Forward March
少しだけ、素直になれた。
マーチングコンテスト当日。会場はテニスの大会やライブでも使われる大きなコロシアムだ。
会場外の広場には、すでに多くの学校が集まっていた。色とりどりの衣装に身を包んだ生徒たちが、ストレッチをしたり、動きの確認をしたりしている。
「……あ、またあの学校だ」
思わず呟く。吹奏楽コンクールでも金賞常連の強豪校。どうやらマーチングでも強いらしい。
うちの学校は腹ごしらえを済ませたあと、少し休憩してから準備運動をする予定だ。進路活動中で出場しない三年の先輩たちも、何人か応援に来ていた。私服姿の先輩を見るのはなんだか新鮮で、少しだけ大人に見える。先輩たちは袋を開けて、それぞれ自分のパートの後輩たちに差し入れを配っていた。フルートのところにも、柳先輩が来てくれた。いつも通り天使みたいな笑顔で、袋を差し出す。
「これ、みんなで食べて」
しかも、出場しない俺の分まで入っている。嬉しい。でも、同時に少し申し訳ない。
「ありがとうございます!」
ありがたく受け取りながら、複雑な気持ちになる。ふと周りを見渡す。……あれ。川瀬がいない。少し離れたところに目をやると、見つけた。サックスの優矢先輩と話している。相変わらずのイケメンだ。私服のセンスもいいのかよ。川瀬は笑っていた。愛想笑いか、それとも本心か。……いや、多分、本当に楽しく話してるんだろう。少しして、川瀬がこっちへ戻ってくる。手には紙袋。どう見ても差し入れだ。
「川瀬ー、何貰ったんだよ!」
「いいなーー!優矢先輩からの差し入れとか!」
フルートの連中が一斉に群がる。川瀬は少し困ったような顔をしている。俺は、こういうところが少し気に食わない。俺だったら絶対言う。
「やったー!もらっちゃったー!」
って。その方が潔いと思うし、堂々と自慢すればいいのに。
「優矢先輩に応援してもらったんだろ。よかったな」
そう言うと、川瀬は少しだけ視線を逸らして答える。
「……うん、まぁ」
……なんだよそれ。あんなイケメンに嫉妬したって意味ないのは分かってる。でも、腹の奥がぐつぐつ煮える感じがする。とはいえ、このままギクシャクした空気で送り出すわけにもいかない。気持ちを切り替えて、出場するメンバーを見送った。
俺たち“出ない組”は制服のまま客席へ向かう。客席へ入った瞬間、その空間の広さに圧倒された。
――すごい。
普段のホールとは全然違う。客席が、360度ぐるりとステージを囲んでいる。これは、緊張するだろうな。前の学校の演技が終わり、いよいよ蒼高の番。
「ぶちかませーーーーー!!!!」
「おーーーーーーーーーーーー!!!」
掛け声と同時に、メンバーが一斉に広いフロアへ駆け出した。それぞれの立ち位置へ、素早く散っていく。……あ、いた。全員同じ衣装を着ているのに。自分でも驚くほど早く、川瀬を見つけてしまう。全員が縦一列に並ぶ。フロア中央に一本の線ができる。静かな空気。ほんの一瞬の緊張。
――そして、演奏が始まった。
蒼高らしい、明るくて伸びのあるサウンドがコロシアムいっぱいに広がる。天井の高い空間に音が反射して、四方八方から降ってくるようだ。すごい。いつもの体育館やホールとは全然違う。音が、空を飛んでいるみたいだ。その中に、川瀬の音がある。あ、いた。すぐ見つける。全員同じ衣装を着ているのに、川瀬だけはなぜかすぐ分かる。華奢な身体でも、背筋がまっすぐで軸がブレない。フルートを構える姿も、妙に様になっている。
……かっこいい。思わず息を飲む。ベルアップ。顔を少し上げて吹くその姿勢になると、川瀬の首筋がよく見える。細くて長い首の喉仏がわずかに動く。……やばい。こんなの、客席で見ていいのか。ベルアップすると、横に構えたフルートの右が上がってしまうと気にしていたようだったが、今日は真っ直ぐに上がっていた。
演奏とフォーメーションは次々と形を変えていく。円を描いていた隊列が、波のように広がる。
中間部。音の色が、ふっと柔らかくなる。さっきまでの華やかな響きから、空気が一段階落ち着く。
ここでサックスとユーフォのソロ。曲調が変わる。ソリスト以外のメンバーが、一斉に後ろを向いた。その瞬間、音の焦点が一つに集まり、ソロが浮かび上がる。視覚でも、音でも、ソリストを引き立たせている。
そして終盤。フォーメーションがゆっくり変化していく。曲線だったラインが、少しずつ整っていき、弧を描いていた列が、真っ直ぐになっていく。
――くるぞ。
思わず前のめりになる。そして。全員が横一列に並んだ。フロアいっぱいに一直線。次の瞬間。楽器が一斉に高く上がる。大音量。体を震わせるようなサウンド。
そしてそのままゆっくり前進。カンパニーフロント。マーチング最大の見せ場だ。一直線の隊列が、音の壁になって迫ってくる。金管のベルが光り、打楽器が鳴り響く。コロシアム全体が揺れるみたいだ。会場の空気が一気に熱くなる。
その中で。俺はまた川瀬を見つけている。必死に吹いている。真っ直ぐ前を見据えて。全力で。……かっこいい。本当に。こいつ、すごい。あんな華奢な体で。こんな広い会場で、堂々と吹いている。なんか、胸が熱くなる。嫉妬とか、そんなの全部どっか行って。ただ思う。……俺の好きなやつ、めちゃくちゃかっこいい。
最後のフレーズ。まるで大輪の花のようなフォーメーションを組み、大音量のサウンドがコロシアムいっぱいに広がる。俺が好きな蒼高の音だ。明るくて、真っ直ぐで、少しだけ熱い。
そして—―全員が同時に止まる。
ピタッ、と。まるで時間が止まったみたいに。楽器を構えたまま、誰も動かない。反響した音だけが、コロシアム中に余韻を残している。フロアの中央に立つ川瀬の姿が目に入る。胸が上下している。息を整えながら、まだ前を見ている。
次の瞬間。拍手。歓声。あちこちから立ち上がる人までいる。すげえ。本当にすげえ。さっきまでの緊張が一気にほどける。俺も気づいたら、思いっきり拍手していた。手が痛くなるくらい。
「ありがとうございました!」
「ありがとうございました!!!!!」
リーダーの先輩の号令に続き、全員が礼をする。
演技を終えたメンバーたちが駆け足で退場していった。胸の奥がじんわり熱い。……すげえな。ほんとに。気づけば、少し笑っていた。さっきまで優矢先輩のことで、一人で勝手にイライラしてたのに。そんなの、どうでもよくなるくらい。ただ思う。早く言いたい。直接。
「川瀬、めちゃくちゃかっこよかった」
って。演技が終わったあと、俺は客席を飛び出して記念撮影が行われる広場へ向かった。
外にはいくつかの学校の生徒が集まっていて、衣装の色が混ざり合っている。人が多い。でも。川瀬を探すのは簡単だ。あんな広いコロシアムの中でも見つけられたんだ。ここで見失うわけがない。
蒼高のメンバーがぞろぞろ出てくる。汗だくの、やりきった顔。
その中に――少しだけ髪が乱れている川瀬。額には汗が残っている。思わず声が出る。
「川瀬ーー!」
川瀬が顔を上げる。
「あ……橋本」
近づく。数歩の距離なのに、なんか変に胸がうるさい。言いたいことは山ほどあるのに、最初に出てきたのはこれだった。
「お疲れ様」
自然に手が動いた。汗でぐっしょりと濡れた髪の毛を、撫でるように軽く整えてやる。
「……」
川瀬が一瞬固まる。
「……汗かいてるから、触るな」
俺はそんなの全く気にならない。そのまま続ける。
「めちゃくちゃよかった」
「……」
「マジでかっこよかった」
さっき演奏中に思ったことをそのまま言うと、川瀬の耳が少し赤くなる。目を逸らして、小さく言う。
「……そう?」
「そう」
即答。
「普通にすごかった」
「……」
「あと」
「ベルアップのとこも、めっちゃ真っ直ぐだったよ」
「……見てたの?」
「当たり前だろ」
少しだけ身を屈めて、川瀬の顔を覗き込む。
「ずっと見てた」
本当は、川瀬しか見てなかった。なんて言ったら多分怒られるから言わないけど。そのまま、もう一回頭を軽く撫でる。
「よく頑張ったな」
川瀬は小さく息を吐いて、少しだけ肩の力を抜いた。
「……ありがと」
さっきまで張り詰めていた空気が、ふっと緩む。その瞬間思い出す。さっき見た光景。優矢先輩と笑っていた川瀬。胸の奥に、ちょっとだけ残っていたモヤモヤ。優矢先輩との記憶に、俺が上書きしてやりたい。だから俺は、もう一回言う。少し低い声で。
「……ほんとかっこよかった」
「……」
「今日一番」
川瀬が驚いた顔をする。
「……なにそれ」
軽く笑う。そして、最後にもう一回だけ頭をぽんっと叩いた。
「俺、めっちゃ誇らしかったわ」
川瀬は少しだけ目を伏せて、小さく笑った。
「……橋本、ほんとうるさい」
でもその顔は、さっきより少しだけ嬉しそうだった。
「おーい!お前ら何いちゃついてんだよ」
後ろから声がする。振り向くと、制服姿の西野。
「写真撮ろっか?」
スマホをひらひらさせながら言う。
「あー、いいじゃん」
思わず言う。
「川瀬、ツーショット撮ってもらおうぜ」
「……は?」
「記念だよ記念」
衣装姿の川瀬の横に並ぶ。川瀬の肩を軽く引き寄せる。
「ほら、こっち」
「……ちょ、近い」
川瀬が小さく抵抗する。
「これくらい普通だろ」
でも結局、逃げない。西野がスマホを構える。
「はいはい、撮るよー」
その時。ふと横を見る。少し離れたところで、畠山が他のパートの1年と話していた。フルートを持ったままこっちを見ている。目が合う。一瞬だけ。畠山は、何も言わない。ただ少しだけ視線を逸らす。
西野の声。
「もう一枚いく?」
「いや、いい」
「なんで」
「これで十分」
そう言ってスマホを受け取る。画面を見る。
制服の俺と、楽器を持った衣装姿の川瀬。少しだけ距離が近い。川瀬は少し困った顔をしている。でも。悪くない。むしろ、めちゃくちゃいい。
「あとで送っといてー」
西野に言う。
「はいよー」
衣装姿のみんなが前を歩いていて、俺たちは少し後ろ。その時。川瀬がぽつっと言う。
「……さっき」
「ん?」
「優矢先輩にも褒められたんだけどさ」
「おう」
一瞬、間が空く。そして川瀬は、少し視線を逸らしたまま、小さく言った。
「……橋本に褒められる方が嬉しいから」
「……え?」
思わず聞き返す。川瀬はすぐ前を向く。
「別に」
「いや今」
「聞き間違い」
「絶対違うだろ」
「知らない」
「今言ったよな」
川瀬は歩くスピードを少し上げる。
「……うるさい」
「おい待てって」
慌てて追いかける。
「今のもう一回言えよ」
「言わない」
「言えよ」
数歩歩いたあと、川瀬が小さく言う。
「……今日だけ」
「?」
「今日だけは」
少しだけ振り返る。
「……褒めてくれていい」
一瞬、言葉が出ない。なんだそれ。かわいすぎるだろ。
「……は?」
「なに」
「いや」
笑いそうになる。
「今日だけじゃなくても、いつも褒めてんじゃん」
「……」
「だって」
川瀬の横に並んで言う。
「お前、本当にかっこよかったし」
川瀬はまた耳を赤くして、
「……やっぱりもういい、褒めるな」
「どっちなんだよ、褒めるなっていわれると余計に褒めたくなる」
やっぱりこいつ、相変わらず素直じゃないな。でも、そんなところも本当に可愛くて。好きだ。




