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シュークリーム・サプライズ

なんでシュークリームなんだよ。

ミーティングが終わって、いつものように川瀬と帰ろうとした。……いない。

「あれ、先に帰った?」

廊下で立ち止まった、その瞬間。

「陽翔!!」

洸太先輩が、全速力でこっちに向かってくる。

「やばい。おかしょー先輩が呼んでる。3-C、今すぐ!」

「え?」

腕を掴まれて半ば引きずられる。頭の中で、最悪の想像が暴走した。

——俺、何かやった?

——A編成なのに全然ダメだから外されるとか?

——それ、普通にありえる

心臓がうるさい。涙目のまま、3-Cのドアを開けた瞬間——


「べちゃっ」


視界が白くなった。

「……え?」

甘い匂い。顔面、完全にアウト。


「せーのっ!」


「ハッピーバースデートゥーユー♪

ハッピーバースデートゥーユー♪

ハッピーバースデーディア、はしもとー!(はるとー!)

ハッピーバースデートゥーユー♪」


「おめでとーーーー!!!」


フルートパート全員の声。目、開けられない。

「……なに、これ……」

「サプライズ大成功!」

「フルートパート伝統の顔面シュークリームだよ。誕生日のときは必ずやるの」

「まず顔洗わせてあげようよ」

洸太先輩に手を引かれて、トイレへ。鏡を見て、思わず笑う。

「うわ……新品の腕時計、カスタードついてる……」

「新品?!ごめん!!ほんとごめん!!」

「いや、大丈夫ですけど……俺、シュークリーム苦手なんすよ。正直ちょっと地獄でした」

「はは、そこはごめん!来年はエクレアでやるか!」

「ほぼ一緒ですよ…」

教室に戻ると、先輩も同級生も、みんなニコニコしていた。川瀬もいた。少し控えめに、でもちゃんと楽しそうに。黒板いっぱいに描かれた俺の似顔絵とメッセージ。ほぼ写真みたいな完成度の絵は、2年の角野(すみの)先輩の仕業だ。黒板の前で、お菓子の袋を抱えて、全員で記念写真。

「フルートってさ、ほんとこういうのに全力だよね」

ホルンの先輩が笑いながらシャッターを切る。結果的には、川瀬が勝手に帰ったわけでもなく。おかしょー先輩に怒られるわけでもなく。両手いっぱいのプレゼントを持って、いつも通りの帰り道。

「……これ、全員やるんすか」

帰りながら、洸太先輩に聞いた。

「うん。基本はね。伝統だから。

堀部先輩は嫌がるからやらないけど」

「へぇ……」

じゃあ。

——川瀬の誕生日も、やるんだ。ふと、2月のことを考える。あいつが、クリームまみれであんなふうに驚く顔。……いや。想像が変な方向に行きかけて、慌てて首を振る。

「やめろ、俺」

最低だ。でも。さっき、教室の端で少しだけ照れて笑っていた川瀬の顔が、頭から離れない。遠いはずの2月が、なぜか少しだけ、楽しみになった。


——あ、咲月(さつき)からだ。スマホを見て、一瞬だけ手が止まる。

『誕生日おめでと』

……覚えてたんだ。悪い気はしない。しないけど。画面を見つめたまま少し考えてから返す。

『ありがと!そっちは学校どんな感じ?楽しい?』

『まぁ、それなりに。てか、中学のときより男子の顔面のレベル高くてやばいよこっちは』

……いらねー情報。「まぁ、それなりに」ってなんだよ。誕生日メッセージの続きがそれか?胸の奥に、小さく引っかかるものが残る。

『今度さ、どっか行かない?』

塩対応なのにこういうところは積極的。正直、今はあんまり会いたい気分じゃない。前みたいに、「久しぶりに会いたいな」って思えない。

『コンクール終わったらでもいい?』

すぐに返ってくる。

『コンクールっていつ?』

『8月10日』

『おそ!それまでずっと部活休みないわけじゃないでしょ?』

……正論。忙しいけど、休みが全くないわけじゃない。言い訳が、自分でも分かるくらい苦しい。あーーー……もう。

『夜飯だけなら今月でもいけるよ』

送ってから、なんでこんなにため息が出るんだろう。

『じゃあ今度の日曜いこ』

即決。急すぎる。

「誕生日だから」って理由だとしたら、プレゼントでももらえるのだろうか。

『わかった。部活終わりだから遅くなるけど、いつものとこね』

送信して画面を閉じる。部屋は静かだ。なのに、頭の中だけうるさい。

——川瀬。

ふと浮かぶ。今日の帰り道。『蒼の海辺で』って言ったときの声。少し緩んだ表情。あいつ、俺の誕生日の話、一言も出さなかったな。でも。黒板の端に書いてあった、あの小さい綺麗な文字。

〈誕生日おめでとう〉

それを思い出して、胸の奥が変にあったかくなる。

咲月のことが嫌いになったわけじゃない。付き合ってるし、嫌なやつでもない。でも。今、考えてる時間のほとんどを誰が占めてるかって言われたら。……答えは、もう分かってる。

ベッドに倒れ込んで、天井を見る。誕生日。祝われて、誘われて、ちゃんと「彼氏」してるはずなのに。頭の中は、別の人でいっぱいだ。

「……だめだな、俺」

小さく呟く。誰に聞かせるでもなく。好きな人が変わるって、こんなふうに静かなんだ。気づいたときには、もう後戻りできない。そんな感じがした。



ミーティングが終わる少し前、橋本を除いたフルートパートのグループがざわつき始めた。

「橋本、今日さっさと帰りそうじゃない?」

「やばい、時間ない」

小声の会話。

——あ。

今日は、橋本の誕生日だ。

「川瀬、悪いんだけどさ」

洸太先輩が声を落として言う。

「黒板、空いてるとこあるからメッセージ書いてもらっていい?」

「……はい」

即答した。断る理由も、前に出る理由もなかった。角野先輩が黒板いっぱいに絵を描いている横で、自分は端の方に小さく文字を書く。

〈誕生日おめでとう〉

それだけ。派手な言葉は、思いつかなかった。シュークリームの箱が並べられる。正直、これを顔に投げる文化はよく分からない。でも、みんなが本気で準備しているのは伝わってきた。

「川瀬、橋本呼び止めといて!」

誰かが言う。

「いや、洸太先輩が走るって」

「じゃあ川瀬は先に教室入って!」

役割は、自然に決まった。3-Cの教室で待ちながら、少しだけ落ち着かない。うまくいくだろうか。驚きすぎないだろうか。

……嫌な思いは、しないだろうか。

ドアの外で足音。洸太先輩の声。その直後。


「べちゃっ」


教室が一気に沸いた。歌。拍手。名前。「はしもとー」「はるとー」二つの呼び方が混ざって、騒がしい。思わず、一歩だけ後ろに下がる。ここは自分が前に出る場面じゃない。シュークリームだらけの顔で、状況が分からず固まっている橋本。

——こんな顔、するんだ。

トイレに連れて行かれるのを見送って、黒板を見る。自分の書いた文字は、絵やメッセージに埋もれてほとんど見えない。それでいい。戻ってきた橋本は、少し照れていて、少し静かだった。耳が赤い。たぶん、嬉しい。黒板の前で、お菓子を抱えさせられて、記念写真。カメラの向こうで、ホルンの先輩が「笑って!」と言う。橋本は困った顔のまま、それでもちゃんと笑った。

その瞬間、目が合った。一瞬だけ。

——見てた。

そう言われた気がした。

自分は、声を張り上げて祝うタイプじゃない。真ん中に立つのも、得意じゃない。でも。準備するのは、嫌じゃなかった。


帰り支度をしながら、プレゼントを抱えた橋本の背中を見る。先輩にも、同級生にも囲まれている。この人はちゃんと大事にされている。少し安心した。自分がどうこうしなくてもこの人は一人にならない。それでも。さっき、廊下で一瞬だけ、こちらを探すように視線を動かしたのを見逃さなかった。

——気のせいじゃない。

今日は結局一緒には帰らなかった。でも、距離が離れた気はしなかった。むしろ。自分が関わった時間が、

ちゃんとあの人の一日に残っている気がした。それで今は十分だった。



日曜の夜。部活終わりで少し遅れて合流した。

「おつかれ」

咲月はスマホを見ながら言う。

「おつかれ」

それだけ。

「部活どう?」

「まぁ、忙しい」

「へー」

会話が続かない。前は、こんな沈黙気にならなかったはずなのに。店に入って、席につく。メニューを見るふりをしながら、つい、テーブルの下を確認してしまう。紙袋。小さな箱。……ない。あ。そうか。誕生日プレゼントなんてないんだ。別に、高いものが欲しいわけじゃない。何か欲しかったわけでもない。ただ。「誕生日だから会う」って言われたから。少しだけ、期待してた。料理が来る。

「これ美味しそうじゃない?」

「そうだね」

咲月は料理と俺の写真を撮ってから箸をつける。その仕草を見て、なぜか胸の奥が冷える。

「ねえ」

「ん?」

「うちの学校さ、ほんとイケメン多いんだって」

……またそれか。

「へー」

適当に返す。

「陽翔の学校って、男子校だったんだっけ?」

「元な」

「じゃあさ、女子少なくてつまんなくない?」

その瞬間。頭に浮かんだのは、川瀬だった。控えめで、目立たなくて、でも、気づくとそばにいる。

「……別に」

そう答えながら自分でも驚く。今の質問、前なら普通に笑って流せてた。

「なんかさ」

咲月が言う。

「陽翔、前より大人しくない?」

どきっとする。図星すぎる。

「そう?」

「うん。前はもっとさ、色々喋ってたじゃん」

喋ってないんじゃない。喋りたいことが、ここにないだけだ。

「……ごめん」

反射的に言う。謝る理由も、よく分からないまま。会計を済ませて店を出る。夜風が少し冷たい。

「今日はありがとね」

「うん」

それだけ。別れ際。

「誕生日、おめでと」

今さら。咲月は笑ってる。でも。胸の奥は、動かなかった。家に帰る途中、スマホが震える。川瀬からじゃない。分かってるのに一瞬、期待した自分がいた。誕生日プレゼントは、なかった。でも、それが決定打だったわけじゃない。一緒にいても、考えている相手が違う。それに気づいたこと。それだけで、もう十分だった。

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