Hymne à l’amour
ほんと、わかりやすい。
秋になると、文化祭の準備が始まる。通称、蒼高祭。各クラスが出店を出したり、部活動がステージで発表をしたり。他校の生徒や中学生、近所の子どもたちも遊びに来るらしく、学校中が一気にお祭りみたいな空気になる。吹奏楽部はこの学校の目玉でもあるから、蒼高祭の二日間、両日ともステージ演奏がある。コンクールやマーチングでは編成が分かれていたから、川瀬と同じステージに立つのは久しぶりだ。中学の頃、蒼高祭の演奏を見てこの学校に憧れたのもあって、個人的にもかなり楽しみにしていた。
そして、クラスの出店。二・三年生は焼きそばやフランクフルト、わたあめなどの屋台ができるらしいが、一年生は食品の提供が禁止されている。となると、自然と出し物は限られてくる。
D組の教室で話し合いが始まった。俺は後ろの席の畠山と小声で話す。
「俺、こういうの全然思いつかないや」
「食べ物ならいくらでも思いつくのにな」
「だよなー」
しばらく悩んで、ふと思いつく。
「あ」
「縁日とかいいんじゃないか?」
「お、いいかも」
畠山が少し目を上げる。
「スーパーボールすくいとか、輪投げとか」
「それ良さそう。橋本さすが」
軽い提案だったけど、クラスで出してみるとあっさり採用された。結果、D組はスーパーボールすくいと輪投げで縁日。ベタ中のベタだけど、予算も限られているらしいし、こんなもんだろう。
吹奏楽部は当日ステージ準備で忙しいから、店番には参加しないことになっている。その代わり、できる範囲で事前準備は手伝う。文化祭の準備って、なんかいい。高校生やってるって感じがする。
そういえば、川瀬たちE組は何やるんだろう。
「E組も縁日らしいよ」
畠山がさらっと言う。
「え?」
まさかの被り。まあ、一学年六クラスあって食品NGなら、そりゃ被るよな。E組は射的とストラックアウトの縁日らしい。これまたベタだけど、ちょっと面白そうだ。
文化祭当日。
吹奏楽部には、二時間ほど自由時間がある。一日目は、畠山とD組の連中に誘われて一緒に回ることになった。焼きそばを食べて、つぶつぶアイスを食べて。校舎の中も外も、人でいっぱいだ。ふとE組の縁日を覗くと、川瀬の姿が見えた。しかも普通にE組の奴らと遊んでいる。自分の店で遊んでんのかよ。近づきながら声をかける。
「射的ってこれ、景品ほんとにもらえんの?」
川瀬がこっちを見る。
「橋本、やってみたら」
よし。ここは腕の見せどころ。射的といっても、ゴム鉄砲みたいなやつだ。的に当たれば駄菓子の詰め合わせがもらえるらしい。
狙いを定めて――
パチンッ。……あれ?的、全然倒れないんだけど。
「なにこれ、むずくね?」
「橋本下手すぎ」
「ほんとに倒れんの?」
周りが笑う。川瀬も、ちょっとだけ笑っている。
「川瀬もやってみろよ」
そう言うと、川瀬が鉄砲を構える。
パチンッ。……パタッ。一発。
「おおーーー!」
周りがどよめく。こういうところ。なんか、ずるいよな。ちょっとかっこいい。川瀬は景品の駄菓子詰め合わせを受け取る。俺はなんとなく言う。
「別に駄菓子ぐらい自分で買えるし、いらねー」
ほんとは、ちょっと欲しかったけど。なんか恥ずかしくて、つい強がってしまう。
そろそろ吹奏楽部は集合の時間だ。俺は部活Tシャツに着替えて準備する。そのとき。
「橋本」
振り向くと、川瀬が立っていた。
「これ、あげる」
さっきの駄菓子の詰め合わせ。
「欲しそうだったから」
……え?なんでバレてるんだ。俺ってそんなに分かりやすい?
「川瀬が取ったんだろ。自分で食えよ」
「……」
川瀬は少し考えてから言う。
「じゃあクラスの友達にあげよっかな」
あーーーー待て待て待て。それは嫌だ。思わず手を伸ばす。
「やだ!」
「嘘だから!」
「ちょうだい」
川瀬が小さく笑う。
「はいはい」
駄菓子の袋を受け取る。なんか悔しいけど。……ちょっと嬉しい。
文化祭一日目のこの日は、吹奏楽部の演奏といっても少し特別なステージだ。顧問の佐々木晴美先生の音大時代の友人たち――ボーカル、ベース、ギターなど、今も現役で音楽活動をしている人たちがバンドを組み、そこに俺たち吹奏楽部が伴奏として加わる。
しかも佐々木先生自身もキーボードで参加する。先生はピアノ専攻だったらしい。このコラボステージ、蒼高祭の名物らしく、毎年かなり盛り上がると聞いていた。正直、俺はクラシックよりバンド音楽とかロックの方が性に合う。だから練習の段階から、このステージはかなり楽しみにしていた。
今回のセットリストの中でも、特に好きな曲がある。
――エディット・ピアフの『愛の讃歌』。
恋人への深い愛を歌ったシャンソンの名曲だ。どんな困難があっても、どんな世界になっても、愛する人のためならすべてを捧げる。そんな、ひたむきで情熱的な愛を歌い上げる曲。それを今回は、バンドアレンジで演奏する。
……なんというか。今の俺には、この曲がものすごく刺さる。男子高校生がこんな曲に共感していいのかは分からない。そもそも、まだ恋人同士でもないのに。でも。この曲の歌詞を聴くたびに思う。
――ああ、これ、今の俺の気持ちだ。
リハーサルの休憩時間、なんとなく川瀬に言ってみる。
「愛の讃歌、めっちゃ良くね? 俺、超好きなんだけど」
川瀬がちらっとこっちを見る。
「そうなの?」
「うん」
少し笑って言う。
「今の俺にぴったりって感じなんだよね」
……最早これ、ほとんど告白みたいなものだ。川瀬だって、さすがに分かっていると思う。でも。
「……ふーん」
それだけ。あっさり流される。いつものことだけど、ちょっとだけ拍子抜けする。
本番。体育館は人でいっぱいだった。バンドの音が鳴り、客席から歓声が上がる。俺たち吹奏楽部は、体育館いっぱいに横一列に広がって演奏する。だから、隣に川瀬はいない。広いステージのどこかにはいるはずだけど、ここからは様子も見えない。それでもいい。俺はただ、目の前の楽譜と、音に集中する。
『愛の讃歌』。メロディが体育館に広がる。恋人への、ひたむきな愛。どんなことがあっても離れないと誓う歌。……きっと川瀬は、俺がこんなこと考えながら吹いてるなんて思ってない。でも、それでいい。想いは、音に込めればいい。いつか。あの夢を正夢にしたい。いや――きっとなる。そんな気がしている。
曲が終わると、体育館が大きな拍手に包まれた。歓声と拍手。先生もバンドメンバーも笑っている。俺たちも笑っている。この瞬間、音楽ってやっぱりすごいなと思う。先生たちとのコラボステージは、超満員のまま大盛況で終わった。めちゃくちゃ気持ちいい。でも。蒼高祭のステージは、まだ終わりじゃない。
本番は、明日もある。明日はいわゆる、みんなが想像する“吹奏楽部らしいステージ”だ。
ていうか、明日こそ。自由時間、川瀬と一緒に回りたい。そう思って、思い切って声をかけてみた。
「明日さ、一緒に自由時間回んね?」
川瀬は一瞬こっちを見る。
「いいよ」
……あっさり承諾。その一言だけで、二日目が急に楽しみになる。
蒼高祭、二日目。吹奏楽部のステージまでの自由時間。約束通り、川瀬と二人で文化祭を回ることになった。歩きながら川瀬が言う。
「またE組で射的する?」
少しだけ意地悪そうな顔。
「もう絶対やんねー」
昨日の惨敗を思い出す。
「……ふふ」
川瀬が小さく笑う。こういう、二人きりのときに見せる笑顔。本当に可愛い。……抱きしめたくなる。でもさすがに、それはやめておく。てか、腹減ったな。屋台を見渡す。
「フランクフルト美味そー。買おうかな」
「買えば」
「え、川瀬は買わねーの?」
「わたあめ」
……いや。可愛いかよ。わたあめも美味しいけどさ、そんなんだけじゃこの後の本番中絶対バテるだろ。結局、それぞれ買って近くのベンチに座る。俺はフランクフルト。あと、どう考えても足りないから焼きそばも買ってきた。川瀬はわたあめ。少しピンクがかったふわふわを、ちぎって食べている。指が少しベタつくのか、ちょっと鬱陶しそうにしている。それすら、なんか可愛い。
「なぁ」
「俺のフランクフルト、食べる?」
「……え、いい」
即答。
「いや、絶対わたあめだけじゃ腹減るって。美味いよ」
フランクフルトを差し出す。
「もしかして、食べかけとか嫌?」
「……別にそういうんじゃないけど」
少し迷ったあと。
「……じゃあ」
川瀬が、俺の持ってるフランクフルトを――
かぷっと咥えた。……まずい。いや、俺はそんなつもりで食べさせたんじゃない。ほんとに。ただ腹減るだろうなって思っただけで。でも。その、……こっち見ながら食べるの、やめろ。視覚的に来るものがある。
「……どう?」
とりあえず平静を装う。
「美味いだろ」
「うん。美味しい」
よく見ると、口元にケチャップとマスタードが少しついている。その瞬間。ほとんど反射で、指が動いた。口元を指で拭って――そのまま舐める。
「……っ?!」
川瀬が目を見開く。
「ちょっ」
あ。やばい。
「ごめん、つい」
慌てて言う。
「嫌だった?」
川瀬は少し黙る。それから視線を逸らして言う。
「……嫌じゃないけど」
……ほんと?今の。傍から見たら、完全にカップルだったんじゃないか。まあ。俺は別に、どう見られてもいいけど。文化祭の喧騒の中。ベンチで並んで座る。なんか、ちょっと甘い空気。ほんの少しだけ、特別な時間。
「焼きそばも食べないの?」
川瀬が言う。
「なんだよ」
笑いながら言う。
「川瀬、腹減ってんじゃん」
「……まあ」
箸で焼きそばを持ち上げる。
「じゃあ、あーんしてあげよっか?」
「自分で食べるから」
即拒否。でも、少しだけ耳が赤い。
蒼高祭、二日目。吹奏楽部のステージまでの自由時間。昨日、橋本に「一緒に回ろう」と言われて、なんとなく頷いた。特に断る理由もなかったし、それに、
――少しだけ、嬉しかったから。
校舎の前を歩きながら話す。
「またE組で射的する?」
昨日のことを思い出して、少し笑ってしまう。
「もう絶対やんねー」
「……ふふ」
こういうときの橋本は、ほんとに分かりやすい。屋台の匂いが漂ってくる。橋本が立ち止まる。
「フランクフルト美味そー。買おうかな」
「買えば」
「え、川瀬は?」
少し考える。本番前にお腹いっぱい食べるのも好きじゃないし。
「わたあめ」
橋本が一瞬黙る。……なんでそんな顔するんだ。別に普通だろ。結局それぞれ買って、近くのベンチに座る。橋本はフランクフルトと、あと焼きそばまで買っていた。食べ過ぎだろ。わたあめをちぎって食べる。美味しいけど、指が少しベタつく。そのとき橋本が言う。
「なぁ」
「俺のフランクフルト、食べる?」
「……え、いい」
反射的に断る。
「絶対わたあめだけじゃ腹減るって」
フランクフルトを目の前に差し出してくる。
「美味いよ」
……。食べかけ。少しだけ迷う。
「もしかして、食べかけとか嫌?」
「……別にそういうんじゃないけど」
ほんとに、そういうわけじゃない。ただ。なんか、少し恥ずかしいだけで。
「……じゃあ」
少しだけ前に身を乗り出して、フランクフルトを咥える。咥えながら見上げると、橋本がこちらをじっと見つめている。……これ、普通に美味しい。
「……どう?」
「美味いだろ」
「うん。美味しい」
そう言った瞬間。橋本の手が動いた。口元に触れる。指で何かを拭って――そのまま、舐めた。
「……っ?!」
思わず声が出そうになる。
「ちょっ」
何してんの。橋本が少し慌てた顔をする。
「ごめん、つい」
「嫌だった?」
……。正直、嫌じゃない。嫌じゃないけど。心臓がうるさい。
「……嫌じゃないけど」
そう言うしかなかった。たぶん今。周りから見たら、変な距離だったと思う。でも橋本は、たぶん何も考えてない。……ほんとに。少しだけ困る。焼きそばの匂いがする。
「焼きそばも食べないの?」
つい聞いてしまう。橋本が笑う。
「なんだよ」
「川瀬腹減ってんじゃん」
……別に。
「じゃあ、あーんしてあげよっか?」
「自分で食べるから」
即答する。でも。さっきのことを思い出してしまって。少しだけ顔が熱い。橋本は気づいてない。……ほんとに。こういうところ。ずるい。




