3.解体屋と逃避行
「さて、事情を説明してもらおうかクリストファー」
「ふむ……正直に言おう。俺も知らん」
車を運転するフェルナンドが腰のホルスターに手を掛けたので、クリストファーは急いで次の言葉を作る。
「そこの嬢ちゃんが知っている。彼女が俺を巻き込んだ張本人だそうだろうそうだよなそうだろうとも!」
「…………」
後部座席で一人、少女はぽつんと座っている。
先ほどからずっと黙りこくり、時折クリストファーの方に視線を向けてくるだけで、他には何もしない。
「……嬢ちゃん、名前は?」
フェルナンドがそう尋ねると、少女はやや俯いたまま答えた。
「……アデル」
「アデル……良い名だ。俺がシカゴにいた頃の話だ……。行き着けの喫茶店の看板娘の名がアデルと言った……彼女の美貌と来たら街中の男を虜に」
「クリストファー。頼むから黙っていろ」
苛立ちを隠しきれない声色で、フェルナンドが言った。
仕方なくクリストファーは押し黙る。フェルナンドは再びアデルに訊いた。
「何故、マフィアに追われている?」
「わかんない。家にいたらいきなり襲われて、必死に逃げ出して……」
アデルは極めて冷静に答える。何だか、マフィアに対する恐怖はあまり見られないようだった。
あまりに落ち着きすぎているその態度が、フェルナンドには奇妙に映る。
フェルナンドは続けて訊く。
「家族がマフィア関係の人間なのか?」
「……ママは私が小さい頃に死んじゃったから分からない。パパは貿易会社に務めてるって言ってたけど、詳しくは知らない。……だから、あたしの家族はパパだけ」
「……なるほど。ひょっとしたら、君の父親はマフィアで、何か恨みを買っているのかもしれない。それで連中が娘の君を人質にでもしようと思ったのかもしれんな」
アデルの話を聞く限りでは、フェルナンドの推測は妥当なところだった。
マフィア同士の抗争で、堅気の人間に手を出すのは褒められた行為ではないが、無いわけではない。
そういう倫理的な部分に拘らない人間もマフィアにはいるのだから。
「アデル。君の父親は今どこに?」
「……出張って言ってた。海外に……」
「ふむ……」
アデルの父親がマフィアである、或いは何らかの関わりを持っている可能性はかなり高い。
そのせいで娘のアデルが標的にされた、というのも筋の通った話だ。
しかし、何故? という疑問がある。
何故アデルを狙わなければならないのか。
その疑問を考えると、アデルという少女の違和感が尚更目立ってくる。
マフィアに狙われるだけの何かを、この少女が持っているとしたら――?
フェルナンドは、ルームミラー越しにアデルの姿をじっと見る。
そわそわしつつ、隣のクリストファーやフェルナンドの方に視線を向けてくる。
観察しているような、そんな素振りだった。
用心しておくに越した事は無い。そう結論付けつつ、フェルナンドはこれからどうするかを考える。
「クリストファー、どうする。彼女の言う事を信じるか?」
「信じるとも」
即答。
何となく予想はしていたものの、フェルナンドは漏れる溜息を堪えられない。
「聞けば何とも哀れな身の上……ここはやはり、大人たる俺たちがしっかりせねばならん所だろう!
俺も気付けばもう二十歳。そろそろ子供の面倒の一つでも見られないといかん。そうだろう旦那!
妻子持ちの旦那としても、アデルの事は放っておけないんじゃないのか?」
「…………」
クリストファーがそんな事を言うものだから、メキシコにいる妻と子供たちの顔を思い出してしまった。
息子と娘は、そういえばアデルと年齢が近い。
元気にしているのだろうか? いや、昨夜電話したばかりではないか。
……いやいやしかし既に二十四時間以上経過しているのだから何か変わったことがあるかもしれないやはり電話すべきかいやしかしこの時間では皆既に寝静まっているだろうそうだそうに違いない。
「……旦那、意識が遥か彼方にフライアウェイしているが平気か」
「はっ!」
慌ててハンドルを強く握りなおす。
……いかん、家族の事になると急に注意散漫になるな俺は。
反省しなければ。今日の仕事で狙撃の精度が若干落ちたのも、ひょっとしたら家族の事を案じているからかもしれない。
「それで、旦那。俺はアデルを助けたいと思うがどうか」
「あ、ああ。……まあ、どの道お前のお陰で俺たちは連中に狙われるだろうからな」
戦いは避けられないのだから、今更何を言った所で状況は変わらないだろう。
ならば、生き残る為にも戦うしか無い。
「ありがとう。ちゃんと報酬は払うから」
「……子供の台詞じゃないな」
フェルナンドは呆れたように呟くが、クリストファーは首を横に振った。
「これはボランティアだ。金など要らないさ」
「え、でも、貴方たちその手の仕事をしている人たちなんでしょう? ただ働きでいいの?」
「はっは。これは仕事じゃあなくて俺の趣味! よって金など取る必要は無い!
むしろこんな小さな少女から金を取っては俺の良心が痛む! だから何一つ気にするな! そして俺に守られろ!」
アデルは窓の外を眺め、クリストファーの言葉を聞き流していた。
ああも華麗にスルーできるとは、尊敬に値する。
「さて、旦那。やる事は決まった。今から俺たちはお姫様を守護するナイトという訳だが」
「止めろ。そういう恥ずかしい台詞は聞くだけで背筋が凍る」
「そうか? いいじゃないかナイト。略していいじゃナイト!」
「…………」
「…………」
「…………」
車内の空気が凍結した。
重たい沈黙が流れ、全員が何も言えずに時だけが流れる。
「……申し訳なかった」
沈痛な面持ちでクリストファーが謝罪するが、薄ら寒い空気は依然として車内に停滞している。
どうしたものか。そう思ったときだった。
パァン! と何かが音が鳴り響いた。
その音が孕む不吉さに、フェルナンドは身震いする。
「旦那。今の音は……」
「言うなクリストファー。分かっている」
車のバランスが崩れる。フェルナンドはブレーキペダルを踏み込んだ。
車線を少しはみ出した状態で、車は止まった。
もう走れない。そう悟ったからフェルナンドは止まったのだ。
「――野郎。タイヤを撃ち抜いたのか」
先ほどの炸裂音は、タイヤが銃弾で撃ち抜かれ破裂した音。
タイヤを一つ失った車は、最早まともに走れない。逃走など出来るはずも無いだろう。
誰の仕業なのかは、問うまでも無い。ルームミラーにその姿は映りこんでいる。
後ろから追って来る、黒の乗用車。
それが追っ手であることは火を見るより明らかだ。
どうする。フェルナンドは思考を巡らせる。
迂闊に外に出れば蜂の巣にされるだろう。向こうも正確な射撃技術を持っているはず。
だがこのまま車の中にいれば捕まる。逃げるには外に出なければならない。
八方塞がり。そんな単語がフェルナンドの頭に浮かぶ。
「……旦那。黙るな。アデルが不安がる」
フェルナンドを諌めるように、クリストファーが言った。
その声色に、絶望の色は無い。
「もっと明るく行こうじゃないか旦那。そうでなければ人生は楽しくない。
退屈は人を腐らせる……だから俺はもっとエキサイティングで、ハッピーで、マーヴェラスな人生を楽しみたい!
さあわくわくしてきたぞ旦那! 敵はどこだ! 後ろか!? よろしい。ならばパーティを始めよう!」
大声で叫び、立ち上がるクリストファー。
天井に頭を思い切りぶつける。
「…………っ!」
頭を抱え座り込むクリストファー。
そんなクリストファーを見て、隣のアデルがぷっと吹き出す。
……緊張感の無い奴だ。
クリストファーはいつだってそうだ。
だからこそ、彼は強いのかもしれない。ふと、フェルナンドは思った。
「……旦那。この戦いで俺が死んだら原因は頭蓋骨陥没だと医者に伝えてくれ」
彼なりの真剣な眼差しを受けて、フェルナンドは頷く。
彼の言葉は、即ち敵に殺されるようなことは絶対に無いと断言しているようなものだった。
満ち溢れる自信。彼は己の敗北の可能性をこれっぽっちも考慮しない。
ただ破壊を求め立ち回るのみ。恐ろしい化け物もいたものだ。
「クリストファー。俺が合図したらアデルと脱出しろ」
銃を抜き、フェルナンドはそう言った。
「奴には俺の愛車を傷付けてくれた礼をせねばならん」
「なるほど……心得た。よしアデル。俺と二人で素敵な逃避行に出かけようじゃないか」
「何か嫌な響きね……」
「照れるな。俺はこれでも学校のハンサム男コンテストで優勝した経歴がある」
「……それって今関係あるの?」
「ああ、あれはもう後世まで語り継ぐべき熱戦だったとも。俺のライバルだったサミュエルは女子の人気を集めるべく校庭のど真ん中でマイケル・ジャクソンばりのムーンウォークを」
喋りだして止まらないクリストファーと、目を瞑り耳を塞ぐアデル。
そんな二人をルームミラーで眺めつつ、フェルナンドは銃を構える。
クリストファーが脱出する隙を一瞬でもいいから作り出す。あとはクリストファーの身体能力に期待しよう。
「クリストファー。行くぞ」
「――そして体育館で裸踊りを始めたサミュエルに対し当時学校のマドンナだったエリザベスが言ったんだ。『貴様の股間にぶら下がっているそれはダビデ像以下だ』と……」
フェルナンドは銃を天井に向けて引き金を引いた。
銃声が車内に鳴り響く。
しんと静まったのを確認し、フェルナンドはもう一度言った。
「クリストファー、行くぞ」
「合点承知の助!」
「良い返事だ」
フェルナンドは頷き、窓を開ける。
追ってとの距離は既に二十メートルほど。
色々とタイムロスがあったので一刻の猶予も無い。
最早迷う時間など無い。ならば、
……俺の腕を信じるほか無いだろう!
素早く窓から腕を出し、目にも止まらぬ速さで引き金を引く。
いちいち照準を狙い澄ます暇など無い。サイドミラーを見て、後は己の経験を元に、撃つべき軌道を確定させる。
果たして銃弾は命中した。
追っ手の車のタイヤを見事に撃ち抜く。車のバランスが崩れた。
「今だ!」
そう叫ぶと同時、クリストファーがアデルの手を引いて車から出た。
次いで、フェルナンド車の中に置いておいた銃を手に持って、も外に飛び出す。
地面に足が着くと同時、一気に駆け出す。
銃声が響き、銃弾が飛んでくる中を、フェルナンドは必死に走りぬけた。
そして歩道まで逃れ、すぐ側のビルへと逃げ込む。
「上手い具合に人がいない。助かったな」
この辺りは不良少年たちが溜まり場にしているような場所だ。
マフィアが茶々を入れてくることは無いから、思う存分追っ手と戦える。
不良少年に絡まれるのは問題に成りえない。いくら銃を握ったところで、踏んできた場数が違うのだ。
フェルナンド達は、ひんやりとした空気の漂うフロアで足を止めた。
あちこちに材木が散乱し、窓ガラスは割れている。天井にぶら下がる電灯が、夜風に揺れていた。
「ここで決着をつけよう、旦那。鬼ごっこは終わりだ」
「賛成だな」
「ちょ、ちょっとクリストファー! さりげなくお尻触んないでよ、エッチ!」
「ぐふぁ」
クリストファーに抱きかかえられたアデルがクリストファーに平手打ちするのを見て、フェルナンドは溜息を吐く。
……緊張感が無さ過ぎる……!
こちらまで気が抜けてしまいそうだ。
「誤解だアデル。俺は少女の尻を愛でる趣味は無い」
真剣な顔で弁明するクリストファー。
アデルは憮然とした表情を浮かべながら、クリストファーから離れる。
「あたしは隠れてた方がいいんでしょ」
「……ああ」
フェルナンドはアデルの挙動に違和感を感じつつ、神経を研ぎ澄ませる。
車から持ち出しておいたライフル銃に弾を込めて、時を待つ。
敵が来る。
足音から察するに、三人。
クリストファーと視線を交わし、すべき事を確認する。
フロアの入口付近にクリストファーが構え、入ってきた敵を不意打ち。
クリストファーが捌ききれない分を、後方からフェルナンドが撃つ。
入口は一つしか無いので、そこをクリストファーが突けば敵を一蹴できる。
敵は三人いる訳だから一人で相手するのは無謀だが、クリストファーならば問題は無い。
常識を以って彼を語ることは不可能だ。
彼の全てを理解するならば、あらゆる固定観念を捨て去らなければならない。それほどに理不尽なまでの強さを、クリストファーは持っている。
「さあ、決着の時だ……!」
意気揚々と言い放ったクリストファーの表情は、凶悪なまでに満面の笑みを浮かべていた。




