【第三回】巨石が好きだ
Menhir Côte Sauvage, Quiberon
わたしは現在、物語を書いている。
おもに書いているのは地味な異界ファンタジー。各所プロフィールなどでケルト影響をうけた話をかいてます、と明言している。
「ケルト」と言うと、渦巻だの組みひも文様だのバグパイプだの、漠然としたそれっぽいイメージの浮かぶ方が大半でござろう。
それで結構です。つきつめて考える必要はありません。
しかし一応説明しておくと、現代西欧の基盤、その源流の一環をになった印欧インド・ヨーロッパ語族に属する人々のことである。
しちめんどくさい言い方を避けるなら、色々と混在している【ヨーロッパ】のご先祖のうちひとり、くらいだろうか。
ギリシャやローマの人々は、自分たちの以北にいるわけわからん集団をまとめてケルト人としていた。そのくらいアバウトなので解釈にも色々ある。
しかし高校生だったわたしに、≪ケルト文化≫は刺さった。ぶっ刺さった。なんという渦巻、永遠につづくあみあみ文様、そこに宇宙があるッ!!
赤いマントを華麗になびかせ、カエサルがさっそうと進撃してきた前後までケルト人はヨーロッパ全体にいたのだが、やがて隅っこに押し込まれてゆく。
が、その押し込まれた先っちょ部分で、彼らは濃ゆーく煮詰まって行った。そういう島嶼ケルト人の文化に、わたしは惹かれにひかれて息も絶えだえになったのである。
その情熱に従い、アイルランドへ行った。
現代に連綿とつらなる、ケルト文化の担い手地域はたくさんある。スコットランドにウェールズ、コーンウォール。フランスのブルターニュにスペインのガリシア。
それなのにどうしてアイルランドを初海外旅行に選んだかというと(じっさい結構悩んだ)、同行してくれるお友達のマリちゃんがいたからだ。
ものほんお嬢さまのマリちゃんは、アイルランドのボーイズグループにそれはそれは入魂しており、力強く推していた。ローナンのお国に行くのよというマリちゃんの熱意と、いっぱいケルト史跡見たいっす~と言う門戸の思惑が重なり、我々はかの国を訪れたのである。
……熱病のような10日間であった。たぶん昔は、こんな風にして京都にはまり、定期的に訪れるのをやめられなくなる人が多かったのではないだろうか。
≪一回行っただけじゃ、ぜんぜん足りない。見るべきもの、知るべきものが多すぎるッ≫
そんな風にしてケルトケルトと唱えて、わたしはかの国へいそいそ通うようになった。語学留学(アイルランドの国語はゲール語だが、英語社会である)に、バックパック一人旅行に、研究資料集めに……。ケルト史跡目的で何度も訪れているうち、次いでそこにいた【巨石】たちにとりつかれてしまったのであった。
巨石。
すなわち、でっかい石。
ただの巨大な石ではない。人為的に選ばれときに加工を施され、明確な意図のもとに構成・配置された石たちなのである。
ぽつんと立っているのはメンヒル。
テーブルのように組み合わされたのがドルメン。
Quelarn, Plobannalec-Lesconil
Dolmen de Kervadol, Plobannalec-Lesconil
メンヒルたちがぐるっと円に並べば、ストーンサークル(環状列石、クロムレクとも)になる。有名な英国のストーンヘンジは、これに分類される。
Cromlech de Kerbourgnec, Quiberon ドローンがないと円形なのがわからない
いろいろな形態をまとめて【巨石記念物】とも呼ばれるこれらの石たちは、西ヨーロッパじゅうに広く分布している。
特に大西洋岸にめちゃくちゃ多い。アイルランド、スコットランド、ブルターニュなどにどっさりいる。
何をどう見ても自然の産物などではなく、人が手をかけて作り出した建造物なのだ。
だがしかし、誰が何のために作ったのかは、はっきりわからない。
ドルメンに関しては、墳墓の骨組み部分だったろうと言われている……そう、奈良・明日香村の石舞台古墳と同じ感覚だ。外側を覆っていた土くれが風雨に流されてしまって、巨大な岩家が出現した状態。
けれど巨立石や環状・線状の列石たちに関しては、謎のまま。何を伝えたくて、こんな壮大な作品を作ったのか……?
Alignements de Kerfland, Plomeur
Dolmen de Tronval, Plobannalec-Lesconil
現代人の我々が首をひねるのと同様、古代ケルト人の皆さんも大いに首をひねりまくった。それもそのはず、鉄器を有する彼らが西欧の端っこに到達した時、巨石たちはすでにそこにいたのである。
巨石たちは、ずうっとそこにいた。自分たちをそこに置いた人々が去り、消えてしまった後もずっと、変わらずそこにいたのだ。
中には五千年前から、野原で丘のふりをしていたやつもいる。
長さ二十メートルを越える、ある巨大メンヒルは長いこと大西洋を見つめたたずんでいたけれど、ある時倒れて……いいや。引き倒されて、割れてしまった。
石を建てた人々とはまったく関係のない、後からやってきたケルトその他の人々は、おそらく巨石の存在を理解しようとしたのだろう……とわたしは思う。
だからこそ、自分たちなりの精いっぱいの想像と解釈を広げて、≪よくわかんないけど、たぶん神聖なもの≫とし、大切にしてきた。
祭祀や埋葬の場として二次使用し、そこを改めて自分たちの聖域とした。
あるいは時代にあわせた物語をくっつけて、伝承に残した。
ストーンサークルは妖精たちが舞踏会を催すところ、墳丘は妖精王の地下宮殿になっている。真夜中になると、メンヒルたちは動きだして川へ水を飲みに行く。野原にびしッと並んだ列石は、聖人の力で石に変えられてしまった悪い兵士の軍団だった……などなど。
Alignements de la Madeleine, Penmarc'h
だだ広い空の下にひろがる曠野、そこにずどんとたたずんでいる石たちを、わたしは途方もなく美しいと思う。
泣き叫びたくなるほどに、いとおしい光景だと感じて、じっさい泣いたりしている(だから他の人とは会いに行けない)。
その地に置かれて数千年。幾星霜をも見送りつつ生きてきた石たちの身体には、彼らに向かって想像を広げてきた無数の世代の人びとの≪物語≫がつまっているようにも思える。
それらを語ってもらえたら、巨石たちと話すことができたなら、どんなにか素敵だろう?
と言うわけで、わたしは大好きな巨石たちにまつわる物語を書いた。
異界における物語ではあるけれど、作中に登場する石たちにはモデルが存在する。
単なる背景や舞台装置ではなくて、石たちをキャラクターとしてとらえているわたしはまあ、……はたから見たら変人のたぐいなのかもしれない。
けれど実際に巨石に触れてみると、そこには熱があるのだ。
彼らが長い命をもった生きものだということを、ひしひし感じる。限りある永遠としての、生命を生きるもの。
そういう石たちの声、あるいは歌にふれて影響を受けつつ、わたしもわたしなりの物語を楽しくつづって行ければなぁと願っている。
巨石はいい。ほんとに、いい。
わたしは巨石が、大好きだ。
【終:次回へ続く】
Menhir du Reun, Tréffiagat
※今回は自前の写真入りでお送りしました。すべての画像は©門戸でよろしくお願いします。(無断使用、転載はしないでください)ちなみに撮影地はフランスのブルターニュです。




