Fine
もうこれで、本当に終わり。
夏休み前。7月18日、珍しく部活が休みになるらしい。校舎の設備点検だとか。スマホが震えた。咲月からだ。
『期末終わったでしょ?どっか遊びに行こ』
……お前が思ってるより、俺は暇じゃない。合宿の準備もあるし、コンクールも近いし、正直、気持ちももう——でも。この前は夜飯だけで終わったし、一応、付き合ってやるか。穴埋め的な意味で。そんなふうに思っている時点で、もうだめなんだろうけど。正直に言えば。俺はもう、咲月への気持ちがほとんどない。完全に。惰性で続いているだけ。中学からだから長い、ってだけ。このままはさすがに申し訳ない。……いや、申し訳ないっていうより。自分の中で、もう終わってる。だったら、ちゃんと終わらせなきゃ。
18日に、直接伝えよう。
『7/18部活休みだからその日にしよ』
送信。
放課後、フルートパートの教室へ行くと。やけに騒がしい。
「やば!《スカイライン・フラッシュ》だって!絶対楽しいやつじゃん!!」
「《重力反転ラウンジ》とか、お化け屋敷系もあるらしいっすよ!」
おかしょー先輩と洸太先輩が、スマホを囲んで盛り上がっている。井原先輩も乗っかる。
「えーーー、あたし絶対お化け屋敷入らないから!!」
「え、何の話ですか?」
「18日部活休みになったじゃん。フルートパート全員で《ルミナス・アークお台場》行こうかって!」
——は?
7月18日。俺の中で、さっき“別れる日”に決まった日。
「陽翔ももちろん行くだろ?」
一瞬、言葉が詰まる。
「あ……その日は……彼女と約束してて……」
教室の空気が止まる。
「は?!橋本って彼女いんの?!」
おかしょー先輩が立ち上がる勢い。
「そういうのは早く言えよ!!パート内隠しごとなしだろ!!」
「陽翔、まだ村上咲月と続いてたんだな。中2からだろ?長くね?すご。ラブラブじゃん」
洸太先輩、楽しそうに言うな。
「ま、まあ……そうなんすかね……はは」
乾いた笑いが出る。ラブラブ?もう、とっくに違う。ふと、視線を感じる。川瀬は、会話を横目で見ながら、基礎練を続けている。止めない。振り向かない。何も言わない。その横顔が、やけに静かだ。
「橋本くんは彼女さん優先しなよ!」
井原先輩がにこっと言う。
「またいつか全員で行けばいいし!」
「ほんとすみません……あー俺もルミナス・アーク行きたかったですよー」
半分本音。半分、冗談。
「絶対デートの話聞かせてね!!」
「やめてくださいよ!!」
笑いが起きる。空気は軽い。でも。俺の中だけ、妙に静かだった。デートじゃない。別れ話する日だ。その日が終わったら。俺は、フリーになる。……それで。何が変わるんだろうな。
当日。朝から、フルートパートのLINEが騒がしい。
『お台場の駅着きました!A2出口います!』
『ごめん、10分くらい遅れるわ』
『俺もです、急いで向かいます』
『やばい、駅の人ほぼルミナス・アーク向かってるんだけど。絶対混んでる!!』
楽しそう。文字からでも分かる。わくわくしてるのが。……いいな。川瀬も、行ってるんだよな。あいつ、ちゃんと楽しむのかな。対して俺は。なんでこんなに憂鬱なんだ。別れ話をするだけなのに。いや、「だけ」じゃないか。直接終わらせるって、こんなに緊張するんだな。昨日咲月に送ったLINE。
『明日、いつものとこで待ち合わせでいい?』
それ以降、やりとりはない。結局集合場所も決まっていない。時間が近づいても、返信は来ない。……まさか。ドタキャン?中学の頃にもあった。あり得る。
電話をかける。出ない。少しだけ、胸がざわつく。
具合悪い?事故?
気持ちは冷めてるはずなのにさすがに心配はする。
『どうした、大丈夫?』
『どこ行けばいい?』
…既読。そして。
『ごめん、お腹痛くて今日行けない』
……そっか。じゃあ、しょうがないか。
正直。ほっとしてしまった。今日は、会わなくていいんだ。別れ話、しなくていいんだ。
「陽翔ー?今日出かけるんじゃなかったの?」
母さんの声。
「うん!今から出かけるー!」
自分でも分かるくらい、空元気。家にいても、余計に虚しい。お台場に今から向かっても、もう遅い。とりあえず駅前のハンバーガー屋に入る。ポテトを、一人でもさもさ食べる。
咲月とのLINEは静か。フルートパートのグループは、相変わらず騒がしい。写真が次々上がる。ネオンに照らされた笑顔。暗い室内コースター。……川瀬も、映ってる。大きくは写っていないけど、ちゃんとその場にいる。なんで、俺こんなとこで一人ポテト食ってるんだろう。別れ話は、直接言った方がいい。分かってる。
でも。堪忍袋の緒が切れた。ドタキャンはこれで2度目。体調不良なら、せめて時間前に言えよ。それに。今日、俺はみんなとの予定を蹴ってた。貴重な部活休み。先輩とも、同期とも、もっと仲良くなれたかもしれない。川瀬がはしゃぐ姿、お化けに驚く様子、見られたかもしれないのに。全部、無駄になった。
もういい。終わらせよう。
『別れよう。』
『俺、他に好きな人できたし』
『お前が約束ドタキャンするのも初めてじゃないし』
『今日、部活のメンバーで出かける予定蹴ってたんだよ』
『そんなこと言われても困るよな。ごめん』
『とりあえず、もう別れよう』
『そっちの学校でイケメンと楽しんでくれ』
送信。ブロック。
早すぎるくらいの決断。あんまり綺麗じゃない別れ方だ。でも。これでいい。写真がまた上がる。自然と涙がこぼれる。ポテトが、やけに塩辛い。
翌日。フルートの教室は、昨日の話で持ちきり。
「橋本くーん!!昨日のデートどうだったの?」
井原先輩。
「あー、それが……」
「なんだよ、言えない系?」
西野がニヤニヤする。
「昨日、結局会わなかったんです」
「え、どうしたの?」
隠しても仕方ない。事情を全部話す。ブロックまでしたことは、ちょっと濁したけど。
「そっか……別れちゃったんだ」
「次行こう、次!」
みんなが明るく言ってくれる。気を遣わせてるの、分かる。
「でも俺、最近もう好きじゃなかったんで!
別れてスッキリしました!!」わざとらしいくらい、明るく言う。そのとき。川瀬が、少しだけこちらを見る。ほんの一瞬。何かを確かめるみたいに。
「あと10分で基礎合奏!準備して!」
おかしょー先輩の声。空気が切り替わる。胸のもやつきは、完全じゃないけど、少し軽い。頭部管に口をつける。俺は、もうフリーだ。それがどういう意味を持つのかは、まだ、ちゃんと考えていない。
C編での合奏の休憩中。
“別れてスッキリしました!!”
橋本のあの声が、頭の奥でまだ反響している。そんなに簡単に言えるものなんだろうか。中2から続いてるんだと聞いていた。長い。たぶん、思い出も多い。普通に仲いいって言ってたのに。
本当に、スッキリ?それとも、強がり?
知らない。聞けない。
あれ……A編も休憩中らしい。橋本は一人で廊下の窓際に立っていた。珍しく、騒いでいない。足が、自然と動いた。考える前に。
「……」
隣に立つ。距離は普段より少し近い。肩と肩が、触れそうなくらい。橋本が驚いた顔をする。
「川瀬?」
なんで来たんだろう。理由が見つからない。
「……別に」
口から出たのはそれだけ。沈黙。窓の外は、真夏の光。グラウンドで陸上部が走っている。
「……昨日」
橋本が先に口を開いた。
「楽しかった?」
一瞬、間があく。
「うん」
小さく答える。
「すごい混んでたけど」
「へー」
橋本は笑う。
「お化け屋敷入った?」
「入ってない」
「なんだよ」
そのやりとりが、妙に自然だった。昨日の話なのに。少しだけ、肩が触れた。ほんの一瞬。橋本は避けない。自分も、動かない。なんでだろう。彼女がいなくなった。それだけのはずなのに。橋本は、前より少しだけ自由に見える。軽い。縛られていない感じ。
「……大丈夫?」
気づいたら、言っていた。
「何が?」
「……別に」
また逃げる。橋本は、少しだけ笑って。
「大丈夫だよ」
と言った。その声は、昨日より少しだけ柔らかい。胸の奥が、じわっと温かくなる。これ以上近づいたら、自分の気持ちに気づいてしまいそうで。一歩、離れる。
「あと2分で休憩終わるから」
それだけ言って、先に合奏に戻る。でも。さっきの距離は、なかったことにはならない。自分から、近づいた。理由は、まだ言語化できない。橋本が彼女と別れたから?違う。たぶん、違う。ただ。
あの“スッキリ”の中に、少しだけ空白があった気がして。そこに立ちたくなっただけだ。




