おっぱい星人と悪霊
XX大学付属博物館。
男がブツブツとつぶやいていた。
「ああ。美しいよ……愛おしい君よ」
男はうっとりとした顔でそうつぶやいた。
男の視線の先には拷問器具。
鉄の処女と呼ばれるものである。
人型で中が空洞の人間が入るくらいの大きさの人形である。
ただし人形の内側にはびっしりとトゲが生えており、ここに入れられると全身をトゲに貫かれるというものだった。
実際に魔女狩りなどの際に拷問で使用されたとも、噂話を元に作られた空想上の道具とも言われるものであった。
だが男は知っていた。
愛するもののその美しさを。
一番美しい時を。
「愛おしい君よ。今日も君のために贄を連れてきたよ……」
男の傍らには猿ぐつわをされ両手両足を縛られ身動きのとれない女性。
その顔は恐怖に歪んでいた。
「ああ君は美しい……美しいよ……」
男が恍惚とした表情でブツブツと繰り返した。
◇
「ねえねえ。だいすけくん。大学って面白いの?」
かき氷のアイスバーを食べながら幽霊がそう言った。
「……っふ。入る学部を間違えた人間には地獄のようなモノさ……」
俺は遠い目をしてそう言った。
ちなみに『だいすけくん』とは俺の名前だ。
あれから一ヶ月。
このルームメイトはだんだん馴れ馴れしくなっていった。
まあ俺もだが。
「ずーるーいー!!! 紗菜も行くー!!!」
なにが『紗菜』だ。
実際は50歳のババアのくせに。
一人称がファーストネームってキモいんだよ!
「てめえ……今……なに考えてた?」
勘がいいなコイツ。
「お前地縛霊じゃないの?」
俺は無理矢理話を変える。
グーで殴られるからな。
強いんだコイツ。
「え? 今はだいすけくんに取り憑いてるよ?」
「な! 人に断りもなく貴様ぁッ!」
「えー。いいじゃんけちー。そういうこと言う子にはカード貸してあげない! 『週刊おっぱいワールド』の定期購読できなくなっても知らないんだからね!!!」
な!
俺のこの乾いたコンクリートジャングルでの唯一の楽しみを奪うだと……
「とにかく紗菜も大学行く!!! じゃなければ『週刊おっぱいワールド』はナシ!!!」
酷い脅しだ!
すでに俺には選択肢などなかった。
◇
「ねえねえ。だいすけくん」
「なんだ?」
「せんせーがなに言ってるかわからない……」
「奇遇だな。俺もだ」
俺たちは債権法の講義を受けていた。
なぜ債権かって?
俺、法学部だもん。
なぜ法学部の講師どもは宇宙語で説明するのだろう?
何度聞いてもわからん。
完全に学部選びを間違えたぜ。
俺はふと周りを見る。
受講生の半分はツメをいじったりパソコンでノートをとるふりをしてネットをして遊んでいる。
もう半分は表にしてまとめてやがる!
なにその圧倒的な学習能力!
クソッ! 国家試験組め!
うん。俺負け組決定。
にしてもつまんねえな。
横を見ると講義に飽た紗菜が妄想内で受講生(男限定)のカップリングをして楽しんでいる。
「デュフフフフ……『ダメだ……俺はもう……』『やめてくれ先輩!』……若い男が狭いところに押し込められた空間たまんねえでゴザル。じゅるるるる」
どうやらこの幽霊には教室の半分以上を占める女が見えないらしい。
横で聞いてる俺ちゃんどん引きである。
「紗菜さんや」
仕方ないので、まるで幾度かの倦怠期を乗り越えた熟年夫婦のように俺は幽霊に話しかけた。
俺も飽きてきたのね。
授業なんて後で資格試験用のテキスト見りゃいいし。
「……もういいところなのにー……って、はいな?」
「サボろう」
「あいあいさー♪ で? どこ行くの?」
「とりあえず17階の学食。ちっと早いけど昼を食べてから遊びに行こうぜ」
「ソフトクリームおごってくださいね♪」
「なぜ……貴様……メニューを知っている?」
「ネットですよー」
50歳のくせに! 俺よりネットを使いこなしてやがる!
教室を出た俺たちはエスカレーターで17階を目指す。
ほぼ無人の廊下。
人がいなければ勝手に止まるエスカレーターが俺に反応して動き出した。
俺たちはエスカレーターに乗り込む。
突如俺の背中に冷たいモノが走った。
首がこわばり、筋肉が勝手に縮む。
「だいすけくん! 何かがいます!」
それは女だった。
いや女のような何かだった。
人の形をした黒い塊。
いや人の形と言うにはサイズが大きすぎた。
ガス?いや違う。
あえて表現するならば重さのない液体。
それがまるで人のように歩いてきた。
あー……やっぱりか。
めんどくせえ。
「紗菜。構うな。目を合わせるな。何も答えるな」
「え?」
「あれは俺たちの世界ともお前たちの世界とも違うモノだ。特にお前ら幽霊はアレに引き込まれやすい」
「え? なんでそんなこと……?」
そうこうするうちに女の形をした黒い塊が俺たちに気づき、どんどん近づいてくる。
まるでコールタールのような臭いが鼻を通った。
紗菜はその黒塊を避けるために宙を飛んで逃げ出した。
いい判断だ。
だが俺はそんな器用な真似はできない。
ゆえにまるで黒など塊が存在しないかのような顔をしてその場に立ち尽くした。
どんどん俺を黒い塊が覆って行く。
そして俺は女の形をした重さのない水。
黒い塊に飲み込まれた。
「だ、だいすけくん!」
「大丈夫だ」
紗菜にそう言った俺の耳に女の声が聞こえてくる。
それは酷く耳障りなノイズが乗った不明瞭で不愉快な声だった。
「アタシ、が……ナンデ……こ、コロサれ……殺さレ? 家に帰らなキャ……お母さンがシンパイ……」
黒い塊の中で女の顔が見えた。
所々が黒くなった真っ白い顔。
紫色の死斑。
先ほどの化学臭とは違い、まるで生ゴミのような臭い。
目はどこを見ているのか左右がグルグルと違う動きをし、顔はギギギと動かしにくそうに小刻みに震えていた。
ああ。なるほど。まだ力が弱い。
これはまだ死んだばかりだな。
この近くか……いやこのビルの周辺か……
俺はまるでそこに何も存在しないかのような態度をとり続ける。
なんでそんなことをするかだって?
気づかれたら殺されるんだよ。
物理的に。
電車や道路に突き飛ばされる。
後ろから首を絞める。
噛みつく。
なんでもいい。
全力で殺しにかかってくる。
いやさあ、相手が見えるって事は相手にも見えるんだわ。
だから霊能者ってのは被害に遭いやすいのね。
だから見えないふりー。
で、「幽霊の方はなんでそんなことをするよ」だって?
まあ確かに普通に考えりゃ襲う理由なんてねえわな。
えっとな……美味しいんだよ。
俺たち人間の魂ってのは。
苦しさから逃れられるほどに。
人間の魂ってのは。。
あれだ。
麻薬中毒の患者。
他人を傷つけてはいけない。
そんな当たり前のことがわからない。
もはや理性なんてない。
苦しいから魂を刈り取って食べる。
それが悪霊だ。
「だ、だいすけくん……」
紗菜の声が聞こえた。
「アあ。帰らなきゃ……帰ラなきゃ……」
エスカレーターが次のフロアに到着すると黒い塊は俺に何かを訴えるのをやめ、下へ降りていった。
見えないフリ作戦成功である。
俺が頭をポリポリと掻くと紗菜が床から顔を出したと思うと俺の胸に飛び込んできた。
「だ、だいすけくーん! 超怖かったよー!!! あれはなんですかー! つかだいすけくんって何者なんですかー?」
質問が多い。
だが仕方がない。真面目に答えてやるか。
「あのな。今までお前みたいな地縛霊と普通に会話してるのを不思議に思わなかったのか?」
「ホラ私、美少女ですし♪」
紗菜が茶化す。
殴りたい。ぶん殴りたい。
くじけるな俺ちゃん! クールだ。冷静になれ!
「俺は霊能者ってやつだ。あれはな……簡単に言うと悪霊だ。理不尽な死を迎えた魂。それが学校まで来やがった! あーめんどくせえ!」
「私は違うんですか?」
「ああ。違うね。お前は憎悪を抱えてないしちゃんと埋葬されているはず。きれいな魂だ」
「えへへへへー。褒めても何もでませんよー」
別に褒めてはいない。
にしても厄介だ。
悪霊が毎日通う大学内に出るなんて!
顔を合わせてたら命がいくつあっても足らねえ。
それに見えない連中にも影響が出てしまうかもしれない。
いや数日中に見えない連中の魂まで刈り取り始めるはずだ。
ふいにドサッという音が響いた。
まずい!
俺はエスカレーターを逆に駆け下りる。
下の階では女子学生が倒れていた、
そして先ほどの黒い塊から伸びた手。
紫色の死斑だらけの手が女子学生の胸に手を突っ込んでいた。
「ぎゃああああああッ! だいすけくん!」
紗菜が悲鳴を上げた。
俺は普段から懐に入れておいた薬包紙を取り出す。
南無三。
どうか効きますように!
それを俺は乱暴に開け中に入っていた粉を悪霊に投げつけた。
粉が黒い塊へ触れる。
その瞬間、いきなり黒い塊が霧散した。
悲鳴も音も何もない。
ただ霧のようにどこかに消えた。
よかった……消えてくれた。
「超おっかねええよおおおおおッ!」
俺は膝からへたり込んだ。
見えるからって悪霊になれてるわけじゃないんだからね!!!
怖いもんは怖いんだからね!!!
ところでなんの粉まいたんだって?
なんの変哲もないただの塩だ。
俺は護身用として持ち歩いてるんだ。
ごくたまに遭遇するのね。
悪霊に。
どうやら襲われた女子学生は霊能の素質があったようだ。
見てしまい話しかけでもして襲われたのだろう。
この埋葬が管理された安全な時代だとたまにいるんだ。
悪霊を見たことない野良霊能者ってやつが。
相手がまだ弱い悪霊で本当に良かった。
経験上いくつもの魂を喰らったり強い怨念を持った悪霊は塩程度じゃ効果はない。
他人を襲い殺生などの業を背負ったせいで魂が穢れ力が増大するという理屈だ。
要するに……気合が違うのだ。
ちなみに塩の効果、これはあくまで退散させただけだ。
今頃、自分の死体の場所に戻ってを首傾げているに違いない。
はて何があったのか? と。
弱い悪霊にもその程度の効果しかないのだ。
だが今はその程度でもいい。
俺は女子学生に近寄る。
良かった。
魂の端を囓られただけだ。
俺は頭を掻くと同じフロアで講義をしている部屋へズカズカと乗り込んだ。
バタンとドアを開けると俺を射貫くような視線が俺を襲う。
講師なんかは噛みつきそうな目で俺を見ていた。
「講義中お騒がせしてすいません! 廊下で女の子が倒れてるんで誰か手を貸してくれませんか? 一人だと手がまわらないもので……」
こういうときは少しおどけて見せた方がいい。
でもいきなり怒られたりとかするんだよなあ。