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act,3 ファン。

 キマリ兄の一件から数日後。いつものように俺は小笠原と会う約束をしていた。今回は自信作を携えているので、小笠原が不機嫌とか、キマリ兄が小笠原を好きかもとか、そういうことはさっぱりと頭から抜け落ちていた。単純に写真を見せて、どんな感想を抱くのか聞いてみたかった。

 自信作というのは夕日の写真だ。雨上がりは雲がドラマチックになると経験上わかっていたので、午後三時あたりになって雨が止んだある日、学校が終わるなり俺はカメラを片手に土手まで走った。

思惑通り、雲と太陽は絶妙な構図を取っていて、シャッターを切りながら、小笠原が好きそうな写真が撮れたと自負して、ほくそ笑んでいた。

 俺は自信作をテーブルにおいて、左手で頬杖をつきながらずっと眺めていた。時折顔がにやけてしまい、慌てて真顔を作ったりする。しかし、こういうときに限って、小笠原が姿を見せない。時計に目をやると、待ち合わせの時間を少し過ぎていた。遅れるなら連絡くらいすればいいのに音沙汰はない。仕方なくこちらからメールするかとケータイを開いたとき、頭上から声がした。


「綺麗」


 声の主が俺に話しかけていると思ったので、ケータイから顔を上げると、それは思い描いていた顔とは異なる人物だった。


「君が撮ったの?」


 実は今日は、カメラを首から提げている。写真を眺めているカメラを持った人物を見れば、そいつが撮ったと思うのは必然だろう。

 声の主は知らない少女だった。どう見ても中学生だが、今は四月だ。ついこの間まで中学生だった者が高校生になっているわけで、しかも吾妻少年やキマリのように実年齢と見た目が一致しない人物が俺の周りにいるから、実際いくつなのかわからない。短く切ったストレートの黒髪が子供っぽく見せているようにも見える。パッと見化粧はしてなさそうだ。灰色のパーカーに紺のハイソックス、学校なんかに履いていくような茶色のローファー、けれど蛍光イエローのリュックを背負っていて、それも少し子供っぽい。パーカーの下からはずいぶん短い、赤いチェックのスカートが覗いている。

 少女は躊躇いもなく俺の向かい側の席に座った。二人がけのテーブルが丁度埋まる。

 俺はケータイを手にしたまま固まった。まさか席にまで座ってしまうとは思わなかったからだ。


「……まぁ」


 「君が撮ったの?」と問われたので、俺はそう返事を返した。少女の丸い目が輝く。薄く笑みを湛えた状態で、気さくに話しかけてくる。


「アタシはエリカ。君は?」

「………藍生アイオ、だけど」

「アイオくん?あ、アイオさんか」


 少女はしまったとばかりに口元に手をやった。


「ウチの中学、先輩もさん付けと君付けでね。あまり上下関係に厳しくなかったの。でも高校に入ったらそうもいかなくて、今日も先輩に怒られた。先輩には敬語でしょう!って」


 クスクスと笑いながら、少女は言った。


「アイオさんはいくつ?高校生?」


 ずいぶん馴れ馴れしい少女だ、と思いつつ、写真を見て綺麗と呟かれたことに気を許して、俺は小笠原が来るまで、少女に付き合うことにした。褒められて無碍にあしらうのも気が引ける。


「…高三」

「どこの高校?今日は何してるの?」

「高校は梶港カジミナト。これから人に会う」

「へぇ。お隣の町じゃん。待ち合わせなの?」

「もう時間過ぎてるけどな」


 言いながら俺は再び腕時計に目をやった。店の入り口にも視線を向けるが、小笠原らしき姿はない。開きっぱなしだったケータイにも着信はない。そうなるとさすがに何かあったのかと心配になってくる。


「お友達?」


 少女が問う。問いながらテーブルの上の例の写真をちゃっかり手にとっている。

 待ち合わせの相手との関係を尋ねているのだろう。友達とは思わないが、今の小笠原をなんと形容していいのかもわからず、俺は「まあな」とだけ答えた。


「写真、よく撮るの?そういうカメラって本格的ぽい。アタシのデジカメと大違い」


 そう言うと少女は背負ったリュックから赤いデジカメを取り出した。CMなんかでよく見るものだ。カメラと聞いて思い浮かべるのはこういったものだろう。


「そんなに違わないけどな。程度が決められてるだけだろうし、細かい調節にこだわらなきゃこれも使える…」

「…ね、撮ってみて!」


 少女が自分のカメラを俺に差し出す。そんなに言うなら撮ってみろと言わんばかりだった。いや、どちらかというと理屈はわからないから実践して見せろと言ったところだろうか。

 少女の目がとたんに輝く。被写体は自分のつもりだったのか、決めポーズらしい笑顔を見せる。

 正直人間はあまり撮らないので自信はないのだが、いつまでも決めポーズをさせておくわけにもいかないし、しぶしぶ赤いデジカメを手に取った。設定をいじっていると、少女が早くとせかした。

 カメラを構えると大きな画面に少女が映った。普段はカメラを覗く形なので、画面を見ながら撮るのには違和感がある。慣れない。

 けれどもこれだってカメラはカメラだ。どうせ撮った写真を見るのは少女だけなのだし、ピントが合っていればそれでいいかと思った。適当に一枚とって、今度は設定を変えてもう一枚撮る。


「ホラ、こっちは赤っぽいけど、こっちは青いだろ。場所とか雰囲気とかで変えると、デジカメでも思ったとおりの写真が撮れるんだ」

「わぁ、ホントだぁ!今までいじったことなかったよ」


 はしゃぐ少女は「今度はアタシが撮ってあげる」と言った。そして両手を差し出す。

 何かと思えば、俺の首から提げられているカメラを寄越せということらしかった。


「……壊すなよ」

「大丈夫!物持ちはいい方だから」


 少女はカメラを受け取ると、俺がしていたのと同じように首から提げた。けれど少女には紐が長い。


「えーと…?」


 危なっかしい手つきで紐を調節するので、見かねて俺は少女の体に合うように長さを変えてやった。撮るだけなら紐なんて長くてもかまわないのにと思ったけれど、自分に合うようになったカメラを構えて、得意げになっている少女を見たら、そう言ってやるのも野暮な気がした。

 つい最近高校生になったばかりだからか、少女は子供っぽくさえある。けれど俺の周りにここまで素直に感情表現する者が居ないからか、少女は俺にとって新鮮だった。クラスメイトとも小笠原とも違う感じがする。

 この感情はなんと言うのだろうか。知らない感情に自然と動悸が激しくなる。


「……………」


 俺はハタと気付いた。

 俺の知らない感情で、動悸が激しいといえば、それはまさか、俺がわかりたいと常々思っていた好きという感情ではないか。

 まさかこれが恋愛感情?初対面の少女に、いきなり好きとか思うのか?

 自問自答しているうちに少女が写真を撮り終えたらしい。撮った写真を見たいというので、俺は慣れた手つきで画面に写真を出してやる。画面の写真はピントが合ってないとすぐにわかったけれど、俺はそれどころではなかった。


 …そんなことが、あっていいのか。


 小笠原には感じなかった感覚であることは間違いない。

 けれどあまりにも唐突で、こんなに簡単にわかってしまうものなのかと思う。信じられない。

 しかし、世の中には一目ぼれというものもあるらしいし、これはその類ではないのか。

 冷静に感情の分析をしている自分もなんだか馬鹿げている。しかし、その間も動悸は激しくなるばかりだし、好きなのかも知れないと思い始めたら少女が直視できなくなった。


「やっぱ、ホントのカメラは難しいね」


 そう言って少女がカメラを渡した。手には触れないように細心の注意を払う。しかしそのせいでカメラを取り落としたら俺は悔やんでも悔やみきれない。長年の相棒なのだから。

 幸いそれはただの杞憂だった。短くなった紐を再び元の長さに戻して、首にかけなおした。


「さっきの写真現像しよーっと」


 少女は自分のデジカメからメモリを取り出す。カードごと現像に出すのだろう。

 カメラをカバンにしまう様を俺は凝視した。少女の顔が見れないので手元にばかり目が行く。


「…ね、アイオさん」

「……」


 カバンを背負いなおした少女は改まって俺の名前を呼んだ。その手には俺の自信作がある。


「この写真もらっちゃだめ?」


 俺の視界の端にある少女の顔に片手が添えられた。内緒話でもするかのようなしぐさだ。手の辺りにある口元が笑みを形取っている。

 写真は小笠原に宛てたものだ。誰かにやるつもりはなかったけれど、データは残っているから、また現像すれば同じものが出来上がる。

 「綺麗」と呟いた少女の台詞も思い返された。小笠原は来ないし、遅れる連絡もないし、ここで写真をあげてしまっても、俺が黙っていればバレやしない。俺の中の悪魔がそうささやく。

 他にも小笠原に見せていない写真は持ってきているし、この一枚がなくなっても変に思われたりしないだろう…。


「…いいよ」


 「やったあ」と少女がはしゃぐ。先ほどと同じく、子供のような笑みできらきらした瞳をしているのだろう。


「部屋に飾るね!」


 少女がそう言った。聞いて、すぐさま以前の小笠原の部屋を思い出した。俺のアパートの真向かいの職員住宅だ。

 激しい動悸のどこかで、後ろ暗い何かを感じた。罪悪感に似た感じだ。

 少女が丁寧に写真をファイルへ仕舞っている。ぼんやりとその手つきを見ながら、後ろ暗い感情が何なのか思案する。

 すると、テーブルに置いてあった俺のケータイが震えた。瞬間、ドキリと心臓が跳ねた。このバイブの間隔は電話がかかってきた時しかない。多分小笠原だ。


「あ、お友達じゃない?じゃあアタシはこれで…と、」


 立ち上がった少女は慌ててカバンからボールペンを取り出した。色つきで、青いペンだ。ペンを持った右手と反対の左手で、俺の手を取る。

 震えるケータイを握っていた俺は何事かと目を剥く。くすぐったいような痛いような感覚がして、


「なんだよ」


 と手を引っ込めようとしたら、


「ケー番とアド。せっかくだし、また連絡してよ」


 と言って俺の手のひらに書き込んだ。書き込み終わると、少女はにこやかに去って行った。書かれた右手を見ると、青のインクで数字と英字の羅列があった。それを見つめながら、まだかろうじて震えていたケータイを開く。開くと通話に変わるので、俺はそのまま左手で耳に押し当てた。

 店の入り口を出て行く少女の背中に目をやる。振り返らずに自動ドアを出て行った。


『藍生?ごめん、ちょっと取り込み中で、連絡遅れた』

「……いや、こっちも………」


 取り込み中だった、と言いかけて、慌てて口を閉じた。今さっきの出来事はなかったことにしなくてはと思った。あんなの、悟られたらダメだ。


『もうすぐ着くから…場所は変わってないんだろ?』

「ああ…」


 ドキドキしながらそう答えていると、電話の向こうで「先生」と呼ぶ声がした。

 恐らく、小笠原は町の中を歩きながら電話している。車の音とかざわめきが聞こえるから。タイミングよく、誰か生徒に出くわしたのだろう。


国松クニマツ、』


 と小笠原が生徒を呼ぶ。

 電話中の小笠原に生徒が気付いたのか「ごめんなさい」と言ったのが聞こえた。

 …その声に聞き覚えがありすぎた。


『藍生?』


 電話の向こうで「え?」と少女が言った。タイミングよすぎるだろ。

 あの少女は、小笠原の学校の生徒だったに違いない。しかも小笠原が名前を覚えているということは、担当のクラスの生徒かも知れない。

 写真のことはバラすなよ、と俺が心の中で祈っていると「何でもないです」と少女が言って、小笠原が「ごめん、生徒に会って」と言った。

 俺は安堵と罪悪感が混ざったような、心地の悪い気分だった。

 適当に電話を切ると、俺は二、三度深呼吸をした。


 ――――――悟られたらいけない。


 それだけを思い浮かべて、俺は小笠原を待った。文字の書かれた右手は、握ったままだ。


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