6話:年上ヴァンパイアと迷子の子
18時に7話を投稿します。
「あら、リッくんいらっしゃい。そろそろ来る頃と思ってたわ」
「こんにちは」
リクに声をかけた女性は王立大図書館の司書。ここに通い始めて二週間のリクだが、幼さとその容姿の良さから司書たち――ほとんどが人間族――に直ぐ顔を覚えられていた。
大図書館は本で溢れていた。見上げるほど高い壁一面に敷き詰められた本、本、本。初めて大図書館を利用する人からすると、どのようにして欲しい本を探すのか。また、どのようにして高いところにある本を取るのかなど疑問が尽きないだろう。
「今日はどんなお勉強をするのかな?」
「魔法について勉強しようと思っています」
「難しいことを勉強するのねぇ」
彼女はそう言うとリクを先導して歩き始めた。
ここで本を見つけるのは司書に聞けば早いが、本を取るには魔力を必要する。
本の取り方は、欲しい本が並べられている棚の下に並ぶ本の題名とその下に書かれる数字に魔力を流すことだ。そうすると低い位置にある本は棚から少しだけはみ出る。高い位置にある本――ほとんどがそうだが――は収められた棚から独りでに飛び出し、宙を舞って魔力を流した本人のところへと降りてくるのだ。因みに、高いところに保管されている本ほど、使用率が低い、難しい本だと言われている。
彼女は入り口から数分歩いた、二階のある棚の下まで来た。そして二つの番号に触れ、魔力を流す。すると頭上高くからバサバサッという音共に二冊の本が降りてくる。
「はい、これくらいの難しさでどうかしら」
彼女に手渡された本の厚さは、とてもではないが五歳の子が読むようなものではなかった。しかしリクは本の中身をテーブルの上でパラパラとめくると――
「はい、このくらいで大丈夫です。ありがとうございました」
と、大きな本を脇に抱えた。王立学園の入試試験がどれほどの範囲でどれほどの難易度か理解していないリクは、入試までの三年間で様々な範囲を出来る限り勉強しようとしていた。
ナトフォルト村にいる時、リクは既に歴史、数学、魔法理論などなどの基礎知識は既につけていた。義父と義母であるボルとベルが、勉強好きなリクのために王都からタブルを通してそういった書物を買っていたのだ。
「よいしょっと」
リクには少々高い椅子と机。いつも勉強する窓際の席に着くと、リクは外を見る。そこからちらりと見えるニスカルト王立学園の校舎を視界に入れ、リクは勉強を始めた。
「魔力は男性より女性のほうが多い。勿論例外はある。魔力は体内の魔臓で作られ、生成にはエネルギーを使う。……そういえば、小柄な女性なのによく食べるお客さんがいたなぁ。そういうことだったのかな?」
勉強を開始してから数時間が経った。太陽の位置は随分と低くなり、もう数時間で太陽は顔を地平線の彼方へと隠すことだろう。
「んん~~……、ふぅ。ちょっと休憩しようかな」
リクは本をそのままに、一階の入口付近にある飲食スペースへと足を運ぶ。そこは小さなカフェとなっており、軽い食事を頼むことも出来るようになっている。
「リッくん休憩かしら?」
そのカフェの店員である女性がリクに声をかける。勿論彼女もリクの顔は覚えている。
「うん。ちょっとお茶を飲もうと思ってね」
リクはそう言って水筒を持ち上げる。レギュム店を出る際に準備してきた飲み物だ。
「毎日ご苦労様。これはお姉さんのサービスよ」
と言って一切れのサンドイッチを皿に乗せてリクの前に差し出す。
「わぁ~、ありがとうござます!」
「いえいえ~。頑張ってるリッくんへのご褒美よ。もう少し大きかったら、もっといろいろなサービスもして良かったんだけどね~」
「それじゃ大きくなったらちょうだ~い」
「えぇ~、どうしよ~。お姉さん困っちゃう~」
彼女は頬に手を当てて顔を赤くしていた。
リクは軽い雑談をしながらサンドイッチを食べ終え、彼女と別れる。そして勉強していた席へ戻ると、何やらリクが読んでいた本を読んでいる黒髪の少年がいた。
「あんな子がこんなに難しい本を……。俺……まずいんじゃないか……?」
何やら独り言を呟いている少年は、リクが魔法に関する分厚い本を読んでいたことに驚いているようだった。
リクは少し離れた場所から少年のことを見ていたが、それではいつまで経っても勉強を再開できないと思い、少年に声をかけることにした。
「あの……」
「えっ? あっわっ、ごめん!」
慌てた様子を見せた少年は素早く机から離れる。リクは何故謝られるのか不思議に思ったが、少年が退いてくれたため、席に座って勉強を再開する。
「……あの、何か用ですか?」
「……え~っ……と~……」
少年は席からは退いたが、リクの側から離れることはなかった。少年は言いにくそうにしているが、どうやらリクに用があるみたいだった。
「君って、一体何歳なんだ?」
「僕? 五歳ですけど」
「五歳……。俺より三つ下で、妹より三つ年上でこんな本を……」
「……?」
少年の呟きに、リクは可愛らしげに首を傾げる。
なかなか用事を口にしない少年にリクは業を煮やし、無視して勉強を始めた。すると少年は、その様子を隣から赤い瞳で覗きこむようにして机に手をつく。リクは少年のその謎の行動に、勉強へ集中できなかった。
「あの、勉強に集中できないんですけど」
「あ、ごめん! ……うぅ~~……」
少年は何かを悩むように頭を抱えて大図書館の天井を見上げる。そして数秒の時が経過し、少年は何かを決意したようにリクへと顔を向ける。
「君っ! 俺に勉強を教えてくれないか!」
◇◇◇
少年は自分をイサギと名乗った。種族はヴァンパイアで平民だとリクに伝えた。
魔人族であるヴァンパイア。彼らは高い戦闘力と多くの魔力を持つ。その戦闘力が強く発揮されるのが夜間だ。昼間に行動する分には太陽光程度何の問題もないが、本来の力を発揮するには夜の方が活動しやすいのだ。そしてヴァンパイアといえば吸血行動だが、彼らは無闇矢鱈と吸血行動をするわけではない。そして必ずしも必要であるわけでもない。ヴァンパイアたちにとって吸血行動とは、ジュースを飲む事と同じだ。そのため、彼らは世間で噂されているような恐ろしい存在ではないのだ。因みに、魔力の多く通った血ほど美味しいと言われていたり。
イサギは家族関係までリクに説明してくれた。イサギの父は既に他界し、母一人でイサギと妹の二人を育てているという。イサギの母は平民街の冒険者ギルド支部の受付嬢として働いていて、収入はしっかりとあるため生活には苦労していないとのこと。生活には苦労しないものの、ニスカルト王立学園へ入学金や授業料を支払うほど余裕が有るわけではなかった。
イサギはどうやらリクと同じような目的で勉強をしていたようだった。まず、イサギはニスカルト王立学園へ魔術の特待生で入学しようとしていた。そのため魔術を日々磨いてきたという。しかし、魔術に自信はあったが学力には自信がなかった。魔術で入学できても入学後の勉強で追いつけなくなり、次年度からの特待生ではなくなってしまう可能性も出ると危惧し、勉強を開始したのだ。そして数ヶ月前から勉強を開始したのだが、二週間前、リクが難しい本を呼んで勉強をしているのを見かけ、それ以来リクのことが気になっていたという。
「それで、僕がどれだけ難しい本を読んでいたか知ったイサギ兄ちゃんは、プライドを捨てて僕に勉強を教わろうとした、ってことなのね」
「そういうことだ。年下に、しかも三つも離れた子に教わるなんて恥かも知れないが、特待生でいるにはそんなのに悩んでいる暇はないんだ。六ヶ月後の氷雨の月には入学試験があるからな」
二人は直ぐに打ち解けた。血は繋がっていないが、まるで仲の良い兄弟のようだ。
「それにしても悪いな。俺の勉強に付き合ってもらって。随分と簡単なところをすることになるんじゃないか?」
「大丈夫だよ。人に教えるのも勉強の内だし、良い復習になるよ」
大図書館を歩く周りの司書たちは二人の様子を暖かな目で見守った。二人の間には静かな時が流れ、やがて別れの時がやってくる。
「また頼んでもいいか?」
「勿論。僕は毎日お昼すぎくらいにはここに来るから、見かけたらいつでも声をかけて」
イサギは二人分の本の背表紙に魔力を流し、本を元あった棚へと片付ける。本の背表紙に魔力を流すと、本は飛び上がり独りでに元の棚へと戻るのだ。
「あぁ、よろしく頼む。それと今度冒険者ギルドに行かないか? リクも理論ばかりだと、実際の魔法がどんなのか分り辛かったりするだろ?」
リクはイサギに自身が魔法を使えないことを話した。何故これほど難しい勉強をしているかとイサギに聞かれたからだ。
「そうだね。今度、案内してくれる?」
イサギは魔術の練習でよく冒険者ギルドを利用していた。そのため、リクは案内をお願いする。
「任せとけ! それじゃまた明日な」
「うん、また明日!」
二人は話をしながら大図書館の外まで来ていた。太陽はすっかりオレンジ色となり、空は翌日の快晴を告げていた。
イサギは十番街に住んでいるため、帰り道はリクと反対方向だ。手を振りながら二人は別れた。
リクは城壁をくぐり、魔導車の時刻表を見る。そして街中に建つ時計塔を見上げる。
「歩いて帰ったほうが早いかな」
いつもより長く勉強してしまったリクは、初めての時間帯となる魔導車の利用に時刻表を確認したのだ。そして魔導車が停留所まで来るのに時間がかかることを知ると、リクはレギュム店に向かって歩き始めた。五歳の足だと一時間以上かかるが、リクはお金の節約にもなると前向きに考えていた。
「もう時間遅いし、軽く走るかな」
リクはそう言うと、ジョギングペースで走り始めた。ジョギングと言っても五歳のジョギングペースだが。
家と家の間――裏道を通り抜け、レギュム店までの最短ルートを通って行く。途中花街に出るが、リクはそれも突っ切って裏道へと入っていく。すると、どこからか酒に酔ったような男の怒声が聞こえてきた。
「きゃっ」
「いってぇじゃねえかこのクソガキィ~」
いつもならリクもスルーしている怒声だが――何故なら酔った男は大抵大人同士で喧嘩したり、壁に向かって叫んだりしているからだ――今日は違った。幼い子供の声がしたため、自然と脚がそっちの方向へと向かったのだ。リク自身も幼いが、魔法が使えない街中では腕に自身があるのだ。仮の師匠であるミアとリチャードに十分鍛えられたからだ。
リクが声のする場所へ顔を出すと、フード付きのクロークで全身を覆った――隠したと言ってもいいかもしれない――小さな子が、酒瓶を手に持った大の男の下でうずくまっていた。酔った男と女は三人組で、三人共完全に出来上がっていた。
「ほらぁ、てめえのせいで服が酒で汚れちまったじゃねえか」
と言いつつ、男は自分の服に酒をかける。足元はフラつき、うずくまっている子を蹴飛ばしそうだった。リクは声を上げる。
「その子から離れろ!」
「んだぁ?」
リクの方へと三つの、いや、四つの視線が向く。
「おいボウズゥ。俺らが誰だか知っての発言かぁ?」
「あたしたちゃ泣く子も黙るぅ」
「恐怖の三獣士だぜぇい。ひゃっひゃっひゃ」
と、三人は全く揃っていないポーズを取る。
三人は若い犬の獣人族たちだ。頭部からは獣の耳が生え、お尻からは尻尾が生えている。獣人の魔力量は少ないが、獣人は驚異の身体能力を持つ。誰にも負けないような純粋な力。誰にも負けないようなスピード。接近戦で獣人に勝つことは難しいとまで言われている。そして極め付きは獣化。少ない魔力を利用し、筋肉を一時的に増大させ、獣本来の最大パワーを出すことが出来るのだ。獣化をすると全身から毛が生え、見た目は獣そのものとなる。だが、獣化を完全にコントロールできる獣人はそこまで多くない。訓練に訓練を重ねた獣人のみが会得できる最終奥義だ。
そのため、酔っている目の前の獣人たちが出来るとは、リクは少しも思っていなかった。そもそも戦いになるかも怪しい。
「どうでもいいからさっさと離れろ」
リクの真面目な表情と声に興が醒めたのか、三人はふらふらとこの場を去り始めた。
「分かったわよぉ、お姫様を救いに来た王子様っ」
と言って女はリクに投げキッスをしてくる。リクは精一杯怖い顔で睨みつけて三人が去るのを見守る。
三人が去ったことで辺りは静かになる。
リクは女の子に手を差し伸べる。
「……大丈夫?」
「は、はい」
フードで顔は見えないが、鈴の音のような高く可愛らしい声が酒気の漂うこの場所に響く。
目の前の女の子はリクと同じくらいの背だ。おそらく歳も同じくらいだろう。
リクは女の子の顔を見ようとフードの下から覗こうとしたが、女の子はフードを引っ張り前が見えなくなるほど深くかぶってしまう。
「…………」
リクはその行動を不思議に思うが、特に気に留めなかった。何か顔を見られたくない事情でもあるのだろうと考えた。
「こんな時間にこんなところに女の子一人で来ちゃ危ないよ。何が起こるか分からないからね」
ニスカルト国、セトロニカ王都は実に平和だが、完全な平和ではない。どれだけ光輝く平和な場所でも、暗い影は存在する。広い領土なだけあり、全ての場所を警戒することも出来ない。そう、違法な取引を行う奴隷商も、セトロニカ王都には存在するのだ。勿論国の許可を得て、監視の下営業している合法な奴隷商も存在する。
違法な奴隷商が存在するからこそ、リクは女の子に注意をしたのだ。……ただ、リク自身も十分に攫われる可能性の高い容姿をしているのだが……。
「も、申し訳ありません」
女の子はリクに頭を下げる。それはあまりにも丁寧で、完璧なお辞儀だった。そこらの女の子が出来るようなレベルの作法ではなかった。だが、リクはお辞儀の良し悪しなどの見分けが付くわけもなく、ただ、謝られたと思っただけだった。
「それで、どうしてこんなところに居たの? 親は?」
すると、女の子は少し考える素振りを見せ、話し始めた。
「親ではないのですが、一緒に行動を共にしていた方はいました。ですが……その……ちょっと……」
女の子は恥ずかしそうに指をいじりながらもじもじしていた。そして――
「は、逸れてしまいまして」
「…………」
二人の間に沈黙が走る。日は半分以上沈み、街中の街灯が灯り始める。ただ、裏道には街灯が存在しないため真っ暗だ。
「つまり、迷子なのね」
「そ、そういう訳なんです……」
自分ではっきりというのが恥ずかしかったのか、女の子はフードで顔を隠したまま下を向く。
「ま、そういうことなら僕に付いて来なよ。近くの詰所まで案内してあげる。こっちだよ」
リクは女の子の手を取り、暗い道を先導する。女の子は抵抗することなくリクの手を握り返し、リクについていく。
リクは一先ず街灯が辺りを照らす道まで出る。そして一番近い大通りまで夜道を歩いて行く。
「そう言えば名前聞いてなかったね。僕はリク。君の名前は?」
「わ、私の名前は……。レ、レイナスティ、と申します……」
「レイナスティちゃんか。かわいい名前だね」
「あ、ありがとうございます」
レイナスティは少しだけ顔を上げて礼を言う。その時にチラリと見えたのはクロークの首元を止める金具、ブローチだ。それは金で出来たブローチで、小さな宝石がはめられたものだった。
二人が大通りと北大商店街通りが交差する道まで来ると、衛兵が待機している詰所が見えてくる。
「すみません! 迷子の子を連れてきたんですけど!」
「あ、あまり大きな声で言わないでもらえると嬉しいのですが。恥ずかしいです……」
「はいよ。ちょっと待ってな!」
詰所の奥から元気のいい男性の声が聞こえる。リクはレイナスティの手を繋いだまま衛兵が出てくるのを待った。
「おまたせ。それで、迷子はどっちの子かな? フードをかぶってる子かな? 親御さんは?」
詰所の奥から出てきた男性はひげを生やした大柄な人間の男性だった。腰には長剣を下げている。防具と呼べる金属類は身に付けていないが、おそらく服の下にチェインメイルを着込んでいるのだろう。
「この子が裏道で迷子になっているのを見つけて、ここまで連れてきました。僕達二人だけです」
リクの淀みない説明に男は少し驚いた。非常にしっかりした子だという印象を受け、男は二人を詰所の中へと招き入れる。
「ほら、お茶でも飲んで落ち着きな」
ゴツゴツとした大きな手でお茶を注ぐ衛兵。リクたちは少し汚れた椅子に座り、目の前に置かれたお茶を飲む。
「美味しいです」
リクは素直な感想を伝えた。レイナスティもリクの隣でコクコクと小さく頷いている。
「巡回から戻りました~」
「おう、お疲れ」
「あ」
「おっ」
巡回から帰ってきたのは若い人間の男の衛兵だった。帰ってきた衛兵の顔を見たリクは思わず声を出した。そしてその衛兵も。
「ジスターお兄ちゃん」
「よお、リクじゃねえか。なんでこんなところに居るんだ?」
「何だジスター。お前の知り合いか?」
「えぇ、こっちのガキはちょっと面倒を見たことがありましてね」
「ほぉ」
ジスターはリクの頭に手を置きながら説明する。
王都に住み始めて間もない頃、リクは王都で迷子になったことがあった。その時にお世話になったのが巡回中だったジスター・ヴォルフだ。彼はグレース帝国から留学してきて、昨年ニスカルト王立学園を主席で卒業した男だ。その後国籍をニスカルトへ完全に移し、今こうやって衛兵として働いているのだ。
「ごちそうさまでした。それでは僕は失礼します」
「おう、お疲れさん」
「リク、いつでもいいから遊びに来いよ。剣の稽古でもつけてやるよ」
「うん」
リクは席を立ち、詰所を出ようとする。
「あ、あの」
するとレイナスティも席を立ち上がり、リクを呼び止める。
「ほ、本日は本当にありがとうございました。このお礼はいつか必ず」
「気にしないで。それじゃね、レイナスティちゃん」
リクはすっかり遅くなってしまったため、全力で夜道を駆けて行く。
「レイナスティちゃん? レイナスティ……レイナスティ……様っ!?」
そのため、衛兵の驚く声はリクの耳に届かなかった。
すっかり遅くなってしまい、ルシオおじさんたちが心配しているかもしれないと、リクはレギュム店へ急いだ。予定外のことがあったとはいえ、門限を破ってしまったのだ。家に帰ったらヘレンおばさんにタップリと怒られることだろう。リクはそんなことを考えながら街灯に照らされたきらびやかな夜道を一生懸命走っていった。