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閑話

 初夏に差し掛かり、太陽はより一層その勢いを増していた。ふと小屋の窓から外を見やれば憎たらしいほどの蒼穹が広がっている。

 こんな日に限って海が凪なのだからやってられないな――と僕は溜息を吐いた。


「暑い……」


 そう口に出してみるが、だからと言ってこの蒸し暑い掘っ建て看守小屋にいなければいけない事実は何も変わらない。

 低い地鳴りのような呻き声が地下階段から聞こえてくる。木製の戸で入り口は塞がれているが、腐臭がツンと鼻についた。

 この臭いだけは地下看守に配属されてから半年たった今でもなれることが出来ない。

 僕は再度小さく溜息を吐いた。

 すると、タイミングを見計らったかのように小屋の扉が勢い良くに開かれた。

 チッ! 誰だよ、めんどくせーな。

 そんなことを内心で思いながら扉に目を向けると、最近良く見るようになった顔があった。


「――って、あわわっ……!」


 その顔を見るいやいなや、僕は慌てて椅子から立ち上がって直立不動の体勢をとった。右手はまっすぐに伸ばし米神の辺りに添えて敬礼する。


「……ご苦労」


 彼の存在を知らない人間からすれば、バリトンの優しい印象の声だが、僕にとっては恐ろしい悪魔の言葉に他ならない。


「も、もったいないお言葉です、閣下」


 面倒な事が起きませんようにと必至に願いながら、なんとかそれだけを返す。

 トレードマークの豪奢な黒い外套を翻して僕の前を通り過ぎていく。やがて、扉を開けて地下へと消えて行くと、ようやく僕は息を吐きだした。

 恐ろしさと緊張で激しく動悸していた胸に手を当てて息を整えるように肩を揺らす。

 ちなみに、それは決して僕がビビリだからというわけではない。僕はどちらかと言うと勇敢な人間だ。

 クリス・インペリテリ――泣く子も黙る〝最速〟の二つ名を持つ帝国最強の魔術師。

 極限を超えた高速詠唱によって帝国魔術師の頂点に立つ世界三大魔術師の一人で、当然僕にとっては雲の上の上のような存在である。

 それだけでも僕の胸中を暗澹たるものに変えうるだけのものだったが、それよリも恐ろしかったのはまことしやかに語られる閣下の噂である。



 噂によれば、気に入らなかったものは魂を抜いてアンデッドにし、このコロッセオに入れてしまうと言われているのだ。

 僕からしてみれば粗相は無いだろうかと気が気ではない。本当にいい迷惑である。

 小屋の外では閣下の側近が見張り番をしている。無論側近も普通は見ることも叶わないような貴族だ。居心地は非常に悪かった。


「ったく……なんだってんだよ……」


 そもそも意味が分からなかいのだ。

 何故〝あの〟アンデッドに執心するのか。噂では結構な戦績で順調に進化していってはいるが、あのぐらいの戦績だったら今までもいたはずだ。種族もグールという至って普通な種族。

 あれならば、先日合体進化したあのアンデッドのほうがよっぽど稀な存在だ。強さも段違いである。これからも進化を続けていくだろうし、そっちに期待をかけるほうが普通だ。

 僕は考えれば考えるほど膨らむ疑問と心労に思わず出そうになる溜息を何とかこらえて肩を落とした。

 しかし、それも一瞬のことで直ぐに姿勢を正す。

 何処で誰が見ているのかわからない。それに閣下が地下に潜っている時間そう長くない。閣下はいつも一言二言、言葉をかけて出てくるだけだ。だから僕はいつ出て来ていいように待っていなくてはいけないのだ。

 しかし、せっかく引き締めた気分も、衝撃音によって直ぐに壊されることになった。


「な、何だ!?」


 わずかに地面が揺れ、パラパラと木片が天井から落ちる。

 衝撃音が聞こえたのは地下からだった。しかもここまで響くほどの大きな音だ。当然、側近の人間たちも何事か床屋に飛び込んできた。

 もしかして閣下に何かあったのでは……!

 仮にそうなら自分は縛り首にされてもおかしくはない。それどころか魂を捉えられてアンデッドにされるかもしれない。

 きっと今の僕の顔は真っ青な事だったことだろう。



 途中で転けそうになりながらも慌てて地下扉に駆け寄ると、勢い良く開けた。

 すると、丁度階段を閣下が何食わぬ顔で上がって来た所だった。


「か、閣下ご無事ですか!?」


 声をかけると閣下は眉を顰めた。


「何のことだ?」


「今大きな音がしましたので閣下に何かあったのではないかと……」


「なに、解錠用の鍵を持っていなかったのでな」


 まさか魔術で牢を破壊したのか?

 あまりのデタラメさに口元が引き攣るのを抑えられない。


「なんだねその顔は」


「い、いえ……元来こういう顔でして」


 空笑いをして誤魔化す。


「……まぁ、よい。そんなことよりそこは邪魔だ。どいてくれるかな」


「は、はひっ」


 裏返った声で何とか返事をすると、ネズミの如き素早さで道を開けて敬礼をする。それに合わせて側近の貴族も敬礼をした。

 すると、閣下は満足そうに頷いた後、背後を振り返った。

 そして、言った。


「さぁ、来たまえ」


 き……来たまえ?

 地下には誰も居ないはずだ。ルイターは今日は非番で今は家にいるはずだし……。

 となれば答えは一つしか無い。

 ペタリ、ペタリと言う足音と、徐々に強まる死臭。

 そしてそれは僕らの前に姿を現した。

 筋肉質の茶色い肌に、悪魔のような恐ろしい顔。赤い虚ろな双眸と鋭く並ぶ歯牙――それは紛れもなく〝あのグール〟だった。

 一気に側近たちの間に緊張が走る。

 それも当たり前のことだ。

 アンデッドには二種類ある。契約アンデッドと契約外アンデッドだ。要は自分で創りだしたか、そうではないかの違いだが、その二つには決定的な違いがある。

 契約外のアンデッドの制御には特殊な死霊魔術が必要だ。しかし、その魔術はネクロマンサー家の血統しか出来ない血継魔術なのだ。

 いかに三大魔術師と言えども自分の生み出したアンデッド以外を操ることは出来ない。

 しかし、ネクロマンサーの一人であるルイターは非番。今この場にアンデッドを操れる人間はいない。

 側近たちは素早く剣を抜き放つ。僕も遅れてそれに倣った。


「閣下、お下がりください!」


 側近の一人が叫ぶ。

 しかし、閣下は少しも慌てること無く手で制した。


「剣を下げよ。誰が許可をした?」


「で、ですがアンデッドが!」


「よい。彼は私の――」


 言葉をわずかに言い淀んでから、言った。


「――友人だ」


「ゆ、友人……ですか?」


「そうだ。貴様は我が友に剣を向けているのだ。その意味が分かるだろう?」


「で、ですがアンデッドは血肉に飢えた理性無き亡者。何をするか――」


「彼は例外だ。もし貴様の言う通り理性がないのなら何故今彼は襲ってこない」


「そ、それは……」


 閣下の強い口調に側近はたじろいだ。


「……直ぐに剣を下げたまえ」


 次の言葉はないとばかりに閣下は言い切った。

 側近たちはその勢いに押されて直ぐ様剣を鞘に収めた。

 僕はただ呆然と立ち尽くしていたのだが、全員の視線が一斉に集まった。

 ん……? はて、僕はなにか悪いことでもしただろうか?

 真剣にそう考えていたのだが、側近の視線で分かった。ああ、僕は剣を構えたまんまだったと。


「あわわ! すみません!」


 少し遅れて僕もも鞘に戻そうとしたが、緊張の汗で手がすべり剣を床に落してしまった。

 慌てて謝罪の言葉を上げて拾い鞘に戻そうとするが、どうもうまくいかない。慌てれば慌てるほど、なんてことない簡単なことのはずなのに、出来ない。 

 どうなってんだよぉ!

 内心で叫びながら、剣を捏ねていると、ついに痺れを切らしたのだろう。頭上から冷ややかな声が掛けられた。


「……君、名前は?」


 頭を上げると、閣下は直ぐ目の前で見下ろしていた。


「マ、マイクと、申し……まふ」


 涙目になりながらそう絞り出した僕に閣下は静かに二度頷いた。

 そしてニコリと微笑を浮かばせる。

 もしかして――と馬鹿な希望が頭を過る。しかし、案の定その言葉は非情なものだった。


「ふむ、私と一緒に来たまえ。君には罰が必要だ」 



   ***



 高級な匂いがした。

 実際にはそんなことがあるわけではないのだが、そう思えてならない。

 金ピカの置物に、複雑な模様の入ったツボ。大理石の長く広い廊下に、彫刻の掘られた壁と天井。地面に引かれた真っ赤なベルベットカーペットは信じられないほどフカフカで足音さえしない。

 ただの廊下なのに僕が今まで見てきたものとは全然質が違っていた。

 その豪華さに僕は圧倒されるばかりである。ふとグールを覗き見ると心なしかグールも物珍しそうにしていた。

 暫くして大きな扉の前にたどり着くと、扉に待機していたメイドがそつのない動きで扉を開けた。顔にはにこやかな笑みを浮べている。

 扉が開かれると、閣下が部屋に入っていった。

 それに続いてあのグールが足を踏み出す。しかしメイドの前あたりで一旦歩みを止めるとメイドに向き直り、そして突然前かがみになった。

 いきなりのことにさすがのメイドも小さく悲鳴をあげて表情を歪ませた。

 まさか襲う気か!? そう思って僕は身構えたのだが、拍子抜けなほどにグールは直ぐに体勢を戻し、さっさと部屋の中へ入っていってしまった。

 思わず、僕とメイドは互いに顔を見合わせて目をパチクリさせる。

 まるで、僕らをおちょくっているかのようだ。


「何をしている。さっさと入り給え」


 視線を中へ向けると閣下は既に執務デスクの椅子に座っていた。グールも対面のソファに図々しく座っている。


「た、只今!」


 僕は返事をすると慌てて中へ入るとなるべくグールから離れるようにしてソファに座った。

 すると、閣下が低い声を出した。


「君は何故ここに呼ばれたのかわかっているのかね? 何故、許可もなく私のソファに座っているのだ?」


「ひ、ひはっ、すみません!」


 僕は飛び上がるようにして立ち上がった。

 やばい……これはやばい。閣下の仰るとおりだ。

 生まれて初めての高級感に当てられて勘違いしていた。所詮僕は下賎な生まれの人間にすぎない。本来ならこうやって言葉を交わすどころか、直視することすら許されないような御方なのだ。


「……君は暫くそこで立っていろ」


「はひっ!」


 素っ頓狂な声で返事をすると、直立不動の体勢をとる。

 すると、示し合わせたかのように執務室の扉が叩かれた。正面を向いているので分からないが、声からしてメイドのようだ。



 僕の横にたってメイドを盗み見ると、案の定入ってきたのはメイドだった。ただしさっきとは違うメイドだった。

 メイドはお茶とお菓子を持ってきたようだ。そつのない動きでお茶を入れだしたのだが、ふと視線を上げるとグールと目が合ってしまったらしい。

 メイドは見て悲鳴を上げると、お茶を盛大にぶちかました。

 跳んだお茶は僕に飛んできた。非情に熱かったがこれも罰だと思って我慢する。

 メイドは世界の終わりのような表情で慌てふためいて謝罪した。

 幸い閣下にはかからなかった為、なんとかメイドは許してもらえ、逃げるようにメイドは出ていった。


「さて……邪魔が入ったがそろそろ話を始めようか」


 閣下は椅子に深く座り込みながら言った。その視線は僕ではなくグールに向かっている。

 ここまで理性のある様子を目の当たりにしてきても、言葉が通じるとは僕にはどうも信じがたかった。



 僕は一応、地下監獄の看守だ。このグールの様子も何回も見てきた。確かに人間の子供を襲わなかったり、人間の真似をしてトレーニングのようなことをしているところから普通とは違うようではあるけれど、だからと言ってこんな下等生物に言葉が通じるとは思えない。

 常人なら、たまたま凶暴性の低かった個体で、時々見せるおかしな行動はただ単に猿まねしているにすぎないと思うだろう。僕も勿論そう思っていた。

 けれど閣下はそうは思っていないということらしい。

 僕は内心閣下を馬鹿にしながら耳を傾けた。


「私は君に我々人間と同じ程の知能があると思っている。君自身はどう思う?」


 閣下は静かにそう問いかける。

 しかしグールは何の反応もしない。なんだ、やっぱりこんなものか。

 僕は内心あざ笑った。

 すると、そんな僕の考えを読んだかのようにタイミング良くグールの野郎は頷いた。しかもちらりと僕を見るというフザけたことまでしてくれた。



 なるほど、やはりこいつには理性があるのかもしれない。人間様をおちょくるとはいい度胸である。

 いつもの僕ならギッタンギッタンにしているところだが、閣下の前なので仕方なく自重する。

 寛大な僕の心に感謝するがいい!

 心のなかでグールをギッタンギッタンにしていると、いつの間にか会話は過ぎ去り、いつの間にか筆談になっていた。

 正確には閣下が喋り、グールが文字を書くのである。今更だが、あの理性無き怪物がペンで文字を書く姿は何ともシュールな光景だった。

 背伸びをしてその文字を盗み見てみる。すると、見たこともないごちゃごちゃした文字が書かれていた。

 それを見た閣下は険しそうな表情で腕を組んでいた。


「ふむ、どこかで見たことがある文字なのだが……君はなにか知っているかね?」


「へ? あ、いや私も見たことがありませぬっ」 


「……そうか。まぁ、いずれ彼が進化して会話ができるようになれば分かることだが、私の方でも調べておくとしよう」


 一旦言葉を止めてから続ける。


「さて――そろそろ本題に入ろうか」


 机に両肘を付き、顔の前で手を組んだ。

 鋭い怜悧な瞳が一層険しくなった


「……君は知らないとは思うが、君の活躍で客の入りが良くてね、国内でも評判になっている。それ自体は喜ばしいことだ。しかし、そのせいで王都から様々な方が見えることになったのだよ。そして先日の君の闘技をご覧になられた」


 ……なるほど。僕は閣下が言い終わる前に状況がわかってしまった。

 この前の集団戦――つまりこのグールがマミーから進化することになった試合だ。

 あの試合は偉い魔術師達の問題になったらしい。接待で向かったルイターが珍しく愚痴をこぼしていたから覚えている。


「ネクロマンサーという魔術師が居る。彼らはその名の通り死霊魔術師であり、この闘技場においてはアンデッド制御の役を担っている。言うまでもないが、そんな貴重な魔術師であるからこの帝国においても高い地位を持った人間が存在する。イングヴェイという魔術師もその一人で、君の試合を見に来ていた。イングヴェイが見たのは君が戦った〝六対六の集団戦〟だ。」


 そこまで行って一旦言葉を止めてから続ける。


「しかし、君はそのイングヴェイの前で最もしてはいけないことをしてしまった。〝死霊魔術を無視〟だよ……これはネクロマンサー達の存在意義を揺るがす自体になりかねない。それゆえ、ネクロマンサーとしては君という存在そのものを認めることが出来ないのだ。私が何を言いたいのか分かるかね?」


 僕には何が言いたいのかよく分からなかったが、グールも同じだったらしく、は暫し間をおいてから首を傾げた。

 そんなグールに閣下はゆっくりと口を開いた。


「私はこう言っているのだ。君に――この世から消えてもらいたい、とね」


 その言葉が静かに執務室に響き渡った。

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