第72話 気持ちの行方
相楽君の真剣な目が、真っ直ぐに私を見つめる。
この半年、崩れそうな私を何度も支えてくれたのは、他でもない相楽君だった。
あの台湾での告白以来、自分の気持ちを押し付けるわけでもなく、つかず離れずの距離でずっと見守ってくれていたのは事実だ。
私自身、最近では以前よりずっと彼に心を許してる気がする。
だけど…
「あ…でも…来年には相楽君アメリカに行っちゃうし…」
「俺は…たった二年じゃ、気持ちは変わらない」
彼にとっては、たった二年…
凱斗は…距離が離れたら気持ちも離れるって…そう言ってたな。
「……」
声にならない。
あの時の凱斗の言葉を思い出して、胸の奥に鋭い棘が突き刺さったみたいに息が詰まった。
「桜庭は、まだ…」
相楽君は、その先を言いかけてやめた。
私は目の前にある、ワイングラスをじっとグラスを見つめる。
赤ワインの残りが揺れて、キャンドルの灯りを映していた。
その揺らぎが、まるで自分の心みたいに定まらない。
「私…新しい恋愛とか…考えた事なくて…」
やっとそう告げると、相楽君はゆっくりと頷いた。
「じゃあ、これから真剣に考えて欲しいんだ…俺の事…」
穏やかな、声だ。
押しつけがましくなくて、ただ誠実な優しい声…。
胸の奥で、また違う痛みが生まれた。
相楽君の目は真剣だ…
もう…これ以上曖昧にはできない…
「…わかった…」
そう答えたものの、何かがしっくりこない自分がいる。
きっと私の中で、凱斗への未練が経ち切れていないからだ。
それも…明日会えばはっきりするのかな。
会って…新しい彼女の事を聞けば、いやでも忘れなくちゃならないんだから…
それなら相楽君の事も、考えられるようになるかもしれない…。
この日…私と相楽君には、今までとちょっとだけ違う空気が流れ始めた。
――――次の日の夕方4時。
マンションのエントランスを抜けると、見慣れた一台の車が止まっていた。
凱斗のお気に入りの、黒いポルシェ911だ。
この距離からでもわかる、見覚えのある横顔。
一瞬立ち止まってそれをじっと見つめていたら、ふと凱斗が私に気づいて軽く右手を挙げた。
私の鼓動が早すぎて、自分でもみるみる顔が赤くなっていくのがわかる。
それを悟られないよう、一旦背を向けるようにして大きく息を吸ってみた。
よし!何を言われても…絶対に今日は笑うんだ。
そう小さく頷いて振り向いたら、凱斗が心配そうに助手席の窓を下ろして声を掛けて来た。
「花凛…乗って」
そう言われて小走りで駆け寄り、慌ててシートに体を滑り込ませると、革の匂いがふわりと鼻を掠める。
助手席に座るだけでもなんだか自分が場違いな気がして、シートベルトを締める手元が少しもたついた。
すると凱斗が何も言わずにすっと手を伸ばし、私のシートベルトを引き出して、カチッと差し込んでくれる。
「あ…あ…ありがとう」
そう言うのが精一杯で、私はとても挙動不審だ。
凱斗が動いた瞬間、懐かしい彼の香りがした。
ルラボのサンタル33――
彼の隣に座っているだけで、心臓がドキドキしてめまいがする…。
緊張とほんの少しの不安と、そして彼と一緒にいることのどうしようもない高揚感で、頭の中がごちゃごちゃだ。
「花凛…久しぶり…」
「ひ…久…久しぶり…」
顔が見たいけど、運転席が見られない。
私はただじっと、正面を見つめることしかできなかった。
元々同級生だったし、初めてのドライブでもこんなに緊張しなかったはず。
いつの間に…私こんな風になっちゃったんだろう…
「車出すよ」
凱斗がそうつぶやくと、車はゆっくりと走り出す。
それから私達は、しばらく二人とも無言のままだった。
10分ほどすると落ち着いてきて、私は小さなため息を一つ吐く。
その時車が、首都高に入って行くのに気づいて思わず凱斗に尋ねた。
「どこ…行くつもり…」
「え?あ…ちょっと…ドライブ?」
「ドライブ??」
「ダメだった?」
凱斗は心配そうな顔で、ちらっと助手席を見ると口元に軽く手を置いた。
ダメじゃないけど、別れて半年ぶりに会って気軽にドライブ??
話があるって言ってたよね??
私の荷物はトランクかな‥
咄嗟に乗り出してボンネットの方を見たら、凱斗が不安げな声で名前を呼んだ。
「花凛?」
「あ…ダメじゃない…ダメじゃないけど…」
元カノとドライブなんて怒られないの?って…聞きたいけど…
聞くと自分が凹むからやめておこう…
「凱斗…話があるって…」
「あぁ…ついたら話す」
「どこに付いたら?」
「江の島」
「え?あ…え…江の島??」
「うん。今からなら一時間ちょいあれば余裕かな。6時半に店予約してるんだ」
「あ……そんな…無理に江の島まで行かなくても…」
「花凛、イタリアン好きだろ」
そう言って笑った凱斗に、ふと妙な疑問が浮かぶ。
私の好きなイタリアン…
何でこんなに、私に気を使ってるの??
もしかしたら、私は大きな勘違いをしていたのかもしれない…。
これは…新しい彼女ができたなんて話ではないのでは??
流石に、凱斗の性格くらい把握している。
大事な彼女がいるのに、わざわざ元カノとドライブで遠くまで行く事なんてしないよね?
それに…私の好きなイタリアンとか予約するはずない。
凱斗は元カノには、すっごくシビアだ。
よく考えたら、会うこと自体嫌がるはず…
でも朔ちゃんは、凱斗の口から聞いたらいいって…
一体何を??
「ちょっと、とばす」
こうして私は、凱斗に言われるがまま江の島に連れて行かれる。
そして到着したそのお店は、私が前からずっと行きたいって…そう言ってたお店だった。




