転生したらオウムでしたので、お嬢様の恋を見守ります
素晴らしい人生だった。
何者でもない人生だったけど、子どもにも恵まれ、夫もまぁまぁ優しかったし。
総合点としては、いい人生だったと思う。
そうして私は、目を開けた。
新しい人生。
今度は何が私を待ち受けて――
「え!? 青いんですけど!」
私の目の前にいる少女は、眉を寄せて私を見た。青い瞳、金の髪。フランス人形のような、彼女。
「……まずは“こんにちは”とおっしゃいなさいな。
なんなのです? “青いんですけど”とは」
「え……こんにちは」
少女は無表情だが、しっかりと頷いた。
彼女の瞳に映る私。
――いや、まさかね。
恐る恐る、視線を下げる。
瑠璃色の羽根。
枝にとまる黒い鋭い爪。
――あぁ……これ……あれだわ。
――私……
「……オウムなんじゃないの?」
「あなたはオウムよ。自覚があるだなんて賢いのね」
「はぁ……。どうもありがとうございます」
少女は眉を歪める。
「まだ何も教えていないのに……。
繁殖業者が教えたのかしら……」
彼女は背を向ける。
見上げた先には金属の筋が何本か。
巨大な鳥かごの中。
私は、羽根を震わせた。
――どうやら私は、オウムに生まれ変わったようだ。
異世界転生かどうかは……知らない。
◇
少女――クラリスはその華奢な指で陶器のカップを持ち上げた。ティーテーブルを挟んだ向こうに座るのは、クラリスの婚約者レオンハルト。
ここは、クラリスの家の温室だった。
オウムであるセラフィーナは放し飼いにされ、その様子を静かに眺めている。
「……レオンハルト様、先日いただいたお花、お部屋に飾らせていただいておりますわ」
レオンハルトはクラリスには視線を向けずに、カップを持ち上げて、それをゆらゆらと揺らしていた。
「……そんなもの、贈ったかな」
「え……」
クラリスはゆっくりと視線を下げると、目を細めて小さく笑う。まるで自嘲するように。
「……えぇ、あなたのお家の方から……でしたね。良いお品でした」
「そうか。伝えておこう」
「……はい」
レオンハルトは、俯いたクラリスをそっと見た。かすかに眉を寄せ、視線を外す。
「帰るよ」
レオンハルトが立ち上がると、クラリスは顔を上げた。
「もう……帰られるのですか?」
「ここにいると……」
その先の言葉は、形にならずに解けていく。
彼は背を向けて、温室の扉に歩き出した。
クラリスは彼を追わず、椅子に座ったまま、その背中を見送った。
「イケメンだったね!」
クラリスの侍女が部屋から去った途端、鳥かごの中からセラフィーナはそう言った。
クラリスの眉が寄る。
「……“イケメン”とはなんですの?」
「美男子……って言えば分かりやすいかなぁ?
立ち振舞も洗練されていて、どっかの御曹司って感じ」
「御曹司であることは間違いありませんわ。侯爵家のご嫡男でいらっしゃるんだもの」
「……侯爵家だと……?
ちなみにクラリスの家の爵位は……」
「我が家も侯爵家ですわ」
「圧倒的高位貴族じゃないの!」
クラリスは小さくため息を吐くと、出窓の近くに飾られていた白い花束を掴み、屑籠に入れた。零れ落ちた花びらが、絨毯の上にひらりと落ちる。
「クラリス……どうしたの?」
「いただいたお花。レオンハルト様が選んでくださったわけではありませんでした」
「だからって……捨ててしまうの?」
青い瞳がふっと持ち上がり、セラフィーナをまっすぐに見る。その瞳は、わずかに潤んでいた。
「……えぇ」
「……クラリス」
「私は刺繍でもしますわ。
静かにしていてちょうだい」
「……うん」
クラリスは裁縫箱を抱えて出窓に置かれた肘掛け椅子に腰を下ろすと、静かに針を刺し始めた。
窓から差し込む夕方の金色の光が、彼女の金の髪をそっと撫でている。
セラフィーナは何も言えずに、それを見つめていた。
その日も、セラフィーナは温室を自由に飛んでいた。クラリスとレオンハルトの定例茶会はここで行うことになっているようだ。
差し込んだ自然光が、温室全体を柔らかく白く染めていた。白薔薇がうつむくように儚げに咲いている。
クラリスとレオンハルトはティーテーブル越しに向かい合っているが、会話らしい会話は無かった。
「あの……」
クラリスが声をかけると、レオンハルトがゆっくりと視線を上げる。
「ドレス……ありがとうございます」
「王家主催の大舞踏会が近いからね。これも、婚約者の務めだよ」
「はい……。アクアブルーのお色味がシックで、とても美しかったです」
クラリスがセラフィーナに向かって手を上げると、オウムは大人しく彼女の近くまで降り立った。バラの木にとまり、二人を交互に見比べる。
「私のオウムです。ほら、似た色でしょう……?」
レオンハルトが眉を寄せてセラフィーナを見つめる。
「この間も、その鳥はここにいたね」
「……はい」
「君の瞳に合わせた色にしたんだ」
「えぇ。お揃いです。嬉しいですわ」
言葉のわりに、クラリスの表情はあまり動かない。
――微笑めばいいのに……。
セラフィーナはそっとクラリスを伺う。彼女はレオンハルトを見ずに、セラフィーナの瑠璃色の羽根を見つめていた。
「君が喜んでくれたならいい……。
本当は……」
クラリスが顔を上げる。
「……いや、忘れてくれ。
――リリアーナ嬢も来る。君は壁の花にでもなっていてくれ。
婚約者の義務だ。送迎はする」
クラリスがかすかに眉を寄せる。痛みを堪えるように、その瞳が細められた。
「……レオンハルト様のお気に入りのご令嬢でしたね。
えぇ……友人と、過ごしますわ」
セラフィーナは驚いてレオンハルトを見た。彼は、何も言わずに、奥歯を噛み締めている。
席を立つ。
「帰るよ」
クラリスは、小さく頷くだけで返した。
レオンハルトが踵を返す。
その後ろで、クラリスはため息を吐いている。
セラフィーナは温室の扉に飛んで、先回りをした。巨大な温室。ここまで、クラリスの視線は届かない。
レオンハルトが扉を開けた時、彼はセラフィーナに気づく。
レオンハルトは、ふっとさみしげに目を細めた。
「逃げてはいけないよ。君はクラリスの大事な子だろ?」
優しい声。
先程までの冷たい男とはまるで別人のよう。
「……瑠璃色か……。
本当は水色を贈りたかったのにな」
セラフィーナは話そうとして嘴を動かすが、声が出なかった。
「じゃあね」
扉が閉まり、彼は外で待っていた従者と共に歩き出す。
そんな彼は、胡桃色の髪に、水色の瞳。
――どういうこと……?
その青年が遠ざかるのを、温室のガラス越しに、セラフィーナは黙って見つめた。
侯爵家の長い石床の廊下。
鳥かごに入れられたセラフィーナは大人しく止まり木にとまっていた。クラリスの侍女が揺れないように丁寧に運んでくれるので、意外に乗り心地は悪くない。
部屋に戻ると、侍女は簡単にクラリスの身の回りを整え、一礼して部屋を出て行った。毛足の長い品の良い絨毯。誰が歩いても音がしない。
「クラリス」
二人きりになった途端話し出したセラフィーナを、クラリスは眉をひそめて見つめる。
「あなた……もしかして、他の人がいると話せないのではなくて?」
「あ、そういうことか! ……そうだと思う」
クラリスはため息を吐くと、裁縫箱を抱えて出窓の肘掛け椅子に座った。
「クラリス。少し、私の話を聞いてほしいな」
「私、忙しいのです」
「刺繍しながらでもいいからさ」
クラリスは席を立つと、セラフィーナのかごまで歩いてくる。そして、その扉を開けた。
「自由になさい。
ただし、人が来たら戻ること」
「こんなに、クラリスは優しい子なのに……」
彼女は目を細めて、指先でオウムの羽根に触れる。
「聞いて。
レオンハルトはあなたが好きだよ」
途端に、深い青の瞳が、さみしげに細められた。
「……ふふ。まさか。慰めですの?」
「本当だよ……」
「それ以上は、おやめになって。
……惨めだわ」
クラリスはセラフィーナに背を向け、出窓の肘掛け椅子に戻っていった。セラフィーナはそれを追うように飛び、裁縫箱の置かれたテーブルに乗る。
「……リリアーナさんってどんな子?」
クラリスは刺繍枠を手に取り、視線は落としたまま。
「……砂糖菓子みたいな女性です」
――砂糖菓子?
――なんか聞いたことがあるような……。
「もしかして……すごく見た目はいいけど、マナーはあまり得意ではなかったり……」
「……まぁ、そのようなところはあるかもしれません」
「婚約者のいる男性にベタベタ触ったり……」
「ふふ……。そうかもしれませんね」
セラフィーナは羽根で顔を覆った。
「昔、こういう展開のお話……たらふく読んだな……」
「……昔?」
「クラリス。お婆さんの戯言だと思って聞いてほしい」
「……お婆さん? あなた、オウムとしてはまだ若いのに……」
オウムの黒い瞳でまっすぐに見つめると、クラリスは口を閉じ、小さく頷く。
「……話してみてくださる?」
セラフィーナは羽根を少しだけ震わせた。
「レオンハルトはあなたが好き。
私には、やっぱりそう見えるんだよね。
だけど、それを表に出せない何かがある。
そして、レオンハルトの近くには砂糖菓子の女の子がいる。
――もしかしたら、彼は、彼女からあなたを守りたいんじゃないかな」
「リリアーナ嬢から私を?」
「レオンハルト以外でリリアーナさんがちょっかいを出した男の子、いるかな?」
クラリスは刺繍枠を膝の上に置くと、視線を下げる。
「伯爵家のフレデリック様が……いらっしゃいます」
セラフィーナは首を傾げる。自分で思っているよりもよく首が回る。
「その人、とても美男子だったりするのかな」
クラリスは静かに頷いた。
「何というか……フレデリック君はリリアーナさんの虜になっていたりする?
……彼の婚約者は?」
「アイリーン嬢は、他の殿方と関係を持ったと噂が立ち、フレデリック様が婚約破棄を申し出ました」
「……それ、冤罪だったりしない?
……そういうお話、ありがちだった気がする」
「……え」
セラフィーナはテーブルの上を歩いた。乾いた小さな音が鳴る。
「……なんてね!
本当にそうかどうかは……分からないよ。
私が読んでいたお話はファンタジーだもの。全然真実とは違うかも知れない」
セラフィーナの動きを目で追っているクラリスの眉はわずかに寄っていた。
「でも……レオンハルトのことは、諦めなくていいんじゃないかな」
オウムの視線と、クラリスの深い青がまっすぐに交わる。
「クラリス……レオンハルトのこと大好きなんでしょ?」
アクアブルーの瞳が、少しだけ潤む。部屋の淡い光を返し、それは宝石のように、とても美しかった。
「その気持ち、大切に持っておきなよ」
クラリスは、うつむく。
刺繍枠の中の刺しかけの刺繍は、水色の糸ばかりが使われている。彼の瞳の色。
彼女はそれを、そっと指先で撫でた。
クラリスは一度だけ、頷いた。
あれから数日後――
クラリスに、侍女がもう一人増えた。
「セラフィーナ。こちら、新しく私の侍女となってくださったアイリーンです」
瑠璃色の羽根が驚きで震える。
クラリスはオウム相手に真面目にそう告げると、紹介されたアイリーンも生真面目にオウムに頭を下げた。
――私の記憶が確かならば……。アイリーンて……あの婚約破棄されたアイリーンさんだよね……?
「アイリーンにはあなたの事を話しました」
クラリスとアイリーンは視線を合わせて頷き合う。
「アイリーンは、あなたの予想通り、冤罪でしたわ。我が侯爵家の力で、冤罪を晴らしました。我が家は調べ物が、少し得意なのです」
「クラリスお嬢様とセラフィーナ様には、感謝してもしきれません。本当にありがとうございました」
――待ってほしい。
あれから、たかだか数日しか経ってませんけど……?
「ふふ。フレデリック様のあの慌てようったら……」
「えぇ、大変すっきり致しました」
「それにしても、本当に良かったのかしら?
婚約破棄は撤回すると仰られていましたのに」
「婚約は解消になりました。
フレデリック様は私が何度説明申し上げても、信じてくださいませんでした……。
私自身がもう……フレデリック様を信用できなくなってしまいましたから……これでいいのです」
「……そう」
――いやいや。少し待とうか。
たかだか数日で、調査して、冤罪の証拠を見つけ、叩きつけて断罪までしてきたってこと!?
――早すぎるだろうが!
侯爵令嬢怖すぎるだろう!
リリアーナどうなった!?
美少女二人は、その後もオウムのことなど忘れて楽しげに会話に花を咲かせていた。
「クラリスお嬢様……」
アイリーンが退室して、やっと話せるようになったセラフィーナは、テーブルの上から控えめに話しかける。
刺繍枠からクラリスは目を離さない。
「どうしたのです。改まって」
「リリアーナさんは……どうなったの?」
クラリスの視線が持ち上がる。
「……アイリーンの冤罪の証拠はすぐに掴めましたわ。でも、リリアーナ嬢とのつながりは、見つかりませんでした」
「――へぇ……。
“悪役令嬢もの”のヒロインって、いろんなタイプがいるけど、ただの奔放なタイプではなさそうだな……。
腹黒いタイプか、陰謀を企ててるタイプかも……」
クラリスの眉が寄る。
「私の知らない言葉が多くて、あまり理解できていませんが……。
楽観視してはいけないという意味ですわよね?」
「あ、そうです。
昔よく読んでた恋愛小説の話なんだけど……」
セラフィーナは首を傾げた。
「ねぇ、クラリス。他に虜になってしまっている男性っているの……?」
「大商会の跡継ぎの方と……騎士団長のご嫡男、それから……」
「王太子だったりして……」
クラリスは困ったように眉を下げて頷いた。
――コ……コテコテすぎる……。
「それ……もう、国家転覆の危機だよねぇ……」
途端、クラリスの顔から血の気が引いていく。
「なんちゃって……え?」
「そうですわよね……。
私としたことが、あまり深く考えておりませんでしたけど……」
オウムは慌てたように羽根を震わせた。
「いや……わからないからね?
オウムの言う事、真に受けちゃだめよ?」
「ふふ……。“お婆さんの戯言”として聞いておきますわ」
セラフィーナは首を下げる。
クラリスは指先でそっと頭を撫でてやった。
「……王家主催の大舞踏会っていつなの?」
「来週です」
「……私も行ければなぁ。
クラリスとお話できなくとも、観察はできるのに」
「いいですわ」
セラフィーナが少しだけ首を持ち上げる。
「共に馬車に乗って会場まで行くのです。
その後は、あなたは鳥ですから、お好きに飛んで見て回られては?
セラフィーナは賢いから、きっとうまくやれるのではないかしら」
「目立たないかな?
この青い羽根。それに、私ってかなり大型の鳥だよね?」
「王家舞踏会は伝統を重んじる会です。照明は燭台のみ。オイルランプでさえ、ありませんわ。
舞踏会場にはシャンデリアがありますが、天井はとても高く、彫刻の施された支柱が幾本も……」
「つまり、薄暗くて隠れる場所がたくさんあるってこと?」
「そうですわ」
黒い瞳と青い瞳が交わる。
「クラリス……」
クラリスの口角がゆっくりと上がった。
「えぇ。この国のために」
セラフィーナは楽しげに羽根を広げる。
「クラリスとレオンハルトの最高のラブストーリーのために」
クラリスの頬に、少しだけ朱が差した。
レオンハルトは跪いたまま、固まった。
アクアブルーのドレスに身を包んだクラリスの前で跪き、その指先を取って、無言でクラリスを見上げている。
セラフィーナはアイリーンが持つ、いつもより少し小ぶりな鳥かごの中で、その様子を眺めていた。
侯爵邸玄関ホール。シャンデリアが夕焼けの赤い光を返し、クラリスの白い肌をより美しく際立たせている。
彼女の耳元にも、鎖骨にも、水色の宝石のアクセサリー。彼のために、クラリスが思い切って選んだ一級品だ。
クラリスは、少し困ったように眉を下げた。
――美しいですねって早く言いなよ!
クラリス困ってるじゃないの!
セラフィーナは目を細めてじっとしている。
レオンハルトの唇がわずかに開く。
だが、言葉は出なかった。
――レディを褒めるのは婚約者の務め以前に、紳士の義務でしょうよ!
レオンハルトの視線が下がる。
――言え! 早く言え!
――青年よ! 頑張れ!
レオンハルトが立ち上がる。
彼は表情を変えないまま、クラリスを見下ろした。
「行こうか。
遅れてしまう」
――ヘタレか!!
セラフィーナの背後で、ふっと笑う声が小さく漏れた。
王城敷地内にある迎賓棟。
そこへ着くなり、セラフィーナは自由に飛んだ。大型種の彼女が飛ぶと、鴉も逃げていく。自分でも羽ばたいた時の羽音の大きさに、少し驚くくらいだ。
遠目に、クラリスがレオンハルトにエスコートされて建物に向かって歩いているのが見える。
クラリスがセラフィーナを見上げ、柔らかく微笑んだ。
――かわいいなぁ。うちのお姫様。
幸せになって欲しいなぁ。
二人の姿が会場に消えると、セラフィーナも出来るだけ目立たないように、建物の中へ滑り込んだ。
セラフィーナは天井のフレスコ画を支えている梁の一つに身を潜める。そうしてしばらく待っていると、やがて、ざわついていた舞踏会場が急に静まった。
最も華やかな衣装。赤いマントを背に垂らした男性が女性を伴って入場してきた。
――あれが、王太子かな?
しかし、彼がエスコートしているのは艷やかな黒髪の女性。歩き姿はまさに百合のようだ。
――砂糖菓子じゃないよね……。
王太子の正式な婚約者かな。
王太子と女性は会場の中央に立つと、ファーストダンスを踊り始めた。二階席では、王と王妃と思われる人物たちがそれを微笑ましく眺めている。
二人のダンスが終わると、他の貴族たちも中央へ進み出て、二曲目のダンスを踊り始める。
クラリスとレオンハルトもその中にいた。
二人の視線が交わるが、レオンハルトがすぐに顔をそらしてしまう。それをクラリスが、寂しそうに見つめていた。
それが終わると、クラリスは壁に下がり、レオンハルトは王太子とそのお友達と合流。
会場内は穏やかだった。
美しい管弦楽が奏でられ、貴族たちは談笑し、中央では華やかにドレスが舞う。
だが、それはすぐに打ち破られることになる。
ドレスの裾を翻しながら、王太子たちの集まりの中へ駆けてくる女性。柔らかそうなピンクの髪に、フリルたっぷりのドレス。口を大きく開けて「殿下!」などと声を上げている。
――砂糖菓子来た!
――これもまた……コテコテだなぁ……。
貴族たちは、彼女に道を開けて譲ると、ひそひそと噂話を始めた。
「フレデリック様も彼女と知り合ってから、少し変わられてしまって……」
「殿下もどうして彼女を受け入れてらっしゃるのか……」
王太子たちの輪に入る直前、リリアーナは、跳んだ。レオンハルト目掛けて一直線に跳び、その胸に飛び込む。
「わぁ! 転んじゃったぁ!
ごめんなさーい。レオンハルト様ぁ」
「……いや」
――わぁ! びっくりしちゃったぁ!
……典型的な女に嫌われる女じゃないの。
早く離れなさいよ。その男はクラリスのもんだ。
セラフィーナが壁に立つクラリスを見ると、彼女は視線をそらして俯いている。回りに立つアイリーンや、クラリスの付添人の叔母、彼女の友人たちがさりげなく立ち位置を変え、クラリスの視界に彼らが入らないようにしていた。
砂糖菓子ことリリアーナは、それからもベタベタとレオンハルトと王太子に触れながら、高い声で笑っている。
――彼女、レオンハルトと王太子を狙ってるのかな……。
王太子はにこやかに笑んでいる。だが、時折レオンハルトと視線を合わせては、あたりを伺う様子を見せていた。
商会の息子と騎士団長の息子は、へらへらと笑っている。
離れたところで彼らを鋭い視線で見ている中年の集団は、彼らの親あたりだろうか。
レオンハルトが砂糖菓子から視線を外す。王太子に付き添い、どこかへ向かった。ここぞとばかりに商会の息子と騎士団長の息子が彼女を囲むが、リリアーナは離れた二人を視線で追っている。
小さく手を上げ、かわいくらしく笑ってみせると、彼女もその場を離れた。
給仕からグラスを一つだけ受け取る。
そのまま人目のつかないところへ、静かに歩いていく。
セラフィーナはそっと近づいた。
ムードのある薄暗い照明。
セラフィーナの瑠璃色の翼は、光のないところでは闇を吸うように黒く沈んでいた。羽音を立てないように、出来るだけ滑空で近づく。
リリアーナはドレスの裾をめくると、隠しポケットから小瓶を取り出した。コルク栓を抜き、中のとろりとした液体をグラスに垂らす。
――何あれ……?
軽くグラスを揺すると、彼女は何事もなかったかのように会場中央へと戻っていった。
レオンハルトたちも、友人たちのもとへ戻ろうと会場を歩いてきた。その水色の視線は、クラリスを探している。
彼女は、レオンハルトが近くを通ったことに気付いたが、視線は向けなかった。
レオンハルトの視線だけが、クラリスのそばを通り過ぎる。
視線は、交わらない。
リリアーナは瞳を輝かせて、戻ってきた王太子とレオンハルトを迎えた。王太子は相変わらず穏やかな笑みを浮かべているが、レオンハルトの表情はわずかに硬い。
「レオンハルト様。
こちらのグラス、美味しかったので取っておいたんです。お飲みになってください」
砂糖菓子は甘ったるい声を出しながらレオンハルトに身を寄せると、先ほどのグラスを彼に差し出した。
――あの怪しい飲み物。
レオンハルトに飲ませるつもり……?
セラフィーナは羽根を震わせる。
――あれ、魅了アイテムか……媚薬なんじゃないかな……。
――育ちの良いレオンハルトが、まさか受け取ったりしないよね……。
レオンハルトは無表情のまま、グラスを受け取った。
――って、受け取るのかーい!
「ありがとう……」
――だめ!
絶対だめだよ!
セラフィーナは掴んでいた梁を蹴った。
翼をほとんどたたんだまま、
――飛び降りる。
風を裂いて
鋭く滑空。
空気が歪むような感覚。
――間に合え!
音が、全て飲み込まれていく。
ほんのわずかな時間。
だけど、風と一体になる。
黒い鳥の脚が、レオンハルトの腕を掴んだ。落ちないようにしっかりと。
会場から悲鳴が上がる。
目の前の、砂糖菓子も高い悲鳴をあげていた。
レオンハルトは突然現れた瑠璃色のオウムを、目を見開いて見つめる。
「……君は、クラリスの」
「グェッ!」
――変な声!
レオンハルトの口角がみるみる上がる。それは不敵だと言えるほどに、強い笑み。
「……殿下。こちらのグラスを」
「……あぁ」
王太子も似たような表情でグラスを受け取ると、それを高く掲げた。
「衛兵!
こちらを調べてくれ!」
赤い制服の騎士達が一斉に駆け寄り、王太子たちを囲んだ。商人の息子とリリアーナは取り押さえられる。
リリアーナは信じられない表情でレオンハルトとセラフィーナを見つめていた。
「……何? どういうこと!?
レオンハルト様! 殿下!」
突然の事態に羽根を震わせたセラフィーナを、レオンハルトはそっと抱きしめる。
「……大丈夫」
セラフィーナにだけ、届く声。
彼はオウムの羽根をそっと撫でた。
王太子が高らかに声を張った。
「リリアーナ!
君の家は我が国で違法となる危険薬物の製造と売買をしていた疑いがある。
今頃君の家には騎士隊が踏み込み、捜査をしてるはずだ」
視線を下げ、リリアーナを見下ろす。次期王たる彼の瞳は、肌が粟立つほどに冷たかった。
「……リリアーナ、君も、大人しく話を聞かせてくれるね?
――連れてけ」
衛兵たちに引きずられるようにしてリリアーナが連れて行かれる。聞くに堪えない罵詈雑言をわめきながら。
会場は水を打ったように静まり返っていた。
王太子が、レオンハルトを横目で見る。
「……お前のおかげだ。助かった」
「……いえ」
――……そっか。
クラリス。あなたの想い人、やっぱりイケメンじゃん。
「レオンハルト、行ってこい」
「……しかしまだ」
「命令だ。
行ってこい」
王太子が不敵に微笑むと、レオンハルトは一度瞳を伏せた。
そして、頭を下げ、踵を返す。
彼は、駆け出した。
彼女のもとへ。
セラフィーナはその腕を抜け出し、彼女も飛んだ。
かわいいかわいい、彼女のお姫様のもとへ。
瑠璃色の大型の鳥が飛ぶと、貴族たちはまた悲鳴を上げながら避けた。
彼女への道がまっすぐに開ける。
クラリスは、一直線に飛んでくるセラフィーナを両手を広げて迎えた。
セラフィーナは、彼女の目の前に降り立ち、その美しい羽根を広げて見せる。クラリスはそっと腰をかがめて、その頭を指先で優しく撫でた。
「……見てたわ。
レオンハルト様を守ってくれたのね」
大理石の床を踏む足音が、高く響く。
レオンハルトは、クラリスの前に跪いた。
「クラリス」
声が、また静まり返った会場に大きく響いた。
クラリスはゆっくりと、セラフィーナからレオンハルトに視線を上げた。
「……許して欲しいだなんて……言ってはいけないのかもしれないが」
レオンハルトは唇を噛み、切なげに彼女を見上げる。
「あの令嬢の目が私に向いた時、あなたをどうしたら守れるのかを考え、私には良い方法が思い浮かばなかった……。
私とあなたが不仲であるように見せれば、少なくともあの令嬢の目はあなたには届かないかも知れないと……。
それで、あんな態度を……」
「レオンハルト様……」
レオンハルトがクラリスに手を差し出す。その指先は、わずかに震えていた。
「……クラリス、愛しています。
またあなたにドレスを贈ることが許されるのなら、今度こそ、私の瞳の色のドレスを贈りたい。
……着てもらえるだろうか」
クラリスの深い青の瞳が揺れる。
胸に当てた自分の手を見つめ、息を吐き出した。
そうして、華奢な指先を彼の手に、そっと添えた。
「……はい」
たまらずレオンハルトは立ち上がり、クラリスを胸に強く抱いた。
「……良かった」
クラリスも、彼を確かめるように、その背に腕を回す。
「……はい」
王太子がゆっくりと手を叩いた。
その音にハッとした貴族たちは顔を見合わせ、頬をほころばせ、拍手を始める。
令嬢も、夫人も、紳士も。
会場が、拍手に包まれた。
管弦楽が鳴る。
セラフィーナは飛び立った。
青く、光を返す羽根を落とし、彼女たちを祝福するために。
フレスコ画の下を優雅に舞って見せた。
シャンデリアの光を受けた瑠璃色の翼は、気高く、それでいてとても柔らかで美しかった。
大型種のオウムの寿命は長い。
砂糖菓子一族が没落し、クラリスたちの生活が落ち着いても、その瑠璃色のオウムは生涯彼女に寄り添った。
仲睦まじい夫婦の子どもに、時折子守唄を歌ってあげたりしながら。
今日も、どこかで、ペラペラ話すオウムの声が聞こえる気がする。
きっと彼女の二回目の人生――いや、鳥生は、総合点としては、とても幸せな鳥生だったに違いない。




