図書室
一応ジャンルは推理にしましたが、微妙です・・・
100%妄想の産物です。
今、僕は走っている。頭の中では今日までの一週間の断片を並べたような映像が再生されている。
僕の居場所、図書室。高校に入学してから昼休みはずっとこの場所で過ごしている。グラウンドが見える窓際の一番奥が僕の席だ。図書室にはあまり人が来ないから、その席が取られることはない。でも夏休み前はごった返す。宿題に読書が出るからだ。僕はいつも本を読んでいるから、これが宿題になる意味はわからないが、みんな比較的薄くて、字の大きい本を借りていく。図書室に活気が出るのはこのときだけだ。
ちょうど一ヶ月ほど前、その彼女は現れた。いつもの僕の席に座っていた。その席に自分の名前をマーキングしているわけではないので、誰が座ってもおかしくはないのだが、図書室に僕みたいなやつが一人増えたことにすこし驚いた。僕は仕方なく、別の席に座って、いつものように本を読み始めた。『99番目の殺人』。僕が読んでいた本のタイトルだ。登場人物である刑事の親しみやすさからこのシリーズが好きだ。僕は本を読みながら、推理をする。犯人はこの女だ。まったくの勘であるが、僕の勘は良くあたるのだ。ちらっと時計を見るともう授業が始まりそうな時間だった。ふとあの席を見た。彼女はもう教室に帰ったようだ。僕も急がないと。
昼休みに図書室を利用することが多いが、たまに放課後に利用することもある。本の続きを早く読みたいときなどに多い。今日はその日だ。あの席に座って読む。かすかにグラウンドの野球部のかけ声とブラスバンドの下手な音色とカラスの声が混ざって聞こえる。図書室がオレンジ色に照らされる。しばらくすると下校のなんとなく悲しい音楽が流れ始める。そろそろ帰ろう。僕は席を立った。勘は外れた。犯人は男だった。
それは知らないうちに僕の心に芽生えた。あの彼女のことだ。あの日から昼休みにはいつもいる。僕はいつもどおり本を読んでいるが、一向に話は進展しない。僕が読むことに集中できていないからだ。まだ事件すら起こっていない。あの彼女に話しかけたかった。どんな人なのか知りたかった。何を読んでいるか知りたかった。その決心がついたのが一週間前だった。
「君もいつもここにいるね。」
思い切って口に出した。彼女は表情を変えなかったが、小さくうなずいた。何か言葉を返してくれると思ったから、このあと数秒、沈黙が続いた。
「何を読んでいるの?」
すると彼女は表紙をこちら側に向けた。『あなたのために生きたい』純愛ものか。やっぱり女の子はそういうのが好きなんだな。でもまた沈黙。そういえば、まだこの彼女の声を聞いていない。無口なのだろか。まあ、そんなことどうでもいいが。
「何年生?」
するとやっと彼女は口を開いた。
「現実はこの小説の世界に比べると、全然おもしろくない。私はできれば、小説の中で生まれたかった。こうやって現実を忘れて、文字の羅列から感じるイメージに浸るのが好きなの。あなたもそうでしょ。」
僕はちょっと、いや、かなり戸惑ったが、「うん。」とシンプルに返事をした。そして、彼女は、「学年はあなたと同じよ。」と付け足すように言った。変なやつだ。第一印象はそうだった。
次の日から、彼女のほうからは決して話しては来なかったが、僕が話しかけると、いろいろと話をした。やはり変わった内容ではあったが。
「ねえ、私たちが生きる意味って何だと思う?私にはわからない。そりゃすごい人気がある芸能人とか何かモノを作っている人とかさ、いなくちゃいけない人っているじゃない?でも私は何のためにいるんだろうって考えてみたんだ。意味なんてないのよね。ただ変化のない日常と一緒に流れていくだけ、なんかおもしろくない。」
「この小説の作者は何を伝えたかったんだと思う?賞をとったらしいけど、私には意味のない文章にしか見えない。有名な絵画だってそう、どこがすごいのかわからないのに高値がついたりする。ただ作者が有名だからとか貴重で一点しかないとか、それって本当に芸術って言えるのかな?世の中わからないことだらけよね。」
僕はほとんど「うん」しか言えなかった。でも僕は彼女が語ることの面白さを感じ取っていった。そのうちに変だとしか思えなかった彼女と会話できるようになっていった。なんだか嬉しかった。でも彼女はそうでもないようだった。
ある日の帰り際、彼女は僕にこう言った。
「もう疲れたわ。消えてしまいたい。」
正確には僕に言ったのではないのかもしれない。風で消えてしまいそうな小さな独り言だったのかもしれない。そして彼女は僕に紙を渡した。
「そういえば、あなた、推理小説が好きなんでしょ。私、暗号文を作ったの。解いて見せてよ。明日からの休みで解いて、月曜日に教えてよ。」
「そんなこと言われても・・・」
「約束ね。」
「うん・・・」
アテインナゴタクタヘキ
タノビイダタチニマメス
やっぱり変わったやつだ。何を考えているのかわからない。ここ数日、不思議な時間を過ごしていたと思う。でもなんだか楽しくもあった。というのも今まで図書室で隠れるようにただ本を読んで過ごしてきたのだから。やっぱり現実は小説の世界に比べるとおもしろくない。彼女の言うとおりだ。今日は曇りで、夕日は隠れたままだ。ぼんやりと彼女を思い浮かべながら、いつもの帰り道を歩いた。
休みの間、僕は暗号とにらめっこしていた。はっきりいってわかるわけがない。それに本当に暗号なのだろうか。アテインナ・・・読んでるだけで気持ち悪くなりそうな文字の羅列だ。たてに読むのか?アタテノ・・・違う。逆から?スメマニ・・・ああ、やめた。降参するか。僕は推理小説は好きだが、探偵でも刑事でもないのだから。
月曜日の昼休み、彼女は図書室にいなかった。僕はあの席に座ってあの紙を取り出した。結局わからなかった。彼女は何か伝えたかったのだろうか、それともただのお遊びか。彼女がいない図書室は久しぶりの感じがした。僕は高校に入学してから、ずっと一人の時間を過ごした。そして一ヶ月前に彼女が現れて、一週間前に話をした。ただそれだけで、僕はうれしかった。彼女はこの世界はつまらないと言う、僕もそう思っていたが、今は違う。たった一週間前に始まったこの時間が今は愛しくて仕方がなかった。やはり人間は一人では生きていけないのだ。そう僕も彼女も孤独を半分ずつに分け合ったのだと思う。今、この空間にいて、それがわかる。
・・・ん?半分?そうだ、半分にしてみればいいのか?この暗号文をひとつ飛ばしに読んでみよう。アイナタタキノ・・・やっぱり違うか。今度は逆に先の文字を消すと・・・
そして僕は走っているのだ。学校中探し回った。あとは屋上だ。はっきり言って、そこにいる可能性は高い。いや、まだ彼女がこの世に存在していればの話だが。今まで屋上に行ったことはないし、これほどたくさんの階段を上ったこともないし、ここまで息が切れることも最近ではない。やっとたどり着いた。屋上の扉を開けると、そこに彼女はいた。間に合った。
息が苦しくて言葉がなかなか出ない。やっとかすかに言葉が出た。
「天国に旅立ちます」
そうこれが暗号の答えだったんだ。彼女は表情を変えなかった。今考えてみると彼女の台詞にはこれをほのめかすような箇所がいたるところにあった。そして、この前の別れ際の台詞。彼女はきっとこの世界に失望していたんだ。僕みたいなちっぽけな人間では彼女を救えなかった。彼女の後ろにはオレンジ色に照らされた町がフェンス越しに見える。彼女は口を開いた。
「本当にこの世界はおもしろくない。私はね、小説以外にもうひとつ好きなものがあるの、それは夢。寝ているときに見ている夢。」
何を言い出すんだ。でも僕はただ聞いていた。
「夢も小説と似たものだけど、ひとつだけ違うところがある。自分もそれに参加できるところ。夢の中では私が登場人物で不思議な世界に生きることができる。まさに夢のような場所よね。」
「それを永遠に手に入れようとしたんだね。」
「そうね。本当にそうなるかはわからないけど、今のこの世界にいるよりはましよ。」
そして沈黙が続いた。あの日よりもっと緊張感を帯びて。
「でもさすがね。ちゃんと暗号を解いてきたんだね。まあ、簡単だったか。そうよ、私はそのつもりだった。」
「え?つもりだった?」
「やっぱりやめたわ。気が変わった。」
まだすこし息が切れている。あの暗号文はぐしゃぐしゃになって僕の手に握られている。
「やめたって・・・」
「私は私が生きる意味をひとつだけ見つけたの。」
「・・・」
「ねえ、私がそんな簡単な暗号の問題を出すと思う?」
「え?」
「その答えを導き出すために消した文字を並び替えてみて。」
僕はぐしゃぐしゃになった紙を広げて、その消された文字たちを文章になるように並び替えた。それがわかったとき、僕はため息をついて、その場にひざをついた。
「君は本当に変わったやつだ。」
彼女はオレンジの町を背にして微笑んだ。
僕はこれまで生きてきた中で一番美しい光景を見た気がした。