16話:リクの魔力
魔法紙に先生の講義内容を書き写す音が教室中から聞こえる。多くの生徒は万年筆を使っているが、中には羽ペンを使っている生徒もいる。
ここは一年生のSクラス教室。現在、Sクラスの生徒たちは魔術理論の講義を受けている。教壇に立っているのはフローラ・ベルネット。彼女は下級生上位クラスの魔術理論を担当している。
フローラ・ベルネット。彼女はエルフ族のまだまだ若い三十歳。十五年前にニスカルト王立学園を首席で卒業している。フローラは学園を卒業してからというもの、ハーマン博士の下で日々魔術に関する研究を行っている。
「外気に存在する魔力素から魔力を生成する器官である魔臓の活動が停止すると、つまり生命の命が尽きると、魔臓は魔石へと変化します。その魔石を体内に残したまま死体を長い間放置していると、その生物はゾンビ化し、戦闘力は低いものの非常に倒しにくい厄介な魔物となります。ですので、魔物や生物を倒した際に魔石を回収することは殺生時における義務と言えます。……それではユードさんに問題です。倒すことの厄介なゾンビの討伐方法と戦争時における人の最良の殺生方法とは?」
「はい。ゾンビの討伐方法としては光属性魔法による浄化や火属性魔法による攻撃が有効です。また、戦争時に殺した人をそのままにしておくといずれはゾンビ化してしまうので、最初から火属性魔法で相手するのが得策かと」
「いいでしょう。よく答えられました。では次の議題に入ります」
次の内容に入ろうとした時、授業の終わりを告げる鐘の音が学園中に鳴り響く。
「……残念ですが、本日の講義はここまでとします。Sクラスのみなさんでしたらまだ余裕についてこられる内容だと思いますが、復習はしっかりとしておくように。では終わります」
リクたちSクラスの面々は、机の上を片付け始める。そして次の授業である魔法実技の準備に取り掛かる。
「あ、そうそう。ユードさんは放課後、ハーマン博士の研究室に来てください」
「りょ、了解です……」
フローラは去り際にそんな言葉を残していく。リクにとって嫌な思い出しかないハーマン博士の所へは正直行きたい気持ちなどなかった。しかし、自身の魔力を取り戻せる可能性があるとすれば、それもまたハーマン博士しかいないのではと思っていた。
「リク、気を付けてね」
「ん。まぁ今回は大丈夫だよ、きっと」
教室に最後まで残っていたフレイとリクは次の授業場所である運動場へと急ぐ。
「遅いぞ! みなさんを待たせている!」
「す、すみません!」
「申し訳ありません!」
駆け足で授業開始ギリギリに運動場に辿り着いた二人だったが、魔法実技担当の先生は既に居た。遅刻したわけではないのだが、一喝入れられた二人は素直に謝る。授業初日から先生に逆らってもどうしようもない。
「それでは早速ですが、魔法実技の授業を始めたいと思います」
リクたちの魔法実技の授業を担当する人は、人間族の男性だった。年齢は四十歳前後と思われる。そんな彼はまず自己紹介をし、そして過去に自分がどれだけの功績を残してきたかを王族や高位貴族に向って語り始めた。
「この人って……」
みんなの前で話をする先生は、高い階級の人に媚を売る、欲に忠実で腹黒い嫌な先生という印象をリクは感じていた。
「さて、先生の自己紹介も終わったことですし、本格的に授業に入りましょう。みなさんの実力を疑うわけではありませんが、先生はみなさんの魔法を実際にこの目で見たわけではありません。ですので、皆さんにはこれから魔法を順々に発動していってもらいます」
そう言って端に立つ生徒から先生は指していく。生徒たちは次々と魔法を顕現させ、運動場にある的に向かって放っていく。
「次、フィーダ君」
「は、はいっ!」
フレイは数歩前に進み出て的に向かって両手を伸ばす。
「さて……」
リクは初めて見るフレイの魔法に注目した。今までの生徒はSクラスなだけあり、多彩な魔法を軽々と扱っていた。見ていて美しかったりかっこよかったりはするが、出来て当たり前なのでそこまで気にすることはなかった。しかし、魔力コントロールが苦手だと言うフレイ。彼女の親友としてその原因を理論だけで解明できないだろうかとリクは注目しているのだ。
「ファ、【火球】!」
――火球。火属性魔法の下級魔法で、全属性魔法の中でも基本中の基本の魔法だ。火の塊を維持することは容易く、破壊力や射出速度、飛翔速度や魔力消費量どれも下級魔法にしては優れた魔法だ。火属性に適性がある人は、初期の頃に身に着ける魔法の内の一つなのだ。
しかし――
「…………」
ボシュゥ……とでも表現しようか、フレイの火球は不発に終わった。
リクは素早く考察した。フレイの魔力はかなり多いという判定が出たと聞いている。そして魔力コントロールが下手と言っていた。つまり、フレイにとって必要魔力が微量すぎる火球は、逆にほんの少しの魔力を練りだすのが難しかったというとこだろうか。魔力コントロールが下手だと余計難しい魔法になるのかもしれない。そうリクは見当をつけた。
「ふむ……」
先生は顎鬚を撫でながら興味なさげにフレイの隣にいるリクへと視線を向ける。
「では次。ユード君」
リクは先生として何かしらのアドバイスもないのかよ、と内心悪態をつきながら、
「僕は魔法を使えません」
と告げる。
「ふむ。君が魔力の無いというユード君か。君はこの授業見学だな。それとフィーダ君。君は魔力コントロールが全く出来ていない。そこは練習あるのみだから頑張りたまえ」
そう言うと先生は身を翻し、貴族側の方へと体を向ける。フレイとリクは先生に見放され、放置された形となった。
「この扱い……酷くない?」
リクは小声で隣にいるフレイに問いかける。
「…………」
フレイはしょんぼりと項垂れていた。魔法を使えないリクは具体的なアドバイスを送ることも出来ず、ただフレイを見守ることしかできなかった。
「フレイ、もう頑張るしかないよ。Sクラスの資格がどうだとか言ってる場合じゃない。僕らは特待生なんだから、一年間の成績があまりに悪かったら退学になっちゃうんだよ。頑張ろ。……ね」
「うん……」
フレイは面を上げる。他の生徒たちはフレイとリクの扱いを可愛そうに感じているのか、たまにちらりと視線を向ける者はいた。
「そういえば、フレイは入学試験の時、どんな魔法を使ったの?」
「えっと、暴発覚悟で鈍風槌を」
――鈍風槌。風属性魔法の中級魔法に当たる。超高密度の空気の塊を風魔法で作り上げ、思い切りよく叩きつける魔法だ。使われる魔力が多ければ多いほど高密度となっていく。それでありながら軽いため、よく使われる魔法でもある。
「その時はどうなったの?」
「うん。その時はまぁまぁ上手くいったんだけど、やっぱり余分な魔力が多すぎて、しかもそれをコントロールできなかったから辺りに広がる風が強すぎて被害が出ちゃったんだよね。たとえば試験管をふっとばしちゃったり、離れた所にいた女の子のスカートをめくり上げちゃったり……」
その惨状を思い出したのか、フレイは溜息とともに肩を落とす。
「なるほどねぇ。魔力を多く使う場合は魔法を顕現させられるのか。ならさ、上級魔法なんか使ってみたら? 下級魔法だと顕現させるの、逆に難しいでしょ」
「そうだけど、もし失敗した時の被害が……」
「顕現させたらすぐ的に向かって投げれば大丈夫じゃない? それにここには優秀な人たちが沢山いるんだし、他人任せだけど、少しは安心できると思う」
「うん。そうだね。失敗を恐れていたら前に進めないもんね。頑張ってみる!」
リクはこの時の自分の見積もりを後に悔むことになる。フレイの魔法の暴走具合を甘く見すぎていたのだ。
「それじゃ火属性魔法の上級魔法を」
フレイは両手を頭上に挙げ、魔法を唱える。
「【紅炎球】!」
最初は小さな火の塊だった。それは次第に大きくなっていき、十メートルに匹敵する大きさとなる。巨大な火球みたいなサイズになった時、その表面から火の鞭が暴れ出す。その火の鞭は直径一メートルもあるだろうか。そんな燃える鞭が幾本も巨大な火の玉の表面上で暴れていた。もしここで魔力供給を一定に保てたならば、これ以上暴れ出すことはなかっただろう。
「あわわわわわ」
フレイは慌てだす。何しろ紅炎球の表面で暴れ燃える鞭の数はどんどん増えていき、長さも数メートルどころか十メートルを超えるものまで現れ始めたのだから。しかも鞭の暴れ方は魔法素人以下のリクから見てもコントロール出来ているようには見えなかった。
火の鞭が大きな音をたてて地を叩く。それは実にリクの一メートル隣。熱風がリクを包みこむ。リクはそれに冷や汗を流す。今から的に向かって投げ飛ばしても、運動場の的などが耐えられるような魔法ではない。自分はとんでもない指示を出してしまったのではないか。リクは恐ろしい思いでフレイの頭上で暴れる紅炎球を見上げていた。
「リ、リクゥ~~……、どうしよ~~」
何とか暴発させまいと頑張っているフレイは涙目にリクに縋る。
「ど、どうしようってったって」
その時他の生徒や先生たちはというと、その多くが逃げ出していた。一番最初に逃げ出したのが先生。彼は紅炎球の存在に気付くとその異変にすぐさま気付く。そこは流石に魔法実技の先生なだけあるが、先生としては失格だった。生徒の失敗を対処しようとはせず、一目散にその場から離れていったのだ。そんな先生の行動に動かされるようにして次々と生徒たちが逃げていく。しかしそんな危険な場に残る四人の生徒がいた。
「あ、危ない!」
リクは紅炎球の表面上で暴れる鞭の内の一本が、その四人の男女たちに向かって振り下ろされようとしたのを見た。危険を知らせるその声は激しく燃え上がる紅炎球の音で聞こえることはなかったかもしれない。しかし、その四人の男女の内の一人の少女が振り下ろされる鞭に向かって前に出る。そして、小さく呟いた。
「……【海地の支配者】」
その瞬間、男女四人に向かって振り下ろされていた鞭は消滅する。その原因となったのが、前に進み出た少女の背後に立つ身長十メートルを超すであろう水で出来た人型の魔法によるものだった。
――海地の支配者。それは水属性魔法の最上級魔法に値する、取得難易度最高クラスの魔法だ。大量の魔力で緻密に作り上げることで、海地の支配者は魔法発動者の意思に従って自立して動く。また、全てが水で出来ているため自身の体も武器の一部だが、水で出来た武器の形をした物も持っている。それは三叉の矛。その名も――トリアイナ。
「やりなさい」
海地の支配者を顕現させた少女はそんな一言だけの命令を下す。すると全て分かっているかのように、海地の支配者は動き出す。手に持つトリアイナを大きく引き、フレイが今だ掲げる紅炎球に向かって突き刺した。
すると、周囲を赤く染め上げていた紅炎球は一瞬にして消滅した。
「す、すごい……」
リクは魔法のレベルの高さに声を漏らす。フレイは魔法の維持からようやく解放され、汗を流しながらへたり込む。そんなフレイにリクは駆け寄る。
「フレイ! 大丈夫か!」
何もしてあげられなかった事を悔やみながらリクはフレイに声をかける。
「う、うん。~~~~……はぁ……。なんかどっと疲れたよ」
乾いた笑みを浮かべるフレイ。
リクは思う。
(たとえ、Sクラスのような天才たちが集まるクラスでも、俺らのような落ちこぼれはいるんだな)
そんな二人の後ろで海地の支配者を解除する少女。そんな彼女が二人に近づき声をかけようとした時、
「あの――」
鐘の音が学園中に鳴り響く。授業終了の合図だ。生徒たちはその鐘の音に空を仰ぐ。
「あ、次は昼休憩か。でも移動時間を考えると色々急がなくちゃ」
「そうだね。僕たちにはなかなかに時間が厳しいよ。あ、先程は本当にご迷惑をおかけしました! 助けてくれてありがとうございました!」
フレイは紅炎球を破壊してくれた少女に礼を言う。そしてリクとフレイは昼食を食べにその場を急いで後にした。残るのは数人の生徒と焼け焦げた大地だった。
◇◇◇
「ハーマン博士こんにちは~」
時は放課後。授業を終えたリクはフランクの下へとやってきた。次にフランクに会う時、リクはこの前のお返しに絶対驚かせてやろうと企んでいたが、どれもあの性格をしたフランクを驚かせられるようなものではなかった。そのため何の策もなしに研究室を訪問することとなった。
「いらっしゃいリク君。ハーマン博士がお待ちよ」
対応しに来たのはフローラだった。エルフ族特有の美しさを見せながら、フローラはリクを研究室内へと招き入れる。
「ようこそリク君。君をまだかまだかと待っていたよ!」
フランクは大げさに両手を広げる。
「ところでリク君、何かないのかね?」
「何か、とは?」
「それは決まっているだろう! 何せ前回あれだけの事をしたのだから仕返しに脅かしの一つでも来ると思っていたのだが、私の見当違いだったかね? んん?」
フランクはリクを小馬鹿にするようにニヤニヤしていた。フランクに思考を全て読まれていたことにリクは悔しさをにじませる。そして、この人にはどんなことをしても敵わないなぁ、と内心諦めていた。そのため、リクはさっさと気持ちを切り替えて本題に入るよう促す。
「それで、ご用件は何でしょうか」
「何だい。ノリが悪いなぁ。つまらんつまらん」
フランクはやれやれと首を振る。それでリクの怒りを誘おうとしたのか、フランクはちらりとリクを見る。しかしリクは務めて真面目な顔でいた。今度こそ自分のペースに引き戻すと言わんばかりに。
「ふむ。まぁいい。フローラ君説明してあげたまえ」
「はい、博士」
フローラはリクを呼び出した要件を説明しだす。それは前回の身体検査の結果報告だった。
「まず、入学試験結果からも分かる様に、リク様には魔力があると言ってよろしいでしょう。それも翼人族の平均魔力量をも上回る量が作られていると考えられます」
リクはその報告を黙って聞き続けた。フローラは資料を捲り上げ次々と検査結果を報告する。
「あらゆる魔法を使って調べた結果、人の体内に存在する魔臓は、リク様の体内にもしっかり存在することが確認できました。そして、魔臓が機能していることも確認済みです。しかし、そうでありながら体内に魔力を確認することはほとんど出来ませんでした。微量だけ血液中を流れているようですが、それだけです。そして、魔力の反応はそれ以外体内に見られませんでしたが、魔法の反応は体内に見られました。以上です」
フローラは資料から面を上げ、フランクに報告する。
「ご苦労。そう。魔力を生成するのに非常に重要な役割を担っている魔臓が存在し、正常に動いていると思われるのに魔力が体内を正常に循環していない。これはとても不思議な状況だ」
フランクは物の散らばった研究室内を平然と右往左往する。そのおかげで物は踏まれ、蹴飛ばされる。整理整頓くらいしとけよ、とリクは溜息を漏らす。
「だが、リク君の体内状況が検査結果通り、つまり検査時に失敗がなければこの状況から考えられる可能性はただ一つ!」
フランクは立ち止まり、リクを見ながら指を立てる。
「リク君の魔力は、異空間に封印されているということだ!」




