魔王城前です。集合してください。既読1
【12月6日】
勇者カイル【20:00】
『みんな、聞いてほしい。
明日だ。
ついに明日、俺たちは魔王城の門をくぐる。
長かった。
王都を出てから三年。
最初は五人で始まった旅だった。
金がなくて宿にも泊まれず、ゴブリンに追われて畑へ飛び込み、川を渡れず泣きそうになった夜もあった。
雪山では本当に死にかけた。
あの時、ガルドが背負ってくれなかったら俺は今ここにいない。
古代遺跡で呪いを受けた時は、リリアが三日間寝ずに祈り続けてくれた。
魔王軍四天王との戦いでは、ノアの魔法がなければ全員死んでいた。
エリオ。
お前には迷惑ばかりかけた。
荷物持ちも、宿探しも、資金管理も、交渉も、地図も、飯の手配も、野営地の確保も、ガルドの靴下捜索も、リリアの迷子回収も、ノアの実験後始末も。
全部お前に押し付けてきた。
でも、お前がいてくれたから俺たちはここまで来られた。
だから明日、必ず勝とう。
世界のためもある。
人々のためもある。
でも俺はまず、みんなと生きて帰りたい。
集合場所は魔王城正門前。
集合時刻は午前十時。
装備確認を済ませ、各自、万全の状態で来てほしい。
遅刻厳禁。
明日、世界を救おう。』
【既読 1】
勇者カイル【20:12】
『みんな?』
【既読 1】
勇者カイル【20:31】
『読めてる?』
【既読 1】
勇者カイル【20:58】
『明日決戦だぞ?』
【既読 1】
勇者カイル【21:01】
『魔王城だぞ?』
【既読 1】
勇者カイル【21:02】
『世界だぞ?』
【既読 1】
勇者カイル【個別 21:03】
『増えない』
【既読 1】
魔王との決戦前夜。
勇者カイルから俺、エリオに届いた個別連絡は、それだけだった。
増えない。
何が増えないのか、見なくても分かる。既読だ。
俺は机の上の魔導連絡板を見下ろした。勇者の魂、三年分の旅路、仲間への感謝、世界への覚悟。その下に、冷酷な数字が張りついている。
【既読 1】
俺だけだった。
明日は魔王城。人類最後の決戦。その前夜、勇者パーティの最大の敵は未読だった。
胃が重い。俺はこの重さを知っている。
宿の予約を誰もしていなかった夜。ガルドが「剣はある」と言って靴を忘れた朝。リリア様が「神のお導きです」と言いながら反対方向へ歩いた昼。ノアさんが道案内の地図を魔法陣の素材にした夕方。
あの重さだ。
明日の敵は魔王。今夜の敵は、仲間の生活能力。
扉が叩かれた。
どん。
どん。
どん。
返事をする前に三回目が来る。強い。速い。絶望が木製の扉を殴っている。
「エリオ」
開けると、勇者カイルが立っていた。金髪は乱れ、青い目は濡れている。鎧も剣もない。なのに全身から戦場帰りみたいな疲労が出ていた。
「増えない」
「そうですね」
「決戦前日だぞ?」
「そうですね」
「魔王城だぞ?」
「そうですね」
「世界だぞ?」
「そうですね」
「なんでだよ」
声が割れた。勇者の声ではない。学園祭の集合写真に自分だけ呼ばれなかった少年の声だった。
カイルは馬鹿みたいに真っ直ぐだ。明日、死ぬかもしれない。だから今日、仲間へ言葉を残したかった。ありがとう。勝とう。生きて帰ろう。そう言いたかった。
誰も読んでいない。
勇者が今、魔王より既読に負けている。
「返信させてきます」
俺が言うと、カイルの顔に光が戻った。勇者の光だ。いや、保護者を見つけた迷子の光だ。
「頼む」
「まず聖女様から」
「リリアは祈っているはずだ。明日のために心を静めているんだと思う」
俺は答えなかった。
勇者には夢を見る権利がある。俺には現場を見る義務がある。
*
聖女リリアの部屋は、宿の二階奥にある。
扉の向こうから聞こえてきたのは、祈りではなかった。
寝息だった。
深い。聖なる森の奥にある泉くらい深い。
「リリア様。エリオです」
返事はない。
「明日、魔王城です」
返事はない。
「勇者様が泣きそうです」
返事はない。
「朝食は焼きたての白パンです」
「ん……」
反応した。
魔王城では起きない。白パンでは揺れる。
俺は静かに扉を開けた。聖女リリアは白い寝間着のまま、布団に沈んでいた。枕元の魔導連絡板が青く光っている。
未読通知。
世界を救う連絡が、聖女の枕元で孤独死しかけている。
「リリア様。勇者様の投稿を読んでください」
「読んで……います……心で……」
「目でお願いします」
「心の目で……」
「普通の目でお願いします」
リリア様はようやく片目を開けた。眠そうな指が連絡板をつかむ。画面を見る。数秒止まる。そして、ふわっと微笑んだ。
嫌な予感がした。
聖女リリア【21:18】
『応援しています✨』
【既読 2】
勇者カイル【21:18】
『リリアも戦う側だぞ』
【既読 2】
勇者カイル【21:18】
『応援席じゃないぞ』
【既読 2】
勇者カイル【21:19】
『現地だぞ』
【既読 2】
カイルの返信が速い。泣きそうだった男が、そこだけは光の速さで刺した。
「リリア様」
「応援は大事です」
「大事です。ですがリリア様は応援される側です」
「私が……?」
「あなたが」
「現地で……?」
「現地で」
「魔王城に……?」
「魔王城に」
「まあ」
まあ、ではない。
「返事だけください。明日十時、魔王城正門前に行くと」
「寝言では駄目ですか」
「文字でお願いします」
「厳しい神……」
「エリオです」
リリア様の指が、眠そうに文字を打った。
聖女リリア【21:22】
『現地で応援します✨』
【既読 2】
勇者カイル【21:22】
『戦ってくれ』
【既読 2】
聖女リリア【21:23】
『戦います✨』
【既読 2】
勇者カイル【21:23】
『ありがとう』
【既読 2】
よし。
聖女返信完了。
リリア様は連絡板を胸に抱えたまま、すとんと布団に戻った。速い。滝のように寝た。
止めない。目的は起床ではない。返信だ。
明日の朝、また起こせばいい。
*
次は剣士ガルド。
場所は分かっている。酒場だ。
扉を開けた瞬間、熱気と麦酒の匂いが顔面を殴ってきた。笑い声。肉の脂。歌。拍手。なぜか胴上げ。
中央に、剣士ガルドがいた。
「魔王討伐、前祝いだあ!」
「うおおお!」
「勝った!」
「まだ勝ってません」
俺の声は酒場の熱に飲まれた。
ガルドは酒樽の上に立っていた。片足で。片方の靴はない。剣はある。靴はない。この男はいつも命より先に靴を置いてくる。
「ガルドさん」
「おお、エリオ! 来たか! 飲め!」
「飲みません。明日決戦です」
「知ってる! だから勝った時の練習をしてる!」
「祝勝会の予行演習ですか」
「本番で失敗したくないからな!」
「戦闘の練習をしてください」
ガルドは豪快に笑った。息が酒くさい。近い。強い。酒と筋肉と勝利予定の匂いがする。
剣士ガルド【21:46】
『勝った』
【既読 3】
勇者カイル【21:46】
『まだだ』
【既読 3】
剣士ガルド【21:47】
『気持ちでは勝ってる』
【既読 3】
勇者カイル【21:47】
『体で来てくれ』
【既読 3】
カイルが泣きながら正論を打っている気配がした。
「ガルドさん。集合時刻は?」
「昼!」
「午前十時です」
「昼前!」
「雑に近づけないでください」
「なら十時!」
「場所は?」
「魔王!」
「場所です」
「城!」
「合わせてください」
「魔王城!」
「正門前です」
「細かいな!」
「集合場所なので」
酒場の客が笑っている。笑い事ではない。人類の命運は今、酔っ払いの単語連想ゲームにかかっている。
「連絡板に打ってください。十時、魔王城正門前」
「任せろ!」
ガルドは連絡板をつかんだ。指が太い。画面が小さい。嫌な予感がする。
剣士ガルド【21:55】
『住持 まおうじょう しょもんまえ』
【既読 3】
勇者カイル【21:55】
『十時だ』
【既読 3】
剣士ガルド【21:56】
『十時 まおうじょう しょもんまえ』
【既読 3】
勇者カイル【21:56】
『よし』
【既読 3】
よし。
剣士返信完了。
誤字はあった。酔ってもいた。靴も片方なかった。だが、返信はした。
勝ちだ。
「エリオ! 飲んでいけ!」
「行きません」
「薄情者!」
「明日、魔王城正門前です」
「十時!」
「はい」
「勝った!」
「まだです」
今夜の任務は返信。剣士の靴は明日の朝でいい。
*
最後は魔法使いノア。
研究室にいる。起きている。ここだけ聞けば、聖女と剣士よりはましに見える。
見えるだけだ。
扉の隙間から紫の光が漏れていた。紙のめくれる音。薬瓶の転がる音。小さな爆発音。何かが焦げる匂い。
明日、決戦である。
「ノアさん。エリオです」
返事はない。
「ノアさん」
返事はない。
「明日、魔王城です」
返事はない。
「研究室が燃えています」
「燃えてない」
そこは聞こえるのか。
中は本で埋まっていた。床にも本。机にも本。椅子にも本。窓枠にも本。人間の部屋ではない。知識が繁殖した巣だ。
中央に、魔法使いノアがいた。銀髪ぼさぼさ。目の下にくま。指先はインクで黒い。耳には魔力遮断耳栓。
人の話を聞く気がない装備である。
「ノアさん」
「……」
「ノアさん」
「……」
肩を叩く。反応なし。目の前で手を振る。反応なし。机の上の焼き菓子を一つ取る。
「それは私の」
聞こえる基準がおかしい。
「勇者様の連絡を読んでください」
「今、集中してる」
「何をしているんですか」
「勇者の文章を圧縮してる」
「本人が泣きます」
「泣いても短い方が届く」
「泣かせないでください」
ノアは羊皮紙に魔法陣を書き込み、カイルの長文を指でなぞった。文字が淡く光る。収束する。圧縮される。勇者の三年が、すうっと削れていく。
やめろ。
それは戦闘で使う技術だ。仲間の情緒に使うな。
魔法使いノア【22:16】
『長いので要約した』
【既読 4】
勇者カイル【22:16】
『読む前に要約するな』
【既読 4】
魔法使いノア【22:17】
『明日十時。魔王城正門前』
【既読 4】
勇者カイル【22:17】
『俺の三年は?』
【既読 4】
魔法使いノア【22:18】
『集合には不要』
【既読 4】
勇者カイル【22:18】
『必要だ』
【既読 4】
分かりやすい。
ノアは感情を削る。カイルは感情でできている。相性が最悪だ。
だが、返信はした。時刻も場所も正確だ。人類は少しだけ前進した。
「ノアさん。明日十時、魔王城正門前。来ますね?」
「行く」
「よし」
「エリオ」
「はい」
「カイルに伝えて」
「何をですか」
「次から要点を先に」
「本人に直接言ってください」
「長くなりそう」
「短く言ってください」
ノアは少し考えた。
魔法使いノア【22:21】
『要点先』
【既読 4】
勇者カイル【22:21】
『分かった』
【既読 4】
魔法使いノア【22:21】
『あと文章は嫌いではない』
【既読 4】
勇者カイル【22:22】
『ありがとう』
【既読 4】
勇者が救われた。たぶん少しだけ。
ノアにしては最大級の褒め言葉だ。ノアは用件を済ませると、もう俺を見ていなかった。また術式へ戻っている。
いい。
返信はした。
魔法使い返信完了。
*
部屋に戻った時には、足が重かった。
魔王軍と戦った後より疲れている気がする。剣は抜いていない。魔法も使っていない。ただ、寝ている聖女に返信させ、酔った剣士に時刻を打たせ、集中しすぎた魔法使いに要点を書かせた。
世界を救う準備とは何なのか。
俺は机に座り、魔導連絡板を見た。
聖女リリア【22:32】
『すや……』
【既読 4】
勇者カイル【22:32】
『寝たな』
【既読 4】
剣士ガルド【22:33】
『勝った』
【既読 4】
勇者カイル【22:33】
『まだだ』
【既読 4】
魔法使いノア【22:34】
『明日十時。魔王城正門前。以上』
【既読 4】
勇者カイル【22:34】
『以上にするな』
【既読 4】
勇者カイル【22:35】
『でも全員ありがとう』
【既読 4】
よし。
全員、返事をした。全員、明日の集合時刻を認識した。全員、人格に問題はある。だが、返事をした。
俺は連絡板を伏せ、明日の起床順を頭の中に並べた。
リリア様は白パンで起こす。ガルドさんは酒場から引きずる。ノアさんは焼き菓子を人質にする。カイル様には、次から集合時刻を一行目に書かせる。
ようやく眠れる。
そう思った瞬間、魔導連絡板が光った。
勇者カイル【22:41】
『今日はありがとう。
リリア。
寝ていても返事をくれてありがとう。
ガルド。
酔っていても返事をくれてありがとう。
ノア。
俺の文章を削ったことは一生忘れない。
でも返事をくれてありがとう。
エリオ。
今日一番戦ったのは、お前だった。
明日、午前十時。
魔王城正門前。
五人で行こう。
五人で帰ろう。
みんなを信じてる。』
【既読 1】
また一つに戻った。
白パンを焼かせる。
酒場へ迎えに行く。
研究室を爆破する前に止める。
勇者の情緒を保護する。
明日いちばん忙しいのは、たぶん魔王じゃない。
俺だ。




