グレイス
地下室中に甘い香りが絶ち込める中、嬉しそうにニヤニヤと笑みを浮かべる牧師と、ただ無表情でストーブの前に座り込むジン、それに悲しげな表情で椅子に座るヘンリーの、三人の姿があった。そしてその三人を見下ろすのは、十字架に釘付けにされた、イエス・キリストの像。彼は何を思い、何を感じながら、一体どれ程の時から、この部屋で様々な人間の、様々な話を聞いて来たのだろう。そんな事を思いながら、ヘンリーは牧師ではなく、キリスト像を見つめながら話した。
「グレイスと僕は、ある大企業の会長の元に、一卵性双生児として産まれた。父も母も優しかったし、グレイスとも仲が良かった。上に居るもう一人の兄も、とても優しくて・・・頼りがいのある人だったんだ・・・。」
そう言うと、ヘンリーは悲しそうに俯いた。そんな彼の話を、補足をするかの様に牧師が言う。
「だった・・・。過去形って事は、もういないと言う事だねえ?この世にさ。」
ヘンリーは無言で頷いた。テーブルに置かれた手を、ぎゅっと強く握り絞めると、薄らと涙を目に浮かべる。必死に涙が零れ落ちるのを堪えながら、ヘンリーは話を続けた。
「殺されたんだ・・・。グレイスに。父も・・・母も・・・。あんなに僕等に優しかった、兄さんまで・・・。」
堪えていた涙は、彼の意思とは裏腹に溢れ出し、一筋、二筋と零れ、ヘンリーの頬を伝う。ヘンリーは袖で涙を拭うと、顔を上げ、またキリスト像を見つめた。
「グレイスは、僕等血族を皆殺しにしようとしている。復讐なんだよ・・・グレイスの・・・。」
睨み付ける様にキリスト像を見つめると、牧師へと視線を移した。
「聞いているんだろ?彼女から。なんで皆殺しにしようとしているのか。」
ヘンリーの問い掛けに、牧師はニコリと笑い、頷いた。
「あぁ、聞いているよ。知らなくてもいい大人の事情を、知っちゃったんだよねえ、確か。」
そう言うと、牧師は煙草をゆっくりと吸い始め、思い出話でもするかの様に、静かに語り出した。
「確か彼女の知る人の父親が、君んとこの会社で働いていたんだよねえ。だけどクビにされちゃって。可哀想に~、その人の母親は寝たきりの病人で、おまけにお婆さんも残念な事にまだ健在だった。稼ぎ頭の父親が職を失くし、子供は学校を辞めて働きに出ましたとさ・・・。ってこんな感じだったかなあ?」
まるで童話の本でも読み聞かす様に言う牧師だった。皮肉交じりにも聞こえる物言いだったが、今のヘンリーはそんな事は気にもならずに、ただグレイスへの想いだけが込み上げていた。
「正確には・・・グレイスの恋人だ。恋人の父親が、父の会社で下働きをしていたんだ。」
顔を下に俯けると、やりようの無い気持ちが心の中を漂う。一瞬無言の空白な時間が過ぎると、次に言葉を発したのは、ジンであった。
「労働者階級・・・。」
今までじっと無言で二人の話を聞いていたジンが、ようやく会話へと加わり出した。
「上流階級と・・・労働者階級か・・・。」
ヘンリーは顔を俯いたまま、視線だけをチラリとジンの方へ向けると、また視線を戻し頷く。そして俯いたまま話した。
「父はずっと二人の交際を反対していた。当然だろうね・・・身分の違いって奴だよ・・・。でもグレイスは、父の言う事なんてお構い無しに、彼と会い続けたんだ。」
ヘンリーの話に首を傾げた牧師は、不思議そうに聞いた。
「ふぅ~ん・・・。しかし不思議だねぇ・・・。どうしてそんなにも身分の差が激しい二人が、出会えたんだい?これはグレイスには聞いていなかったからねえ。」
更に首を傾げて見せる牧師に、ヘンリーは顔を上げて言った。
「簡単だよ。僕等の様な資産家は、ボランティア活動の義務があるからね。投資は勿論、その子供となれば、実際にボランティア活動に参加する事だってある。その時に知り合ったんだ。」
淡々と説明をするヘンリーに、牧師は鼻で笑いながら言った。
「金持ちのエゴって事か。成程ねえ。」
牧師の言葉にむっとしたヘンリーは、久しぶりに牧師を睨みつけた。
「資産を持つ者が寄付をするのは当然の事だ。有り余る資産を、無駄に置いておいても無意味だからこそ、少しでも必要としている者達に・・・。」
「と・・・ストップ!」
ヘンリーの熱演を遮り、牧師はうんざりとした顔をした。そして大きく煙草の煙を吸い込むと、ヘンリーの顔目掛け、思い切り吹き付けた。煙が顔に直撃をしたヘンリーは、涙目になりながら、ゴホゴホと咳き込む。
「なっ・・・なにするんだ・・・ゴホッ・・・ゴホッ・・・。」
煙たそうに何度も咳き込むヘンリーを見て、牧師はケラケラと笑った。そんな牧師の姿を、ジンはじっと窺うかの様に見つめている。牧師は笑うのを止めると、煙草を鏡台に押し付けながら、いつもよりも少し低い声で言った。
「君の帝王学モドキの説明は要らないよ。退屈だからねえ・・・。それに私は、ボランティアってぇのは、金持ちの娯楽の一つだと思っているからね。それに何故、金持ち達が挙って寄付をするのか、知っているかい?少年?」
そう言うと、牧師はニヤリと笑った。
「目だよ・・・世間様のねえ。印象、財政力、それに見栄だってある。・・・とまぁ・・・全員がそうとは限らないけどね。ホンの一部の一例だ。」
ニッコリと笑うと、牧師はまたケラケラと笑い出した。どこまでが真面目で、どこまでがふざけているのか、よく分らない牧師の言葉に、ヘンリーは煮え滾らないでいた。膨れ顔のヘンリーだったが、それはそれで子供らしく、可愛らしく見える。
「で・・・続きは・・・?」
ボソリと言うジンに、ヘンリーはハッとした様子で、話の続きをしようとする。
「あぁ・・・。彼の父親が・・・。」
と続きを言い掛けると、突然牧師は立ち上がり、右手を翳した。
「ちょっとストップ・・・。トイレ休憩ね。」
そう言い、ヘンリーとジンの間を通り抜けると、裸足でペタペタと入り口の方へと向かった。ヘンリーは牧師が入り口から出て行くのを見送ると、完全に姿が見えなくなるまで見続けた。ペタペタと言う足音が、完全に聞こえなくなるのを確認すると、ヘンリーは体ごとジンの方に向け、小声で聞いた。
「あの牧師、いつもあんな感じなの?」
コソコソと話すヘンリーに釣られ、ジンも無意識に小さな声で話した。
「あんな感じとは・・・?」
ヘンリーはもう一度入り口の方をチラリと見ると、牧師の姿がない事を確認してから、また小声で聞く。
「だから・・・あんな嫌味ったらしい性格してるの?」
無言で頷くジンを見て、ヘンリーは溜息を漏らし、うんざりとした顔をする。体を元の位置に戻すと、飲みかけの紅茶に手を伸ばし啜った。
紅茶は少し冷めてしまっていたが、強いシナモンの香りは相変わらずだった。鼻にツンとくるスパイシーな香りは、怒りや悲しみ、様々な感情でぐちゃぐちゃになっていた頭の中を、スッキリとさせ、落ち着かせてくれる。あの嫌味ったらしい牧師が居ない間、気持ちを落ち着かせておこう、ヘンリーはそう思った。牧師が戻って来れば、また皮肉交じりの言葉を、言われまくるだろうからと。少しの休息を味わうかの様に、温いシナモンティー味わっていたヘンリーに、ジンはその休息を邪魔するかの様な事を言い出した。
「不死・・・。」
とても小さな声で、ポツリと言ったジンに気が付いたヘンリーは、チラリと視線を彼の方へとやった。
「俺も・・・不死だ・・・。」
思わぬジンの言葉に、ヘンリーは思わず立ち上がった。急に立ち上がった勢いで、座っていた椅子は、バタンッと大きな音を立て、地下室中に響き渡りながら後ろへと倒れる。椅子の倒れた音は、徐々に小さくなりながら、頭上へと昇っていった。微かな音が、天井を通り越した上から聞こえると、また静かな地下室へと戻る。
「俺もって・・・。ジンも不死なのか?」
驚いた顔でジンに聞くと、彼は無言で頷いた。ジンの思いもよらぬ発言に、ヘンリーはとてつもなく驚き、口がポッカリと開いたままになる。
「で?・・・続き・・・。」
突然の告白の次は、ヘンリーの話の続きを要求し出した。牧師と同様、ジンもまた、訳の分からない事を突然言い出す。おまけに牧師と同様、話がコロコロと変わる。似た者同士だから仲がいいのか?と不思議そうに考えるヘンリー。そんな驚いた様子のヘンリーを、ジンもまた驚いた様子で見ていた。
「何故・・・そんなに驚いている・・・?」
この男は無自覚なのか、それとも何も考えていないだけなのか、自分が驚いている事に驚くジンに、ヘンリーは更に驚いた。
「あ・・・あぁ・・・。続きだな、分かった。」
ヘンリーは余りに驚く事続きに、ジンの不死について聞くと言う選択を忘れ、思わず話の続きの方へと進めてしまった。倒れた椅子を持ち上げると、椅子の背を壁に向け、ジンと向かい合わせになる様に座った。ジンは体操座りで床に座り、じっと下からヘンリーの顔を窺う。ヘンリーはコホンッ、と軽く咳を吐いてから、話の続きを始めた。
「えっと・・・どこまで話たっけ?」
「クビにされて・・・てとこ・・・。」
ジンに言われると、顔を引きつらせながら何度も頷いた。
「あぁ・・・。えっと・・・、しばらくは新しい職を探していたみたいなんだけど、全く見付からなくて。」
何だか話しにくそうに言うヘンリーだった。
(この人と二人きりって・・・何だか気まずいと言うか・・・苦手と言うか・・・。いやっ、牧師も苦手なんだけど・・・。)
いつの間にか突然現れ、当たり前の様に話に加わっていたこの男と、訳の分からないまま話しをしている。今のこの状況が全く理解出来ないヘンリーは、少し困惑しながらも、仕方なく話を続けた。
「それで・・・。職が見付からないまま、一年が過ぎたんだ。それから数カ月後に、彼の父親は・・・その・・・。」
言い難そうにするヘンリーだったが、ジンはそんな事は気にせずに、追求をする。
「それで・・・?」
ヘンリーはジンから顔を背けながら言った。
「その・・・父親が・・・。無理心中をしたんだ・・・。家族を殺して・・・家に・・・火を点けた・・・。」
声を震わせながらそう言うと、ヘンリーはぎゅっと目を瞑った。そんな彼を見たジンは、少し悲しそうな表情を見せた。まるで何かを思い出したかの様に、一度ゆっくりと目を閉じると、またゆっくりと開け、ヘンリーに励ますかの様に言葉を掛ける。
「大丈夫だ・・・。それは終わった話だから・・・。」
余り励ましにもなっていない言葉の様であったが、ヘンリーは少し彼の言葉が嬉しかった。所詮は過去の事と、改めて自分に言い聞かせ、これからやろうとする事の方が、大事なのだと思わせてくれる様な気がした。
「グレイスは・・・とても悲しんだ・・・。当然だ、愛する人を失ったんだから・・・。」
ぎゅっと瞑った目をゆっくりと開けると、今度は落ち着いた声で言った。
「父は彼等の葬儀代の寄付をしたんだ。元従業員と言う事もあったし、何より、傷付いたグレイスの事を想って・・・。父は優しい人だったから、クビにしてしまった自分にも責任があると、少しは思う所もあったんだって・・・その時は思っていた・・・。でも・・・実際は違っていた・・・。」
両膝に置いた掌を、ぎゅっと握りしめると、眉間にシワを寄せ、険しい顔をした。それは怒りでも悲しみでもなく、悔しさでの顔だった。
「全部・・・違ったんだ・・・。グレイスの交際を反対していたのも、葬儀代の寄付をしたのも・・・。グレイスの為なんかじゃない・・・グレイスを想っての事じゃ・・・なかった。」
悔しそうに下唇を噛むと、また強く目を瞑った。そんなヘンリーを、ジンはただじっと無言で見つめ、話を聞くだけだった。
「全部っ!全部自分の為だったんだ!」
大声で怒鳴ると、ヘンリーの声が地下室中に響き渡った。肩を竦めながら顔を下げ、小さく震えるヘンリーを、ジンは無表情で見つめていた。両膝に置かれた拳の上には、一つ、二つと涙が落ちてきた。ジンはゆっくりと立ち上がり、ヘンリーの拳の上に落ちた涙を親指で拭うと、それをペロリと舐めた。
「しょっぱい・・・。」
ジンの言葉に顔を上げたヘンリーは、ボロボロと涙を流していた。小さな子供の様に泣きながら、ヘンリーは、ジンの、今までの話とは、何の関係も無い言葉の返答をする。
「涙がしょっぱいのは・・・当然だろう・・・うっ・・・。」
大粒の涙を流しながら言うヘンリーに、ジンはコートのポケットから真っ白なハンカチを取り出し、それをヘンリーへと差し出した。ヘンリーは、ジンから乱暴にハンカチを取ると、ゴシゴシと涙を拭く。拭っても、拭っても溢れ出す涙に、いつの間にかヘンリーの目の周りは、真っ赤になってしまっていた。そんなヘンリーの顔を見て、ジンはクスクスと笑い出した。
涙を拭うのに必死になっていたヘンリーは、目の前から聞こえてくる、小さな笑い声に気付き、ハッとジンの顔を見た。すると、今まで無表情な顔しか見せ無かったジンが、可笑しそうに左手で口元を覆いながら、クスクスと笑っている姿があった。初めて見る彼の笑顔に、ヘンリーは驚きで、あれだけ止まらなかった涙が止まり、じっとジンの笑う姿を見続けていた。
「クッ・・・クククッ・・・クスクスッ・・・。」
ジンの笑い声は次第に大きくなり、右手でお腹を押さえ出すと、今までの彼からは想像し難い程、大きな笑い声が地下室中に響きだす。
「ククッ・・・ハハハッ・・・アーハッハッハッハッ!アハハッハーハッハッハッハッ!」
両手でお腹を押さえながら、大笑いをし始めるジンの姿に、ヘンリーは唖然としていた。
「アーハハハハハハッ!ヒィーハッハハハハッハ!」
突然爆笑をし出すジン。ヘンリーは少し心配そうに言った。
「お・・・おい・・・。大丈夫か?・・・なっ、何がそんなに可笑しいんだ?」
ジンは笑いながら言う。
「ハーハハハッ!だっだって!ハハハッ!目がっ!目の周りがっ!まっ・・・真っ赤で・・・ハッ!パッ・・・パンダの・・・赤バージョンっ!ハッハッハッ!アハハハハハハハハッ!」
余りのジンの大笑いの理由の下らなさに、ヘンリーはガックリと首をうな垂れる。本当にこの男は何なのだ、今までの話をちゃんと聞いていたのか、そんな下らない事で、爆笑をする様な雰囲気ではなかっただろうと、様々な事が頭の中を廻った。そしてこの教会に巣食う者達は、変人しか居ないのかと、嫌気が差してきた。
しばらくジンの大笑いが続くと、ジンは床に四つん馬になり、右手でお腹を押さえながら、苦しそうに呼吸をしていた。
「はっ・・・はっ・・・はっ・・・。」
息が苦しくなるまで笑い続けたジンは、笑い過ぎて痛むお腹を押さえ、息を整えようとする。
「おい・・・大丈夫か?」
半分引き気味ながらも心配をするヘンリーに、ジンはぜぇぜぇと苦しそうにしながら頷いた。少しずつ息を整えると、顔だけをヘンリーの方へと向け、頬から数滴の汗を流しながら言う。
「すっ・・・すまない。普段笑わない分・・・。一度笑うと止まらなくて・・・。」
「あぁ・・・そうなんだ・・・。よかった、いつものジンに戻って・・・。」
いつもの無表情の顔に戻っていたジンを見て、ヘンリーはどこか安心をした。やはり見慣れた顔が一番と言う事だろうか。と言っても、ジンとは今日会ったばかりなのだが。ジンに限らず、牧師もそうだ。会ったばかりの者でも、初めに受けた印象と、全く違う印象や、別の顔を見れば、驚くのは当然なのかもしれない。しかしジンの場合は、余りにその温度差が激し過ぎたのだ。それだけの事だ。
「よく・・・。」
息を整え、額の汗を拭いながら、体を起こすジン。ヘンリーのすぐ側に胡坐を掻いて座ると、ストーブの前に置きっぱなしにしてあった、ティーカップを取り、中の紅茶を一気に飲み干し、喉を潤わせてから続けた。
「よくあいつには・・・笑うとポップコーンみたいだと言われる・・・。」
「あいつって、牧師の事?」
ヘンリーの方を見ると、無言で頷いた。ジンのポップコーンと言う言葉を、ヘンリーは少し考えた。
(ポップコーン・・・。ポップコーン・・・。)
頭の中で、何度もポップコーンと言う単語を繰り返し唱えると、ハッと気付き、思わず両手を叩いた。
「あぁ!確かに!」
納得をするヘンリーに、ジンは不思議そうに聞いた。
「どういう意味だ・・・?」
全く理由が分からないでいるジンに、ヘンリーはクスリと笑うと、嬉しそうに彼に説明をする。
「ほら、ポップコーンって、膨らむと突然パンパンッって弾けるだろ?ビックリするんだよね、その時。それと同じ様に、ジンも突然弾けたかの様に笑い出すから、ビックリするんだよ。だから、ポップコーン!」
成程、といった具合に頷くジンに、ヘンリーはまクスリと笑う。そんな微笑ましい一時が、少しの間続いた。
「涙は・・・・止まったか・・・?」
ジンの言葉に、ヘンリーは照れ臭そうにすると、ニッコリと笑った。
「あぁ。ジンのお陰でね。」
初めて自然に笑うヘンリーの顔を見て、ジンはほっと安心をした。この教会に来てから、一度もまだちゃんとした笑顔を見せなかったヘンリーに、ようやく見られる笑顔。少し心に、余裕が出来てきたのかもしれないと、ジンは感じた。
「不死者に・・・聞きたい事は・・・?」
今の穏やかなヘンリーにだからこそ、と思い、ジンは聞いた。ヘンリーは俯きながらも、ジンの顔を見て、ずっと心の中に巣食って居た不安を、静かに言った。
「寂しくはない?自分の知る人達が、死んでいって。取り残されて・・・。」
ジンは首を小さく横に振ると、優しい声で答えた。
「人との死別は慣れてしまう・・・。寂しいのは、慣れてしまう自分が寂しい・・・。」
どこか悲しそうに聞こえる彼の声に、ヘンリーの胸はチクリと痛んだ。
「じゃあ、死にたいと思った事はある?」
今度は小さく頷いた。
「何度もある・・・。だが目的を果たすまでは、死ねない・・・。」
優しい声とは裏腹に、ジンの瞳は、怖いくらいに強い眼差しをしていた。揺るぎない決意を示すかの様に、厳しく、とても力強かった。そんな彼の瞳を見ていると、自分の決意等、まだ可愛い子羊に過ぎないのかもしれない・・・と思い、ヘンリーの胸の痛みは増すばかりであった。
「ジンの目的って?」
恐る恐る聞くヘンリーだったが、ジンは口を閉ざし、何も答えようとはしなかった。
「じゃあさ、不死になって、よかった事はある?」
話を切り替えようと聞くヘンリーだったが、ジンは無言で首を横に振るだけだった。
「そう・・・。」
悲しそうに俯くヘンリー。そんな彼に、ジンは一言だけ言った。
「時間だけはある・・・。」
ジンの一言に、ヘンリーは顔を上げると、嬉しそうに笑った。
「そうだね。時間だけは、誰よりもたっぷりとあるよね。やりたい事、全部出来ちゃうよね。」
この地下室に来たばかりの時のヘンリーとは違い、今のヘンリーはとても子供らしく、とても自然であった。今までの彼は、無理ばかりをしていたのかもしれない。今のヘンリーが、本当の彼の姿なのだろう。そんな事を思わせる位に、ヘンリーの表情は柔らかかった。
「ねぇ、ジンは不死になって、どの位生きているの?」
パッ見のジンの年齢は、二十代半ばと言った所だった。だがそれは彼の見た目の年齢であり、実際に生きた年齢では無い。ジンはヘンリーの質問を少し考えると、一瞬地下室の入り口をチラリと見てから、答えた。
「不死になったのは二十五の時・・・。どれ位生きているかは・・・数えてないから・・・。」
どこか誤魔化すかの様に答えるジンだったが、ヘンリーは何の疑問も持たずに、可笑しそうに笑った。
「何だよそれ。不死になった歳は覚えてる癖に、どれだけ生きたかは覚えていないのか?アハハッ!そんなにも長く生きているのかよ。ジンって、どっか抜けてるよな。」
楽しそうに笑うヘンリーを見て、ジンの顔も自然と穏やかな表情になる。しかし、彼の目線は、時折入り口の方へと向いていた。
「じゃあさ、本当に不死かどうか、証拠を見せてよ。」
無邪気に笑いながら言うヘンリーに、ジンは頷き、ポケットの中から、小さな折たたみのナイフを取り出した。ナイフの刃を出すと、左の掌に鋭い刃を押し当てる。ヘンリーはゴクリと生唾を飲み込み、じっとジンの掌を見つめた。ジンはゆっくりとナイフを下へと滑らすと、掌からは赤い血が少しずつ滲み出てきた。ナイフを掌から離し、片手で刃をしまうと、またポケットの中へと戻す。
ジンの掌からは、真っ赤な血が滴り落ちる。ヘンリーは眉間にシワを寄せ、見ている自分までもが痛くなる気分であった。しかし、ジンの表情は変わる事はなく、血が流れ出る掌を、ペロリと何度も舐めていた。手に付いた苺ジャムでも舐めるかの様に、赤い血がなくなるまでペロペロと舐めると、ゆっくりとその手をヘンリーの目の前へと差し出す。ヘンリーは、恐る恐る差し出されたジンの掌を覗いた。
「嘘だろ・・・。」
ジンの掌を見たヘンリーは、目を真丸くさせ、驚きの表情を見せる。
「確かに・・・確かに切れていたのに!血だってあんなに出ていたのに!・・・傷口が・・・無い・・・。」
差し出されたジンの掌には、流れた血の跡だけが残り、それ以外は何も無かった。確かにナイフで切り裂いていた時には存在した傷口が、まるで初めから無かったかの様に、綺麗に消えていたのだ。
「本当に・・・本当に不死なのか?マジックとかじゃないのか?」
目の前で起きた事に驚き、戸惑いながらも、信じられない気持で一杯だった。
「あれだったら・・・心臓でも刺すか・・・?」
そんなジンの申し出に、ヘンリーは慌てて首を大きく横に振った。
「いっ・・・いいよ!だって、そんなっ・・・痛いだろうし・・・。」
信じられない光景を目の当たりにしたヘンリーは、自分も同じ様になるのか、と思うと、どこからか不安な気持ちが押し上げてきた。
「ある程度の痛みなら・・・慣れた・・・。」
ジンの慣れと言う言葉に、更に驚いたヘンリーは、慌ててジンに言う。
「ダッ駄目だよ!慣れてるからって、駄目だよ!いやっ・・・痛みに慣れるのも駄目だよ!」
アタフタと言うヘンリーに、ジンは首を傾げる。
「お前は痛い方が好きなのか・・・?」
的外れなジンの言葉に、ヘンリーはクスクスと笑い出した。
「やっぱり、ジンはどこか抜けてるよ。アハハッ。」
楽しそうに笑うヘンリーを見て、ジンは更に首を傾げる。そんな中、ジンは入り口からの視線を感じ、チラリとそちらに視線をやると、ケラケラと笑うヘンリーに向かって言った。
「それで・・・続き・・・。」
まるで誰かに促されたかの様に、楽しそうに笑うヘンリーを尻目に、話の続きを聞こうとする。ケラケラと笑っていたヘンリーは、ジンの言葉で笑うのを止め、また悲しそうな表情を見せた。
「続きか・・・。何だよ・・・せっかく楽しかったのに・・・。」
拗ねる様に言うヘンリーに、ジンはまた「続きを・・・。」と言う。ヘンリーは大きく溜息を吐くと、膨れた顔で言った。
「分かったよ・・・。」
そしてまた一つ溜息を吐き、ジンの目を見つめながら話し出した。
「さっき、自分の為って言ったよね?父は、スキャンダルを恐れていたんだよ。」
ジンもまた、ヘンリーの目をじっと見つめながら、話を聞いた。
「欧米のパパラッチは、誰であろうと容赦が無いんだ。知ってるだろ?故ダイアナ妃も、標的にされていた事。あいつ等は金の為なら、王妃だろうと標的にして、スキャンダルを物にしようとする。週刊誌が写真を買わなくても、撮られた本人が買ってくれる事だってあるからね。」
ヘンリーは椅子にもたれると、今度は天井を見上げながら話した。
「父は浮気をしていたんだ。それだけじゃない・・・。政治家への賄賂に、違法取引・・・裏では悪い事ばかりをしていた。娘の交際相手をネタに、そこから色んなホコリが出るのを、恐れていたんだ・・・。」
目を細めながらまたジンの顔を見ると、とても低い声で言った。先程までの子供らしい顔はそこには無く、冷たい表情で。
「分かるかい?ジン。父はね、垢を落としたんだ・・・。彼の父親は、父の汚い仕事の手伝いをしていたんだ・・・お金の為にね。その息子が自分の娘と交際を始める。父からしたら脅威だよね?息子を使って、愛する娘に何か吹き込まれるかもしれない。娘を盾に、脅迫をしてくるかもしれない。色んな可能性が出て来るよね?」
冷めた視線で見つめるヘンリーに対し、ジンの表情は変わる事なく、無表情のまま聞いた。
「クビにすれば、解決する事なのか・・・?」
ジンの質問に、ヘンリーは卑屈に笑うと、目を大きく見開け、ジンに顔を近づけながら言った。
「する訳ないだろ?腹いせにネタを売られるかもしれないんだからな。だから退職金をたんまりと渡したんだ。それと同時に、社会から存在を剥奪させた!」
段々と、興奮をしながら話し出すヘンリーであった。その姿は、何かに取り憑かれたかの様に、怒りに満ち溢れ、顔は怒りで歪んでいる。
「父は新しい職に就けない様に、裏で手を引いていたんだ!アル中だと言う噂を流し、新しい職場が決まれば、解雇する様雇い主に金を差し出す!だから彼の父親は、絶望して心中をしたんだ!その事を、グレイスは知った!だから憎んだ!父を・・・そして同じ汚ない血が流れる、一族を!自分を!」
ゆっくりとジンから顔を離すと、俯きながら肩で呼吸をし、自分を落ち着かせる様に、ゆっくりと息をした。
はぁはぁと荒い息をしながら、またジンを見るその顔は、瞳孔が開き、不敵な笑みを浮かべていた。ぞっとする様なヘンリーの顔に、ジンはなんの動揺もせず、ただ静かに聞いた。
「グレイスは自分も憎んだのか・・・?」
ヘンリーは、クククッと笑うと、視線を足元へとやった。
「あぁ・・・。だから不死になったのかもしれないね・・・。血で染まった手を・・・背負い続ける事で、自分に罰を与える為にさ・・・。」
視線をジンの元へと戻すと、今度は静かに言う。
「僕はね・・・ジン。そんな汚れた血が流れる者達だからって、皆が皆死ねばいいとは思わないんだよ・・・。中にはまだ赤子だって居る・・・。その子に罪は無いからね・・・。」
そうしてニッコリと笑った。
「復讐からは復讐しか産まれないからね。」
震えた声で言うと、また俯き、自分に言い聞かせるかの様に、何度も同じ言葉をブツブツと、繰り返し唱え始めた。
「復讐からは・・・復讐からは・・・復讐は・・・。」
そんな彼の姿をじっと見つめていたジンは、いい加減痺れを切らしたのか、入り口の方を向き、少し大きな声で入り口に向かって言った。
「おい!いつまで人に押し付けているつもりだ!」
今までの中で、一番ハッキリとした口調で言うジンは、少し怒り気味の様であった。ジンは入り口の方を睨み付けると、今度は先程よりも、大きな声で言う。
「おいっ!この道化師!」
ジンの呼びかけに、入り口からは、「トイレ休憩」と言って、地下室を後にしたままだった牧師が、ヒョッコリと顔を出した。ニヤニヤとさせながら覗き込む牧師は、手を顔の前に翳すと、「ごめんね」と言う仕草をする。ジンは無言で手招きをすると、牧師は何度か頷き、ゆっくりと地下室の中へと入って来た。そんな二人のやり取りに全く気付く様子もなく、ヘンリーはずっと俯きながら、ブツブツと呟いている。
地下室へと再び入室をして来た牧師は、相変わらず裸足でペタペタと歩いていたが、両手には大きなお盆を持っていた。お盆の上には、湯気の立つ暖かいコーンポタージュに、程良い焦げ目の付いた分厚いステーキ、その横にはハッシュポテトとコーンが添えてあり、後は生ハムのサラダが三人分乗っていた。
牧師はお盆事テーブルの上に乗せると、そっとヘンリーを指差して、小声でジンに聞いた。
「彼、もう完全に壊れちゃった?」
顔をニヤつかせながら聞いて来る牧師に、ジンは不機嫌そうに言う。
「その前に・・・謝れ・・・。」
じっと下から牧師を睨み付けると、牧師は頭を掻き毟りながら、溜息を吐いた。
「はぁ~・・・分かったよ。ごめんねえ~、サボっちゃって。」
そう言うと、ニコリと笑った。ジンは軽く溜息を吐いてから立ち上がり、ヘンリーの肩を軽く揺すった。
「おい・・・食事が来たぞ・・・。」
何度も肩を揺するジンだったが、ヘンリーは俯きながら呟くばかりだった。一向に気付く気配のないヘンリーに、牧師はまた頭を掻き毟りながら言う。
「あ~あ。仕方ないなあ・・・。彼みたいなタイプは、苦手なんだけどねえ。」
そう言うと、牧師は大きく左手を振り上げ、そのままヘンリーの頭目掛け振り下ろし、バシッと彼の頭を叩いた。
突然頭部に痛みを感じたヘンリーは、ハッと我に帰り、慌てて後ろを振り返った。キョロキョロと辺りを見渡してから、牧師の姿に気が付くと、驚いた顔で言う。
「なっ!お前っ!いつの間に戻って来たんだ?」
牧師はニッコリと笑って答えた。
「今戻って来たばかりだよう。」
ヘラヘラと笑う牧師に、ヘンリーは顔を険しくさせた。
「随分と長いトイレだったんだな・・・。」
「大きい方だよう。それにほら、ついでに食事を作って来たからさ。」
テーブルの上に置かれた料理を指差すと、またニッコリと笑った。ヘンリーは牧師の指差す方へと視線を向け、目の前の湯気の立つ美味しそうな料理に、ゴクリと生唾を飲み込んだ。
「お腹空いただろう?もうそろそろ夕食時だからねえ。」
牧師はお盆の上の料理を、丁寧にヘンリーの前に並べると、もうワンセットは鏡台の上へと並べた。そしてジンの分の食事は、お盆ごとジンに手渡すと、ジンはそれを持ってまたストーブの前へと座り込んだ。鏡台の灰皿替りの引き出しとは、反対側の引き出しを開けると、そこからスプーンとフォーク、それからナイフを3セット取り出し、それぞれに手渡した。
「さぁ、どうぞ召し上がれ。」
牧師は鏡台に座り、ステーキにフォークを突き刺すと、ヘンリーは咳払いをした。
「神父様、お祈りがまだだが・・・。」
ヘンリーにそう言われると、牧師は思い出したかの様な顔をし、フォークから手を離し、首から下げる十字架を手に取った。
「こりゃ失礼。それでは、小賢しい人間の為に命を差し出してくれた、この分厚いステーキの牛と、安賃金で働いて育ててくれた農家の奴等、これを食す事を許してくれる優し~い神様に感謝をして・・・アーメン。」
皮肉たっぷりの祈りの言葉を言ってみせると、胸元で十字をきり、十字架のネックレルに軽くキスをした。ヘンリーは顔を引きつらせながら、胸元で十字をきり、両手を組んで静かに頭を下げた。そのままチラリとジンの方を見ると、既にジンはステーキに食らい付いていた。その姿に呆れ返ったヘンリーは、文句を言う気力も無く、何も言わずにフォークとナイフを手に取った。
ジュウジュウと、お皿の上で音を立てるステーキに、フォークを突き刺すと、中からは肉汁が零れてきた。分厚い肉をナイフで切り裂く度に、美味しそうな肉汁が溢れ出す。
ヘンリーはナイフで切り取った一切れの肉を、大きな口を開けて、口の中へと放り込んだ。肉は噛む度に肉汁が溢れ出し、口一杯に広がる。程良い柔らかさの肉には、赤ワインが良く染み込んでおり、数回噛むと、ゴクリと飲み込んだ。空腹の胃に沁みる油は、食欲を駆りたて、ヘンリーはひたすら肉に食らい付く。口の周りに、たっぷりの肉汁のリップを付けながら食べるヘンリーの姿は、飢えた狼の様で、そこに気品は見られなかった。
「よっぽどお腹が空いていたんだねえ。」
牧師の言葉にハッしたヘンリーは、油塗れの口元をテーブルクロスで拭き取ると、冷静さを装うかの様にした。
「しっ・・・失礼・・・。何も食べていなかったから・・・。」
そんな彼を、ニンマリとした顔で牧師は見つめる。
「まぁいいさ。それより、大分ジンに話しをしてあげたみたいなんだけど・・・。」
そう言うと、牧師はジンの方をチラリと見た。牧師の視線に気が付いたジンは、食べるのを止め、ゆっくりと立ち上がると、牧師へと近づいた。牧師の側まで来ると、耳打ちをする様に、牧師の耳元でそっと囁いた。
「あいつの話・・・普通過ぎる・・・。なのにあいつはどこかオカシイ・・・。」
そう言うと、牧師から離れ、またストーブの前へと座り込み、食事の続きをする。ヘンリーは不思議そうに首を傾げた。
「何を話していたんだ?」
ヘンリーの問い掛けに、牧師はニコリと笑って言った。
「君がどこまで話をしたか、だよ。」
「あぁ・・・そうか。」
ヘンリーは牧師の言葉を真に受けると、今度はゆっくりとステーキを食べ始めた。
「さて・・・と。君が不死になりたい理由は分かった。一族を血祭りにしようとしている、不死のグレイスを殺して止める為だってね。」
ステーキに、何度もナイフを突き刺しながら言う牧師。ヘンリーは牧師の言う言葉に、食べながら何度か頷いた。
「優しい君は、何も全員も殺す必要はないんじゃないかってえ・・・思っていると言う事も。」
ヘンリーはまた、何度か頷く。
「今ジンに聞いたのか?」
肉を頬張りながら言うヘンリーに、牧師はまたニコリと笑った。
「まっ・・・そんな所だよ。さてと・・・。それではここで、君に一ついい事を教えてあげよう。」
そう言うと、ナイフをステーキに勢いよく突き刺し、そのまま肉をナイフで抉る様に、グリグリと捩じった。
「不死を殺す方法だ。」
牧師はニンマリと笑い、突き刺したナイフを肉から抜くと、ナイフに付いた肉汁を、撫でる様に、ゆっくりと舌で舐めた。その言葉に、ヘンリーは思わず立ち上がり、嬉しそうに言った。
「ほっ、本当か?やっと教えてくれるのか!」
散々焦らされ、ようやく一つ、知りたかった答えを教えて貰える。ヘンリーの顔には自然に笑顔が零れ、肩の重みが少し取れた様に感じた。
ニコニコと嬉しそうに椅子にまた座ると、食べかけの食事を目の前から少し奥へとずらし、ネクタイを軽く直して、両手を膝の上に置いた。準備万端、と言った具合に、牧師の言葉を、目を輝かせながら待った。牧師はそんなヘンリーの姿を、憐れむかの様な眼差しで見つめると、深く溜息を吐いた。
「君ね・・・今から私が愛の告白でもするとでも思っているのかい?そんな目をキラキラさせられても、困っちゃうよ。」
牧師の言葉に、思わずハッとしたヘンリーは顔を赤くし、慌てた様子で言う。
「なっ・・・別に、そんな目をキラキラさせてだなんてっ!そんな事はないっ!それにっ、こう・・・大切な話を聞くんだから、ちゃんとした方がいいかと思ったと言うか・・・その・・・。」
もごもごと言葉を濁しながら言うヘンリーに、牧師はクククッと笑うと、手にしていたナイフを思い切り肉に突き刺し、そのままそっと手を離した。ナイフは肉に刺さったまま、天井に向かって伸びている。牧師は突き刺さったナイフを指差すと、不敵な笑みを浮かべた。
「こんな風に刺したとしても、死なないよね?当然。」
肉に刺さったナイフの方へと目を向けたヘンリーは、顔を赤くさせたまま頷いた。牧師はニコリと笑うと、両手をパンッ、と一回叩いた。
「ならどうすれば死ぬのか!答えは簡単、完全な消去だよ。骨も残さず、細胞の欠片も残さずにねえ。」
余りにも簡単そうに言う牧師の答えに、ヘンリーはすぐに理解が出来ず、不思議そうな顔をした。何度も首を横に傾げると、ひたすら食べ続けていたジンの方へと顔を向けた。
「ジン、これって・・・簡単な事なの?」
ヘンリーの質問に、ジンは食べる手を一度止めると、無言で首を横に振り、また続きを食べ始めた。更に首を傾げるヘンリーは、また牧師の方を見て、今度は牧師に聞く。
「もっと分かりやすく説明してよ。完全な消去って・・・簡単な事なのか?」
少々困りながら聞いて来るヘンリーに、牧師はケラケラと笑い出した。
「簡単な訳ないだろう?少年。答えは簡単だけど、殺すのは簡単じゃあない。」
可笑しそうに笑いながら、煙草を吸い始めると、少し自分を笑いから落ち着かせるかの様に、煙を何度もゆっくりと、吸っては吐いた。
「あのねぇ少年。どうして不死って言うのか、分かるかい?」
「そりゃあ・・・死なないから・・・だろ?」
馬鹿にされた様な気持になったヘンリーは、顔を膨れさせながら答えた。ヘンリーの答えに、牧師は嬉しそうに煙草を口に銜え、大きく拍手をした。
「その通り!死なないから不死って言うんだ!死んだら不死とは言わない。」
パチパチと拍手をする牧師に、ヘンリーはハッと気が付いた。気付くと同時に、腹が立ち、また眉間にシワを寄せ、険しい顔をする。
「お前!僕を騙したのか?死なないなら、殺す方法なんて無いんじゃないか!」
怒りを露わにするヘンリーとは裏腹に、牧師は顔をニヤつかせながら、優雅に煙草を吸う。
「そうだよ?死なないから、殺す方法なんて無いよ。でも私は君を騙してはいないよお~。殺す方法が無い事を教えてあげたじゃないか。君は、殺す方法が知りたかったんだろう?」
確かに騙してもいないし、間違った事は言っていない牧師ではあったが、それでもヘンリーの腹の虫は収まらない。牧師に噛みつく様に、ヘンリーは更に言う。
「騙していたのと同じだ!殺す方法が有るかの様な口ぶりをしていただろっ!」
「そうだったかなぁ~?」
煙草を噴かせながら、天井を見上げ考える振りをする牧師。そんな二人のやり取りを見ていたジンが、ボソリと一言言った。
「全く無くはない・・・。」
ジンの一言を耳にしたヘンリーは、今度はジンに喰らい付いた。
「無くはないって、どういう意味だよ?」
「さっき言った事・・・。完全な消去・・・。」
ジンは牧師が初めに言っていた言葉を言うと、また黙り込んでしまった。
ヘンリーは牧師の顔を睨み付ける様に見つめると、じっと牧師の言葉を待った。牧師は煙草の煙を最後に思い切り深く吸い込むと、一気に吐き出し、鏡台の上に押し付け火を消すと、吸殻を人差し指と親指に挟み、ヘンリー目掛けそれを飛ばした。吸殻はヘンリーの左肩に当たったが、ヘンリーはそれを気にする事なく、牧師をじっと見つめたままだ。牧師はニヤリと笑うと、ゆっくりと話し出した。
「死なない相手を殺すのは、簡単じゃあないよ?だって死なないんだから、少しでもそいつの断片が残っていたら、また生き返ってしまう。ゆっくりと時間を掛けてでもねえ・・・。」
「それで?」
ヘンリーはじっと牧師を睨みつけたまま、冷めた口調で言う。
「だからさ、殺すんじゃなくて、消すんだよ。消し去る。完全にね。髪の毛一本、骨の欠片も残さずに、この地上から消し去るんだ。それが、唯一不死を殺す方法かなぁ。」
牧師のその言葉を聞くと、ぐっと唇を噛み締めると、ヘンリーは悔しそうに聞いた。
「それはつまり、殺すのは不可能に近いって事か?」
ヘンリーの不可能と言う言葉に、牧師は鼻で笑うと、嫌味ったらしく言った。
「ハっ!不可能じゃないさ。煮え滾るマグマの中にでも放り込めば、可能だよ。他にも考えれば幾らでも方法はあるさ。ただ・・・簡単じゃあないって事だけだよ。」
更に強く唇を噛み締めると、ヘンリーの唇からは、じわりと赤い血が滲んだ。膝に置いた手をぐっと強く握りしめると、やり切れない思いが込み上げ、怒りと涙を堪えるかの様に俯く。そんなヘンリーの事等気にもせず、牧師は問い掛けてきた。
「さて、少年。この話を聞いて、それでも君はまだ不死になりたいかい?」
ヘンリーは牧師の問い掛けに、すぐに答える事が出来ず、しばらくは俯いたまま黙り込んでしまった。そんなヘンリーを煽るかの様に、牧師はグレイスの話をする。
「この事は当然グレイスも知っているんだ。彼女はそれでも構わないって言って、迷う事なく返事をした。不死になりたいってねぇ・・・。彼女には余程の信念があったのか・・・又は覚悟があったのかぁ・・・。」
牧師のグレイスの話を聞き、カッとなったヘンリーは、勢いよく顔を上げ立ち上がると、声を露わにして言った。
「僕だって!そんなの!僕にだってグレイスに負けない位の覚悟はある!ジンにも!」
そして鋭い目付きでジンを見た。
「ジンにだって負けない位!」
地下室中に響き渡るヘンリーの叫び声は、教会の天井にまで突き抜けた。蝋燭の火までも揺らす様な、大きな声が壁に跳ね返り、地下室のあちこちから聞こえると、それはやがて消え、今度は静寂が訪れた。
しばらくは沈黙が続き、ひっそりと静まり返った地下室には、また風の呻き声が聞こえて来る。キリスト像に重なる牧師の影が、大きく揺れると同時に、ゆっくりと牧師は鏡台の上から立ち上がった。
「覚悟ってーのは、競う物じゃないよ。少年?」
低く静な声で言う牧師に、ヘンリーの背筋は一瞬ぞっとした。牧師が立ち上がった瞬間、牧師の影がキリスト像の影と重なり、十字架が羽の様に見え、黒い羽根の生えた悪魔に見えた。ヘンリーはゴクリと生唾を飲み込むと、今度は静な声で言った。
「競っているつもりはない・・・。ただ・・・僕にも覚悟はあると、それでも不死になりたいと・・・言いたかったんだ。」
ヘンリーはゆっくりと椅子に座ると、また俯き黙り込んだ。牧師はヘンリーの側までゆっくりと歩み寄ると、彼の左足に落ちた煙草の吸殻を拾い上げ、それをテーブルの上へと乗せた。そっとヘンリーの肩に手を置くと、彼の耳元まで顔を近づけ、囁く様に牧師はヘンリーの耳元で言う。
「君のは覚悟じゃない。ただの意地だ。」
耳元から聞こえる牧師の低い声に、ヘンリーはまたぞっとし、思わず肩に置かれた牧師の手を、勢いよく払い除けた。
見上げて見た牧師の顔は、笑ってはいたが、不気味と言うよりも氷の様に冷たく、冷めた目をしている様に感じた。ヘンリーは、初めてこの牧師に、恐怖と言う感情を抱いた。ただ不気味な変わり者、皮肉屋以外の印象。まるで心が圧迫されるかの様な、大きな何かが、ヘンリーの体を包んだ。それは牧師の存在感なのか、オーラなのか、よくは分からなかったが、恐怖を感じている事だけははっきりと分かった。
牧師に対して、何も言い返す事が出来ずにいたヘンリーに、牧師は彼の頭を軽く撫でると、鏡台に戻りながら話しをした。
「覚悟と言えば、もう一つ。不死になるのにはもう一つ覚悟がいる。初めに話した残念なお知らせの事だ。その時君は確かぁ~問題ない、と言ったかなぁ?」
鏡台の上に再び腰掛けると、肉に突く立てたナイフを抜き、ナイフの先をヘンリーの方へと向けた。
「そう、不老の方だよ。」
そう言うと、ニヤリと笑い、ナイフをお皿の上へと置く。ヘンリーは少し構えながらも、牧師に言った。
「その事は、分かっている。僕の場合は、十六で生き続けなくちゃいけない事だろ?」
視線を牧師から外しながら言うヘンリーに対し、牧師はじっと彼の顔を見続けながら言った。
「そうだねえ。でもなんで、不死と不老がセットなのか知りたいだろう?」
「別に・・・そう言う物じゃないのか?」
チラリと牧師の顔を見ると、悪巧みをしている子供の様に顔をニヤつかせており、聞かずとも、良い話ではないと分かった。そんなヘンリーの心を知るかの様に、牧師はケラケラと笑い、ヘンリーをからかい出す。
「そう言う物って、君ねぇ~。ハッピーセットとは違うんだよう?玩具が付いてくる、そう言う物とはねぇ~。」
ケラケラと可笑しそうに笑う牧師に、ヘンリーは顔を膨らませて言った。
「分かっているよ!それ位・・・。じゃあ、どう言う物なんだよ?」
拗ねた様に言うヘンリーに、牧師は更に可笑しそうに笑う。ケラケラと笑うその姿は、先程の氷の様な冷たいオーラを纏った、牧師の姿は無くなっていた。居るのはいつもの皮肉に満ちた、牧師の姿であった。そんな牧師の姿を見たヘンリーは、どこかホッとした。
「どうしてセットなんだよ?」
安心感からか、ヘンリーもまた強い口調に戻り、牧師に問い掛ける。牧師はまだ少し笑いながらも、ヘンリーの問い掛けに答えた。
「いやぁ~どうしてって?簡単だよ。不死になると言う事は、つまりは人間を辞めると言う事だ。人間じゃあなくなったら、人間と同じ様に普通に歳を取り、人間と同じ様に普通に死ねる訳ないからねぇ。」
クククッと笑いながら言う牧師に対し、ヘンリーは眉を顰めながら言った。
「笑いながら言う話かよ・・・。それに、さっきから簡単簡単って言うけど、どれも簡単な事じゃないじゃないか!」
軽い口調で話す牧師に、少し苛立ちを見せるヘンリー。そんな彼の事等気にもせず、牧師は相変わらず顔をニヤつかせていた。
「簡単だよぉ~!理屈は簡単!ただ実行が難しいだけの話だよ。まぁ~不死って言うのは、人間の自然の摂理から外れる行為だからねえ・・・。死を拒否する訳だ。だ・か・ら・自然の摂理から道を外れると言う事は、人間を辞めるのと同じ事なんだよ。そんな奴が、人間と同じ様に歳を取れると思うかい?もし歳を取ったとしても、それはそれで実に歪だ。肉体が朽ちる事の無い不死が老化をするんだ!今度は不死の摂理から外れてしまう・・・。そうなったらぁ・・・一体そいつは何なんだろうねぇ?人間でもなく、不死と言う化物でもなく・・・。」
牧師の化物と言う言葉に、ヘンリーは反応を示した。心のどこかで思ってはいたが、口には出したくはなかった言葉。
「化物・・・。」
暗い声で、俯きながら呟いた。自分でも分かってはいたが、認めたくない事だった。口に出してしまえば、認めざる終えない気がし、意識的に避けていた言葉だった。
「そう!化物だ!不死は人間じゃあない!化物!」
嫌がらせでもするかの様に、牧師は何度も大きな声で、化物と言う言葉を繰り返し言った。その度に、ヘンリーの眉間のシワは深くなる。牧師はヘンリーの歪んだ顔を見ると、ニヤリと笑い、楽しそうに話しを続けた。
「あぁ・・・でも不死が化物と言うのは、適切じゃあないなぁ・・・。化物と言う言葉は、人間が人間でない者に対して使う言葉だ。もっと細かく言うと、自分と同じでない者の事だなあ・・・。だから人間が人間に対して使う時もある。」
「だったら・・・不死って何なんだよ?」
険しい顔を上げ、牧師の顔をじっと見つめた。牧師はゆっくりと煙草を吸い出すと、口元をニヤリとさせ、静な声で答えた。
「さぁ・・・何なんだろうねぇ?」
ヘンリーは牧師を睨み付けると、勢いよく立ち上がり、大声で叫ぶ様に、ジンの方を指差して言った。
「だったら!ジンは何なんだ!何者になるんだ?化物か?人間か?」
ヘンリーの問い掛けに、牧師は答える事なく黙り、じっとヘンリーの顔を見つめた。
「俺は俺だ・・・。」
彼の問い掛けに答えたのは、ジンであった。ジンは食べ終えた食器の乗ったお盆を持ち上げると、ゆっくりと立ち上がり、テーブルの上へとそのお盆を置いた。
「だそうだよ。」
牧師は煙草を持つ手を、上下にヒラヒラとさせながら言う。ヘンリーに座れと言っているかの様に。
ヘンリーは全身の力が抜けた様に椅子に座ると、目の前に立つジンの顔を、一瞬チラリと見ると、顔を背けて小さな声で言った。
「ごめん・・・ジン・・・。」
自分の発言を恥じ、謝るヘンリーに対し、ジンは首を横に振ると、優しくヘンリーの頭を撫でた。
「気にするな・・・。」
一言そう言うと、ジンはまたストーブの前に戻り座りこんだ。
「まぁさ、答えなんて無いんだよ。そいつが誰なのか、何者なのかは、他人が決める事じゃあない。自分が決める事だ。」
そう言って煙草を吹かすと、牧師は体を捻らせ、後ろに立つキリスト像の方を見た。
「或いは・・・神が決めるか・・・。」
体を元の位置に戻すと、俯くヘンリーを見て、軽く溜息を吐いた。
「はぁ~・・・。君も忙しいねぇ・・・。怒ったり、ヘコんだりとまぁ・・・。」
呆れる様に言うと、また煙草の煙でドーナツを作り始めた。
プカプカと宙に浮かぶドーナツは、ヘンリーの頭上まで来ると、大きく口を広げながら、彼の体を潜り抜けながら消えていく。一つ消えては、また一つと、幾つものドーナツを作って遊んでいる牧師に、ヘンリーは何の反応も示さず、ただじっと黙って座っているだけだ。
そんな光景がしばらくは続くと、突然ヘンリーは立ち上がり、ツカツカと牧師の目の前まで歩み寄ると、彼が手に持つ煙草を取り上げ、また床に落として靴で踏み付けて火を消した。
「もう止めだ・・・。」
静かな声で言うヘンリーに、牧師は不思議そうに首を右に傾げる。
「止め?何を止めるんだい?」
「怒るのも、落ち込むのも・・・それからお前にムカつくのもだ。」
ヘンリーは牧師の目を、じっと見つめて言った。
「僕は答えが欲しい。それだけなんだ。だから一々感情的になっていたら、切りが無い。話が進まない。」
そう言うと、鋭い目付きで牧師を睨み付けた。牧師は顎に手を添え、また首を傾げると、少し考えながら言う。
「成程・・・。落ち込んでいた訳じゃなく・・・考えていたのかあ・・・。何故スムーズに答えを教えて貰えないのか・・・を。君、意外と冷たいんだねぇ。ジンを傷付ける様な事言った癖にさ。」
ニヤリと笑うと、ヘンリーの頭をポンポンと数回軽く叩いた。
「実にいい子だ。」
そうしてまたケラケラと笑い出す。ヘンリーはそんな牧師に対して、表情を変える事なく言った。
「感情的になるから、ジンを傷付ける様な事を言ってしまったんだ。常に冷静でいれば、そんな事も言わないで済む。」
「あれ?冷たいんじゃなくて、優しいのかい?」
更に可笑しそうにケラケラと笑う牧師であったが、ヘンリーは動じる事はなかった。
「別に俺・・・傷付いてないけど・・・。」
離れた所から、ボソッと言うジンの方を牧師は見ると、白けた顔をする。
「君は黙っていてよ。せっかく楽しんでいるんだから・・・。」
冷たくあしらう牧師に、ジンは、今度は本当に傷付いた様子で、体操座りをし、その中に顔を埋めてしまった。そんなジンを見て、牧師は独り言の様に呟く。
「本当に・・・君のツボはよく分からないなぁ・・・。」
軽く溜息を吐くと、じっと自分を睨み続けるヘンリーの方を見て、ニコリと笑って見せた。しかしヘンリーは相変わらず牧師を睨みつけたままで、表情も態度も変わる様子はない。今度は両手で思い切り自分の顔を挟み、頬を寄せて顔を歪ませ、変な顔をして見せる。それでもヘンリーは、怒る様子も、ましてや笑う様子もなく、変わらないままだ。牧師はまた白けた顔をすると、今度は深く溜息を吐いた。
「はあぁぁぁ~・・・。もう一気に退屈になっちゃったねぇ・・・。分かったよ、負けたよ。こう変な決意とかされちゃうと、中々それを壊す事って出来ないんだよねえ。特に君みたいな生真面目な子供は・・・。」
牧師の子供と言う言葉にも動じる事なく、ヘンリーはただじっと牧師を睨みながら、立ち竦むだけだ。
牧師は鏡台の上に置いてあった食器を、食べ掛けの食事が皿の上に乗るまま、無雑作に重ね、一つに纏めると、手を伸ばしテーブルの上へと移した。少し座る位置を左にずらし、空いた右側を、ヘンリーに座る様にと、ポンポンと数回手で叩く。ヘンリーは促されるまま、鏡台の上に腰を掛け、牧師の隣に座った。
「教えてあげよう。でもその前に、一つ君を褒めてあげよう、少年。」
隣に座るヘンリーに顔を近づけると、牧師はニッコリと笑った。ヘンリーは表情を変える事なく、牧師に聞く。
「褒める?その話は長くなるのか?」
「そうだね、黙って私の話を聞いているだけなら、そんなに長くはないと思うよ。」
ヘンリーは少し考えると、無言で頷いた。
「うん、実にいい子だ。」
牧師はまたニッコリと笑い、ヘンリーの頭を撫でた。
「話が長くなったり、脱線するのはね、一々話の途中で喰らい付いてくるからだ。感情移入、又は感情的になってと言うのかね。何も意見せず、静かに話に耳を傾けているだけなら、簡潔に終わるんだよ。話は会話とは違うからねえ。話は聞く為の物で、意見を許されているのは、会話の方だ。話を最後まで聞いた時、やっと意見を言う事が許される。まぁ私の場合は、わざと話を脱線させる為に、途中で意見を言うんだけどねぇ・・・。私は別に急いではいないからさあ。」
ハハハッと笑うと、煙草に手を伸ばしかけるが、隣に座るヘンリーの姿をチラリと見ると、煙草から手を遠ざけた。
「煙草は止めておこうか・・・。」
そう言うと、どこか口寂しそうに、掌で口の周りを何度か擦った。ヘンリーは黙って、じっと牧師の顔を見つめた。そんな彼の姿勢に、牧師は満足気な表情をさせ、何度か頷く。
「うんうん、実にいい子だ。」
牧師は顔を埋めたままのジンの方を見ると、可笑しそうな顔をし、クスクスと笑いながらヘンリーの顔を見た。
「彼も今は静かだし・・・あぁ、元々静かだけど。君の褒めるべき所はねぇ、これは必然的だったにせよ、偶然だったにせよ、不死になる方法と同時に、不死を殺す方法を聞いてきた所だ。」
ヘンリーは無言で不思議そうに首を傾げた。牧師はニコリと笑うと、話を続ける。
「私は一応、不死になりたがっている奴等には、元の体に戻る方法はない事を初めに伝えるんだ。二度手間は嫌だしねえ。でも結局、どうすれば死ねるのかって聞きに来られたら、二度手間なんだけど・・・まぁ三度手間までにはならないからね。」
牧師の話を黙って聞くヘンリーは、特に何かを言いたそうな雰囲気も無く、ただ頷いた。
「うん・・・私は当人が知りたい事しか答えない。口は災いの元って言うし、何より聞かれていないんだから、答える義務も無い。だからそのせいで、失敗してしまう者も多いんだよ。」
そう言うと、ヘンリーへと顔を近づけ、ニンマリと笑った。
「そうだ!透明人間になりたがった奴の話をしてあげよう。彼はいい例だぁ・・・。」
目の前で、クククッと不気味な笑い声をあげて笑う牧師に、ヘンリーは思わず顔を後ろへと引いてしまう。牧師はゆっくりとヘンリーから顔を遠ざけると、足をブラブラとさせ、思い出話しをし始めた。
「一人の男が私の所に来たんだ。彼はねぇ、透明人間になる方法を教えてくれ、と言ってきた。まっ、透明になった時点で人間じゃあないんだから、透明人間って言う言葉は不適切だと思うんだけどねぇ~私は・・・。そんな事はどうでもいいとして・・・理由は借金返済の為だと言った。心の優しい彼は、友人の借金の保証人になってあげたらしいんだけど、またその友人が高跳びしちゃったみたいでさぁ~。可哀想に、借金の取り立てが彼の方に来たんだ。彼には家庭が有った。美しい妻に、可愛らしい愛娘。家も有り、仕事も有り・・・。だけど友人の借金のせいで、全てを失くした。家は取り上げられ、妻とは離婚。愛娘は妻が引き取り、借金の取り立てが来てしまう為、会う事も許されない。何とも可哀想にぃ・・・毎日返済の為だけに働く・・・残ったのはこれだけだ。不条理だと思わないかい?自分が借りた訳でもないお金を、毎日せっせと働いて返す。哀れだねぇ~実に・・・。」
悲しそうな顔をして見せて、何度も頷くと、今度は嬉しそうな顔をして、ヘンリーの方を向く。
「さて、ここで君に意見を言う事を許可しよう!その男は借金を返す為のお金を、盗む為に透明になりたいと言ったが、何処から盗もうとしたと思うかい?」
ニンマリと笑いながら、ヘンリーの顔に、自分の顔を近づけた。ヘンリーは後退りをしながらも、考える事なく牧師の質問に答える。
「銀行に決まっているだろ?大金を盗むなら、普通は銀行だ。」
そんなヘンリーの答えに、牧師は可笑しそうに両手を何度も叩きながら、ケラケラと笑った。
「アッハッハー!そうだよねえ!普通は銀行から盗むよね。と言うより、大金=銀行ってーのが、真っ先に頭に浮かぶよねぇ、普通は。」
可笑しそうに笑う牧師の姿を、ヘンリーは首を傾げて見つめた。しばらくは牧師の笑い声が地下室に響き渡ると、牧師は笑うのをピタリと止め、また静まり返った地下室に逆戻りをする。そして牧師は、静かな声で話の続きをし出した。
「そう・・・普通はそう考えるんだ。銀行から盗もうってさぁ・・・。でも彼は心の優しい人間だったんだよ。そして馬鹿でもあった。彼はねぇ、私が『何処からお金を盗むんだ?』って聞いたら、こう答えた。『返済をしている金融会社から盗む』ってねぇ。面白いだろう?せっかく透明になれるんだから、銀行から返済額以上のお金を盗んで、面白可笑しく暮らせばいい。だが彼の頭の中には、返済額以外のお金は無かったんだよ。そして『何故そこから盗む?』と聞いたらね、『元々自分が借りたお金でもないのに、奴等にお金を返し続けるのは間違っている。だから奴等のお金を盗んで、それを奴等に返せば、誰も傷付かずに済む』って言ったんだよ。本当、可笑しいだろう?」
そうして牧師は、またケラケラと笑い出した。
「自分が友人の代わりに金を返し続けている矛盾に、その時ようやく気付いたんだよ。本当、どこまでお人よしなんだか・・・。まぁその友人は行方知れずだし?そいつから金を盗もうにも、居場所が分からない。と言うより、逃げた位なんだから、そんな金持っていないだろうけどさあ。」
ケラケラと可笑しそうに、笑いながら言う牧師を見つめるヘンリーは、何か言いたそうな顔をしていた。そんなヘンリーに気付いた牧師は、口元をニヤケさせたまま、そっと人差し指をヘンリーの口元へと翳した。
「シー・・・ダメだよ。今は聞く時間だ。」
ヘンリーは無言で頷くと、牧師は満足気な顔をし、口元に翳した人差し指を、ゆっくりと下ろした。
「彼にねぇ・・・『何故銀行から盗まない?』と聞いたら、実に馬鹿げた答えを言ってきた。『銀行には沢山の人の大切なお金があるから、それを盗んだら困る人が沢山出てきてしまう』ってさぁ。実に馬鹿げている上に、下らない。人間と言うのは、どんなに良い奴を演じていたとしても、実際崖っぷちに立たされれば自分の事しか頭になくなる。神の様な振る舞いや行いをしていたとしても、自分が生きるか死ぬかの瀬戸際になれば、一番優先されるべき事柄となるのは、己の命だ。例え我が子の命と天秤に掛けられようが、本心は己。心の奥底では、我が子や愛する者が死んだとしても、自分は生きている事に安堵する。ましてやそれが他人であれば、皆喜んで見殺しにだってするだろうさ。それだけ自分が可愛いんだから・・・。それが本来の人間の姿だ。だが彼は馬鹿だったから、本来の姿にさえ気付かなかった。私はそこが気に入って、彼に透明になる方法を教えてあげたんだけどねえ。」
牧師の話を聞いていると、胸がチクチクと痛む気がし、ヘンリーは無意識に牧師から視線を逸らした。なんだか説教でもされている様な気分で、余り聞いていて面白い話ではなかった。
しかしそんな彼の事等気にもせず、牧師はまた坦々と話の続きをする。
「それから彼は見事に透明になり、お金を盗み、借金を全て返済した。お陰で彼の負担は一つ無くなったんだ。でも問題はまだ残っていた。愛娘に会えないと言う事だ。借金を返済し終えたとしても、娘に会える許可が親権者である母親から下りない限りは、会う事が許されない。だから彼はそっと娘を見守ったのさ・・・遠くから、時にはすぐ近くから・・・。まっ、透明だからねえ・・・。しかし娘を目の前にすると、今度は『会いたい』と言う欲求から『触れたい』と言う欲求にレベルアップしてしまう。そう・・・七つの大罪の内の一つ、『強欲』だ!彼は何度か娘の頬に軽く触れた。すると当然、娘は怯える。そりゃそうだ、突然頬に手の感触が伝わるんだ・・・。風でもない・・・人肌の感触・・・。目の前には誰も居ないはずなのに・・・だ。」
牧師は不気味な笑みを浮かべた。その不気味さは、この教会の地下室に似ている様に感じた。
「そして彼は思った・・・『もう借金取りに追われる心配もないのだから、元の姿に戻ろう』ってさ・・・。娘を怯えさせたくなかったんだろう。」
牧師は不気味に笑うのを止め、今度は呆れた顔をし、足をブラブラとさせた。
「でも困った事に、彼は元に戻る方法を知らなかったんだよねぇ~。で、また私の所に来た。仕方ないから教えてあげたよ。本当・・・二度手間だったよぉ~。」
そう言うと牧師は溜息を吐いた。いかにも面倒臭かったと言う顔をする牧師に、ヘンリーはクスリと小さく笑った。
「あれ?君、今いい気味だって思ったでしょう?」
ヘンリーの小さな笑いに気付いた牧師がそう言うと、図星と言わんばかりに、ヘンリーは慌てた様子で咳払いをする。牧師はまたも溜息を吐いた。
「はぁ~・・・聞く方はお気楽でいいよねえ・・・。」
気だるそうに言うと、ヘンリーはまたクスクスと小さく笑う。
「それで?だから僕を褒めるのか?お前が面倒臭い思いをしなくて済むから。」
小馬鹿にする様に、嫌味を交えて言ってみせるヘンリーに対し、牧師はまた深く溜息を吐く。
「あのねぇ~先に言っただろう?人の話は最後までちゃんと聞かないと、ダメだよ。私の話はまだ終わっていないよ。」
牧師の言葉に、ヘンリーはハッとしながらも、不思議そうに首を右に傾げ、今度は無言で小さく頷いた。
「よろしい!」
牧師はニッコリと笑うと、ヘンリーの頭をクシャクシャと撫でた。ヘンリーはそれを鬱陶しそうに、牧師の手を払い除けると、グシャグシャになった髪を両手で綺麗に整え直す。
「さて・・・と。話の続きだ・・・。」
そう言うと、つい癖で煙草に手を伸ばしてしまったが、思い出したかの様に、そっと煙草から手を遠ざけた。
「うん・・・。実は彼が透明になってから、2年以上は経っていたんだよ。まぁ盗んだお金をすぐに渡さなかった事があるからだ。理由は簡単。お金が盗まれた途端、彼が返済をして来たら、例え透明だったとは言え怪しまれるからだ。まぁ間が空けば、何か一発デカイのでも当てたのかと思われるだろうしねぇ。アリバイ作りみたいなもんだ。しかしその間彼はずっと透明だ。怪我をしても病院には行けず、鏡に自分の姿が映らないから、当然散髪も髭剃りも出来ない。そう・・・透明になっている間、自分がどんな姿をしているのか、自分自身も見る事が出来なかったんだよ・・・。そして数年振りの自分自身との御対面・・・どうなってたと思う?」
嬉しそうに不敵な笑みを浮かべながら、ヘンリーに問い掛けて来る。ヘンリーは牧師の話を想像し、ゴクリと生唾を飲み込んだ。
「ホームレスみたいな・・・感じか?」
恐る恐る聞くと、牧師は更にニンマリと不気味な笑みを浮かべた。
「失望と絶望だ・・・。最後に見た自分の姿は、清潔で・・・体も程良く引き締まり、平均男性の理想とも言える姿だった。彼はベジタリアンだったからねぇ。それが髪や髭は伸び放題のボサボサで、腹は醜くたるみ、体中傷だらけでグチュグチュに化膿していまっている部分もあった。ホームレスの方がまだマシだぁ・・・彼等には自分の姿が見える。自分の体の状態が把握出来るんだからねぇ。でもそれが出来なかった彼は、当然歯がボロボロになっていようが、足が腐りかけていようが、痛みは感じても確認が出来ない。鏡に映った自分の姿が、化物に見えたんだろうねぇ~。こんな醜い姿では娘に会えない。娘が自分の事を誰なのか分かって貰えるかも分からない。そう・・・彼は絶望の谷底に突き落とされたんだよ・・・。」
牧師の話を聞くヘンリーの顔は、自然と険しくなっていた。思わず自分に置き換え、想像をしてしまう。そして想像をすればする程、最悪な気分になり、圧迫される様な胸の痛みを覚え、眉間にシワが寄るばかりだ。
「そして彼は決めたんだ!」
ヘンリーの方を見て嬉しそうに言うと、牧師はまた足をブラブラとさせ、今度は天井の方を見つめた。遠い目をするかの様に。
「また透明になる事をね・・・。そして一生、透明のまま過ごすとさぁ。見るに耐え難かったんだろうねぇ~。醜い己の姿が・・。彼はそっと娘を見守り続ける事にしたんだ。そう・・・触れる事も、一緒に遊ぶ事も・・・年に一度の娘の誕生日を共に祝う事も諦め。一生側で見守り続ける・・・透明になってねぇ。何とも皮肉で、哀れな男だぁ。死んでしまっても、誰にも気付かれる事がないんだよ?だって透明なんだから。道端で死に絶えたとしても、誰もそれに気付かない。死んでからもだ。肉体が腐り朽ち果てて行こうが、誰も気付かない。悪臭がする位だろうねえ。死んだ時も、死んだ後も、誰にも気付いて貰えない。死んでも尚・・・孤独だ・・・。彼はその事を分かっているのかねぇ?」
牧師はその男が今はどうしているのかを、考える様に言った。目を細めて天井を見つめると、無雑作に煙草を手に取り、箱に入った一本の煙草を口に銜え、傍らに置かれた蝋燭の火に銜えたまま顔を近づけた。蝋燭の火で煙草に火を付けると、それをゆっくりと思い切り肺の中に吸い込み、一気に煙を吐き出した。目の前に出された御馳走を、ようやく食べられると言った具合に、牧師は今までで一番美味しそうに、味わう様に煙草を吸う。ヘンリーはそんな牧師の姿を、只黙ってじっと見つめているだけであった。何かを言おうにも、何を言えばいいのか分からず、何を聞けばいいのかも、自分でも分からずにいた。只その男が、牧師にとってなにか思い入れでもあるかの様に感じていた。
牧師は煙草を吸い終えると、とても満足気な顔をし、無言で見つめているヘンリーの方を向いた。
「さて、少年。これが君の褒めるべき所だ。分かったかい?」
牧師はニッコリと笑うが、ヘンリーは眉間にシワを寄せ険しい顔をし、首を大きく右へと傾げた。
「ちょっと待て・・・。これの何処が褒める所なんだ?」
牧師が結局、何が言いたかったのかが、全く分からないヘンリーは、先程の胸の痛みで険しくなるのではなく、訳の分からない話に悩み、険しい顔になっていた。
「その男が最初に元に戻る方法も、聞いておかなかった事が失敗だったのは分かる。そのせいで絶望をしてしまった事も・・・。でもそれが僕となんの関係があるんだ?僕の場合は不死だ。死ぬ方法が無いに等しい事は、何時聞いても同じじゃないのか?」
ヘンリーの言葉に、牧師は驚いた様子で、煙草をグリグリと鏡台に押し付けて火を消しながら、頭を掻き毟り言った。
「あれえ~?分からなかったかい?おかしいなぁ~分かる様に話したつもりだったんだけどぉ・・・。」
グシャグシャと頭を掻き毟る牧師に対し、ヘンリーは膨れた顔をして言った。
「お前の話は、長い上に遠まわし過ぎるんだ。はっきり言って、お前は話をするのが下手糞なんだよ!」
ヘンリーのキツイ一言に、牧師はガックリと首をうな垂れ、落ち込んでしまう。力ない溜息を吐くと、チラリとジンの方を見るが、ジンは未だに顔を埋めたまま座っている。
ジンに助けを求めようと思ったが、当てが外れてしまった牧師は、仕方なく自信無さ気に説明をし始めた。
「えっと・・・だからね、つまり・・・。気付くタイミングの話だよ。透明の場合は、後戻りするのに後から気付いても、元には戻れる訳だけど、それが早い段階に越した事はないだろう?不死の場合は、不死になる前に気付かなければ、後戻りが出来ない訳だ。最初から簡単に死ねないって知っていれば、不死になるのを思い止まる事が出来る訳だ。」
「つまりは、偶然とは言え僕が先に死ぬ方法を聞いた事が、褒めるべき所って事だろ?それはお前が最初に言った。そしてその男は、もっと早い段階で元に戻る方法について気付き、聞いていればこんな悲劇にはならなかったかもしれない、って事か?」
素っ気なく言うヘンリーに、牧師は愛想笑いをするかの様にニコニコとし、何度か頷いた。
「そうそう!つまりはそう言う事だよぉ。偶然とは言え、君は最初の段階で気付き、彼は気付くのが遅くて、気付いた時には終わってたって言うさぁ。」
軽く頭を掻きながら言う牧師を、ヘンリーはじっと冷たい眼差しで見つめた。そして呆れた顔で深く溜息を吐くと、突然牧師の胸倉を左手で掴み、グッと自分の顔を近づけた。
「それで?僕に思い止まれと?不死になるのは諦めろといいたいのか?説教でもしているつもりだったのか?」
低く静かな声で、牧師を睨み付けながら言うヘンリーに対し、牧師は鼻で笑った。
「何が可笑しい?」
静かに怒りを見せるヘンリーを、子犬に睨まれた程度にしか思っていない牧師は、胸倉を掴んだヘンリーの左手を、片手で軽く払い除けると、今度は逆にヘンリーのネクタイを思い切り右手で掴み、グイッと自分の方へと手繰り寄せた。
「最初に言ったろう?ちゃんと教えてあげるってさぁ。それに・・・一々感情的になるのは、止めたんじゃあなかったのかい?」
薄ら笑いを浮かべて静かに言うと、掴んだ右手をパッと離し、乱れた彼のネクタイをそっと直した。ヘンリーは睨みながらもゆっくりと体を牧師から遠ざけると、ホッと息を吐く。
「そうだったな・・・。一々感情的になるのは止めたんだ。」
牧師に対し恐怖を感じた訳ではなく、もう少しで、また感情向き出しの自分に戻りそうになっていた事に気付いたヘンリーは、牧師の言葉で冷静さを取り戻し、ホッと安心をした。またここで牧師に対し怒ってしまえば、振り出しに戻ってしまう。
怒りと言う感情は、自分では上手くコントロールをして抑えているつもりでも、実際はそんなに上手く抑えられてなんかはいない。無意識に込み上げ、無意識に表に飛び出して来てしまう。人に指摘され、初めてその事に気付く。そう思うと、自分の不甲斐無さに嫌気が指し、ヘンリーは鏡台から下り、ゆっくりと牧師から遠ざかった。そしてストーブの前で座り込むジンの隣に座ると、同じ様に体操座りをし、顔をその中に埋めてしまった。
二人揃ってストーブの前で体操座りをし、顔を埋めるその姿は、まるで仲良く転がる団子虫の様で、牧師はその光景を、呆れた顔で見つめた。そして地下室には、牧師の大きな溜息が漂う。
教会の外は、すっかり真っ白な雪に覆われ、生クリームでも上から塗りたくったかの様に、街中雪が積もっていた。
建物の隅には、野良猫2匹が寄り添い、お互いの体を温め合う様に丸くなっている。教会の地下室では、その野良猫の様に、ジンとヘンリーが仲良く隣同士、丸くなって座っていた。そんな二人の姿を、いい加減見飽きてしまった牧師は、両手を大きく翳し、パンッパンッっと二回強く叩いた。
「さぁさぁ!二人ともいつまでそうしているつもりだい?確かに私は急いではいないけど、退屈なのは嫌いなんだよぉ~。」
声を張り上げ、集合でも掛ける様に言うが、二人は何の反応も示さない。牧師からはまた溜息が零れるが、ここで自分まで同じ様に丸まってしまっても、なんの面白みもないと思い、今度はヘンリーが食い付きそうな言葉を発した。
「よぉ~し!じゃあ不死になる方法でも教えてあげようかなぁ~!」
チラリとヘンリーの方を見ながら言うと、牧師の思惑通り、その言葉にヘンリーは反応をした。そしてゆっくりと顔を持ち上げると、牧師の方を見て、嬉しそうな顔をする。
「教えてくれるのか?」
牧師はニコニコと微笑みながら頷くと、ヘンリーは嬉しさの余り立ち上がり、隣で丸まっているジンの肩を何度も揺すった。
「ジン!ジン!教えてくれるって!やっと教えて貰えるんだ!」
子供の様にはしゃぎながら、何度もジンの肩を大きく揺すりながら言うと、ジンもゆっくりと顔を持ち上げ、虚ろな目でヘンリーを見た。
「え・・・?何・・・?」
目の前で嬉しそうにはしゃぐヘンリーを、不思議そうに見つめると、ジンは寝むそうに目を擦った。
「だから!教えて貰えるんだよ!」
「あぁ・・・そうか・・・。よかったな・・・。」
はしゃぐヘンリーとは真逆に、ジンは虚ろな声で答える。そんなジンを見て、牧師は一言ボソリと呆れ顔で言った。
「君・・・寝てたでしょ?」
牧師の一言に、ジンは無言で頷いた。ジンは大きなアクビをすると、また寝むそうに目を擦り、重そうに体を持ち上げ、ゆっくりと立ち上がった。
「え?・・・なに、ジン寝てたの?落ち込んでたんじゃないの?」
ピタリとはしゃぐのを止め、牧師とジンの顔を交互に見るが、二人とも黙ったままで何も言わない。
牧師がワザとらしく咳払いをすると、ジンはヘンリーの腕を掴み、椅子の方へと引っ張った。
「ジン、寝てたの?ねえってば?」
しつこく聞くヘンリーを無視し、ジンは彼を椅子に座らせると、軽く顔を赤らめて言った。
「さぁ・・・教えて貰え・・・。」
そして今度はストーブの前ではなく、ヘンリーの後ろに立った。ヘンリーが後ろを振り向こうとすると、ジンはそれを阻止する様に、ヘンリーの頭を両手で掴み前へと戻す。
(照れているのか?恥ずかしいのか・・・寝てた事が・・・。本当、ジンのツボはよく分からないな・・・。)
そんな事を思いながらも、ヘンリーはまた後ろを振り返ろうとするが、ジンがそれを許してはくれない。
何度か同じやり取りが続くと、いい加減ヘンリーも諦め、今度は真っ直ぐと顔を前に向け、牧師の方を見る。すると二人のやり取りを見ていた牧師が、クククッと可笑しそうに笑っていた。
「笑うなよ・・・。」
今度はヘンリーの顔が赤くなり、二人揃って顔を赤らめ、ソッポを向いて仲良く縦に並ぶ姿に、牧師は更に笑う。
「笑うなって!」
ヘンリーが怒鳴ると、牧師は片手をヒラヒラとさせながら、笑いながら頷いた。
「それで?教えてくれるんじゃなかったのか?」
膨れた顔で言うヘンリーに対し、牧師は何度か深呼吸をし、笑いを納めると、ゆっくりと目を閉じ、顔を伏せた。そしてまたゆっくりと目を開けると、それまでのにやけた顔とは違い、鋭い目付きでヘンリーの顔を見る。微かに口元はにやけていたが、その表情は今までで一番真剣であり、獲物を捕えた獣の顔の様であった。
牧師はゆっくりと顔を上げると、胸元で小さく十字を切り、静かに声を発した。
「よし、教えてやろう。お前の知りたい答えを。」
その言葉と同時に、地下室の空気がガラリと変わった気がし、ヘンリーの顔も思わず真剣な眼差しへと変わった。まるで何かに圧迫される様な、重たい重圧が心に圧し掛かり、どこか恐怖を感じた。それは牧師が、ヘンリーの肩に手を置き、耳元で囁いた時と同じ様な、恐怖と圧迫感。
ヘンリーは生唾を飲み込むと、無言で頷いた。
「よし。」
牧師もまた頷く。
先程までヘンリーの後ろに立ち、顔を赤らめていたジンは、そっと彼の側から離れ、三・四歩後ろに下がっていた。ちょうど椅子が倒れて来ても、当たらない位の距離。答えを聞いたヘンリーが、また勢いよく立ち上がり、椅子が倒れて来る事が分かっているかの様に。そのジンの姿を確認した牧師は、またゆっくりと静かな声で話し始める。
「不老不死になる方法。その答えは、ネクターを飲む事だ。」
真剣な声でそう言うと、ニッコリと笑った。牧師の答えを聞いたヘンリーは、ポッカリと口を開けたまま、万弁ない笑みを浮かべる牧師の顔を、ただただ見つめるだけだ。
「いやぁ~よかったねぇ、少年。これで君も、晴れて不老不死だぁ。」
そう言って、可笑しそうにハハハッと大笑いをする牧師に、唖然としていたヘンリーの顔は徐々に険しく変わり、ジンの思っていた通り、勢いよく立ち上がった。
椅子は勢いのまま、思い切り後ろに倒れ、大きな音を立てる。ヘンリーの怒りを露わすかの様に。
「ふっ・・・ふざけるな!」
大声で叫び、今までで一番の怒りを露わにするヘンリー。その怒りは、これまでに堪えていた物を一気に吐き出すかの様に、止まる事なく噴き出した。
「なにがネクターだ!あんな物、そこら辺に売ってる物じゃないか!」
一度噴火をしてしまった火山は、中々治まる事はなく、ヘンリーの怒りの叫びは続く。
「ネクターだと?だったら世界中の奴が、とっくに不老不死じゃないか!やっぱり僕を騙したんだな!グレイスには教えた癖に、僕には教えないのか!」
全身から怒りを露わにし、怒鳴り続けるヘンリーであったが、牧師は変わる事なくニコニコと笑っており、予想通りの反応、と言った具合に楽しそうに彼の姿を見ていた。
「今まで散々焦らしておいて、その答えがネクターだと?・・・ふざけるのも・・・いい加減にしろ!」
最後の叫び声と共に、足の力が抜け、ヘンリーは息を切らせながら、ガックシと崩れる様に床に膝を落とした。
全身で怒りを露わしたヘンリーに、今度は一気に脱力感が襲い、体中の力が抜ける。そんな彼の姿を、ジンはただ、表情を変える事も無く、無言でじっと見つめているだけであった。
「まぁまぁ、ちゃんと最後まで聞こうよ。」
うな垂れるヘンリーに、軽い口調で話しかける牧師は、鏡台の灰皿変わりの引き出しから、一つ下の引き出しを開けると、その中から白い粉の入った、透明の小さな小瓶を取り出した。ちょうどショートブレッド一本分位の大きさだ。
「それにこの魔法の粉を加えます。何の粉かは、聞いちゃあダメだよ?企業秘密だからさぁ。」
そう言うと、嬉しそうに小瓶をブラブラと揺らした。ヘンリーはゆっくりと顔を上げ、牧師の手に持つ小瓶を睨み付けると、重そうに体を持ち上げ、牧師の元へゆっくり近づいて行った。
牧師の前まで来ると、牧師が右手に摘まんで持つ小瓶にそっと手を伸ばし、恐る恐るその小瓶を手にした。牧師はゆっくりと小瓶から手を離すと、そのまま右手をヘンリーの頭に乗せ、クシャクシャと頭を撫でる。
「よしっ!じゃあこれから作り方の説明に入ろう!」
嬉しそうに言うと、睨み続けるヘンリーを余所に、彼の頭の上から手を退かすと、淡々と説明をし始めた。
「まずネクターと言っても、市販の物じゃあダメだ。ちゃんと自分で作らないといけない。まぁ、果物は市販の物でもいいけどねぇ。分量があるからさぁ~。ちゃんとした分量!市販の物は、薄めてあるだろう?」
「ちょっと待て!この粉は何だ?まさか・・・麻薬とかじゃないだろうな?」
牧師の説明を遮り、睨み付けながら言うヘンリー。そんなヘンリーに、牧師はまた可笑しそうに笑うと、もう一度彼の頭を軽くポンポンッと数回叩き、ニコヤカに言った。
「大丈夫だよ、そんな物渡したりしないから。さっきも言った様に、企業秘密。」
そう言うと、人差し指を口元に翳した。しかしそんな説明等、納得がいかないと言った具合に、ヘンリーは更に鋭い目付きで睨み付ける。
「教えろ!もし麻薬だったら、通報してやる!」
引き下がる様子のないヘンリーを見て、牧師は軽く溜息を吐き、渋々粉の正体について渋々話し出した。
「仕方ないなぁ・・・君は中々頑固だから・・・。先に言っておくけど、通報しても意味ないよ。これ実際麻薬とかじゃあないしね。これはねぇ、人魚の肉を干して、粉末状にした物なんだよ。知ってる?人魚。」
ヘンリーの手に持つ小瓶を指差すと、ニッコリと笑った。ヘンリーは牧師の『人魚』と言う言葉に、睨み付けたまま首を軽く横に振る。
牧師はヘンリーから小瓶を取り上げると、またブラブラと小瓶を左右に振りながら、説明をした。
「人魚って言うのはねぇ、その名の通り、半分は人の姿をしていて、半分は魚の姿をしているんだ。まぁ半漁人と同じ感じかなぁ?人魚は日本にしか生息していなくてねぇ。その血肉を食べれば、不老不死になれると古来から言われている。」
「だったら、その粉だけで十分じゃないのか?」
ヘンリーの質問に、牧師は指を翳しながら、チッチッチッと舌を鳴らした。
「この人魚の血肉は猛毒でもあるんだ。だから、昔の人は毒として使用していたんだぁ。しかし不老不死になる手助けをしてくれるのも事実!そこで、だ!この毒を浄化させる為に、ネクターに混ぜるんだよ~。」
牧師の説明を聞くが、余り理解が出来ず、ヘンリーは不思議そうに首を傾げた。
「分からない?まっ、そうだろうねぇ。簡単に言うとだねぇ、果物に含まれている酸で毒成分を浄化させるんだ。果物の種類によって酸や成分が違ったりするからねぇ、分量は大事なんだよ。ネクターはその分量にピッタリだからって所かな、うん。」
そう言うと、何度も頷いて見せた。
牧師の説明を聞いたヘンリーは、腑に落ちない所が沢山あったが、グレイスの事を思い出し、また牧師の手から小瓶を自分の手に取った。小瓶をじっと見つめるヘンリーに、牧師は嬉しそうに言う。
「試に舐めてみるかい?」
顔をニヤニヤとさせながら言ってくる牧師に、ヘンリーは思わず、首を思い切り横に振った。
「うん、その方が賢明だねえ。」
また何度か頷くと、無雑作にポケットから紙とペンを取り出し、グシャグシャの紙にメモを取りながら言った。
「ここに必要な果実の名前と、分量を書いて置くよ。忘れちゃうと困るだろう?オレンジ、和ナシ50%。イチゴ、カキ、アンズ、パパイア、マンゴー、キウイ、西洋ナシ40%。モモ、リンゴ30%。それから・・・バナナ、ウメ、グアバ20%・・・っと。こりゃレシピだねぇ。それから隠し味で、無水エタノールを8%。これを細かく磨り潰して、最後にこの粉を入れてよくかき混ぜる。その後一日置けば、飲み頃だよ。」
そして書き終えたメモを、ニッコリと笑いながら、ヘンリーに差し出した。ヘンリーは差し出されたメモを受け取ると、小瓶とメモを交互にじっと見つめ、その後牧師の顔を見つめた。
「嘘だったら、殴りにもう一度来るからな・・・。」
まだ納得は行かない物の、仕方なくメモと小瓶を、ズボンのポケットの中へと仕舞った。
「ま、騙されたと思って試してみなよ。実際それでグレイスも不死になった訳だし?ねぇ。」
足をブラブラとさせながら、気楽に言って来る牧師であった。ヘンリーは不満を感じながらも、グレイスと言う言葉で、どこか本当の様な気もし、嘘だったのならばまた文句を言いがてら来ればいい、と思い、牧師に向かって軽くお辞儀をした。
「いいねぇ。礼儀正しい子は、好きだよ。」
牧師は満足気な表情をして見せると、鏡台から軽く飛び降りた。
「さっ、ジン。お客様のお帰りだよう。お送りして。」
牧師がそう言うと、ジンは無言で頷き、入口の方へと向かい出した。ヘンリーは牧師の顔を睨みながら、ゆっくりと背中を向け、ジンの後ろへと続く。
二人が入り口へと差し掛かると、ヘンリーは足を止め、振り返る事なく言った。
「ありがとう・・・。」
小さい声で、只一言だけ言うと、また足を前に進ませ、そのまま入り口を潜り抜けて行った。
しばらくはコツコツ、と二つの足音が聞こえていたが、もうしばらくするとその足音は徐々に遠ざかり、最終的には完全に聞こえなくなっていった。
「違うよ、『さようなら』だよ、少年。」
誰も居なくなった地下室で、牧師は呟くと、クククッとまた不気味な笑い声を上げる。その笑い声は、静かに地下室に響いた。
ヘンリーとジンは地下室から上がり、教会の外へと出ていた。
久しぶりの外の景色は、来た時に比べるとすっかりと変わり果て、薄らと積もっていた雪は、分厚く何重にも重ねられていた。粉砂糖の様な雪は、大副程の大きさになっており、それが空から沢山降って来ている。吐く息は綿菓子の様に白く染まり、見上げて見た空は灰色に覆われ、先程の地下室の天井と同じ色をしていた。
「寒っ・・・!」
吹き付ける風は無い物の、空気は冷たく冷え切っており、スーツ姿のヘンリーの体には、とても凍える。
「コートは着て来なかったのか・・・?」
小刻みに震えながら頷くヘンリーの姿を見たジンは、一度教会の中へと戻って行った。もう一度外に出て来た時は、右手に黒いコートを手にしており、それをヘンリーへと差し出す。ヘンリーはジンからコートを受け取ると、いそいそとコートを羽織った。
「ありがとう。ここに来る時、頭の中は不死の事で一杯だったから・・・寒さとか、そんなの忘れてたや。」
少し恥ずかしそうに、ヘンリーはコートの前ボタンを閉めながら言った。
コートは大人用だった為、子供のヘンリーにはとても大きく、袖の中にすっぽりと手が隠れてしまっていた。しかしそのお陰で、手は空気に触れる事が無く、多少は暖かかい。
重そうにコートの襟を持ち上げ、首周りを立てた襟で覆うと、半分顔が隠れた状態でジンに聞いた。
「ねぇ・・・あの方法・・・。ジンも同じ方法で不死になったの?」
不安そうに聞いて来るヘンリーに、ジンは一瞬間を置いてから、無言で頷いた。その返答を見たヘンリーは、安心した様子で、柔らかい笑顔を見せた。
「そっか、ジンも同じなら、本当って事だよね。」
「あぁ・・・そうだな・・・。」
嬉しそうに笑うヘンリーの顔を見て、ジンはそう言いながらも、視線を足元へと落とした。
「じゃあ、もう行くよ。ジンもありがとう。また何処かで会えたらいいね。」
「あぁ・・・そうだな・・・。」
「あっ!でもあの牧師には、もう二度と会いたくないけど・・・。」
そう言って、クスクスと笑うヘンリーであったが、ジンの顔からは、笑顔は見られなかった。いつもの様に、無表情のままだ。
「それじゃあね、ジン。」
そう言うと、ヘンリーは軽く手を振った。
「あぁ・・・。」
ジンも軽く手を振ると、ヘンリーはニッコリと笑い、そのまま後ろを向き、教会を背に、降り積もる雪の中を、ゆっくりと歩いて行った。
キュッキュッと雪を鳴らしながら歩いて行くヘンリーの姿は、段々と小さくなり、やがては舞い降りる雪に覆われ、見えなくなって行く。その姿が完全に見えなくなると、ジンは古びた木造の、大きな教会の扉を、ゆっくりと開いた。扉からはギギギッと、錆付いた鉄の音がし、ジンは扉を潜りながら、ヘンリーの去った先へと視線を走らせる。視線をじっとそちらに見つめたまま、また鉄錆の音を響かせながら、ゆっくりと扉を閉めた。




