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You’ll Think Of Me

brava!

8月10日。ついに、A編のコンクール当日。

中学でも何度か舞台には立ってきた。だから“慣れているつもり”ではある。でも今回ばかりは、さすがに違う。オーディションが終わってから、上級生に食らいつくみたいに練習してきた。目指すはゴールド金賞。そして都大会進出。口に出すと現実味が増して、少しだけ喉が乾く。

大きな本番では衣装を着る。黒を基調に、ブルーが差し色で入ったジャケットとパンツ。蝶ネクタイもつける。中学の頃、客席から見上げたあの衣装。

「いつか自分も」

そう思っていた。衣装付きリハで初めて袖を通した瞬間、思わず背筋が伸びた。

――ついに、ここまで来た。


会場へは専用バスで向かう。パートごとに座り、隣はかおりん。

「かおりん緊張してる?」

「うーん……よく分かんないなー」

ソロあるくせにそれかよ。俺ならガチガチになる。平然としているのか、本当に分かってないのか。どっちにしろすごい。話していると、後ろから声。

「おっ?橋本とかおりん、いい感じじゃん」

おかしょー先輩だ。

「「え!? なわけないですよ!」」

俺とかおりんが同時に否定する。かおりんは可愛くて、明るい。癒し。でも恋愛対象かと言われると、絶対に違う。あくまでマスコット的な、パートの太陽。でも、

――俺が気になってるのは、フルートの同期。

おかしょー先輩、実はちょっと惜しい。


会場に到着。制服姿のB・C・D編が搬入を手伝ってくれている。黒いケースが並ぶ光景。少し汗の匂い。張りつめた空気。川瀬、いないかな。どうせ真面目に搬入手伝ってるだろうし邪魔したら悪い。でも。頑張れって一言欲しい。LINEでもらった。ちゃんと、もらった。でも、直接がいい。制服の集団の中に洸太先輩を見つける。

「陽翔!緊張してる?」

「……やっぱりそれなりにしてます」

「大丈夫だよ。かましてこい!」

その一言で、肩の力が少し抜ける。中学の二年間、一緒に夏の舞台に立った人。今年は別の編成。少し寂しい。でもやっぱり、この人の声は安心する。

「川瀬なら向こうにいるよ」

俺、何も言ってないんだけどな。

「あ、ありがとうございます」

完全にバレてる。搬入口の近くに川瀬の姿が見えた。今日の行程表を持ったまま、真面目な顔。

「おーい、川瀬!」

「……橋本」

こっちを見る目が少しだけ柔らぐ。それだけで心拍数が上がる。

「なぁ、頑張れって言ってよ」

「それ、自分から言うか? LINEでも送っただろ」

「直接がいいの!」

少し呆れた顔。

「……わかったよ。頑張れ。応援してる」

たったそれだけ。飾りもない、普通の言葉。でも。胸の奥が、ぎゅっと締まって、一気に熱が広がる。

「……あ、おかしょー先輩たち呼んでる。行かなくていいの?」

「あっ、やべ」

完全に現実に引き戻される。

「ありがとう! 頑張れるわ! 行ってくる!」

走り出しながら思う。もしここに人がいなかったら。きっと、飛びついて抱きついていた。

それぞれ音出しを終え、控え室にA編全員が集まる。あえて特別なことはしない。いつも通りの基礎合奏。ロングトーン、ハーモニーの確認。そして、特に合わせておきたい箇所だけを抜き出して、最後の確認。変に気合を入れすぎない。こういう日はいつも通りが一番良い。合奏を終え、空気が一瞬だけ静まる。そのとき、佐々木先生がにっと笑った。

「よし。もう時間ない!ぶちかませ、やろう」

ぶ、ぶちかませ?なんなんだ、それは。

隣の柳先輩が小声で教えてくれる。

「大きな本番の前は円陣組むんだよ。部長が“ぶちかませ!”って言ったら、“おー!”って返すの」

へぇ。なんかすごい青春って感じだ。全員で肩を組む。3年の部長の声が、低く響く。


「ぶちかませーーーー!!!」

「おーーーーーーーーーーーーーーーー!!!」


息が続く限り叫び続ける。喉がちぎれそうなくらい、全力で。初めてでちょっとタイミングを外したけど、大声を出したら、不思議と胸の奥のざわつきが少し軽くなった。よし。いける。

舞台裏。俺たちの前に演奏するのは、金賞・都大会進出常連の有名校。正直、出順はかなり重要だ。上手い学校の直後だと、どうしても比べられる。運だと分かっていても、今回は少しだけついてないと思ってしまう。課題曲が被らなかったのが救いか。……いや、それにしてもやっぱり上手い。音が揃いすぎてるし、強豪校特有のなんともいえない音の圧、のようなものがある。

舞台袖で、みんな無意識にそわそわしている。でも声は出せない。足音も立てられない。ひそひそ声が交差する。

「どうしよ〜、緊張してきた〜」

かおりんもさすがに強がれないらしい。

「大丈夫だって。いつも通りでいこ」

自分に言い聞かせるみたいに言う。

「よし、頑張ろうな」

おかしょー先輩の声が小さく、でもはっきり響く。その直後。前の学校の演奏が終わる。

――拍手。

心做しか拍手が他の学校よりも大きく感じる。腹の奥がきゅっとなる。やばい。次だ。深呼吸。吸って、吐く。肺の奥まで空気を入れる。影アナウンスが響く。

「プログラム10番。蒼波(あおなみ)高等学校。課題曲Ⅳに続き、自由曲ミュージカル組曲《地下劇場の幻影》。指揮は佐々木晴美先生です。」

蒼波高等学校。その名前が会場に広がる。一斉に舞台へ上がる。照明が熱い。眩しくて、客席がほとんど見えない。でも、客席の“気配”は分かる。ざわり、と空気が動く。佐々木先生が全体を見渡し、にこっと微笑む。その笑顔に、少しだけ救われる。一斉に楽器を構える。静寂。


――いよいよ、始まる。

佐々木先生の指揮棒が、静かに上がる。


――課題曲の行進曲 《クローバー・フィールド》、爽やかなイントロ。

木管の16分音符が、さらさらと駆け抜ける。軽い。でも雑にならないように。一音一音、粒を揃えて。クラリネットの旋律に続いて、フルートも加わる。

クローバーの鮮やかな緑が続く丘を想像しながら透明感のある音色を意識して。トリルでキラキラとした輝きもプラスする。中間部、Trioはテンポが停滞しがちになると何度か言われた場所。音を前に進めるよう意識する。終盤、柳先輩のフルートソロ。短い。でも、決定的。透明な天使の音色がすっと伸びる。雑味がない。会場の空気が、少しだけ澄む。このソロをきっかけにテンポが上がり、ラストへ向かって走り出す。俺たちは連符で駆け上がったあと、金管の響きを残して曲が終わる。

――静寂。

そして拍手。でもまだだ。本番は、ここから。


――自由曲、ミュージカル組曲《地下劇場の幻影》。おかしょー先輩のフルートソロから、静かに物語が始まる。迷いのない音。さすがだ。本番でも緊張を一切感じさせない。劇場に住む怪人の、美しくて、哀しくて、歪んだ愛。旋律が、ゆっくりと空気を染めていく。まるでモノクロだった世界が、少しずつ色を取り戻すみたいに。音が、物語を呼び起こす。

かおりんのピッコロソロ。“私を想って”軽やかで、愛らしい旋律。ヒロインが愛しい人へ願い、歌う姿が、はっきりと浮かぶ。高く澄んだ音が、客席の奥までまっすぐ届く。ちゃんと芯がある。強くて、可憐。すげぇなと思う。その裏で、俺たちは静かに支える。今のメインはピッコロ。決して主張しすぎない。願いがちゃんと届くように。

中間部。あのあまりにも有名なテーマが鳴る。劇場の巨大なシャンデリアが落ちる瞬間。怪人の抑えきれない衝動。選ばれなかった男の嫉妬。“なぜあいつなんだ”“なぜ俺じゃない”そんな叫び。音のうねりの中で、胸の奥が熱くなる。怪人の気持ちが分かる。少しだけ。いつも、どこでも、誰よりも強く想っている。それを隠しきれない。木管も金管も鋭く、全ての楽器が同じ衝動で動く。初めて合奏したときから本番の今まで、この場面だけは必ず鳥肌が立つ。一人一人が、パイプオルガンの鍵盤になったみたいに。同じタイミングで、同じ衝撃を刻む。苦手だったダブルタンギング。何度も練習した。今は、はっきりと刻める。テーマをより鮮明に、より強く効果的に魅せる。

物語はクライマックスへ向かう。怪人の哀しさも、怒りも、愛も。全部音に込める。フルートが目立つ最後の和音。最後の最後まで気を抜かない。

――終わった。

会場にはまだ、響きが残っている。客席から拍手を浴びる。


退場の合図で一斉に立ち上がり、舞台袖へ。裏に出た途端、あちこちで泣き声が混じる。他パートの3年の先輩が、肩を震わせている。緊張がほどけたのか。納得がいかなかったのか。たぶん、両方だ。俺はというと――とりあえず、終わった。その安心感が一番大きい。全力は出した。出し切った。それだけで、胸がいっぱいだった。フルートパートの先輩たちは、意外と静かだ。涙は流していない。でも、その表情の奥に何かある。最後のコンクール。3年の先輩たちは、今何を思っているんだろう。達成感か。それとも、結果を待つ不安か。

「こんちわー」

「ちわー」

他校の生徒とすれ違いざまに挨拶を交わす。さっきまで“敵”だった相手。でも同じ夏を戦っている仲間でもある。楽器ケースと荷物を置いている控室へ移動。他校も待っているから余韻に浸る暇はない。A編全員で楽器を持ち、急いで記念撮影。笑って、と言われる。笑えているかは、正直分からない。でも今は、とにかくこの瞬間を残す。


会場近くの広い公園へ移動。搬出を終えたB・C・D編と合流する。制服姿の集団。その中に、

――フルートのみんな。いた。

「お疲れ様ですー!!金賞は確実っすよ!」

洸太先輩が、いつもの調子で笑う。

畠山、西野、藤田も口々に声をかけてくれる。

「お疲れ」

「良かったよ」

「かっこよかった」

その言葉に、胸の奥がじんわり熱くなる。そして、川瀬。

「……お疲れ様」

控えめに、それだけ。派手な言葉はない。“金賞いける”とか、軽々しく言わない。こういうところ、こいつらしい。でも、その一言が一番沁みる。視線が一瞬だけ合う。何か言いたげで、でも言わない。俺も言わない。まだ結果は出ていない。浮かれるには早い。川瀬は静かに、まっすぐ前を見つめている。何を考えているんだろう。俺より冷静そうに見えるけど。あいつもたぶん緊張してる。

B・C編は本番が近い。結果発表は待たずに学校へ戻って練習。それぞれの戦いが続く。


A編だけが残り、結果発表まで時間を潰す。

高揚が少しずつ不安に変わってきた。


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