Prelude
二人のフルート男子のもどかしい恋の物語。
橋本 陽翔 (はしもと はると)
身長178cm A型
黒髪でしっかりヘアセットをしている。
目は奥二重でツリ目気味。
非常に分かりやすく感情が顔に出やすい。
川瀬 有稀 (かわせ ゆうき)
身長178cm O型
髪の毛は染めていないがブラウンがかっている。
最低限寝癖を治す程度、あまりヘアセットはしない。
目は奥二重でタレ目気味。
感情はそこまで表情に出ない。実は頑固。
今思えばあれは若気の至り。跡をつけたのにはちゃんと理由がある。
音楽室は、いつも騒がしい。全体合奏が終わり、終わりのミーティング前のこの時間帯は特にひどくて、木製の椅子を片付ける音、上級生の笑い声、譜面台を折りたたむ音が、全部いっぺんに鳴っている。片付けを終えた俺はその真ん中で、有稀の隣に立っていた。肩に肘を乗せると、少しだけ体重を預け返される。文句を言いながら、逃げない。この距離が当たり前になっていることを、俺も、有稀も、周りも知っている。「また始まったよ」と誰かが笑う。別の誰かが「仲良いな」と言う。それで終わりだ。俺たちは、そういう存在として処理されている。
入学初日。席順で、俺の後ろに座ったのが畠山だった。
「畠山佳樹。よろしく」
声も態度も落ち着いていて、なんか、最初から完成してる人って感じ。
「橋本陽翔。よろしく」
それだけで会話が終わるかと思ったら、畠山は少しだけ首を傾げて言った。
「橋本って、なんか面白いね」
「……え?」
「喋り方。あと反応?」
そう言って、淡々と笑う。なんだこいつ。悪い意味じゃないのに、妙にくすぐったい。結果、初日から普通に仲良くなった。
「畠山、中学でフルートやってたんだろ」
楽器体験の案内プリントを見ながら聞くと、畠山は静かに頷いた。
「うん。高校でも続けるつもり」
「だよな。見た目もフルートっぽいし」
「そうかな?でもそれ、よく言われる」
否定もしない。上品で、中性的で、確かに“いかにも”だった。
体験期間中、俺と畠山はいろんなパートの教室を回った。金管はマウスピースから全く吹けなくて笑ったし、打楽器は一瞬で諦めた。俺は結局、ほとんどフルートの教室にいた。小四からやってるし、今さら他に行く理由もない。
「陽翔!」
フルートパートの教室に入ると、懐かしい声が飛んでくる。洸太先輩だ。
「久しぶりじゃん!絶対フルートだと思ってた!」
「そりゃそうっすよ。金管試したけど、全然ダメでした」
一瞬で距離が戻る。一年空いてたのが嘘みたいだ。
「で、その子は?」
洸太先輩が畠山を見る。
「畠山佳樹です。よろしくお願いします」
「おー、礼儀正しい!」
すぐに食いつく。
「中学どこ?」
「光の丘中です」
「え、ハマの後輩じゃん!」
……相変わらず、距離の詰め方が早い。俺が内心で感心していると、教室のドアが静かに開いた。
「お、楽器体験?」
先輩が声をかける。
「やっぱフルートって人気なんだよなー!入って入って!」
入ってきたのは、見覚えのない顔だった。大人しそうで、少し緊張しているのだろうか。
「……失礼します」
声も控えめ。
「経験者?」
「はい」
「じゃあもう普通に吹けるね!何組?てかどこ中?」
……いや、先輩、初対面でグイグイいきすぎだろ。俺は内心ツッコミつつ、その新入りを見た。
「E組です」
「おー、陽翔たち違うクラスか。せっかくだから仲良くなりなよ」
半ば強引に、俺と畠山の近くに立たされる。
名前は、川瀬。
川瀬有稀。
数日後。入学してすぐの宿泊学習。先輩たち曰く、毎年この行事でカップルが量産されるらしい。しかも大体すぐ別れる。数年前まで男子校だった名残で、男女比は7:3くらい。女子めっちゃ少ないのに、必死になる奴がいるんだろうな。面白い。……まあ、俺には関係ないけど。一応彼女いるし。
当日。クラスごとにバスに乗る。名前順で、当然のように畠山が隣。
「俺ら、なんでも一緒だな」
「だね」
相変わらず淡々としてる。そのとき、隣にもう一台バスが止まった。
「……あれさ」
畠山が窓の外を見る。
「楽器体験でフルート希望って言ってた人じゃない?
川瀬、だっけ」
「ほんとだ!」
E組のバスだ。俺は反射的に立ち上がって、窓を叩いた。
「おーい!川瀬ー!」
「ちょ、橋本……」
畠山が止めるけど、もう遅い。
「川瀬ー!やっほー!」
向こうのバスがざわつく。しばらくして、不思議そうな顔でこっちを見る川瀬。目が合って、一瞬きょとんとして。それから少しだけはにかんだ。愛想笑い、たぶん。
「写真でも撮っちゃおっかな」
窓越しに写る、間の抜けた川瀬の顔。そのまま、D組のバスが発進した。
宿泊学習中。クラス混合のオリエンテーションになるたび、俺は無意識に視線を動かしていた。E組の方。見慣れない集団のその中。
——川瀬、いるかな。
自分でも、よく分からない。話したこと、ほとんどないのに。畠山が横で言う。
「橋本、さっきから川瀬探してる?」
「……え?」
「いや、目線が」
図星で、言葉に詰まる。
「別に。なんか気になるだけ」
「ふーん」
畠山はそれ以上、何も言わなかった。このときの川瀬は、きっとこう思ってる。
「なんであの人、やたら構ってくるんだろう」
不思議。ちょっと鬱陶しい。それだけ。好きでも嫌いでもない。
——それで、正解だ。
この頃の俺も、理由なんて持ってなかった。ただ。目で追ってしまう、という事実だけが先にあった。
フルート希望の一年は、結局、六人になった。俺、畠山、川瀬、
それからマーチング強豪校の中学から来た、声と存在感がやたらでかい藤田龍之介。
藤田と同じ強豪校出身、紅一点。丸っこくて、すでに場の空気を和ませている加藤かおり。
最後が、この高校には珍しい都心の中学出身、どこか省エネな雰囲気の西野琉生。
……多いな。さすがに。
「六人は多すぎじゃない?」
前の日、洸太先輩と帰りながら言われた。
「オーディションで誰か別パート行きだろ。今年クラ足りないらしいし」
だよな。三年三人、二年三人、一年六人は、さすがにバランスが悪い。でも。正直なところ、俺は自分がフルートになれないとは思っていない。経験年数もあるし、吹けないなんて自覚もない。……それでも。数日で、この六人に慣れてしまっていた。誰かが抜けるのは、ちょっと嫌だった。
オーディション当日。順番に教室に呼ばれて、顧問の佐々木先生と数名の外部講師の前で簡単な音階を吹く。廊下で聞いていても、誰一人として崩れない。全員経験者なだけあり、
——全員、ちゃんと上手い。
俺の番も、可もなく不可もなく。いつも通り吹けたと思う。
「藤田、ちょっといい?」
顧問の声。空気が一瞬、止まる。
「クラリネット、吹いたことあるってアンケートにあるけど?」
「小学校のときは。中学はフルートですけど」
「じゃあ、クラリネットやってみない?」
沈黙。
廊下で待っていた俺たちも、一斉に藤田を見る。
「……」
藤田は一息置いてから、教室を出てきた。
「クラ、やってみないかって言われた」
「え……」
「フルートがいいって言ったけどな」
強い。でも、それでもどうなるか分からない。全員、妙に落ち着かないまま待っていると、まとめて呼ばれた。
「一年生フルート希望、六名」
顧問が一度、全員を見渡す。
「人数は多いけど…」
一瞬、全員が息を止める。
「六人全員、フルートで決定です」
「よっしゃ……!」
声が出た。思わず。隣で、かおりんが小さく跳ねる。
「え、ほんと!?やったー!!」
藤田が、思いきり拳を握る。
「よかった……!」
西野は、肩の力を抜いて一言。
「……まあ、そんな気してた」
畠山は、静かに頷いている。川瀬は。大きな声は出さない。でも、ほんの少しだけ目を伏せて、息を吐いた。……あ、これ。嬉しいときのやつだ。
「いや多いって〜!!」
後ろから、洸太先輩の声。
「六人は多いって!!」
「ちょ、先輩」
俺が突っ込む。
「本人たちの前で言わないでくださいよ。可愛い後輩たちなんですから!」
「お前が言うな」
笑いが起きる。
その瞬間、なんとなく思った。この六人で、三年間やるんだ。長いようで、きっと一瞬だ。川瀬を見る。騒ぎの中で、少しだけ後ろに立って、静かに笑っている。目立たない。でも、ちゃんとそこにいる。
この時点では、まだ何でもなかった。ただ、同じパートになる人。それだけ。でも。一緒に三年やる、という事実が、あとから効いてくることを、このときの俺は知らなかった。
雨は、本降りだった。部活帰り、傘を差しながら、畠山と同じクラスの吹部のメンバーで駅の方向へ歩く。笑い声が混じって、道はやたら賑やかだった。気づくと、川瀬は少し先を歩いている。ああいうときの川瀬は、誰かと一緒にいても、ふっと前に出る。急ぐわけでも、避けているわけでもない。ただ、自分のペースになるだけ。
「川瀬ー」
呼びながら、足を速める。傘の端がぶつかって、川瀬が振り返った。目が合った瞬間。一瞬、きょとんとした顔をして——次の瞬間、川瀬が吹き出した。
「……っ、はは」
声を殺しきれず、肩が揺れる。
「な、なに?」
状況が分からなくて聞き返すと、川瀬は俺の顔を指差した。
「……ちょ、動かないで」
笑いながら、でも少し焦った声。
「顔」
「顔がなに」
「その……」
言いかけて、また笑う。
「毛虫」
「……は?」
「毛虫が、顔に」
その瞬間、頭が真っ白になった。
「はぁ!?!?!?!?」
騒いだ拍子に、後ろの連中が振り返る。
「なにどうした橋本」
「雨でテンションおかしくなった?」
「おかしいのはいつものことだろ」
「違う!!毛虫!!」
川瀬は、傘を持ったまま距離を取る。でも、目は笑ってる。
「雨で木から落ちたんだと思う」
「冷静に言うな!」
「動くと落ちないから」
「それ一番怖い情報!」
ぎゃーぎゃー言いながら、結局、川瀬がティッシュで取ってくれた。
「……はい、終わり」
「……死ぬかと思った」
心臓を押さえて息をつくと、また、聞こえた。
「ぷっ、……ははっ」
さっきより、はっきりした笑い声。思わず顔を上げる。川瀬は、雨の中で、完全に油断した顔で笑っていた。口元を押さえもしない。声を抑えもしない。特別手入れはしていなさそうなのに、自然に整った眉が歪んで、ただ、可笑しくて仕方ない、って顔。
——あ。
「……川瀬さ」
「なに」
まだ少し笑いながら。
「思い切り笑った顔、初めて見た」
川瀬は一瞬、黙った。それから、少しだけ気まずそうに視線を逸らす。
「……そう?」
「うん」
即答だった。こんな顔するんだ、と思った。静かで、真面目で、何を考えているのかいまいちよく分からない川瀬は。こんなふうに笑うんだ。家が近づくにつれて、頬がむずむずしてきた。絶対、早く顔洗いたい。毛虫とか、普通に無理。でも。さっきの笑い顔を思い出す。雨で少し濡れた前髪。肩を揺らして笑う横顔。
——まあ、いっか。
毛虫一匹くらい。そう思ってしまった自分に、あとから少し驚いた。




