3話:迫る脅威
完全な闇と化した森の中を、リクは一人歩いていた。魔法を使いながら先に行ってしまったイルマ、ミーシャ、ジョアンに追いつけるわけもなく、リクは慎重な足取りでいた。足元にはきれいな雪が残っており、ザクリザクリと雪を踏みながら歩く。
「暗すぎて、何も見えない。魔法が使えれば……」
雲が出てきたのか、月明かりは期待できない。しかも森には様々な木々が生えており、冬の今でも葉を残している木が多くあるため、たとえ月が出ていたとしても森の中は非常に暗かっただろう。
現在の視界は五メートルもない。そんな暗い森の中を五歳の男の子が一人でいると、本人は恐怖心と寂しさを覚えるものかもしれない。しかし、今のリクの心を占めるものはただひとつ。姉のリンのことだけだ。
「リンお姉ちゃーん!」
リンは寂しさで泣いているかもしれない。一人木の影にうずくまって泣いているかもしれない。姉の心配をするリクにはこの真っ暗な森を怖がる気持ちは一切なかった。
リクは前だけを見据えて歩き続けた。しかし、その行動は軽率だった。リンを見つける、助けるという使命感に押されて歩き続けているが、五メートル先も見えない暗闇のため、どこをどう通って来たかもわからない。リンを探すことに必死なため、リクには帰り道を記憶、残す余裕も何もなかった。しかし、それを五歳の子に要求するのは無理があるだろう。
「お姉ちゃーん! どこぉ~~~! もうかくれんぼ終わったよぉ~~~!」
リンを探し歩くこと約十分。不意にリクの耳に何かが届いた。それは人の泣き声。リクの姉――リンの泣き声だった。
「お姉ちゃん!? リンお姉ちゃーん! いるのぉ――!?」
リクは立ち止まり、大声を上げた。リクの声は木々の間を通りぬけ、遠くまで届く。
「リクゥ~~~!!」
返ってきたのはリンの悲痛な叫び。姿は見えないが、リクにはリンの泣きじゃくった顔が手に取るように分かる。声を掛け合う二人の距離は着実に縮んでいった。二人は声のする方へ駆け、互いの姿を視認する。笑顔であふれるリクと、説明してはいけない顔をしたリンは無事再会を果たした。
「リグゥ~~~! ごめんなさいぃ~~~! ごわがったよぉ~~~」
リクの胸に飛びつくリン。リクはそれをしっかりと受け止めた。魔力無しで鍛えあげられた五歳児の体は、五歳の女の子が飛びついてきた程度では崩れなかった。
リンはリクの胸に顔をうずめているため、リクの服は家に帰ったら洗わなくてはいけなくなりそうだが、リクはただただ静かにリンを優しく抱きしめた。泣き続けるリンの背中を撫で続け、リンが落ち着くのを待った。
「……落ち着いた?」
「ひっく……。ごめんね、リク……。私、どうしても見つかりたくなくて……」
「もう気にしてないよ。こうやって見つかったんだから。それじゃ家に帰ろ」
「うん!」
すっかり元気を取り戻したリン。二人になったことで寂しさも無くなったのだろう。
そして家に帰ろうとリクは振り返る。視界に広がるのは見分けの付かない木々、真っ暗な森。ここにきて、リクは自分も道に迷っていることに気づいた。
「どうしたの、リク」
リクの動きが止まったことを不審に思い、リンはリクに訊く。リクは内心焦っていた。リンを迎えに来た自分までもが迷子となるとは格好が悪すぎる。どうにかして帰り道を探りたかったが、リクにはどうすることも出来なかった。
「リク……もしかして……」
リクはリンの言葉にギクッと体を硬直させる。
「う、うん……。帰り道……分からない……」
「~~~~~っ!? 信じられない! リクのバカァ~~~ッ!」
リクとリンは手を繋いで暗い森の中を歩いていた。
「……ごめんなさい……」
「もうリクは大事なところでダメね。やっぱりお姉ちゃんの私がしっかりしなくちゃダメなのね」
二人の表情は先ほどまでとは全くの逆だった。泣きじゃくっていたリンは頬をふくらませて怒っており、リクは頭を垂れて元気をなくしていた。
「……でも、お姉ちゃんを見つけてくれて嬉しかった……。ありがと……」
リクの不意をつく様にボソリと呟かれたリンの言葉は、リクの耳には曖昧にしか届かなかった。
「え? なんて言ったの?」
「なんでもな~い」
リンは笑顔だった。暗く寂しい森の中に輝き咲く一輪の花のように美しかった。リクは姉の笑顔を見るだけで元気が蘇ってきた。この笑顔を枯らさないためにもリクは気合を入れなおし、姉を村まで送り届けるという使命を果たそうと前を見据えた。
リクはリンを見つけ、村まで届けるということで頭がいっぱいになっており、何か忘れているような気がしていたが、そちらまで気を回す余裕はなかった。
「それにしても、なんでこんな山奥に私達の村があるんだろうね。私達にも見つからないようなこんな山奥にね~。あ~あ、王都で暮らしてみたいなぁ。こんなところよりずっと賑やかで楽しい場所なんだろうなぁ」
「お姉ちゃんは王都に住みたいの?」
「うん、住んでみたいよ。だって、私達が住んでいる国の王様やお姫様も見てみたいじゃない。たまに来る旅の人や、タブルおじちゃんが食べ物を王都に売ってきた話とかを聞くと憧れるもん。リクは?」
「僕だって――」
二人仲良くおしゃべりに明け暮れていると、前方の方からザクリと雪を踏む音がした。そこでリクは忘れていたことを思い出す。
「あっ! そういえばジョアン兄たちもお姉ちゃんのことを探してたんだ。きっと今の音はジョアン兄たちだよ。お~い!」
しかし、二人の元気な笑顔は足音が近づくごとに消えていった。足音は地を揺らすかのように大きなものだった。足音の正体は明らかに大きな存在。人間が出せる足音ではない。二人の心境は恐怖で満ち溢れた。未知の恐怖にさらされ、リンは腰を抜かして、その場にへたり込んでしまった。リクもリンの手をつないだまま呆然と立ち尽くす。ついに二人の目の前に正体を現したのは、熊にも見える巨大な生物だった。
「なに……これ……」
目の前に立つ三メートルを超えそうなほどの巨大な生物にリクは言葉を失った。ただ存在するだけで感じる好戦的な威圧感。リクはこれが魔物と理解した。本だけでの知識しかなかったが、リクは確信を持てた。
低い唸り声、固そうな体毛、強靭な筋肉に鋭い牙と鋭い爪。口からは涎が滴り落ち、白い息が荒々しく吹き出る。口の周りと手は赤黒く血で汚れ、牙にはズボンの端と思われる布が引っかかっている。
「あ……れ……?」
そこまで見て、リクは気づいた。魔物の口に挟まる見覚えのある布。子供にしては大きい、灰色の切れ端だ。
「まさ……か……」
リクは身体が震え始めた。つい数十分前まで一緒に遊んでいた人が着ていたズボンとそっくりな生地。
「ジョアン……兄……?」
それに合わせるように、目の前の魔物はゲロッと何かを吐き戻した。その謎の物体はリクの前でドサリと雪に半分埋まる。
「う、うわぁあああああああ!!」
生首だった。胃液で濡れ、所々皮膚が溶けて肉が見える。それは物言わない、リクにとってよく見知った顔――ジョアンの頭部だった。
それを見たリンは糸が切れたように気を失い、完全に動く気配をなくした。リクも完全に腰を抜かし、その場に崩れ落ちた。
目の前の魔物は吐き戻してしまったジョアンの頭部を拾い上げ口に放り込む。聞きたくなくても聞こえてしまう、物を噛み砕く音。リクは身体に力が入らなかった。あまりに非現実的な出来事。たとえ五歳児でなくて大の大人であっても何も出来ないだろう。
「たすけ……て……。だれ……か……」
リクの弛緩する身体から必死に出た言葉は助けを求める声。だがそれは小さく弱くか細い声。誰の耳にも届くことはないだろう。
魔物は目の前の矮小な存在――リクとリンを叩き潰そうと拳を振り上げる。何故こんな平和な森に魔物がいるのか。リクは目の前の魔物を意識が遠のく中そんな思いで見ていた。自分の短い人生の終わりを感じながら。
「グルルルゥアアアアアア!」
森全体を揺るがすほどの魔物の大咆哮が響く。それは鼓膜が割れるかと思えるほど。リクはその咆哮に意識を現実へと引き戻される。目の前には拳を振り下ろす魔物。リクの感覚は研ぎ澄まされていく。時間が伸びていく感覚を得るも、リクに出来ることは少ない。自分の背で気を失う姉をかばうように、リクは両手を大きく広げることを選んだ。否、体が動いた。
「来るなら、来てみろォ――ッ!」
リクも負けじと声を張り上げる。瞬間、無意味な抵抗を死に物狂いでしたリクに迫る拳は、空気が割れるかと思えるほどの衝撃音とともに信じられない程の目の前で停止した。
「させるかァ――――ッ!!」
頭が割れそうなほどの轟音とともに現れたのは、リチャード・ゲルツとミア・ヒメノだった。リクにとって知らない人たちだが、助けが来たのは確かだ。
「【重力操作】!」
リチャードの魔法発動とともに、魔物の巨体は宙に浮き上がり木をへし折りながら遠くへと飛んで行く。リクの目の前には半透明な壁が残っている。それはミアが発動した障壁魔法だ。
「大丈夫か、ボウズ。遅くなってすまなかったな……」
「女の子は気を失っているだけだな」
リクの両肩に大きな手のひらが乗せられ、後ろから声をかけられる。リクはその声に振り返り、そして見上げる。二メートルを超す巨躯の大男がそこにはいた。その後ろにも男が一人。ワットとアリソンだ。
リクは計四人の助けが来たことに安堵し、
「あり……がとう……」
礼の言葉を残して気を失った。
◇◇◇
「ボウズも気を失ったか。無理もないな」
「あぁ……」
アリソンは二人を寝かせるため土魔法で小さな簡易ベッドを作り、そこに二人を横たわらせる。そして火魔法と風魔法の複合魔法で暖かな空気を送り込みながら、強固な光魔法の障壁魔法で二人の周囲を囲む。雪の積もる湿った土を使うと二人が風邪をひくと考え、魔力消費が多くコントロールの難しい、土を創りだすという魔法を難なくこなしたのは流石と言えるだろう。
「さぁてお前ら。この状況でどう戦う?」
ワットは起き上がった魔物の前に構える弟子二人に向かって言う。
視界を制限させる暗い森。戦うには邪魔な木々。そしてリチャードたちの後方には障壁魔法に囲まれているとはいえ、幼い子どもたちが二人いる。そんな状況下で三メートルを超す巨大な魔物と戦うとなると、苦戦を強いられることは間違いないだろう。しかしワットとアリソンは戦闘を全て弟子二人に任せるつもりでいた。来る決戦のために弟子を鍛えるためだ。
「師匠、俺達を甘く見ないでください。こんな魔物程度、俺達で速攻片付けてやりますよ」
「私達にかかりゃただでかいだけの魔物なんて余裕だぜ。な、リチャード」
「いい加減言葉を直せ! 何度言わせるんだ」
二人に慢心はなかった。それだけの実力を備えているからこその発言だ。だからこそ、ワットとアリソンは離れた場所で二人の戦いを見るだけに留めるのだ。
「まずは小手調べ! 【雷槍】!」
リチャードが魔法を唱え両手を頭上から左右に開くと、彼の周囲に五本の雷の槍が現れ、魔物に向かってすさまじい衝撃音を響かせながら飛んで行く。
「相変わらずうるさいし。それに五本も出しといてどこが小手調べなんだよ。【土握】!」
ミアもリチャードに続いて魔法を唱える。魔物がその場を動かないように魔力を大量に込めて鉄のように硬くなった土で下半身を覆ったのだ。そのため、魔物は雷槍を避ける動きすら出来ずに真正面から雷槍五本をまともにくらった。毛の焼け焦げる臭いがツンと鼻の奥に刺さる。
「う~ん。大したダメージはなさそうだな。……むしろ」
「グガァアアアアアアアア!!」
「怒らせたみたいだな。やっぱリチャードアホだろ」
「ミアほどじゃねえよ」
「なにぃ!?」
魔物の目の前であっても口喧嘩を繰り返す二人。そこに飛んでくるのは一本の木。
「よっと。軽い軽い」
「リチャードあとで覚えておけよ」
「さぁねぇ」
「むっかつく~」
二人は話しながら軽々と木を避ける。魔物はミアの土握を壊したのか、地を踏み鳴らしながら二人へと迫る。
「とりあえずミア行け!」
「了解! って命令すんな!」
文句を言いながらも魔物に迫るミア。
「精々私を楽しませてくれよ! 【不可視の光鎧】!」
光属性魔法の透明な鎧を身に纏い、魔物に肉薄する。
「私の相棒たち! 今日も唸りを上げろ!」
腰から抜き放つのは二本の細剣。一見、固い物質に強く叩きつけたら折れてしまいそうなほど細い剣だが、頑丈さはニスカルト王国の鍛冶ギルドのお墨付きだ。何か物を切ろうとも突き刺そうとも、そう簡単に折れることはない代物だ。
「せぁあああああっ!」
ミアは跳躍することなく、地を這うような低姿勢で魔物の脚の腱へと相棒二本を突き刺す。固そうな体毛に固そうな皮膚であるが、ミアの相棒――デュアルソードは柔らかな豆腐に突き刺すかのように吸い込まれていく。そしてすれ違いざまに回転しながら、腱を完全に断ち切る。魔物はミアの動きについていけず、ただ自身の腱を切られるだけだった。
「グルルブアアアアア!」
「流石だな。お次は俺だ! 【底なし沼】!」
魔物は腱を切られたことにより地に手をつく。ところが、その地は非常にぬかるんでいた。魔物は必死に抵抗するが、脚、手、胴と順に地へと沈んでいった。まるで底なし沼にはまったかのように。
「そして、【瞬間冷凍】!」
頭だけ地上に残していた魔物はそこで止まった。魔物の周囲の土は白く固まっていた。リチャードがぬかるんだ土を氷魔法で瞬時に凍らせたためだ。魔物は身動き取れず、リチャードとミアに首を差し出すだけとなる。ミアが突撃してからここまでほんの五秒程度の出来事だ。魔物はリチャードたちに何もさせてもらえず、一方的な展開だった。しかし、リチャードたちの蹂躙はここまでだった。
「終わりだな」
「ちぇ~。つまんねえの」
リチャードは魔法で作り上げた研ぎ澄まされた氷の剣を、ミアは細剣に風を纏わせ切れ味の増した剣を振り上げ、――魔物の首目掛けて振り下ろした。
「困るな。それでも大切な試料なんだ」
だが、謎の声とともに魔物は消え、二人は地面へと剣を突き刺す。
「むっ」
「誰だ!」
突然聞こえた場違いなのんびりとした声にミアは声の主を探す。
「ミアッ! 後ろだ!!」
「ちィッ!」
いつからそこにいたのか、声の主は暗闇に紛れてミアのすぐ後ろに立っていた。ミアは小柄な身体を全力で回しながら、切れ味するどい剣を後ろに立つ謎の男に向かって振り切る。
二人は謎の男の声がした時点から嫌な感じを抱いていた。それは経験に基づく感性。嫌な魔力がピリピリと肌を刺激する。それだけを信じて、ミアは自身の後ろに立つ男を全力で攻撃した。
「誰だてめぇはァッ!!」
ミアの剣が高速で男の右腕に当たる。そして、ミアの剣が中程から折れて地面へと落ちていく。
「なっ!?」
ミアは体を大きく開きたたらを踏む。その間は致命的な間だ。ミアは肉を切り裂く手応えを期待して身体を勢い良く回していたため、大した抵抗もなく身体が開いてしまったのだ。まさか自分の剣が折れるとは予想していなかったためだ。
「終わりだ」
「ミアァ――ッ!」
男は炎を手の周りに纏わせ、ミア目掛けて突いてくる。その男の動きに遠くから見ていたワットとアリソンが動こうとするも間に合わない。一番近くにいたリチャードはミアを横へ押し倒すように場所を入れ替える。ミア目掛けて突き出された男の腕はリチャードの右肺を一瞬で突き破り、大きな穴を開けて貫通した。
「リチャードォオオオオオ!!」
三人のリチャードを叫ぶ声が重なる。
「グァアアアアアア!! あああああああぁ~~~~~っ!!」
男はリチャードに突き刺した腕を無造作に引き抜く。血が噴き出ると同時に、リチャードの身体が燃え上がる。傍から見ると既に命の保証は出来ないだろう。
「リチャードォッ! いやぁあああああ~~~~~っ!」
ミアはリチャードが燃え上がるのを見て声を上げる。ミアは地面に尻もちを付き、熱さと痛さで身を捩るリチャードを見上げていた。暗闇の中、森を照らす小さな太陽のように真っ赤に燃え上がるリチャードは既に声を枯らしていた。
「てめえだけは許さねぇ!!」
ワットが雷属性魔法を使って一瞬で謎の男の前に移動する。そして自慢の大剣を思い切り振りかぶり、男目掛けて振り下ろす。隕石が落下したような音が辺りに、いや、ネヴィジャス大森林に響き渡る。
その間にアリソンは、地面に倒れ込み今だに燃えているリチャードと、地面にへたり込んでいるミアに風属性魔法を行使して場所を移動させる。
「くそっ! よりによってここで大怪我か!」
光属性には病気や体力、魔力を回復させる回復系統の魔法と、怪我などを治療する治癒系統の魔法が存在する。アリソンは光属性にも適性がある。しかし、リチャードの火傷や胸の穴を治すという体組織を治療する場合には治癒魔法が必要となるのだが、アリソンはそれを会得できていなかった。つまり、リチャードの命は絶望的。この場にリチャードを治すことの出来る者はいないのだ。とりあえずリチャードの身体で燃え上がる火を消すためにと、アリソンは水属性魔法を行使する。荒々しい応急処置だが、致し方ない手段だ。
「師匠っ! リチャードは、リチャードは助かるわよね!?」
すっかり女の口調に戻ったミアは、涙を溢れさせながらアリソンに問う。
「……くそっ!」
だがアリソンにはそれに答える答えを持っていなかった。すぐさまナトフォルト村に戻ったとしても、これだけの大怪我を治せる医者がいるとは思えなかった。ナトフォルト村は百人ほどの村だ。光属性に適正がある者はいるだろうか。希少属性である光属性は百人ほどの村程度にいるわけがない。居たとしても失った肉体を治せるほどの腕前の持ち主がいるはずがない。それだけの腕を持つ医者がこんな辺鄙な村に居座る理由がないのだ。王都へ行けばすぐさま、王直属の医療部隊に入隊、もしくは王族専属医師になることが出来るからだ。
「ワット、引くぞ! リチャードを村へ連れ帰る!」
それでも一縷の望みに賭けてアリソンは村へ戻ろうとする。しかし、ワットは引くに引けない状況だった。
「お前はまさか……悪魔っ!」
「ならどうする」
リチャードたちを襲撃した男の正体は悪魔だった。残虐的な行いをする者を形容する意味での悪魔ではなく、悪魔という種族。天から落とされたとされる元天使――堕天使のことだ。男の背には四対八枚の漆黒の翼が存在した。その翼もまた悪魔の証拠とされている。
「何故こんなところに悪魔がいる!」
「さぁな」
ワットの額には冷や汗が流れ、悪魔の圧倒的なまでの魔力に気圧されて脚が震えていた。
「そう身構えるな。貴様らが何もしなければこちらもこれ以上手は出さん」
悪魔はそう言うと身を翻す。
「……何が目的なんだ」
「……さぁな」
悪魔はそれだけを言い残してその場から姿を消した。まるで最初からそこにいなかったかのように痕跡を残すことなく。ワットは魔力の圧力から解放され膝をつく。Sランク冒険者でも敵わない存在――悪魔。森は静けさを取り戻した。