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神の四子(ゴッドチルドレン)と堕天使魔王(ルシファー)  作者: 坂井明仁
1章:ニスカルト王立学園入学前編
13/20

12話:一ヶ月後とそれから

「おはよ~」

「おはようリッくん。今日もちゃんと居るわね。よかったよかった」

「シェリーお姉ちゃんは心配しすぎだよ」

「リッくんは油断しすぎよ。それに毎日が平和で暮らせていられるのも、本来はとても大変なことなんだから。日々の平和に感謝しなくちゃ」

 月日が流れるのは早いもので、リク誘拐事件から一ヶ月が経った。リクは事件以降も変わらぬ生活をしている。朝早く起き、店の開店準備を手伝い、そして午前中は店のウェイターとして働く。午後は大図書館にてニスカルト王立学園への受験勉強をする。この基本形は変わらなかった。ただし、夕方遅くなる大図書館からの帰りには、ある人物の送りが付くようにはなったが。

 季節は夏に入り、凱風(がいふう)の月も半ばを過ぎている。日中は汗ばむ日も多く、水分補給はこまめにする必要が出てくる。リクも出かける時は水筒を忘れずに持ち歩いている。

 レグム家が経営しているレギュム店はというと、夏に合うヘルシー料理を作るべく日々模索していた。そしてここ最近の精霊祭には出店することなく、自分の店を冷静に見つめなおす期間としていた。大商店街通り進出は慌てることなく、時間をかけて下積みをして狙えばいいと改めて考えたのだ。そのため、レグム店、特にシェリーから(せわ)しなさというのが無くなり、のんびりとした落ち着いた雰囲気の日々が続いていた。

「リク、おはよ……」

「おはよう、メリーお姉ちゃん」

 若干眠そうに(まぶた)をこするメリーがリクの後ろから挨拶(あいさつ)をする。起きたばかりらしく、髪の毛は方々に跳ねている。

 キッチンからは料理を作る音がしており、いい香りが漂っている。

「さ、リクもメリーもご飯食べちゃって、準備に早く取り掛かろうね」

「うん!」

 シェリーの愛情たっぷり手作り朝食を食べ終え、リクは店の表の掃除に取り掛かる。道幅十メートルもない道を他人の家の前まで掃除して周る。ご近所さんのおばさんたちに挨拶をしつつ、自分の背より高い掃除用具を使い手際よく道を綺麗にしていく。

 掃除をし終えた頃、店内の準備も整い開店時間も間近になる。リクは入り口前に看板を出し、お客さんを迎え入れる準備を完了させる。すると、早速やって来たのは誘拐事件で大変お世話になった、リクの師匠でもある男女、リチャードとミアだった。

「よっ、リク」

「リッくんおはよー!」

「あ、師匠。おはようございます」

 リクは二人に頭を下げる。リチャードとミアはあのリク誘拐事件以来、毎日のようにリクのもとを訪ねるようになった。リクは大丈夫だと言い続けたのだが、リチャードもミアも頑として譲らなかった。そのためリクはその件については諦めたのだが、ミアのある行動だけは如何(いかが)なものかと思い続けていた。それはリクの存在を確かめるようにリクに抱き付き体中を(まさぐ)る様に撫でまくることだった。

「師匠……」

「あ~リッくん。私のかわいいリッくん」

「はぁ~……。ミア、その辺にしてやれよ」

 リチャードはミアをリクから引きはがす。女性としても小柄なミアはリチャードに吊り上げられ、手足をじたばたさせていた。この光景はリクにとって毎日繰り返されるほのぼのとした平和の象徴(しょうちょう)。変わりない一日が始まるための儀式(ぎしき)のようなものでもあった。

 リクは今日も無事に一日が始まることを心の中で感謝する。シェリーも言っていたように、平和な日々を過ごせることは難しく、そして幸せなことなのだ。

 リクは今だ喧嘩腰(けんかごし)に言葉を吐きあっているリチャードとミアを店内へと案内する。

「師匠たち、レギュム店へようこそ。どうぞゆっくりしていってください」

 二人はようやく落ち着きを取り戻し、リクに続いて店内へと入っていく。

 レギュム店にリチャードたちが訪れるようになってからというもの、レギュム店に訪れる冒険者の数が若干増えた気がリクはしていた。おそらくリチャードたちがレギュム店の事を宣伝してくれているのだろうと辺りをつけている。リクのその予想は正しいが、目的は若干違った。リチャードとミアは冒険者仲間にリクが誘拐されたことを話し、リクがまた(さら)われることのない様に、知り合いの冒険者の目の届くところにリクが常にいるよう手配していたのだ。昼間の時間暇な冒険者は昼食時にレギュム店を利用したり、午後の勉強の時にはリクと同じように大図書館を利用したり。それらはミアの過保護な性格からくるものだったが、女性冒険者たちは快くその案に協力し、いつもリクを()で……見張っているのだ。あくまでリクが無事でいるかを確認するために。

 勿論見張りに協力している冒険者たちの実力はある。Bランクであるミアやリチャードの友人となれば高ランクの者たちが多く、協力者たちも皆Bランク以上だ。リクは知らぬ間に安全な日々を送っていたのだ。

「二名様ご案内で~す!」

「来たわね、野獣姫(ビーストプリンセス)

「お姉ちゃん、お客さんだよ……」

 リクのリチャードとミアの入店を知らせる声にシェリーが反応する。

 シェリーの姿を視界に入れたミアも、まるで臨戦態勢(りんせんたいせい)に入るかのような目つきになる。

「その呼び名はやめて頂戴って何度も言ってるでしょ。この男たらしが」

「ミア、いい加減張り合うのはやめようぜ? 完全にお前の負けだよ」

「うぐぐ~」

 二人のプロポーションは見事に正反対だ。まだ十三歳でありながら女性の割には高い身長のシェリーに対し、背の低いミア。男を魅了する完璧なスタイルを持つシェリー。引き締まってはいるが、戦闘に特化するために無駄をそぎ落としてしまったかのようなスタイルを持つミア。一部にはミアの容姿に魅力を感じる男性もいるかもしれないが、多くはシェリーの容姿を好むであろう。それほどまでに二人のスタイルには差があるのだ。

 ところで、二人は何故(なにゆえ)こうもいがみあっているのかというと、それはリクの取り合いをしているからと言っても過言ではない。

「師匠、席についてもらえます?」

「おう、悪いなリク。ミア早くしろ」

「リッく~ん! 私をお姉ちゃんって呼んでぇ~~!」

 リチャードに襟首(えりくび)(つか)まれながら、リクの肩に掴みせがむミア。

「だめよ。リッくんのお姉ちゃんは私たちなんだから。野獣姫は早くテーブルにつきなさいっ」

 シェリーはリクを奪うように後ろから抱き付く。それはミアに見せつけているかのようにも見える。

「私もお姉ちゃんって呼ばれた~い~!」

 ミアはリクを弟子として見ていると同時に、可愛い弟としても見ていた。リクにお姉ちゃんと呼ばれたい気持ちもあったが、師弟関係を優先して自分の欲を抑え込んでいた。そう、今までは、だ。レギュム店を訪れるようになり、リクがシェリーとメリーを「お姉ちゃん」と呼んでいるのを見て抑え込んでいた欲が暴走してしまったのだ。

「師匠……」

「リッく~ん……」

 リチャードに引きずられながら潤んだ瞳で弱弱しく頼むミア。そんなミアの情けない姿にリクは心動かされる。リクはお世話になっている師匠を気安く「お姉ちゃん」などと呼べないと思っていたが、ここにきてミアの強い願いに呼んであげてもいいかと思い始めていた。そして――

「ミ、ミアお姉――」

「だめよリッくん」

 シェリーはミア待望の言葉を口にする瞬間にリクの口を塞ぐ。

「あ~~!! この鬼畜生! 悪女ぉ~~!」

「もごぉ…………」

「リッくんは私のよ」

「お姉ちゃんのでもないけど……」

 シェリーの制止によりミアの願いは絶たれた。

 朝から元気なミアの声は店の外まで響き、井戸端会議に花を咲かせていたおばさんたちを驚かせる。リチャードに引きずられてようやく席に着いたミアは、勝ち誇ったような姿勢で働くシェリーを終始(にら)み続けていた。

 (にぎ)やかで忙しい時はあっという間に過ぎ、そして太陽は天高くと昇っていく。

「それじゃ行ってくるね」

「またあそこに行ってくるのかしら?」

「うん。あの子のことを分かってあげられるのは僕だけだと思うんだ」

「真面目ね、リク。気を付けて行ってきてね」

「変な道通らないようにねリッくん」

「分かってるって。行ってきます」

 午前の仕事を終え、昼食を取ったリクは出かける準備をして家を出る。一月前までならこのまま大図書館へと直行だったが、今は違う用事を午後の最初に入れていた。

 リクは最寄りの大通りにある停留所(ステーション)より公共用魔導車に乗車する。魔導車は騒音を発することなく静かに発進する。

 目的地はセトロニカ王都の南に位置する九番街。八番街と九番街の境に存在するグリーンパークの近くにある孤児院にリクは寄ろうとしていた。

 孤児院は親兄弟、親せきなどの身寄りのいない子供たちが過ごす施設だ。リクはそこで暮らす一人の少女に会おうとしていた。その少女とは、一ヶ月前にリクと一緒に誘拐されていた少女の事だ。

 リクと一緒に無事救出された彼女は事件解決後も何も話そうとしなかった。そのため、名前はなんというのか、親はいるのか、住んでいた場所はどこなのか、そういった情報何一つ聞き出す事が出来なかったのだ。そういった経緯から仕方なく、その少女の身柄は孤児院預かりとなった。それ以来、リクは少女と年が近いこともあり、少女が心を開ける相手になろうと自分から一緒に過ごす時間を作ることにしたのだ。何か共通の事があったために誘拐されてしまった者同士。リクは諦めることなくこの一ヶ月間孤児院に通い続けていた。

 勉強の脳内復習をしながら過ごしているうちに、魔導車は八、九番街大通りを挟む形で存在するグリーンパーク前へと到着する。そこから二十分弱歩いた頃に、目的地である孤児院は見えてくる。

 孤児院の施設は意外と大きい。いや、多くの子供を収容する施設であるからこそ、ある程度の大きさでないと暮らしてはいけないだろう。建物は二階まであり、広い敷地を使ってそれは建てられている。

 リクは孤児院の門へと歩いていく。それだけで院内からは子供のはしゃぐ元気な声が聞こえてくる。孤児院で暮らす子供たちは親が居ずともここで幸せな生活をしていた。リクも本当の親を知らないが、レグム家で幸せな日々を過ごしている。似たような境遇であるリクと彼らはすぐに打ち解けあい、男女問わず仲が良くなった。

「こんにちは~」

 リクは慣れた様子で門をくぐり、声のする庭の方へと回り込んで大きな声であいさつする。するとそれに反応してこちらを向く子供たち。

「あ~っ! リクだぁ~!」

「リクおっす」

「リク君こんにちは」

 最初にリクのもとへ飛び込んできたのは近くにいた小さな女の子。続いて十歳ほどの少年、院で一番の年長の少女がやって来る。院内でも人気のリクはたちまち様々な人種の子供たちに囲まれる。人間、獣人、中には魔人や竜人もいた。

「今日もあいつのこと面倒見に来たのか~?」

「うん。またお話をしにね」

 獣人の男の子が肩を組みながらリクに話しかける。

「リクは真面目だなぁ。あいつ何考えてるかさっぱりわかんねえんだもん。ほっときゃいいのに」

「そうも言ってられないよ。誘拐されちゃった者同士、助けてあげたいからね」

「リク君、あの子のお話し相手になってあげてね。私たちも何かしてあげたいと思うんだけど、私たちには理解できない苦しみがあの子にはあると思うの。それを分かってあげられるのはリク君だけだと思うから、お願いね」

 人間の年長の少女は屈んでリクの頭をなでながらお願いする。

 院内の誰にも心を開かない少女。リクは同じ境遇にあってしまった彼女の事をとても心配していた。その彼女はというと、裏庭の奥に立つ一本の木の下で(うずくま)っていた。そこはいつも彼女のポジションとなっている。そこで彼女は猫を抱きかかえながら一人でいるのだ。リクは一人寂しげに座っている彼女のもとへと向かう。すると、院内から二人の大人の女性が出てくる。

「こんにちは、リク君。いつもありがとうね」

 目にマスクをつけた女性がリクに挨拶をする。彼女はここの孤児院の院長だ。彼女は盲目で視界が不自由なのだ。そんな姿でも彼女が子供を愛する気持ちは高く、隣にいる副院長の助けを借りながらもしっかりと子供たちの世話をしている。子供たちは勿論彼女の事が大好きで、本当の親のように(した)っていた。

「今日もあの子のこと、よろしくお願いしますね」

 院長の隣に立つ副院長の女性がリクにお願いする。リクはそれほど院の人たちに期待されていた。最初は幼い子供が同じくらいの子を面倒見るなんてとてもできないと思われていたが、リクのしっかりとした受け答えに院長は何かを感じて塞ぎこんでいる少女の事を任せることにしたのだ。勿論リクは喜んで任され、少女の相手を務めていた。

「今日はどんなことを話そう。……僕のことでも話そうかな」

 リクは今日も一人で木の下にいる少女の隣へと腰を下ろす。少女の周りには猫が集まっており、可愛い鳴き声がリクを囲む。

 今日もよく晴れた日でのんびりお話しするにはもってこいの一日。リクは何の反応を見せることのない少女に自分の事を話し始めた。

「今日は僕の事を話そうと思うんだ。…………聞こえてた事もあるかもしれないけど、僕もここの人たちと同じように、本当の親が分からないんだ。死んでいるのか、生きているのかさえも分からない」

 リクのその言葉に少女は初めて微かに反応を見せる。猫を抱きしめる力が強くなり、猫が身をよじる。リクはその反応を僅かに視界へと入れる。そしてある予想が確かなものへと変わりつつあるのを感じていた。

「僕はね、生まれたばかりの赤ちゃんの時にネヴィジャス大森林って所で見つけられたんだ。それが捨てられたのか、何か事故があったからなのかは分からないけど、僕は生まれた時から血のつながった人が傍にいなかったんだ。それを知ったのは王都に来る日の前日。五歳になって間もない頃だったの。……すごく、ショックだった……」

 今だ名も分からない少女は俯いたまま。本当にしゃべれないのか、それとも話さないだけなのか。それすら反応を見せなかった少女に、親の話をすると若干の変化が見られるようになる。リクは話を続ける。

「でもね、僕は幸せだった。森で放置されたまま死ぬことなく、親代わりとなる優しい人に助けてもらって、そしてここまで生きてこられた。それだけでとても幸せなことだと、僕は思うの。本当の親が居なくても代わりに自分を育ててくれる親が居るだけで安心感が全然違う」

 少女に抱えられていた猫はあまりの苦しさに少女の腕から抜け出る。少女は代わりに自身の膝を抱える。その手は震えていた。そして身体も震えているのが分かる。

 リクは自分の考えが正しかったと確信する。少女の両親は既に死んでいるという事実を。

 少女が誘拐された際に、両親は殺された可能性が最も高いとリクは踏んでいた。目の前で殺される両親。あの誘拐犯たちがなりふり構わず殺しをするとは思えないことから、勢い余って殺してしまったか。そうであっても少女の両親が殺されてしまった事実は変わらない。その光景を見せられてしまっては、ショックで何も話せなくなってもおかしくはないだろう。

「難しいかもしれないけど、いつかは認めなくちゃいけない。お父さんやお母さんがいない事実を」

 すると、不意に聞こえてきたのは震えながらも澄んだ綺麗な鈴の音のような小さな声。

「パパ……ママ……」

 その声は人を魅了すると思われるほどの美しい声だった。リクはその美しい声に目を見張る。おそらくその声を耳にした者は老若男女問わず立ち止まり振り返る事だろう。プロの俳優も脱帽(だつぼう)するに違いない。リクはそんな印象を受けていた。

 幾秒か彼女の声に茫然としてしまうリク。しかしすぐに気を持ち直し、話を続ける。

「寂しかったら頼ればいい。悲しかったら相談すればいい。一人で抱え込まないで、……ね。みんなが居るから」

「~~~~~――――っ」

 彼女は大きな声をあげて泣き始める。今まで抑え込んでいた感情を爆発させるように泣き始める。暗い闇の底から明るい世界へと解放された瞬間だろう。

 彼女の泣き声に驚き、人が周囲に集まり始める。泣いていても美しい声。慰める時だったが、多くの人がその声に聴きほれていた。そんな中、院長が彼女に近づき、そして優しく抱きしめる。

「辛かったでしょう。好きなだけお泣きなさい。恥ずかしい事は何一つありませんよ」

 少女は人のぬくもりというのを久しぶりに感じる。その人の温かさに少女は安心したのか、不意に泣き声は静まり寝息だけが聞こえるようになる。

「寝てしまいました」

「えぇ。そのようね」

 副院長の言葉に院長は頷く。副院長は少女の頬を伝う涙をやさしく拭う。表情に感情が現れることのなかった少女の頬は緩み、小さく笑顔が出来ていた。その姿はまるで天使の生き写し。その場にいた子供の誰もが見惚れて小さく溜息を漏らしていた。

 その様子を見て、副院長はパンッと手を一度たたく。

「さ、みなさん昼休みのお時間はおしまいです。それぞれ午後にすべきことをそろそろ始めましょう」

 天使のような少女の呪縛(じゅばく)から目を覚ました孤児院の子たちは、まばらに返事をしつつ院内に入っていった。

「リク君、ありがとう。やっとこの子を辛い思いから解放させることが出来そうだわ。これも全てリク君のおかげよ。ほんと、リク君って五歳の子には思えないわ」

 副院長の感謝の言葉にリクはむず痒さを覚えて頭の後ろを掻く。リクのその一つ一つの動作も十分に破壊力が高く、天使のような美しさを持つのだが本人はそれを自覚していない。副院長は表面上極めて冷静に務めていたが、内心は非常にぶれていた。今すぐにでもリクに飛びつき抱きしめたい思いで溢れていた。だがそこは大人の精神で抑こむ。

「さ、リク君。後は私たちに任せてください。勉強、頑張ってね」

「はい、あとはよろしくお願いします」

 リクは院長に頭を下げて孤児院を去ろうとする。すると壁の外から何かが放り込まれてきた。それはドサリと何やら重そうな音を立てて庭へと落ちる。

「院長さん! なんか袋が投げ込まれたんですけど!」

 少し離れたところにいる院長と副院長に向かってリクは叫ぶ。すると副院長がすごい速さでそのリクが指さす袋のもとへと歩いてくる。そして袋を確認すると孤児院の門から外へと出ていく。

「な、何が起きたんだ?」

 リクは壁のそばに落ちた袋を拾い上げる。それはかなりの重さがあった。そしてチャリッとお金同士の当たる音がする。

「まさかこれ、全部お金!?」

 袋の中身を見ると何枚もの金貨が袋の中に入っていた。金貨は一般市民が大きな買い物をする際に用いる貨幣だ。そんな貨幣が袋の中にたくさん入っているのだ。リクもこれには驚きを隠せなかった。そしてすぐに状況を把握する。誰かがこれだけの大金を匿名で孤児院に寄付しているのだ。もしこれが定期的に起きている事だとしたら、副院長があれだけ慌てるのもうなずける。寄付者を特定してお礼を伝えたり、寄付をしてくれる理由を聞きたいのだろう。

 副院長が表から帰って来る。どうやら寄付者は見つからなかったようだ。リクは副院長に金貨の入った袋を渡す。

「またこんなにたくさん……」

「一体誰なのでしょうねぇ」

 副院長の溜息に院長は頬に手を当てる。

 実はこの寄付、リクが今回知る随分前から定期的に投げ込まれていた。そもそも孤児院には国からの補助が出ているため、最低限の生活は出来ている。贅沢をしなければそこまでお金には困らない。服は年上の子のおさがりを下の子が着たり、庭で育てた野菜を料理に使ったり、余った野菜は市場に売り込みに行ったりと、食べ盛りのたくさんの子を何とか養えるだけのお金はあるのだ。そこにこれだけの大金の寄付があると子供たちは贅沢を覚えてしまう。そのため院長たちはお金には手を付けず、全て取っておいているのだ。

 リクはその件に関してとやかく言うことは出来ないため、院長たちに別れの挨拶をして孤児院を後にする。振り返った先にいる少女はまだ夢の中。院長の膝の上で気持ちよさそうに眠っていた。それを見てリクは安心し、午後の第二の用事である大図書館での勉強へと向かうのであった。



 ◇◇◇



「それはこうしてね、ここはこうなるんだよ」

「なるほど。……よし」

 リクはイサギの分からない問題を教えてあげる。

 ここは大図書館一階の窓際の席。いつもリクとイサギが勉強している席だ。そこで二人は試験用の練習問題を解きあっていた。

 リクはここ最近あることを感じていた。「自分は既に学園の入学レベルをクリアしているのではないか」、と。リクのその考えは実は正しかった。リクの学力は既に入学レベルを軽く超えており、学園生活六年間の内、初等部と中等部に値する四年間分の勉強をすでに終えていたのだ。だがリクはそれでも勉強をやめることはなかった。学びだせばきりがない勉強。知ることの楽しみは今のリクにとってかけがえのないものだった。

「さて、今日はここら辺までにしとこうぜ」

「うん、そうしようか」

 リクはイサギの提案に賛同する。日は傾き、リクが家に着くころには薄暗くなっている事だろう。帰り支度を終えた二人は五番街、レギュム店のある方向へと歩き始めた。

「いつもごめんね。僕のせいで勉強時間も短くなっちゃって」

「いいっていいって。リクに何かあったら俺が母さんに怒られるしな。イサギがしっかりしないからダメなのよ、ってな」

 イサギは母の声真似をしながら笑う。

 リク誘拐事件があってからというもの、リクはイサギに自宅――レギュム店まで送られるようになった。そこらの大人より魔術の実力があるイサギがいれば安心と、レグム家の面々もイサギにリクの送りをお願いしていた。

 貴族街では仲良くおしゃべりしながら徒歩で移動し、貴族街を出てすぐの停留所からレギュム店最寄り停留所まで公共魔導車に乗る。魔導車に揺られること一時間以上。リクの一日の行事の終わりも近づく。レギュム店までの歩きは二人で勉強の復習を問題で出し合う。ある角を曲がると見えてくるレギュム店。店前にはメリーとシェリーがリクを待っていた。リクを見つけたシェリーは大きく手を振りながら駆けてくる。そこからリクを抱き上げる流れはもう分かり切ったもので、リクもイサギも、そしてメリーも諦めた反応をしていた。

 そんな幸せな日々はいつまでも続いた。イサギはニスカルト王立学園受験も無事にパスし、歴代最高成績で平民にして首席入学。それ以降しばらくはリク一人での勉強が続いたが、リクが七歳になりニスカルト王立学園受験まであと一年弱となった時には、イサギの妹のイサミと一緒に勉強をするようになった。イサミはイサギ以上に勉強の理解力が素晴らしく、リクは自身が居なくなる約一年後までに勉強の仕方などを中心に教えてあげようと思った。勿論イサミの魔術の実力は兄に劣らず申し分ない。イサミもまた主席で合格できることをリクは今から確信していた。

 孤児院で暮らす、リクと一緒に誘拐された少女はリクとだけなら今はお話もスムーズに出来るまでになった。リクは毎日孤児院に通うことで、少女と心から通じ合える仲にまでなったのだ。

 そしてレギュム店はというと、ついに北大商店街通り入りを果たし、順風満帆(じゅんぷうまんぱん)な経営を送っていた。シェリーも十五歳となり成人を迎えた。だが今までの生活が変わることはなく、引き続きレギュム店のシェフとして働いていた。メリーはというと王都に二つある、ニスカルト平民学校に通い始めていた。そこの学校は少額の入学金と授業料を払えれば成人になる前の子なら誰でも入学できる学校だ。八歳になったメリーはその二年制である平民学校に入学し、日々の学校生活を満喫しているのだ。

 月日は更に流れ、リクが八歳の誕生日を迎えるまであと一ヶ月の氷雨の月、それはついにやって来た。

 ――ニスカルト王立学園受験日。

 リクの人生最大の山場が、やって来る。


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