エダ
二月二十四日、クリスマスイブの夜。街中のイルミネーションが輝く中、人々は足早にプレゼントの山を抱えて、各々の家族の元へと帰って行くと、街はゴーストタウンの様に静まり返った。
シンシンと降り積もる雪の音と、時折通るタクシーの音だけが街には響く。それに比例するかの様に、家の中は賑やかな笑い声で騒がしく、沢山の人で溢れ返っていた。それが田舎町ともなれば、尚更だ。街中から掻き集めたかの様に、親類達が本当の我が家へと戻って来る。それはあの教会の在る港町も同じだ。
本宅の中では、エダが忙しそうにクリスマスを祝う料理の準備をしていた。鳥の丸焼きをオーブンの中から取り出すと、回りを色とりどりの野菜で飾り付ける。色々なポテト料理を作ったり、スープを温めたりと、キッチンの中は戦場だ。
リビングではヘーニルが、楽しそうにクリスマスツリーの飾り付けをしていた。オージンは大きな食卓テーブルの上に食器とグラスを置き、食卓の上を鮮やかに、飾り付けをしている。赤いクロスの上にお皿とナイフ、ホォーク、それにスプーンを置くと、その横には細かいガラス細工の施された、ワイングラスを置く。食卓の上二か所にスタンドキャンドルを置くと、お皿の上に順に黒い薔薇を一輪ずつ置いていった。
そんなオージンをカラカウ様に、ロキはクククッと笑いながら、食卓テーブルの上に腰掛ける。
「趣味が悪いなぁ~君は。鮮やかさが欠けるているよぉ~。もっとカラフルにしたらどうだい?ヘーニルのクリスマスツリーみたいにさぁ。」
そう言って指差すクリスマスツリーは、赤や青、黄色や紫と言った、色んな色の飾りや物で、ごちゃ混ぜに飾り付けられている。
「あれは統一性が無さ過ぎる。なんでトイレットペーパーを、ツリーに巻き付けているんだ?」
「雪のつもりらしいよう?」
オージンは呆れた顔をすると、食卓の上に座るロキを、邪魔そうに手で押し退けた。
「お前は、少しは手伝え。」
その場でフラフラとしているだけで、何もしていなかったロキに、オージンが少し怒り気味に言うと、ロキは「はいはい。」と適当に返事をし、リビングに移動した。
ロキはリビングのテーブルの上に置いて有った、フルーツバスケットを手に取ると、それを食卓の真ん中へと置き自慢げに微笑む。
「どうだい?こうしたら、少しは鮮やかになるだろう?君の趣味は相変わらず陰気臭いんだよぅ。それに、レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた最後の晩餐の絵図の様で、クリスマスらしい。」
「最後の晩餐に、フルーツバスケットは描かれておりません。そもそもクリスマスは、キリストの降誕を祝う日です。それに真ん中は、チキンの指定席となっておりますので、邪魔なのでさっさと退かして下さい。」
得意気な顔をしていたロキに、エダが両手に大きな鳥の丸焼きの乗ったお皿を持ちながら、冷めた口調で言うと、ロキは一瞬口元を引き攣らせた。
「そ・・・そうだったかなぁ?オレンジは描かれていたよねぇ・・・。」
慌ててフルーツバスケットと退かすと、その場所にドカリと鳥の丸焼きが置かれた。
「オージン様、お皿の上の薔薇を片付けておいて下さいね。不衛生の上に邪魔です。」
「え・・・?いやだが、食卓に花が有った方が鮮やかだろう。」
「でしたら、お皿の上以外の場所に飾り付けて下さい。グラスの中も駄目ですよ?あぁ・・・その辺にでも置いとけばよろしいでは有りませんか。」
そう言い残し、エダはそのままキッチンへと戻ると、オージンは残念そうな顔をしながら、お皿の上の黒い薔薇を、一輪一輪手お皿の横に移動させた。
「あ~あぁ・・・。お互い怒られてしまったねぇ。」
ロキは詰らなさそうな顔をすると、フルーツバスケットを食卓の隅に置き、中に入っていた林檎をシャリシャリと食べ始めた。そんなロキに、オージンはまた呆れた顔をする。
「だからお前も手伝え!そもそもクリスマスパーティーをやろうと言い出したのは、お前だろ。また下らない事を言い出して・・・。」
「だって面白そうじゃないかぁ。そもそもクリスマスって言うのは、クリスチャンのイベントだろう?それをキリスト教徒以外の者達が、プレゼントが貰える日やら、御馳走が食べられる日と都合のいい様に解釈をして、信者でも無い癖に参加している。それを逆手に、企業は商売までしている。本来のクリスマスの意味なんて物も知らずに、ロマンチックで素敵な聖夜・・・なぁ~んて戯言を言う恋人同士は特に傑作だぁ。私もその面白可笑しいパーティーを、体験してみたかっただけだよぅ。」
そう言って薔薇を一輪手にすると、その薔薇にキスをし、クククッと可笑しそうに笑った。
「それが時代の流れと言う物だ。本来の意のままに、未だ正式に祝う者も居るし、プレゼントは愛を贈る日とされている。」
オージンはロキから薔薇を取り上げると、そっとお皿の横に置いた。
「愛ねぇ~。その愛を上手く利用している玩具屋さんや宝石屋さんは、実に素晴らしいねぇ。儲かっちゃってぇ・・・儲かっちゃって。愛の重さは札束の重さってとこかな?人間は何かと金銭で価値を決めたがる。」
クククッと不適にロキが笑っていると、キッチンから大きなワンホールのケーキを持ったエダが、再び食卓へとやって来た。
「でしたらケーキ屋さんも素晴らしく儲かっておりましね。その企業策略にまんまとハマッたオージン様は、実に素晴らしいでは有りませんか。」
そう言ってケーキを食卓の上に載せると、ケーキを指差した。
「こちらのゴウジャスなクリスマスケーキ、オージン様が用意をして下さりました。神様がなに人間の商法に踊らされているのですか・・・全く・・・。」
ロキはチラリとオージンの顔を見ると、軽く溜息を吐いた。
「・・・君、何気に楽しみだったりするのかい?」
「ちっ違う!せっかくやるのならば、豪勢にと思っただけだ!それに・・・その、あの店のケーキは、美味いからな。」
恥ずかしそうにロキから顔を背けると、足早にキッチンの方へと向かい、冷蔵庫の中からシャンパンを取り出した。シャンパンをドカッと食卓の上に置くと、ニヤリと笑い、素っ気ない顔をしているロキに向かって言った。
「お前こそ、クリスマス商法に踊らされているじゃないか。このシャンパンは何だ?俗に言うピンドンだろ!」
するとロキは、首を横に傾げて眉を寄せた。
「私はそんな物を購入した覚えは無いよぉ?私が購入したのは、この美味しそうに焼けたチキン位だ。クリスマスにチキンは付き物だと聞いたからねぇ。」
「お前じゃないのか?」
オージンは不思議そうに首を傾げると、リビングでまだツリーの飾り付けをしていた、ヘーニルを見た。
「なら、ヘーニルが購入したのか?」
「ヘーニルがそんな物購入する訳ないだろう?彼に人間の物の価値は、理解出来ないんだからさぁ。」
「だったら誰だ?」
「さぁ・・・?」
2人して首を傾げていると、食卓の上に置かれたシャンパンを、エダがヒョイッと持ち上げた。
「これはぬこさんが購入した物です。ですから皆様は、残念ながら一口も飲めませんよ。勝手に取り出さないで下さい。」
エダはそのままシャンパンを冷蔵庫に戻しに行ってしまうと、ロキはケラケラと可笑しそうに、大声で笑い出した。
「ハハハハハッ!オージン、残念だったねぇ~。せっかく私に仕返しをしようとしたのに、とんだ勘違いだぁ!」
オージンはグッと拳を強く握り締めると、悔しそうにしながらも、空振りに終わってしまった事への、恥ずかしさが込み上げて来る。そのやり場の無い思いを、ヘーニルに奴当たりでもする様に、いつまでも飾り付けをしていたヘーニルに怒鳴り付けた。
「おいっ!ヘーニル!いつまでも飾り付けをしていないで、ぬこさんでも呼びに行って来い!もう料理が出来上がったぞっ!」
トイレットペーパーをグルグルとツリーに巻き付けていたヘーニルは、慌ててオージン達の元へと行くと、食卓の上に載った料理を嬉しそうに見つめた。
「ああっ!本当だ、もう出来たんだねっ!・・・でも・・・僕がぬこさんを呼びに行くの?嫌だなぁ・・・僕ぬこさん苦手なんだけど・・・。」
嬉しそうな顔から一転して、ションボリとするヘーニルに、オージンは更に言った。
「エダは料理を運ぶのに忙しいからな。俺はまだ食卓のセッティングを終えていないし、ロキはぬこさんが誰より苦手だ。だから、お前が行って来い。」
「そんなぁ!僕だってぬこさんは苦手だよ!」
「ぬこさんが苦手じゃないのは、エダだけだろう?皆苦手なんだよぉ~。ユグドラシルの猫の中でも、ぬこさんの性格は特殊だから。」
今までケラケラと笑っていたロキも、少し嫌そうな顔をすると、ヘーニルは更に嫌そうな顔をした。
「だったらロキも一緒に行こうよ!暇そうにしてるじゃないか。2人で行けば、怖くないよ、うん!」
「私はパスだねぇ・・・。何て言うか・・・あのオヤジ臭い部屋に入ると、ゾッとするんだよぉ。」
そう言って両肩を抱き、小刻みに震えるロキの姿に、ヘーニルは仕方なさそうに頷くと、トボトボと廊下へと出て行った。
廊下から階段を上がると、幾つもの似た様な部屋のドアが有り、その中の『ぬこ』と書かれた、ネームプレートがぶら下げられているドアの前まで行くと、ヘーニルは深い溜息を吐いた。
二階は廊下が一直線に伸びており、その左右に幾つもの部屋が有る。その中の殆どは空室だったが、時たまぶら下っているネームプレートの有る部屋には、ユグドラシルに生息をしている動物達が暮らしていた。動物と言っても、ペットとして居る訳では無く、オージンに仕える動物の休憩場であったり、薬や魔術に使う為の材料として居る物ばかりだ。
『ぬこさん』と呼ばれていたユグドラシルの猫は、ロキ達がエダのお土産にと持って来た物で、エダはその猫をとても気に入り、『ぬこ』と言う名前を付け、ペットと言うよりは友人として接していた。
ユグドラシルの猫は地上の猫とは違い、とても賢く、意思の疎通が出来る。言葉は喋らないが、相手の言う事が分かり、二本脚で立って歩く猫だ。
ヘーニルはコンコンッとドアを軽くノックをすると、恐る恐る少しだけドアを開けた。
「えっと・・・ぬこさん・・・。クリスマスパーティーの準備が出来たよ。」
部屋の中からはテレビの音が聞こえ、そっと中を覗いてみると、ソファーに胡坐を掻きながら座る、ぬこさんの姿が在った。その傍らに置かれた小さなテーブルの上には、ウィスキーとグラスと灰皿が置かれており、ぬこさんは葉巻を吸いながら、新聞と赤ペンを片手に、競馬の実況中継を見ている。何とも人間臭く、ハードボイルな猫だ。
ぬこさんは、フゥ~と葉巻の煙を吹かすと、険しい表情でドアの方を振り向いた。
「あの・・・。」
恐る恐るまたヘーニルが声を掛けると、ぬこさんは無言で、葉巻を持った手でシッシッと手を振り、ヘーニルに向こうへ行く様に促す。ヘーニルはそっとドアを閉めると、ガックシと首をうな垂れさせながら、皆の居る一階へと戻って行った。
トボトボと食卓へとやって来ると、ヘーニルは力無く、食卓の上にナプキンを並べているオージンに報告する。
「ぬこさんは、参加しないそうだよ・・・。」
オージンはナプキンを並び終えると、「そうか。」と一言だけ返事をした。ロキは安心をした様子で言う。
「不参加かぁ。なら仕方が無いねぇ。私達だけで楽しもう。」
心成しかどこか嬉しそうな顔をしていると、エダが不機嫌そうな顔で、料理を次々と食卓の上に並べた。
「ぬこさん不在でクリスマスパーティーですか・・・。退屈この上ないですね。」
「エダは本当に、ぬこさんがお気に入りなんだな。」
オージンが運ばれて来た料理を、几帳面に見栄え良く並べ直しながら言うと、エダは「ええ、気が合いますので。」と言い頷いた。
エダは食卓の上に置かれた、二つのスタンドキャンドルに火を灯すと、全員椅子に座った。
長方形の大きな食卓には、真っ白なテーブルクロスが覆い被せられ、それぞれの席の前には小さな赤い食卓クロスが敷かれており、その横に黒い色のした薔薇の花が一輪。両サイドには、三本の長いロウソクが立てられた、スタンドキャンドルが置かれている。その周りには沢山の料理と、大きなクリスマスケーキに彩られた鳥の丸焼き。エダとヘーニルが隣同士に座り、向かい側にはロキとオージンが隣同士に座る。
ロキは目の前の光景をキョロキョロと見渡すと、ムスッと不満そうな顔をした。
「なんか・・・暗くないかい?パーティーって言う位なんだから、もっと華やかな物をイメージしていたんだけどねぇ・・・。やはりオージンに食卓の飾り付けをさせたのが、間違いだったんじゃないかい?」
ロキに指摘をされたオージンも、不満そうな顔をして言った。
「高級レストランをイメージして、飾り付けをしたんだ。VIP風クリスマスだ。」
「それにしても、確かにロキ様の言う通り暗いですね。黒魔術でも始めるかの様な雰囲気ですが・・・やはりオージン様が魔術をお使いになられるから、この様な根暗な飾り付けなのでしょうか?」
エダにまで駄目だしをされると、オージンは微かに口元を引き攣らせながら反論をした。
「大人のクリスマスパーティーだからな、こう・・・シックに纏めたんだ。それに、俺だっって始めてなんだから、仕方が無いだろう。文句を言うなら、初めからエダに任せておけばよかったんじゃないのか?」
「残念ながら、私はずっと修道院に居りましたので・・・。こう言ったファミリーパーティーと言う物は、存じ上げません。修道院を出てからは、クリスマス等祝った事も有りませんし。」
サラリとエダが言い返すと、オージンはこれ以上何も言えずに、黙り込んでしまった。その場がシン・・・と静まり返ると、そんな白けた場の雰囲気を和まそうと、ヘーニルは必死に笑顔で明るく言う。
「そうだ!シャンパンが無いからいけないんだよ!ほら、シャンパンで乾杯をして、ワインで朝まで飲み明かすって聞いたよ?せっかくグラスが置いて有るのに、お酒が無いよ!」
ヘーニルの言葉を聞き、ロキもふと食卓の上を見渡すと、確かにお酒が置いて無い事に気が付いた。
「あぁ・・・そう言えば、酒が無いねぇ・・・。パーティーに必需品の酒が無ければ、盛り上がりもしないよぉ。誰も用意をしなかったのかい?」
お互いに顔を見合わせ出すと、皆して首を傾げた。
「俺はケーキを用意したからな、他の者が用意をしていると思っていたが。」
「僕はツリーの用意担当だったから、ロキが用意をしていたんじゃないの?」
「私は料理を作るのに忙しかったので、そこまで手は周りません。当然、皆様の誰かが用意をして下さっているとばかり思っておりましたが?」
一斉にロキの方を向くと、ロキは少し焦りながら答えた。
「えぇ?私かい?私は・・・確かに何もしていないけれど・・・チキンは用意したよぉ。」
皆して一斉に溜息を吐くと、グダグダ加減にウンザリとする。
「あぁ!ピンドンが有るじゃなかぁ~!」
ロキが思い出した様に言うと、エダは厳しい表情をさせ、キッパリと言い放った。
「あれはぬこさんの物です!手を付ける事は、例え神であろうと私が許しません!」
「あぁ・・・そうだねぇ・・・。」
ロキは少し残念そうにすると、またその場はシン・・・と静まり返ってしまう。
エダは仕方なさそうに席を立つと、リビングへと行き、ソファーに置いてあったコートと財布を手にした。
「私が今から買いに行って参りますので、皆様はくれぐれも!摘み食いをしない様、お待ち下さい。」
ヒョッコリと食卓の方に顔を出しながら言うと、三人は大きく頷いた。
「あぁ、俺が見張っているよ。すまないな、エダ。」
オージンがロキの両手をガッシリと掴んで言うと、エダは満足そうに頷いた。
「何故私だけ疑うんだい?ヘーニルだって摘み食いをしそうじゃないかい。」
不満そうに言うロキを無視し、オージンは無言でじっとヘーニルの顔を見つめた。ヘーニルはニッコリと笑うと、無言で何度も頷き、了承した事を訴える。
エダはコートを羽織り、玄関へと向かった。地下室へと通じる出入口ではなく、正式な家の出入口の玄関の方だ。地下への通路は、人目を避ける為に使っているだけだった為、普段の生活では普通に家の玄関を使っている。
玄関を出ると、冷たい雪風が吹き付けた。外は静寂と雪に包まれ、ネオンだけがチカチカと光っていた。出歩く者の姿も無く、家の中とはまるで別世界の様だ。それぞれの家の中の灯りは暖かく燈っているが、外の灯りは冷たく燈っている。仕切りでも敷かれた様な温度差の町中であったが、エダは気にする事無く酒屋へと向かい、凍り付いた道を歩いた。
酒屋へと到着をすると、適当にシャンパンとワインを数本購入した。クリスマスイブなだけ有り、酒屋はいつも以上に品物を揃えて営業をしている。これが二十五日となると、流石に酒屋も休みだっただろうと思い、エダは少し安心をした。
「全く・・・世話の焼ける神様達ですねぇ。その上馬鹿で参ります。イギリスのクリスマス当日は、交通機関も停止してしまうと言うのに・・・。今日がイヴで本当に助かりました。カートも貸して頂けましたし。」
エダは酒屋から、お酒を運ぶ為のカートを借りると、ブツブツと小言を言いながら、家へと向かった。所々道が凍っている為、カートのタイヤがツルツルと滑り、上手くカートをコントロールしながら進む。
家から酒屋までは然程遠くは無かったが、道が凍っているせいで、中々思う様に前へと進まない。エダは少し苛立ちながらも、言う事を聞かないカートを押していると、建物の隙間からこっそりと覗き込み、家の様子を窺っている人影を見付けた。不思議そうに首を傾げると、そっと静かにその人影に近づく。
真っ黒なコートを身に纏い、コートのフードを頭にスッポリと被り、人目を気にしながら家の様子を窺っている人物は、とても小柄で子供の様だった。エダはゆっくりと近づくと、そっとその者の肩を叩いた。すると黒いコートを着た人物は、エダに肩を叩かれ驚くと、一瞬体がビクリと跳ね上がり、慌てて後ろを振り返る。
「貴女・・・あの教会のシスター?」
驚いた顔をして言って来る人物に、エダは何の反応も無く答えた。
「元シスターです。こんな所で何をなさっているのですか?グレイス。覗きの趣味でも?」
振り返ったその顔は、グレイスだった。
「別に、覗きの趣味なんか無いわよ。教会の方に行ったけど、誰も居なかったから・・・。そしたらオージンのワタリガラスが、此処まで案内してくれたのよ。でもちょっと人目が気になって、中々玄関まで行けなかったから、様子を窺っていただけよ。」
「あぁそうでしたか。皆さん今は本宅の方にいらっしゃるので、本日教会は休業です。よろしければ、ご一緒に行きましょうか?私と一緒ならば、多少は平気でしょうし。それに・・・。」
そう言って、エダはカートの上に大量に載せられたお酒を、カート事グレイスの前に突き出した。
「これを運ぶのを手伝って頂けると、助かりますので・・・。一人では中々大変で大変で、それはもうあの馬鹿神共に瓶事投げつけてやりたい位に、不本意で大変でしたので。」
グレイスは微かに口元を引き攣らせながら、エダからカートと受け取ると、引き気味ながらに頷いた。
「か・・・構わないけど・・・。その方が自然に家に入れそうだし。ってか・・・こんなにお酒買い込んで、クリスマスパーティーでも開くわけ?」
「えぇ、開いているのですが、誰もお酒を用意していなかったので、こうして私が買い出しをするハメになったのですよ。」
そう言ってスタスタと歩きだすエダを、グレイスは重そうにカートを押しながら、慌てて追い掛けた。
「ちょっと!一緒に押してよ!一人じゃ大変なんだけど。」
グレイスにそう言われ、エダは仕方なさそうに横に立ち、一緒にカートを押すと、2人係りのだけあってカートは少し軽くなった。
「しかし考えましたね。クリスマスは外に人が出歩かなくなりますから、その隙に我が家へと来てしばらく匿って貰おう、と言った魂胆でしょうか?」
カートを押しながら、素っ気なくエダが言うと、グレイスは図星を突かれ、口元がピクリと引き攣ってしまう。
「あ・・・明日になったら交通機関が止まっちゃうから、何かと不便なのよ。その間ゆっくり身を隠す場所が欲しかっただけよ。それに、まだイヴだから都心では其処等中で皆、馬鹿騒ぎして人が溢れ返っているわよ。田舎の方が、人気が無いでしょ。」
「あぁ、交通機関が停止する前に、こちらにいらしたのですね。クリスマス休暇が終わるまで、居座る予定ですか?」
「二十六日には移動するわよ。まだ外に人気は少ないし、地下鉄も動き出すから。」
グレイスは顔をムッとさせながら、エダを睨むように言うと、力一杯カートを押した。
「貴女って、あの糞神共の世話してるんでしょ?こんな事までしてあげてるの?」
ムスッとした顔でグレイスが聞くと、エダは表情を変える事無く答える。
「世話では無く、管理者です。教会と本宅の方の。あの糞神共が居座っている時は、世話をさせて頂いておりますが。」
「本宅?」
「えぇ、普段あの方達が過ごして居られる場所です。私もそこに住んで居りますので。住み込み管理人と言った所でしょうか。」
2人は家の玄関の前まで到着すると、エダが玄関のドアを開いた。家の中からは、温かい空気が流れ出て来る。ずっと寒空の中に居たグレイスは、その温かい空気を感じると、ほっと体の力が抜けてしまう。
エダはカート事家の中へと入って行くと、玄関の前で佇むグレイスに呼び掛けた。
「入らないのですか?」
エダの呼び掛けにハッとしたグレイスは、慌てて家の中へと入って行った。そのまま玄関のドアを閉めると、エダは玄関の鍵を閉め、家の中を、カートを引いて歩き始める。
「何?・・・この家、どう言う作りになってるの?外から見た時と違って、やたらと中が広いんだけど・・・。」
周りをキョロキョロと見渡しながら歩くグレイスに、エダはカートを押しながら言った。
「中の作りは、オージン様の魔術によって、改造されております。二階までしか有りませんが、それぞれの階はフロアが多い上に、とても広いフロアも有りますので。迷子にならない様ご注意を。」
「迷子って・・・一直線に廊下がやたらと長く伸びているだけじゃない。」
「何番目のドアに居るかが分からなくなれば、迷子同然ですよ。目印は、この向かい合った二つの大きな扉を。」
そう言ってエダが立ち止まると、エダの立つ左右に、どの部屋のドアよりも一際大きな扉が、二つ向かい合わせに有った。
「右側は地下通路へと続く扉です。左側はリビングへの扉となっておりますので、左側をどうぞ。皆さんそちらに居られます。中は食卓とキッチンにも繋がっておりますが、そちらは外からの他のドアとも繋がっているので、少々ややこしいのですよ。ですがリビングに入る為には、この扉からしか入れません。キッチンへと入る他のドアから入ったとしても、そこからリビングへは繋がらないので、リビングへ行く際は、必ずこちらの扉を使って下さいね。」
エダが左側の大きな扉を指差しながら説明をすると、グレイスはポッカリと口を開け、唖然とした。
「なにその無茶苦茶な仕組み・・・。普通に作れないわけ?」
「普通に作って頂けたのなら、私も苦労しませんよ。」
エダはリビングへと通じる扉を開けると、カラカラとカートを引いて、中へと入って行った。グレイスも慌ててエダの後に続くと、中に有る見た事も無い不思議な物に目を真丸くさせ、驚きながらも進む。
食卓へと到着をすると、オージンが未だにロキの両手を強く握り締め続けていた。ヘーニルはお腹を空かした様子で、指を加えながら目の前の御馳走を見つめている。エダは摘み食いをされていない事を確認すると、満足そうに、お酒が山積みにされたカートを差し出した。
「お待たせ致しました。お酒の到着ですよ。」
目の前に差し出されたお酒の山に、ロキは嬉しそうな顔をして、オージンの手を振り払った。
「おぉ!これだけ有れば十分だねぇ。これでやっと、パーティーらしくなるよぉ。」
「やっと食べられるの?」
ヘーニルも嬉しそうな顔をしながら言うと、オージンはほっと安心をした様子で、息を漏らす。
「あぁ・・・手が痺れた・・・。やっとクリスマスパーティーが始められるな。」
ぞろぞろと立ち上がり、お酒が山積みにされたカートへと群がると、エダが後ろから付いて来ていたグレイスを、前へと出した。
「それからお客様です。」
エダはそっとグレイスの被るフードを捲ると、フードの中から出て来た顔を見て、ロキとオージンは少し驚いた顔をさせる。
「やぁ~これはこれは、グレイスじゃないかあ!クリスマスプレゼントでも貰いに来たのかい?」
カラカウ様にロキが言うと、グレイスは呆れた顔をさせた。
「あんた達・・・本当にクリスマスパーティーしてたの?信じらんない、神様の癖に。」
「神様だってパーティーは好きなんだよう。それに、せっかくクリスマスの時期に、英国に居るんだしねぇ~。楽しまなくては。」
クククッと不敵に笑いながら言うロキに、グレイスは更に呆れた顔をさせる。
「よく来たな、グレイス。」
オージンが嬉しそうに言うと、グレイスはソッポを向きながら、素っ気なく言った。
「違うわよ!私は只、少しの間匿って貰おうと思って来ただけよ。貴方が言ったんでしょ?エダに頼れって。それにワタリガラスに案内させたって事は、どうせ私が来る事だって、知っていたんでしょ?」
オージンは微かに微笑むと、ポンッとグレイスの頭を軽く叩いた。
「ワタリガラスには、俺達が教会に居ない時にお前が来た場合、こちらに案内をする様指示をして置いただけだ。だから予想外の来客に、驚いたし嬉しいさ。」
「そう。」とグレイスが照れ臭そうに一言うと、オージンは嬉しそうにニコリと微笑んだ。
グレイスの顔をじっと見つめていたヘーニルは、ハッと気付き、嬉しそうにハシャギながら、グレイスの元へと駆け寄った。
「ああ!君が双子の妹さんの、グレイスか!本当、ヘンリーとそっくりだね!」
顔をニコニコとさせながら近づくヘーニルに、グレイスは初めて見るヘーニルの顔を、首を傾げ不思議そうに見つめる。
「誰?私の事を知ってるの?それに、ヘンリーの事も・・・知っているの?」
ヘーニルは嬉しそうに大きく頷くと、満遍無い笑顔で言う。
「うん、知っているよ!ヘンリーに、君がどうしているのかを知りたいって頼まれて、教えてあげたんだ。まぁ、それまで君の名前も、ヘンリーの名前も知らなかったんだけどね。後からロキ達に教えて貰ったんだ。会えて光栄だよ!」
嬉しそうに右手を差し出して来るヘーニルに、グレイスの顔は思い切り引き攣り、憎悪を込めてヘーニルの首を力一杯絞め付けた。
「私も会えて光栄だわっ!あんただったのね!あんたがヘンリーに余計な事吹き込んだのね!」
「あははははっ!グレイス、握り締める場所が違うよ?」
ヘーニルは微妙に顔を青ざめながらも、呑気に言うと、グレイスは更に力強く、ギュウギュウとヘーニルの首を絞める。
「あんたのせいで、ヘンリーは病院送りになったんだから!なんて事してくれたのよ!」
オージンは軽く溜息を吐くと、グレイスの怒りを宥めようと、そっと話し掛けた。
「グレイス、ヘンリーは既に病院送りになっていた。お前が来る前に、墓の前で倒れていたヘンリーを病院に運んでやったのは、ヘーニルなんだぞ?少し位多目に見てやれ。」
「そうだよぉ~。それにヘーニルは、悪気が有ってやった事じゃないしねぇ。彼は事情も何も知らなかったんだよ。言うならば事故だったんだあ!だからその位にしてやりなよぉ。」
グレイスがヘーニルの首を絞めている光景を、面白そうに見つめ、顔をニヤニヤとさせながら言って来るロキ。グレイスはヘーニルを突き飛ばすかの様に、首から手を離すと、ロキとオージンを交互に睨みながら強く言った。
「再び病院送りにした、ロキに言われたくないわね!オージンが言っていた手違いって、こう言う事だったのね?やっぱりあんた達の仲間の仕業じゃない!」
オージンは少し困った様子で、頭をポリポリと掻くと、目を泳がせながら言った。
「いや・・・本当に手違いだ。なにせヘーニルは、全く持ってこの事は知らなかったからな。お前が教会に来た時も、参加をしてはいなかった訳だし・・・うん。」
「あのっ、本当に僕、何も知らなかったんだよ。なにせ僕は、逃亡の身だからね。情報収集も限られていたし。でも僕のせいで迷惑を掛けちゃったなら、謝るよ。ごめんよグレイス。」
ヘーニルは申し訳なさそうに、軽く頭を下げながらグレイスに謝ると、グレイスは厳しい目付きをしながらも、不思議そうに首を傾げた。
「逃亡?何よそれ、神様が逃亡なんてするの?」
「あぁ、ヘーニルはこちらの事情で、他の神々に見付からない様に、此処に身を隠して居るんだよお。言うならば、君と同類ってぇ~所かなぁ?」
クククッと不敵に笑いながらロキが言うと、グレイスは更に不思議そうに首を傾げながらも、ムッとした顔で言った。
「そっちの事情は分からないけど、こっちの事情はどうしてくれるのよ!」
「心配ないさぁ~。ヘンリーはまた病院に戻ったんだからねぇ。それに彼は黄金の林檎の存在も知らない!もし目が覚めても、教会での出来事は、夢か何かと思うだろうよ。君は心配する事無く、今まで通り人殺しを続ければいいんだよぉ。だろう?」
そう言って不気味にニヤリと笑うロキ。グレイスは唇を噛み締めると、険しい顔をしてそっと俯いた。
「それにさ、私達が原因でヘンリーが関わり、もし君の目的に支障が出たら、ちゃあ~んとオージンが正してくれるさぁ。だろう?オージン神。」
ロキは横目でチラリとオージンを見ると、オージンは「あぁ・・・。」と小さい声で一言だけ言うと、ロキから顔を背けた。
心配そうにグレイスを見つめていたヘーニルは、そっと側に寄り、優しくグレイスの髪を撫でた。
「大丈夫だよ。ヘンリーの事は、僕が責任を持って見守るからさ。」
そう言ってニコリと微笑むヘーニルの顔を、グレイスは少しだけ顔を上げて、険しい顔のまま無言で睨みつける。
重苦しい空気が漂うと、グレイスの胸は圧迫される様に、苦しく痛んだ。体中に鉛を着けられたかの様に、ずっしりと体が重く、ロキに言われた『人殺し』と言う言葉が頭の中をグルグルと回る。
(人殺し・・・私は、人殺し・・・。でもあいつ等はもっと殺してる!あいつ等は人殺し・・・私も・・・人殺し・・・。)
グレイスはギュッと拳を握り締めると、やり切れない気持ちが込み上げ、眉を顰めた。言い様の無い罪悪感が押し寄せ、胸をきつく絞め付ける。その胸苦しさが、ヘンリーにまで伝わってしまったらと思うと、また別の罪悪感が襲って来た。共鳴する事が多いと言われる双子。だからこそ、グレイスは余計な事を、ヘンリーには知られたくなかった。この気持ち悪い想いを、ヘンリーが共鳴してしまったらと思うと、余計に苦しい。全てはヘンリーを想っての事だ。
しかし神々にとって、罪悪感と言う物等はどうでもいい事。そこに秩序が保たれていれば、関係の無い話だ。だからグレイスの想い等、この場に居る神には分からない。その事を誰よりも知るエダは、その場の空気を壊す様に、ポンッとシャンパンのボトルを開けた。
「それで、パーティーはやるのですか?やらないのですか?いい加減切り替えをして下さらなければ、せっかくの料理が冷めてしまうのですが。作らせるだけ作らせて、食べないなんて、私に嫌がらせでもするつもりでしょうか?」
シャンパンを開ける音を聞いたロキは、嬉しそうな顔をしながら、カートの中のお酒を手に取った。
「やるに決まっているだろう?せっかくこんなにも沢山酒が有るんだしねぇ~。」
「お腹空いたし、やるよー!」
ヘーニルも嬉しそうにカートの中からお酒を取り出すと、食卓の上へと置いた。オージンもヘーニルに続く様に、何本かのお酒を食卓の上に並べると、悩まし気な顔をしながら、ボトルのラベルを見つめる。
「どれがいいだろうか・・・。やはり肉料理なら赤か?だがシャンパンの後ならば、白もいいな。」
あっと言う間に空気が切り替わった神達に、グレイスは少し呆れながらも、まだ顔を沈ませていた。そんなグレイスに、そっとエダが耳打ちをする様に、小声で話し掛ける。
「あの方達に、貴女のお気持ちは理解出来ません。同情や共有を求めるので有れば、それは人間同士でなさって下さい。神のお考えは神にしか分からない様、人間の気持ちは、人間にしか分からないのですから。」
グレイスは勢いよくエダの方を向くと、険しい顔をしたまま、小声で言った。
「貴女には分かるって言うの?貴女も黄金の林檎を食べた人間でしょ?貴女は人間の気持ちを共有出来るの?」
「少なくとも私は人間です。例え黄金の林檎を口にしたとしても。それは貴女も同じですよ?グレイス。黄金の林檎を口にした者同士の共有でしたら、誰よりも出来ると思いますが。」
表情を変える事無く言って来るエダに、グレイスはエダを睨みつけると、低い声で呟いた。
「あんたと私は同じじゃないわ。」
エダは軽く溜息を吐くと、チラリと食卓の方を見た。
食卓では既にパーティーが始まっており、皆面白可笑しそうに、お酒を飲み料理を食べている。エダはその様子をグレイスに見せる様に、グレイスの体を食卓の方へと向けると、また小声で言った。
「あの場に貴女の想いが有る様に見えますか?そんな物欠片も無く、皆様楽しそうに、馬鹿騒ぎをしているでは有りませんか。実に滑稽ですね。そんな彼等に、貴女は何を求めていたのですか?憐れみ?それとも許しでしょうか?でしたらお門違いですねぇ。神の許し等と言った戯言、此処には存在しないのですよ?彼等は善悪に等興味は有りません。必要なのは秩序だけ。ですから貴女の抱える罪悪感にも、毛ほども興味が無いのですよ。無論、貴女自身にも。」
グレイスはギュッと強く唇を噛み締めると、今度は食卓を睨みつけながら言った。
「別に許しが欲しい訳じゃない。只文句が言いたかったのよ。怒りをぶつけてやりたかっただけよ。」
「でしたらその怒りはもうぶつける事が出来たので、問題有りませんね。神様の首を絞め付けたのですから。羨ましい限りです。」
グレイスはまたエダの顔を睨み付けると、眉を顰めながら言う。
「あんた何なの?気持ち悪い・・・。平然とした顔で、淡々と最低な事言って・・・。」
「英国隠れ家の管理者です。人間臭さが無ければ、気持ち悪いでしょうか?でしたら人間臭く、鼻水でも垂れ流しながら、泣いて取り乱した方がよろしいでしょうか。」
どこか冷たい視線をしながら、冷めた口調で言うエダに、グレイスは一瞬背筋がゾッとしてしまう。
エダはそっとグレイスの背中に手を回すと、グレイスの背中を押して、ゆっくりと食卓から離れて行った。
「場所を変えましょう。此処に居ては貴女にとって毒です。落ち着ける場所へご案内をします。そちらでお話を。」
グレイスは無言で頷くと、エダに誘導されるがまま、リビングから出て行った。
エダとグレイスが部屋から出て行く様子を、横目でこっそりと見ていたロキは、二人が出て行った事を確認し、口元をニヤリとさせた。そして楽しそうにお酒を煽っていたオージンに、ワザとらしく聞いた。
「所で実際にどうするんだい?ヘンリーが爽やかに目を覚まして、全てを覚えていたら。また此処へとやって来るかもよぉ~。」
オージンはロキの言う事等気にする様子も無く、グラスにお酒を注ぎながら、気軽に言って来た。
「どうもしないさ。遊びの失敗等、気にする事では無い。放って置けばいいだろ。」
「あぁ、確かにそうだねぇ。他かが人間一匹の為に、手を汚す事は無いしねえ。」
クククッとロキは笑うと、目の前でガツガツと料理を食べているヘーニルに向かって、またカラカウ様に言う。
「君は良い身分だねぇ。ミーミルは食事も喉が通らないってぇ~のに。」
「ミーミルが?どうしてミーミルが、食欲が無いって分かるの?」
ヘーニルはムシャムシャとチキンを食べながら、首を傾げてロキに尋ねるが、ロキはクククッと笑うだけで、何も答え様とはしない。
「何だ?やけに突っ掛かるな。何か文句でも有るのか?」
オージンはグラスを食卓の上に置くと、大きく足を組み、ロキの方へと体を向けた。ロキはグラス一杯にワインを注ぎ込むと、零れる擦れ擦れの所で止め、そっとグラスを両手で覆った。
「溢れ出しそうだ。零れる寸前だよう?オージン。」
「何がだ?」
ムッとした顔でオージンが聞くと、ロキは不適な笑みを浮かべながら、そっとグラスを両手で持ち上げた。グラスの中のワインは、揺ら揺らと揺らぎ、少しでもバランスを崩したら、零れ落ちそうだ。ロキはグラスの中身を零さぬ様、ゆっくりとオージンの前まで移動させると、ニンマリと笑って言った。
「秩序だよ。」
「なに?」
オージンは微かに眉を顰めると、ロキはクスクスと可笑しそうに笑いながら言う。
「この中には混沌が溢れている。許されない数の林檎、その林檎を食した人間。そしてそれを黙認する神。この場に居るはずの無い神。あと一つで、溢れ出しそうだぁ。」
「お前、何が言いたい。」
「別に・・・。私は只、此処は秩序が乱れている場だと言いたいだけだよぉ。それを正す神は、一体どこに居るんだろうねぇ~。」
ロキはワザと手からグラスを離すと、グラスは床へと落ち、中のワインを撒き散らしながら、グラスはガシャッと音を立てて割れた。
「あぁ、溢れ出してしまったぁ。」
クスリと不気味に笑うと、じっとオージンの顔を見つめる。オージンは眉間にシワを寄せ、ロキを睨み付けると、低い声で言った。
「言いたい事が有るなら、ハッキリと言え、ロキ。」
ロキはクスクスと可笑しそうに笑うと、呑気な顔をしたヘーニルを指差した。
「いやねぇ・・・こんな所に、ヘーニルと仲良くのんびり宴をやっていて、いいのかなぁ~って思ってねぇ。私の息子、スレイプニールは確か君の愛馬だったねぇ?彼から聞いたよぉ~。ミーミルの首が、アースガルズに送られて来たそうだよう。うん、私の息子は実に有能だ。いち早く知らせに来たぁ。流石は一番足が速いだけある。」
そう言ってニッコリと笑うと、オージンは肩手で食卓を力一杯叩き付けながら、勢いよくその場に立ち上がった。
「ミーミルが?お前!知っていて黙っていたのか!」
ロキに怒鳴り付ける様、オージンが怒ると、ロキはクククッと不敵に笑いながら、ケーキを食べ始めた。
「私も最近知ったんだよお。只言うタイミングが中々無くてねぇ。」
「ミッ、ミーミルの首がっ?大変だよ!呑気にパーティーしている場合じゃないよ!」
ヘーニルも慌ててその場に立ち上がると、アタフタとし始める。ロキは優雅にケーキを食べながら、慌てるヘーニルに向かい言った。
「君は残念ながら、ここで退場だねぇ。ま、クリスマスパーティーが出来たんだから、別にいいよねぇ?」
「ならばこの遊びもここで終わりだ!俺は今すぐヘーニルと共に、アースガルズに戻る!」
「それは構わないけど、オージン、君は林檎の事を話すのかい?」
ペロペロと生クリームの付いたホォークを舐めながら、薄ら笑いを浮かべてロキが聞くと、オージンは一瞬黙り込んだ。オージンはチラリとヘーニルの顔を見ると、またロキの顔をしっかりと見つめた。
「話すさ。全ての秩序を正す!」
オージンのその言葉を聞き、ロキはニヤリと笑った。
「それでは、また後程。オージン神。私は後から戻る。」
オージンはグッと鋭い目付きでロキを睨み付けると、ヘーニルの腕を引っ張り、その場から立ち去ろうとする。
「行くぞ、ヘーニル!」
「えぇ!もう行くの?せめてケーキを食べてから・・・。」
「いいからさっさと来い!」
未練がましくヘーニルはケーキを食べようとするが、オージンは無理やりヘーニルの体を引き摺りながら、食卓から出て行った。ロキは二人に手を振ると、ニンマリと笑った。
「さて、君は林檎を持って戻るのかなぁ?」
ポツリと呟くと、リビンクの扉が、バタンッと大きな音を立てて閉まる音がした。




