荒野を行く2
◆八十八日目
心地良い鳥のさえずりを目覚しに覚醒すると、途端に香る澄み切った空気が肺いっぱいに満ちた。視線の先には木漏れ日が宝石のように煌めいている。
アンデッドになってしまった今では目覚めの微睡みというものは無くなってしまったが、それでも目覚めた場所が違うだけでこうも素晴らしい気分になれるとは思っていなかった。
なんだか不思議だ。牢屋から抜けだして三日目、既にあの牢屋の中の生活が遠いもののように感じ――っていやいや、ゾンビのくせに、なに感傷にふけってるんだ俺は。気持ち悪い。
アホみたいな思考を切り離すと、俺は朝飯を食べているマイク達の方へ行く事にした。
朝飯は、堅焼きのパンと干し肉、それとどっかから手に入れたらしい果物だった。マイクは丁度食べ終わったところだったが、アリスの小さい口ではまだまだ時間がかかるようで、一人モキュモキュとパンを齧っていた。磯女はというと、近くでユラユラ体を振りながら突っ立ていた。
しばらくしてアリスがご飯を食べ終わると、すぐさま俺らは出発した。
実は俺達には目的地があるらしい。その名も大墳墓。東の荒野にあるらしい凄い安直なネーミングの巨大な墓である。
何故こんな所に行くのかというと、強くなるためらしい。
マイクがアリスに説明していたのを聞いた限りでは、俺達モンスターという存在は、動物と同じで、自分より弱いものには従わないのだそうだ。下位命令権とかあるし納得。
だけど、何故わざわざアンデッドのいる場所に行くのだろう? 近場じゃダメなのか? 当然のそんな疑問を読んだかの用にマイクが説明してくれた。
下級のアンデット相手というのは、俺にとって効率が良いからってことらしい。
本来、人間などの生物にとっては毒を持つアンデッドは脅威だが、俺や磯女は毒無効だ。それに、俺は嘗てマイク・タイソン似の大男に瞬殺されたことからも、知性ある相手にはまだまだ勝てない。しかし、知性がなく動きも遅い下級アンデッドならば大丈夫だろう。
でも、そうなってくると、やはり不思議なのは磯女だよなぁ。マイクの言うことを信じるなら、一応階級は同じとしても強さは明らかに俺のほうが下。俺達に従う意味が分からない。
いや……でも、待てよ? よくよく考えれば従っているのは俺達じゃない。どう考えたってアリスだ。
もしかしたらアリスに何か原因があるのだろう?
とか思ってたら、マイクも同じことを考えていたようで、アリスを見ながら唸ってた。
一方のアリスは、俺の肩の上でウトウトしてた。
呑気なもんだな、おい。
***
昼過ぎになると脱走後初めて敵と遭遇した。
アンデッドではなく、デッカイうさぎだ。ただし、顔つきは凶悪で可愛さの欠片もない。牙が剣山のように無数に生えた口から涎を垂れ、真っ赤な目は毒々しく大っきい。
そんな醜悪な見た目でもウマそうに見えてしまうのはアンデッドの性だろうか。
でも結構強そうなのには変わりないから、どうせマイクはいつものごとくビビってんだろ――なんて、思っていたのだが、以外なことにマイクは堂々としていた。
むしろ、俺や磯女に物怖じしないアリスのほうが怖がっていたのは驚きだ。マイク曰く雑魚モンスターらしいので、大丈夫だという意味も込めて頭を撫でておく。そうすると、幾らかは安心したらしい。
その間、うさぎさんはご丁寧にも攻撃して来なかったので、アリスが落ち着いたあたりでそろそろ戦闘を開始することに。
今日、俺がアリスを肩車していたのは、最大戦力である磯女を自由に戦わせるためだったのだが、雑魚ならちょうどいい経験値稼ぎになるかな、と思って俺自らが戦うことにした。
無論、磯女のように肩車したまま無双なんて出来ないので、一旦磯女にアリスを預けとく。
「ククク、俺に楯突いた自分の愚かさを呪うがいい!」
とかなんとか思っちゃたりなんかして特攻したのだが、このヤクザ顔うさぎ思った以上に速く、膂力も凄い。磯女並みとは言わないまでも、マイクタイソンぐらいはありそうだ。
一瞬で自分が馬鹿なことをしたんだと気がついた俺だったが、時既に遅し。
気がつけば情けない声を出しながらふっ飛ばされましたよ、ガッデム。
うう、ハゲよ、噛ませ犬とか言ってごめんよ。お前の気持ちが分かったよ。
でも一番傷ついたのはうさぎに負けたことじゃない。その後、俺が目を回している間にマイクによってうさぎが瞬殺されてしまったことだ。
マイクは、俺の元までやって来ると無い胸を張って俺に勝ち誇った笑みを見せつけてきた。まぁ、胸がないのは当たり前だけど。
その時は、そのドヤ顔にムカついたので「くそぅ、このドヤ顔クソオカマめ!」とか心の中で息巻いておいたけど、後で冷静になってから考えてこんなオカマ野郎より弱いとか本気で洒落にならん事に気が付きました、まる。
もしかしなくても俺って弱い? 結構進化したからそれなり強いと思っていたのだが、ショックだ。
俺って今まで天狗になっていたのだろうか……?
***
科学という言葉の存在しないであろうこの世界では夜は非常に早い。飯を食ったらアリスもマイクも寝てしまった。
しかし、俺はというとマイクに負けたのが悔しすぎて眠れない……。
ってことで、みんな寝静まったが、俺は一人筋トレをすることにした。きっと最下級だった時ほどの効果は見込めないだろう。それでも、オカマより弱いってのは自分で自分が許せない。
とりあえずの目標は妥当デッカイうさぎ。それから、マイクだな。磯女には当分勝てそうにないので保留。
◆九十日目
森が浅くなってきた。草木の数は徐々に減ってきて土の質も、湿っぽい腐葉土から赤色の乾燥した土になってきて荒野らしくなってきた。
頭の中には某ドラゴンなクエストの広野で流れるあの音楽。まぁ、荒野と広野で違いはあるけれど、気分だけは勇者一行。
なんて意気揚々としていたのだが、考えたら俺アンデッドだし、勇者に倒される側じゃねーか? と思ったら落ち込みました、まる。
ふと思ったのだが、この世界に勇者って居るんだろうか? いたら、やばくね? 僧侶とかに浄化されちゃうんじゃね?
まぁ、俺魔王軍とかに所属してねーしダイジョーブだろ、ハハ。そもそも魔王なんて居るかも分からんしな、ハハ。
◆九十一日目
今日も今日とて俺は荒野を行く。
荒野ってだけあって、景色に代わり映えがなくつまらない。唯一、夕焼けの時だけは都会とは違って遮るものがないので素晴らしいの一言だが、それだけだ。
そのせいか知らんがマイクがヘタってきた。
「僕は頭脳派なんだ」
なんて愚痴を言っていたが、それは違うだろと言いたい。お前はとにかく体力がないだけだろってね。
まぁ、言えないんだけどさ。どーせ俺はマイクにすら劣る雑魚ですからね、けっ!
一方のアリスはというと終始俺の肩でおねんね。不意にオネショされたらどうしようとか思ったが、まぁ俺の体のほうが汚いし、むしろ綺麗になるかもしれないからいいか。
ふと思ったのだが、腕が無くなっても寝れば再生するように、風呂に入って綺麗になっても寝たら元に戻ってしまうのだろうか?
それだけは勘弁してもらいたいものだ。
***
夜になると、また昨日と同じように火を囲む。
マイクは疲れで鬱度が高まったのか、ため息を何回も吐いていたのだが、そのマイクに対してアリスが容赦なく「うるさい」と言っていたのが印象的だった。
薄々そうではないかと思っていたのだが、どうやらアリスはマイクのことが嫌いらしい。きっとオカマだからだろうな、うん。その気持はわかるよ。俺もそうだから。
アリスの容赦無い言葉にマイクは余計落ち込んでしまった。
その後、ぼそっと「ルイター大丈夫かなぁ……」と言っていたので、気絶されたまま放置してきたイケメンの事も不安に拍車をかけているのかもしれない。
あのイケメンはあの程度じゃ死ななそう感じがするし、考え過ぎだと思うんだがなぁ。地の果てまでも追ってきそうな面倒臭さを俺はアイツに感じる。
いやいや、止めとけ、俺。自らフラグ立ててどうするんだよ。
アイツはあそこで死んだ。そういう事にしておこう、うん。
◆九十二日目
今日は順調に行けば大墳墓に着くらしい。地形もただのだだっ広い荒野から、起伏の激しい峡谷地帯に変わりつつある。
暫く行くと行方を遮る大きな谷が見えてきた。一言で言えばグランドキャニオン。そんな感じの凄く大きな谷だった。
下を覗き込めば濁流が獲物を飲み込まんと荒れ狂っている。落ちたら、俺の貧弱な体など一瞬で木っ端微塵にされてしまうことだろう。
これから先どうするんだろう、渡れないじゃん――と思ってたら、此処が既に目的地だったらしい。うそーん。
「おいおい、馬鹿言っちゃいけねーぜ。何処に墓があるってんだ?」
心中でニヒルにキメながら、マイクの後を付いて少し谷沿いに歩くと、掘って作っただけの簡易階段を発見。
若干の嫌な予感を感じながらそこを降りていくと、崖に杭が刺さった場所に出た。垂直の壁にただ杭が付けられているのだ。
「は、はて? このオブジェはなんなのかね?」
とか思っていたら、これが道だと抜かしやがりましたよ、ガッデム。まぁ、本当は半ば分かってはいたが……マジで本当にそうだとは。
崖に杭が規則的に並べられているその様は、確かに道と言えなくもない。しかし、杭は長年雨風にさらされ錆び付いている上、長さも50センチほどしか無い。
正直、こんなものは道と呼ぶのもおこがましい。よくて前衛的オブジェだ。
誰が作ったんだかしらねーが中国人みたいなことしてんじゃねーよ、ガッデム。
しかし、そんなふうに思ったのは科学の進んだ前世での常識に囚われた俺だけなようで、アリスもマイクも全然動じていなかった。
「ちょっと面倒な道のりだなぁ」
挙句、マイクの漏らした言葉といえばそんなもの。
何処らへんがちょっとなんだよ。面倒どころか死の危険があるだろうが!
しかし、戦慄しているのもつかの間、マイクはさっさと一人で行ってしまった。するとそれに習って、アリス、磯女と続いて行く。
おいおいマジですかい。おれにはむりですよーぅ。
俺はビビってしまってその場に立ち尽くしていた。いくらアンデッドになって恐怖に鈍感になったとはいえ、敵と戦う恐怖とこれでは話が違いすぎる。
すると、ついて来ない俺を不思議に思ったのか、アリスが磯女越しに振り返った。
「どうしたの?」
そう言ってアリスは首を傾げる。単純に不思議がっているようだ。きっと俺が怖がっているなどとは微塵も思っていないに違いない。
でもね、逆に俺からしたら何でそんなに平然としているのかが不思議ですよ、アリスさん。そんな不安定な足場で、然も当然とばかりに振り返っちゃうなんて……どんだけ鉄のハートなんすか。
俺には無理です。
そうは思ったが、途中で異変に気がついたマイクが声をかけてくると、俺も決心を決めた。オカマ野郎にオカマ扱いされるなんて御免だからだ。
自身を奮い立たせた俺は「ええい、どうにでもなれ!」と心中で叫んで杭に足を掛けた。しかし、口は災いの元。『どうにでもなれ』という言葉が災いしたのだろう。
その足はまるでコントのようにツルリと杭を滑りやがったのですよ、ガッデム。
ジェットコースターに乗った時のように下腹部がギュルンとねじれるような感覚が起こり、俺は叫び声も上げられず奈落へと転落した。
しかし、俺もまだまだ神様に捨てられては居なかったらしい。落下したその先に僅かな出っ張りがあったのだ。
九死に一生、危機一髪。いやぁ、危なかったぜぃ。
高鳴る(ような気がする)心臓に胸を当てて気分を落ち着かせる。
上を見上げると、アリスが不安そうにこっちを見ていた。死んだとでも思ったのだろうか? まぁ、それはいいんだが、下からだとアリスさんの大事なアソコが丸見えでした、まる。
脱出の日に、いつの間にかワンピースを着ていたアリスだったが、パンツまでは用意できなかったらしい。
まぁ、とはいえ、アリスの裸なんて見慣れているし、幼女には欲情しない紳士である俺には無問題だがな。
……さぁ、現実逃避をするのは止めて、現実を見よう。
正直、今の状態ですでに死んだのも同然ですよ、ガッデム。だって、この場所はまさに陸の孤島。何処にも行けるような場所なんて無い。
まさか紐を都合よく「こんな事もあろうかと――」と出してくれるはずもないだろうし、かと言って自力で登るには高さがありすぎる。少なくとも50メートルぐらいはありそうだ。
唯一の救いとしては、俺は食事も水分補給もする必要がないということ。普通の人間だったら大変なことだが、アリスが紐を持ってくるまで気長に待つという選択肢が俺には取れるのだ。
まさか見捨てて行かないよね? という不安はあったが、アリスは「すぐに助けてあげる」と言ってくれたので一安心。
ため息を吐きつつ、面倒そうに来た道を引き返していくマイクの顔が非常にムカついたが、下手な態度をとって助けてもらえなくなっても困るので、甘んじて受け止めておくことにした。
クソゥ、なんだか最近マイクと俺の立場が逆転しているような気がするな。頑張って進化しなくてはな、うん。
そんな事を考えているうちにアリスたちはいなくなった。そうするとなんだか急に心細くなってきた。まさにロンリーボーイ。ちょっと自分が恥ずかしい。
でも、寂しさを感じるのも当然かもしれないな、と自己分析。
なんだかんだ言って、俺はこの世界に来てから一度も孤独は味わっていない。初めて目が覚めたその時にはまわりに仲間が居たし、すぐにイソメやインテリ、悪魔、そしてアリスと知り合いが増えていった。それに、日々のコロッセオでそんな事を感じる余裕もなかった。
しかし、こう一人になって考える時間が出きると、意外と情けない気持ちになるものなんだなぁ。そういえば、だいぶ前に磯女にアリスを食わせてもいいかな、なんて思ったこともあったけど、しなくてよかった。
なんてしみじみと感傷に浸っていると、不意にあることに気がついた。背中を預けている崖に穴が開いているのだ。
なんだろうと思って見回してみると、そこ以外にも穴が開いていて、それは上へと続いている。
その穴の正体はすぐに解った。
間違いなくこれは杭の跡だ。その跡がこの出っ張りに続いていた。
おそらく、昔はここに来れるように杭が打ち付けられていたに違いない。
「……?」
そうすると浮かぶ当然の疑問は、ここに繋げる意味である。何でこんな幅数十センチしか無い出っ張りに繋げる必要があったのか。何か意味がなければ、こんな所に食いを打ち込むなんていう危険な作業をするはずがない。
もしかして秘密のスイッチとかあるんじゃ!?
俺は慌てて周りを探し始めた。しかし、何処を見回しても何もない。
やっぱり、何かの手違いとかで付けた穴だったのだろうか――と半ば諦めながら、ふと下を覗いたらなんと杭が刺さってましたよ、やっふー。
上の杭とは違ってホチキス型のハシゴ状に刺さった杭だった。
どうやらこのハシゴ杭、上からは丁度見えない死角にあるようだ。出入り口付近からではこの出っ張りが邪魔で見えないが、奥に行くと今度は緩やかにカーブしている崖のせいで死角になる。この杭の存在に気がつくにはここまで降りなければいけない仕様になっているらしい。
なんだか、物凄く意味深な隠し方である。なんだか冒険心をくすぐられる。
でも、このまま此処で待ってればいずれアリスが戻ってくるはず。しかし、それは一時間後かもしれないし三日後かもしれないし、はたまた五分後かもしれない。もし入れ違いになったら大変だ。
それに、杭が下に向かっていることから、崖の上に出れるルートではないと思って間違いない。そうなると、やっぱりリスクが大きいように思える。ただ、ハシゴ状なので、落ちる心配はまず無さそうだ。そこの面では安心できる。
暫く悩んだが、結局、好奇心に勝てなかった俺は杭を降りることにした。
どうせアリスが帰ってくるのには時間かかるだろうし、何処に繋がってるか見るぐらいなら大丈夫だろ、うん。
危険があると分かっていても、行かなければならない時が男にはあるのである。
杭は風化によって内側に抉れた場所に繋がっていた。抉れに入った後は雲梯の要領で奥へと進んで行く。
正直一般人には難しい過酷なルートだった。SASUKEのセカンドステージ辺りにでもありそうな様相である。少なくとも前世の俺ではまず数秒で落ちたことだろう。しかし、今の俺は疲れを知らないアンデッド。しかも腕力は比べ物にならないほどある。
案外簡単に杭を渡りきると、その先にあったのは崖の内部へと続く横穴だった。
ヒューと風が吹き出してきているので、どっかしらと繋がっているらしい。
なんだか、お宝でも隠されてそうな洞窟だな――なんて思ったが最後。俺は気がつけば、当初の『何処に繋がってるか見る』という目的をすっかりと忘れ、洞穴の中へと足を踏み入れていた。