……そんな俺だが、納得の行かないことはある。
お前はあの時の俺に似ている。そんなお前が銃を握るのが、俺にはたまらなく我慢ならないんだよ。
……だからアデル。お前は、駄目だ。引き金を引くべきじゃあない」
「どうして……! 仇討たせてよ! 楽にさせてよ!」
叫ぶ。そうしないと、耐えられそうに無かったから。
「お前はそれで楽になるのか、アデル」
「なるわよ! きっと、ベーブ=ルースのホームランみたいにスカッとするわ!」
怒鳴る。そうしないと、胸がはちきれそうだったから。
「……なら、何故泣いているんだ」
「え」
言われて初めて気付いた。自分の頬が濡れている事に。
……あたし、泣いてる、の?
自覚した途端、堰を切ったようにぽろぽろと大粒の涙が溢れ出す。
何故か、自分でも分からない。ただ、涙が溢れて止まらなかった。
恐怖によるものではない。ならば、何なのだろう。
「お前は優しい娘だから。きっと、引き金を引く事を心のどこかで良しとしない。
そして……これは俺の完全な自己中心的意見だが、お前にはそのままでいてほしい」
「ふ、ふざけるなあっ……! アンタのせいじゃない……。アンタがパパを殺すから、あたし、あたし……!」
強く怒鳴りたいが、力が篭もらない。
嗚咽を漏らしながら、必死に声を響かせる。
「分かっている。全部全部、分かっている。だが、それでも俺はお前に引き金を引いて欲しくないんだ」
「意味分かんない……大人しく撃たれれば、それでいいのに……っ!」
「確かに復讐は終わる。でも、お前は一生楽になれない。人を殺すというのはそう言う事だ。
お前はきっと、俺の死に顔をずっと脳裏に貼り付けながら生きていくことになる。それはきっと辛い」
「じゃあ、アンタは何なの……これまで何十人と殺してきてるんでしょう!」
「俺は、変人だからな。でもお前はそうじゃないだろう?」
「……ずるいよ」
「そう、俺は昔からどうしようもなくずるい男だった」
こんなの、ずるい。
アデルは何度も何度も呟く。
もう一人殺してしまった。今更もう遅いのだ。自分はもう戻れない。
――その時だった。
突如クリストファーが、アデルを離し、アデルの身体を放り投げる。
アデルは地面に尻餅をついた。痛みを感じつつ、何事かと目を見開く。
さっき殺したはずの男が立ち上がり、残るもう一つの銃を構えていた。
アーノルドは激しい憎悪と殺意を胸に、銃を構える。
……殺す! あのガキも『解体屋』も!
今はただひたすら、目の前の敵をこの手で殺したいと言う意思だけがアーノルドを支配していた。
銃は最早一つだけ。だが、人一人殺す事など訳無い。
それに加えて、クリストファーはアデルを抱きしめている姿勢。銃弾をかわすことは出来ない。
クリストファーがこちらに気付き、アデルを放し、遠くに突き飛ばした。
だが、遅い。アーノルドは引き金を引く。
銃声。
銃弾はクリストファーの左肩を貫いた。流石の『解体屋』も、一瞬よろめく。
――が、瞬きをした後には、クリストファーは立ち上がり、こちらに向かってきている。
よく見れば腹部が血で染まっており、その出血量は意識があるのが不思議な位のものだ。
なのに、クリストファーの目は死んでいない。
……何なんだ、こいつは!?
致命傷と言ってもおかしくない傷を負いながら、それでも目に宿る殺意は消えない。
化け物。そんな単語がアーノルドの脳裏をよぎる。
「く、そがあああああああああああああああ!」
叫び、二度目の引き金を引く。
だが、その瞬間だった。乾いた銃声が響き、アーノルドの右掌に焼け付くような痛みが走る。
銃声は自分の銃のそれとは違っている。
「フェルナンドっ……!」
地面にうつぶせになっているフェルナンドが、その姿勢のまま撃って来たのだ。
しかも銃を持つ手に狙いを定めて。
あの姿勢からこれだけ精密な射撃をするなど、並の人間の芸当では無い。
……こいつらは、ヤバイ。ヤバすぎる……!
そう思った時には、アーノルドの顔面がクリストファーの手によって鷲掴みにされる。
「マーヴェラス……そう、マーヴェラスだ!」
叫んだクリストファーの表情は、笑っていた。
……ああ、そうか。
アーノルドの頭を鷲掴みにしたクリストファーは、そのまま疾走を開始した。
身体が、ぐんとクリストファーの怪力によって速度を得る。
そんな中、アーノルドは悟っていた。
……こいつは、『悪』ですらねえんだ。
クリストファーには、そもそも善悪の区別が存在しないのだ。
そもそもクリストファーが放つ殺意は、同業者のものとは微妙に違う。
先ほど感じた殺気には、怒りや哀しみではなく喜びがあった。それは何故か。
……こいつは殺しているんじゃない。壊している。
殺意ではなく、破壊衝動。
ものを壊す事で喜びを感じる、そういう人種なのだ。クリストファー=ロックハート――『解体屋』は。
殺すということは、破壊の『副産物』に過ぎない。
クリストファーはあくまで、壊したいだけだった。対象が人である必要はない。
だからこそ彼は、アデルを守った。
人を殺すのが目的ではない殺人鬼。つまるところクリストファーはそういう存在だ。
……イカレてやがる。
彼はアデルを守ろうとしているのか、それとも別の意思があって結果的にアデルを守っているのか。
どちらにせよ、クリストファーは全てが異常だった。
……畜生。
こんな人間が存在していいのか。
神様にそんなクレームをつけた直後、アーノルドの意識は虚空の彼方へ消失した。
灰色の壁が、血で紅く染まる。
鷲掴みにした敵の頭を、思い切り壁に叩き付けた結果だった。
クリストファーの怪力を以ってすれば、人の頭部を砕き中身を散乱させる位の結果に至ってしまう。
フェルナンドは改めて相棒の凄さを実感し、そして全身を襲う激痛に苦悶した。
「旦那。生きているようで何より」
「……お前は何で生きているんだ」
喰らった銃弾の数は、クリストファーの方が明らかに多い。
にも拘らず、クリストファーの方が元気そうなのはどういったことか。
「俺はそう簡単には死なないのさ」
クリストファーはフェルナンドに向かってそう言った。
健康的な白い歯を見せ、ニカッと笑う。
痛々しい傷さえ見なければ、とても爽やかな笑顔だった。
フェルナンドは身を起こし、この傷の原因を作った少女を見る。
少女――アデルは、その場に立ち尽くしていた。
茫然自失という言葉がピタリと当て嵌まりそうだ。
「旦那。アデルのことは俺に任せて欲しい」
正直ただで許す気は無かったが、フェルナンドはクリストファーの頼みに頷いた。
違和感は前々から感じていたのだ。こうなったのはフェルナンドの実力不足もある。
それに、アデルがヘンリー=グラハムの娘であるという話をフェルナンドは聞いてしまった。
フェルナンド自身も彼の殺しに関わっているのだ。それを考えると、責める権利は無い気もする。
……そう納得しておこう。
故郷で待つ娘の顔を思い出し、フェルナンドは息を大きく吐き出した。
クリストファーは、立ち尽くすアデルの元へと歩み寄る。
「アデル。怪我は無いか?」
「…………っ。この期に及んで、何であたしを守ったりするのよっ……!」
泣きそうな顔で言うアデル。
「お前は誰も殺してはいなかった。ヤツを殺ったのは俺だ」
それは、クリストファーなりの気遣いだったのだろうか。
だが年端も行かぬ少女に対する気遣いにしては、あまりに血生臭い。
「お前は生きるべきだし、手を紅く染める必要は無い。
そういうのは全部、俺たちみたいな人間が担えばいいだけの話だ」
アデルの父親もまた、そういう人間だった。
だがアデル自身はそうではないのだ。
手を血に染める必要の無い世界で生きている種類の人間であるはずだった。銃で人を撃つ行為などとは縁が無いはずだった。
クリストファーがそんな彼女を引きずり込んだのだ。こちら側の世界へ。
だがクリストファーは、それを良しとはしない。アデルはこちら側にいるべきではないと、そう思っている。
彼はただの破壊魔ではない。自分なりの倫理があって、それが行動原理にもなっている。
「お前が俺を憎むのも分かる。殺したいのも分かる。だが、お前は手を汚すな。
……俺を許せとは言わん。だが、お前をこの汚くて醜い連鎖の中へ取り込みたくないんだ」
やったら、やり返される。
それは、クリストファーやフェルナンド、或いはアーノルドやヘンリーのような人間がいる限り終わらない連鎖だ。
クリストファーは、アデルがその連鎖の外にいることを望んでいる。フェルナンドも、同じ気持ちだった。
「お前がもっと大人になって、沢山の経験をして、それでもまだ俺を殺したかったら。まだ憎しみが晴れなかったら。
その時は俺を殺しに来い。俺はそれを全部受け止める」
「……っ」
ぽろぽろと涙を零しながら、アデルは強い眼差しをクリストファーに向ける。
「……いつか、いつか必ず! あたし、あんたに償わせるんだから! このままじゃ終わらせないんだから!」
それは、決意表明。
だが、決して濁った決意ではなかった。
復讐は過去だけを見た行いだ。だが、アデルの眼差しは未来へ向いている。
アデルは、クリストファーを殺すとは言わなかった。ただ、『償わせる』と。
それだけで十分だったのだろうか。クリストファーはニカッと笑う。
「ああ、待っている」