POV
一生懸命で汗だくでも、かわいい。
結局、川瀬に「お前って、男もいけるの?」なんて聞けるはずもなかった。その後、川瀬が優矢先輩とまたご飯に行くこともなかった。だからなのか、俺の中のモヤモヤも、なんとなくそのままになっていた。
本格的に始まったマーチングの練習。俺たち出ない組は、サポートに回る。その日も体育館での練習だった。体育館のバルコニーに上がり、上からスマホで動きを撮影する。フォーメーションのズレや動きのタイミングを客観的に確認するためだ。
練習前、畠山に頼まれた。
「俺の動き、上からビデオ撮ってほしいんだけどお願いしてもいい?」
「おっけー、任せとけ!」
こんなことでみんなの力になれるなら、いくらでも協力する。……川瀬は頼んでこないけど、いいのかな。
体育館で練習が始まる。わずかだけど、三年生でもマーチングに出る先輩がいる。リーダーの先輩のカウントに合わせて、全員が一斉に動き出す。体育館には冷房がない。じっとしているだけでも暑いのに、動いているみんなは相当きついはずだ。空気がむっと熱い。サウナのようだ。バルコニーから畠山を追いながら動画を撮っていると、後ろからいきなり声をかけられた。画面がブレる。
「橋本、お前畠山撮ってんの?」
振り向くと、西野が立っていた。西野もマーチングに出ない組だ。
「撮ってくれって頼まれてさ」
「川瀬のこと、撮ってやんなくていいの?」
ニヤニヤしている。
「俺が畠山撮るからさ、橋本は川瀬撮ってやれよ」
……なんなんだよ。まあ、それでもいいけど。なんでそんなにニヤついてるんだ。結局そのまま、川瀬の方へカメラを向ける。画面の中の川瀬。額に髪が張り付いている。動いていなくても暑いのに、動いていたら相当しんどいんだろう。顔が赤く、呼吸が少し上がっている。……かわいい。なんかこれ、アイドルの推しカメラみたいじゃないか。正直言って、最高だ。川瀬がずっと画面に映っている。カメラで追い続けていると、川瀬がふっと顔を上げた。どうやら俺に撮られていることに気づいたらしい。
そのタイミングで声がかかった。
「10分休憩しまーす!」
休憩に入った瞬間、俺はバルコニーから川瀬に手を振った。川瀬は、ちょっとだけ照れくさそうにこっちを見る。それだけ。すぐに視線を逸らす。
バルコニーからかけ降りて、休憩中の川瀬の元へ向かう。
「畠山のこと撮ってたんじゃなかったの?」
「あー……西野が撮ってくれてるから大丈夫!」
俺は笑って言う。
「この後も頑張って!!」
「……」
川瀬は何も言わない。でも、ほんの少しだけ頷いた。そのあと、場所をグラウンドに移して練習が再開された。もうすっかり日が暮れて、夜の虫の声が聞こえる。今度は校舎の窓から、またスマホで動画を撮る。練習を進めるたび、フォーメーションがどんどん整っていく。動きも揃ってきている。すごい。
――来年は、俺も出られるのかな。
練習が終わると、出ない組でグラウンド整備をする。トンボをかけながら、西野がまた声をかけてきた。
「川瀬いっぱい撮れた?」
……やっぱり俺、茶化されてる?
練習後、フルートパートの教室。汗拭きシートや制汗剤のツンとした匂いが、部屋の中に広がっている。そんな中でも、畠山は相変わらず人形みたいな涼しい顔をしている。汗をかいているはずなのに、なぜか全くそれを感じさせない。畠山が言った。
「撮ってくれた動画、あとで送ってほしい」
「あ、」
少し言葉に詰まる。
「畠山のは、西野が撮ってくれてたから」
「……そうなの?」
少し首を傾げる。
「でも橋本、練習中カメラ向けてなかったっけ」
「川瀬のこと撮っててさ。頼んでくれたのにごめん」
「……あー、そっか」
畠山はあっさり頷いた。
「わかった。西野に動画もらうね」
それで会話は終わった。別に、そのあと気まずくなるわけでもない。でも、畠山は何も言わないだけで、俺の川瀬への気持ちもとっくに察しているんだと思う。
体育館は、相変わらず暑かった。冷房はないし、窓も開けられない。動いているより、立ち止まったほうが汗が滲んでくる。マーチングのフォーメーション練習。今日は自分の動きを上から撮ってほしくて、橋本に頼んだ。
「俺の動き、上からビデオ撮ってほしいんだけどお願いしてもいい?」
「おっけー、任せとけ!」
橋本は、いつも通り軽い調子で引き受けてくれた。ああいうところが、いいなと思う。練習が始まる。カウントに合わせて歩き出す。体育館の床に靴音が揃う。動きながら、ふとバルコニーを見上げた。橋本がスマホを構えている。……ちゃんと撮ってくれているみたいだ。少し安心する。視線をまっすぐ前に戻す。
数分後。なんとなく、またバルコニーを見上げた。橋本はまだスマホを構えている。ただ。レンズの向きが、少し違う気がした。……あれ。もう一度、さりげなく見る。やっぱり。カメラは、俺じゃない。少し離れた位置。フルートの隊列の中。川瀬の方を向いていた。
――ああ。そっちか。
理由は、なんとなく分かる。橋本は分かりやすい。すごく。本人は隠しているつもりなのかもしれないけど。休憩の声がかかった。
「10分休憩しまーす!」
動きを止める。汗を拭きながら、上を見る。橋本が手を振っている。……川瀬に。川瀬は少しだけ照れた顔をして、視線を合わせている。それだけで、なんとなく空気が伝わってくる。あそこだけ二人の空間みたいだ。ああ、そうだよな。橋本。そんな顔するんだ。普段はあんなに騒がしいのに。あんなふうに誰かを見ることもあるんだな。少しだけ、面白いと思った。それから。少しだけ。胸の奥が、静かに引っかかる。別に、こんなのたいしたことじゃない。ただ。もし。もし俺があの場所に立っていたら。橋本は、あんなふうに笑ったのかな。
――いや。たぶん、ないか。
グラウンド練習が終わって、教室に戻る。いろんな汗拭きシートの匂いが充満していて、気分が悪くなりそう。橋本に声をかけた。
「撮ってくれた動画、あとで送って」
橋本は一瞬だけ言葉に詰まった。
「あ、」
少しして、言う。
「畠山のは西野が撮ってくれてたから」
なるほど。やっぱり。
「……そうなの?」
「でも橋本、練習中カメラ向けてなかったっけ」
橋本は少し困った顔で、
「川瀬のこと撮っててさ。頼んでくれたのにごめん」
その言い方が、あまりにも正直で。少し笑いそうになる。
「あー、そっか」
「わかった。西野に動画もらうね」
それで終わり。橋本は気づいていないと思う。自分がどんな顔で川瀬を見ているか。でも、たぶん。周りは、結構気づいている。俺もその一人。別に。邪魔しようとは思わない。橋本は、ああいうふうに川瀬を見ている時が一番楽しそうだから。……ただ。ほんの少しだけ。もし橋本が、一度くらい。あんな顔で、俺を見ていたら。それはそれで面白かったかもしれない。




