黒猫ナイトと猫目石(前編)
その日も朝から、一匹の黒猫がキャットタワーの上でうとうとしていました。
名前はナイト。一才のオス猫です。夜から生まれてきたように真っ黒でつやつやな身体をハンモックいっぱいに詰めこんで、背中をゆったりと上下させています。ナイトにとって、お昼寝は上から三番目に大好きな趣味でした。そして、このキャットタワーは、高さもあるし隠れ場所もあるしで、ナイトのお気に入りの場所でした。キャットタワーに来てお昼寝をすれば、二つの好きなものを同時に楽しめて、まさに一石二鳥です。ナイトはえもいわれぬ満足感にひたりながら、眠りの精が心地のよい夢をたずさえて、自分をむかえにくるのを待っていました。
軽やかな足音がします。誰かが近づいてくることを察知して、ナイトは、お月さまのような金色の目をパチリと開きました。
「あ、ここにいた」
キャットタワーの下から、黒い髪の女の子がひょこりと顔を出しました。ルミちゃんです。ナイトは、ルミちゃんと、ルミちゃんのお父さんとお母さんと一緒に暮らしているのです。生後三か月の時にもらわれてきて以来、飼い主一家からたっぷりと愛情を注がれて、気ままで愉快な毎日を送っています。
ルミちゃんはナイトのことが大好きです。ナイトもルミちゃんが大好きでした。毎日たくさん遊んでくれるし、たくさんなでたりブラシをかけたりしてくれます。一緒にお昼寝にも付き合ってくれるし、おやつだってたくさんくれるのです。
ただし一点だけ、毎日おままごとにつきあわされるのはとにかく大変でしたが。
「ナイト、今日はナイトのお誕生日だから、がんばって早く帰ってくるね」
ルミちゃんは、前歯が一本だけ脱走した歯列を見せて、にっこりと笑いました。
「今日はね、ナイトのために、とびきりのお誕生日会を準備しているんだよ。例えばね――」
ルミちゃんはばたばたと腕を動かして、ナイトのお誕生日会のすばらしい計画を力説しました。思わず、ナイトは針のような黒目をまんまるにして、ルミちゃんの腕の動きを追います。猫だから、チラチラ動くものに飛びつきたくなるのです。すばしっこいものを追いかけた興奮で、完全に目が覚めてしまいました。
「それにね、それにね」
ルミちゃんは、両腕を広げてぴょんぴょん飛び跳ねます。
「いつもよりいっぱい遊んであげるし、と~ってもおいしいおやつも食べさせてあげる。すてきなプレゼントだってあげちゃうよ」
―と~ってもおいしいおやつ?
ウニャニャー?と鳴いて首をかしげると、ルミちゃんは大きくうなずいてみせます。
「うん!とっておきのおやつだよ。だから、楽しみに待っていてね」
ナイトはニャニャウ!と鳴きました。ルミちゃんにはそれが「食べる」と聞こえたようで、とても満足そうな笑みを浮かべます。
「ルミ!いつまで準備しているの。学校におくれるわよ」
玄関の方からお母さんの小言が飛んできます。
「はぁい」
ルミちゃんは口をとがらせてつまらなそうに返事をすると、「じゃあね、ナイト」と、手をふってリビングを出ていきます。ナイトはひらりとカーペットの上に飛びおりると、トテトテとルミちゃんのあとを追い、ルミちゃんが「がっこう」へ出かけていくのを見送ってあげました。
それからナイトは、そわそわと落ち着かない一日を過ごしました。お昼寝をする時も、お気に入りのおもちゃで遊ぶ時も、ルミちゃんが話してくれた、すてきなお誕生日会のことが気になって仕方がないのです。
―ルミちゃんが返ってきたら、何をして遊ぼう。プレゼントもあるって言っていたけど、どんなものをくれるんだろう。とっておきのおやつって、なんだろう。ぼくの好きなチキン味?いや、それともかつお味かな。ゆでたささみも捨てがたいし・・・・・。
焼き網の乗せたおもちのように、どんどん想像がふくらんでいきます。とめどなく湧き出る幸福な景色の泡に身をゆだねつつ、ナイトは幸せな眠りにつきました。
本日何度目のお昼寝から目覚めた時のことになるのでしょうか。
ナイトが目を覚ますと、大空は早くも夕刻の風情をただよわせ、テレビ台の上に鎮座しているのっぺりした板切れ、すなわちデジタル時計が「16:00」の形に発光しています。いつもなら、もうすぐルミちゃんの足音が近づいてくるはずの時刻でした。ですが、いつまで待っても、あの軽やかな靴の音は聞こえてきません。
―おかしいなあ。ルミちゃん、今日はいつもよりはやく帰ってくるって言っていたのに。
次第に弱まりつつある冬の太陽にふわふわのおなかをさらし、ナイトは寝返りを打ちました。
デジタル時計は「16:40」の形になったのに、ルミちゃんはいっこうに帰ってくる気配がありません。家に向かう途中で、おともだちのミナコちゃんとかアヤトくんとかにつかまって、そのまま遊びにいってしまったのかもしれない、と思いました。
―まだかな、まだかな。ルミちゃん、はやく帰ってこないかな。
その時、ナイトのお家に向かって、何かがまっすぐに近づいてくる音がしました。
「お母さんの車だ!」
ナイトははね起きました。しかし、すぐに首をかしげました。お母さんの車にしては、なんだか運転があらっぽいというか、ひどくあせっているように思えたのです。
リビングの窓辺からのぞいてみると、まるっこい水色の車が道の向こうからうなりをあげて走ってきて、家の真ん前で急停車しました。運転は乱暴ですが、確かにお母さんの車です。ナイトは窓枠から飛びおり、玄関へお母さんをむかえにいきました。
ナイトがマットの上にたどりつくと、玄関の扉が壁に叩きつけるように開け放たれ、お母さんが血相を変えて飛びこんできました。かかとの高い靴を足の裏から引っぺがして投げ捨て、バタバタとリビングの方に向かっていきます。ナイトには目もくれません。なんだかおかしいぞ、とナイトは思いました。いつもはおでむかえをすると、とってもうれしそうにしているのに。
―お母さん、ルミちゃんったら、今日ははやく帰ってくるって言っていたのに、ちっとも帰ってこないんだよ。ひどいでしょ?
ナイトはナー、ナー、と抗議の声を上げながら、お母さんの足元に身体をすりよせました。
「ごめんね、ナイト。ごはんはあとなの」
お母さんはこちらに目をくれることもなく、ぴしゃりと言い捨てました。ナイトは全身の毛が逆立つのを感じました。台所に出る黒い虫か、脱ぎっぱなしのお父さんの服を見つけた時のような、容赦も慈悲もない言い方でした。
それから、お母さんは気の立ったカラスのように抽斗をあさり、様々な大きさの四角いものをかばんにつめこむと、戻ってきた時のようにあわただしく出て行ってしまいました。何か、とんでもなく大変なことが起こっているにちがいありません。少なくともそれだけは分かります。
ナイトは大急ぎで二階の出窓へと駆け上がると、太い窓枠を何度も行ったり来たりしながら、お母さんの乗った水色の車をいつまでも見送っていました。
いつもより遅い時刻になって、お父さんとお母さんが二人そろって帰ってきました。ナイトはあわてて出むかえましたが、ルミちゃんの姿はどこにもありません。ナイトはもはや愛嬌をふりまく気力もなく、直立不動で二、三べん、おざなりにニャーニャー鳴いただけですませました。
―やっぱり、ルミちゃんはいないんだね。
「ただいま、ナイト」
お父さんはつかれきった表情で、ナイトの耳の裏をカリカリとかきました。毛筋の間に指を入れてかき回したのか、いつもであれば、薬臭い粘着物できっちり整えられているはずの髪の毛は、手入れの悪い草原のようにしっちゃかめっちゃかな状態になっていました。お母さんに至っては、ナイトをまともに視界に入れようとすらしませんでした。
―お父さん、ルミちゃんはどこ?
ナイトは問い詰めるようなつもりでたずねました。お父さんは、ナイトの頭を大きな手のひらでなでまわすと、ひびの入った笑顔でうなずきます。
「うん、うん。いつもより長い時間、一人ぼっちにして悪かったな。お腹すいただろ。今、ご飯をあげるからな」
お父さんは背広を脱ぐと、ふらふらした足取りでキッチンに向かいました。ナイトは逃がすまいとあとを追います。リビングをぬけてキッチンに入ると、お父さんが、ピンク色の計量スプーンでご飯をいい加減にすくい上げては、おおよそ「脱力」とか「落下」とかいう言葉が穏当な仕草で皿にご飯をぶちまけていました。カリカリのご飯がお皿にはねかえる音だけが、静かなキッチンに反響していました。
―やったー、ごはんだ!・・・・・じゃなかった、今大事なのはごはんじゃないよ。ルミちゃんだよ。ルミちゃんはどうしたの?どうしてここにいないの?
ナイトはニャーニャー声を上げながら、しっぽを左右の空気に叩きつけつつ、お父さんの足元をうろつきました。
人間はいつだってこうです。ご飯とか、トイレが汚れているとかいう日常のことはだいたい分かってくれるのに、こういう大切なことにかぎって、猫の言うことを理解してくれません。
「わかった、わかった」
お父さんの生返事が余計にナイトをいらだたせました。
「ほら、ご飯だぞ」
ナイトは耳を低く寝かせてシャー、と、うなると、右前足をくり出してお父さんのごつい左手を叩き、ご飯の入った皿をひっくり返しました。銀色の深皿は、こんがりした褐色の粒をまき散らしながらキッチンの床にその身を叩きつけ、クワァーン、カラカラカラ・・・・・・と大げさな悲鳴を上げてひと騒ぎしたのち、精魂尽き果てたかのように、ぱたりと静かになりました。
「ナイト!」
お父さんは、こぶしをふり上げて、リビングははるかテレビ台の下に避難を遂げているナイトに向かって、怒鳴り声を発しました。
「何をやっているんだ、この大変な時に!」
「相手は猫なのよ、いちいち怒鳴らないでちょうだい!」
リビングから、お母さんの怒声が飛んできます。お母さんはリビングの中央に仁王立ちすると、茶色いショートカットをふりみだして、きっとお父さんをにらみつけました。近所の茶虎のボス猫が、けんかを売ってきたサバ虎を返り討ちにした時の目つきにそっくりでした。なんというか、普通の猫とは気迫がちがいました。
「きみこそ、この状況で、よくもそんなにすずしい顔をしていられるな!」
お父さんも、顔を真っ赤にして怒鳴り返します。
「あれからもう六時間もたつんだぞ。かわいい娘が、このまま永遠に目を覚まさないかもしれないのに、平静なんて保っていられるか。ルミをひき逃げした車だって、まだつかまっていないんだぞ!」
―車!
その言葉に、ナイトはぶるぶると身体をふるわせました。車とは、近所の先輩猫たちから、何を差し置いても気を付けるようにと口をすっぱくして言われている恐ろしい存在でした。不用意に近づいたり、突然前に飛び出したりして、大けがを負っていまう猫はたくさんいるのです。そして、そういう猫には、たいてい、二度と会えなくなりました。
―ルミちゃんに、二度と会えなくなる。
恐ろしい想像が頭の中を駆けめぐり、ナイトは、しばらくまともに息ができなくなりました。徐々にはげしさを増していく口げんかも、もう耳に入りません。ナイトは家具の下の薄暗がりからするりと抜け出ると、勝手口の猫用ドアから外に出ました。
コンクリートの上に前足の一歩を踏み出すと、冬の冷たい空気にあてられて、全身の毛がぼわっとふくらむのを感じました。少し開けた口からこぼれ出た息が、白く凍りつきながらくらげのようにふくらみ、はるか天上を目指して立ちのぼっていきます。くらげが浮かんでいく先を追って見上げた東の空に、満月が燦然と輝いていました。
ルミちゃんから聞いた話では、月は四十五億年とかいう、気の遠くなるほどの歳月にわたって、同じ姿を保ち続けているそうです。その無情なまでに冷たい輝きが、猫とか人間とか、限りある生命を見下しているように思えて、ナイトは無性に腹が立ちました。
しかし、それほど長生きの天体ともいえど、雲の行きかう大空を航行しておきながら、いつまでも、まったくの無傷のまま光り続けることはできません。墨色の分厚い雲が地上見物を邪魔したので、月はその冷酷な面をさらしつづけることができなくなりました。ナイトは胸のすく思いがして、しっぽを立ててニャー、と声を上げました。
その時です。
「いい晩じゃな、お若いの。こういう晩は集会にもってこいじゃて」
目の前のブロック塀から、上機嫌な声がふってきました。満月のあった場所からな視線を下ろすと、ブロック塀の上に、白いモップに手足を生やしたような老猫が座っています。
雪丸じいちゃんです。この老猫は、猫の間では本人の希望で「雪丸」と呼ばれてはいましたが、ほんとうはもっとたくさん名前があります。街の人たちが、めいめい好き勝手にじいちゃんを呼ぶからです。ナイトが記憶しているだけでも三十通りくらいの名前がじいちゃんにはありました。
「どうした。せっかくの晩じゃと言うのに、お前さんは元気がなさそうじゃな。どれ、ここはわしがひとつ、不機嫌の理由を当ててやろうかな」
「からかいにきたなら帰ってくれる?」
ナイトは地面をにらんで、とげのある言葉を吐き出しました。それでも収まりきらなかった不機嫌はしっぽの方に移動して、激しくバタバタと暴れ出します。関係のない誰かに当たるのは悪いことだと頭では理解していましたが、そうでもしなければ不安で押しつぶされそうだったのです。
「まあまあ、おいぼれの話は最後まで聞くものじゃぞ」
ところが、幼い猫のかんしゃくなど、世なれたじいちゃんはものともしません。ケラケラ笑って受け流します。
「そもそも、わしがここにやって来たのは、お前さんにひとつアドバイスをしてやろうと思ったからなのじゃ」
雪丸じいちゃんは、ドテッと音がしそうなどんくさい動きで、ナイトのとなりに下り立ちました。
「お前さんは、猫に九生あり、ということわざを知っておるかな」
「ネコニキューショー?どういう意味?」
聞きなれない言葉です。ナイトは、きょとん、と小さな首をかしげました。
「文字通り、猫には九つの命がある、という意味じゃが、人間の間では、そこから転じてしぶとく生き延びるさまを指す。このことわざのしめす通り、猫には九回、死神のもたらす危険を切り抜ける力があるのじゃよ。そしてその力は、その気になれば、誰かのために使ってやることだってできる」
ナイトは満月のような目を見開きました。それはつまり、ルミちゃんを助ける方法がある、ということにならないでしょうか。
「それ、ぼくにもできるの?」
「ああ、できる。どんな猫にだって手にできる力じゃ。ただ、わしは九つのうち八つを使い果たしてしもうたから、やろうと思ってももうできんがの」
じいちゃんは力強く断言しましたが、最後の一文を口にする時だけは、どこか自嘲気味と言うか、かすかにさびしそうな色合いが漂っていました。そんなことには気が付かないナイトは、雪丸じいちゃんに詰め寄ります。
「それ、どうやってやるの?どうすればその力が手に入るの?」
「死を退ける力を使うためには、特別な石、《猫目石》が必要となる。《猫目石》と言っても、それもそこらの宝石店や科学館で買えるような猫目金緑石、いわゆるキャッツアイではだめじゃ。星の流れる河から取った、特別な《猫目石》が必要なのじゃ」
雪丸じいちゃんは白くにごった目で、街灯に輝きを消された星空をながめやりました。その口調には、どこか、二度とかえってこない何かを、懐かしむような響きがありました。
「その《猫目石》を手に入れるためには、満月が琥珀の色に輝いてうつくしい夜に、月の猫とともに旅立たなければならない。そう、こんなような、世にもすてきな満月の夜じゃ」
じいちゃんがそう言った時、夜空が、ぱちりと琥珀色の目を開きました。さっきまで分厚い雲のあったところに、色の濃い妖しい満月そっくりの、オレンジ色の大きな目玉が浮かんでいるのです。
目玉は、夜空から星をふるい落としかねない大きな声で、低く太くニャー、と鳴きました。一緒に来るものはいないか、とたずねているのです。
ナイトは、小さなおまんじゅうのような四つ足をふんばって、高いけれどもよく通る声で、ニャー、と鳴き返しました。
「ここにいるぞ!」
月の目玉がこちらを向きました。ナイトめがけて、内側から冷たい色調に発光する、透明な前足がのびてきます。前足は肉球でナイトを軽くはたき、ぽーんと空へ向かって投げ上げました。足はあっという間に地面を離れ、耳元で風がごうごううなります。
ナイトは悲鳴を上げました。
「うわああああああ!」
みなれた家並みが、みるみるうちに遠ざかっていきます。見る間に、ひとつひとつの家の区別さえつかないようになりました。今まで立っていた大地がどんどん小さくなり、南北に細長い光の粒々の集合体になりました。具体的な距離は分かりませんが、ものすごく高いところにいるのは理解できます。
そのくらいの高さになってようやく、ナイトの目にも、地面の代わりに足をつけるべき場所が見えてきました。月の猫の背中です。夜の色に染まった透明な毛並みが、持ち主の立てる風にそよぎながら、ナイトが落ちてくるのを待っています。ナイトの方でも、器用に身体をひねって、軟着陸のための体勢を整えました。
努力のかいもあって、ナイトは四つ足をきちんとそろえて、ぽすん、と大猫の背中におさまることができました。この大猫の身体は透明で、足元の夜景が透けて見えます。まるで、ガラスの上に座って空を飛んでいるようです。しかし、月の猫の背中は、見かけに反してとってもふかふかで温かでした。この上でお昼寝をしたらどんなにすてきでしょう。きっと、今まで見たこともない、摩訶不思議な夢が見られるにちがいありません。
ところで、月の猫の背中には、どうやら先客がいたみたいなのです。
「あら、こんばんは。すてきな夜ね」
ほがらかにあいさつを投げかけたのは、ふさふさしたしっぽをマントのように巻きつけた、優美なメスの三毛猫でした。
「こ、こんばんは」
ナイトは、少しどぎまぎしながらあいさつを返しました。ナイトよりも年上の猫なのだと思います。うちの近所はやんちゃ坊主やいたずら好きしかいないので、あまりあったことのないタイプの猫でした。
「わたしはジェイド。よろしくね。あなたは?」
三毛猫は緑の瞳を好奇心で輝かせながら、ナイトに笑いかけます。
「ぼく、ナイトって言います」
「ナイト・・・・・夜なのかしら、騎士なのかしら」
三毛猫は上品なしぐさで首をひねります。その拍子に、茶・黒・白の襟巻きのようなふさふさの毛が、肩や背中に当たってぼわりと広がりました。
「ええと、英語はちょっと分からなくて・・・・・」
猫語の他には日本語しか分からないナイトは、ジェイドといっしょになって首をひねりました。以前、もらわれてきた時に、どうして「ナイト」という名前に決まったのかを力説されたような気はしているのですが、いかんせん、当時のナイトは小さすぎて話の内容を覚えていなかったのです。
「そうなの。でも、すてきな名前ね、夜の騎士さん」
こうして、ナイトには、ちょっとだけファンタジックなあだ名がつきました。
ナイトが乗ってきた時と同じように、月の猫が鳴きました。月の猫は、島や大陸の区切りにひとつさしかかるたび、地上の猫たちに呼びかけるようです。月の猫の黒い透明な身体ごしに、地上を埋め尽くす人工の光が海へと長く張り出して、世界の半分を支配する闇の中から、半島の細長い形を切り出しているのが見えました。
光の集合の中から、ここにいるぞ、と声が上がります。誰かが旅に加わるようです。月の猫が前足を動かしたようで、ナイトたちが座っているところにも、筋肉の振動が伝わってきました。
誰かの悲鳴が聞こえます。
「ぎゃああああああああああ!」
ひゅ~ん、とうなりを立てて、風を切って何かが落ちてくる音がしたかと思うと、目の前に、白っぽいかたまりがシュタッと格好をつけて着地しました。白いかたまりは、自分以外の乗客の存在に気づくと、派手に驚いて二、三歩、後ろに下がりました。が、ほどなく、ナイトたちが猫であることに気づくと、五歩ほど前進してこちらに近づいてきました。
「おや、おれ以外にも、《猫目石》の秘密を知っているやつがいたんだな」
青と黄色の目であたりを見回しつつ言ったのは、立派なオスの白猫でした。頭も三角形に近く、細身で、すらりとした体型をしています。白い毛並みはつややかで、大切にされていることがよく分かりました。お金持ちの家の猫なのでしょう。二層に房を作る、真珠とダイヤで飾られた真紅の首輪も相まって、どことなく神秘的な雰囲気の漂う猫でした。装飾のうつくしいお城とか、白亜の神殿とかの奥深くで、たくさんの召使にかしずかれているのが似合いそうです。王族然としたジェイドはともかく、ナイトはこの白猫とうまくやっていけるか心配になりました。
「みなさん、こんばんわ!」
ところがモンコンは、フタを開けて見れば気さくで陽気な猫でした。
「何はともあれお見知りおきを!おれはモンコン。『微笑みの国』、タイから来たんだ。いいところだぜ。みんなのお国はどこだい?」
「イギリスから来たのよ。魔法の本場。古い建物が多いし、自然もけっこう残っていていいところよ。ちょっと雨が多くて、お散歩が大変なのが難点だけど」
ジェイドは緑の瞳の中に、無数の星を散らして笑いかけました。
「ナイト、あなたは?」
「ぼくは日本から来たんだよ。ご飯とかおやつとか、おいしいものが多いんだ」
「日本か!いいな。うちの家族がうわさしてたぜ。とってもうまい牛肉があるんだってな。あ、みんなは何の食べ物が好き?」
「ぼくはささみ」
「わたしはラム肉」
「ラム肉?ぼくは食べたことないなあ」
「おれもだ」
モンコンはさかんに話をふり、冗談をひんぱんに混ぜ込んでは、場を盛り上げようと奮闘します。おしゃべりな大家族の中で育ったせいか、にぎやかなのが好きなのだそうです。気のいい白猫モンコンのおかげで、未知の領域へ踏み込む旅は、ほとんど不安を感じず楽しく進みました。




