第6話 俺の危険を察知するアンテナ
俺の第一印象は、「――あぁ……これが相楽恭平か」だった。
ずっと話には、聞いていた。
花凛の同期。
職場では頼りになる存在だとかで、やたら彼女から名前が出る。
外銀の内定を蹴って今の会社に入ったとか、戦略案件専門のエースだとか――
とにかく、華々しい経歴の持ち主な事は確かだ。
でも、あぁして実物を見るのは、今日が初めてだった。
180センチ以上はあるだろう。無駄な脂肪のない引き締まった体つき。
切れ長の二重に、洒落しゃれた服。どこから見ても、いけ好かないほど整った男だ。
しかも、花凛の隣で――普通に笑い合ってた。
「胡蝶、あれ……花凛ちゃんじゃないか?」
一緒にいた佐田が、店に入ってすぐに、相楽といる花凛を見つけた。
その時、俺の中で何かがピリつく。
そして、花凛が俺のことを「友達」と紹介したあの瞬間――相楽恭平の顔が、わずかにホッと緩んだのを、俺は見逃していない。
――なんで俺が、“彼氏”じゃなくて“友達”なんだよ。
ムカついた。それは間違いない。
でも、本当の苛立ちは……最近の花凛の気持ちが、よくわからないってことだ。
花凛の仕事は激務だ。正直、よくこなしてると思う。
会える時間が限られてるから、いつも俺の方が、予定を合わせているのが現状だ。
けどここ数か月、あいつは変わった。
遠慮がちで、すぐに帰ろうとするし、迎えも断る。
俺は、会える時間ができたらすぐ連絡するけど、花凛は「疲れた」「仕事だから」――そんな言い訳ばかり。
今日だって、「大手町で会食あるから時間合わせられるか」って聞いたら「何時になるか分からない」って言ってたんだ。
……なのに、実際はあいつと飯食ってたとか。
結局、そこも引っかかってたんだけどな。
「相楽君が何?」
「え? あ……あ―――あいつ…」
言いかけて、言葉を詰まらせた。
なんて言えばいい?
“あいつ、花凛のこと好きそうだった”とか?
“俺のことを“友達”って紹介されて、地味に凹んだ”とか?
……いや、どれもダサすぎる。
けど、喉の奥で引っかかるこの感情は、どうやっても消えそうになかった。
「あいつが?」
「あ――――、ジムどこ行ってんだろうな?結構いい体してた。」
「会社の側のマエストロ・フィットネスジムらしいよ。」
「……。」
「法人会員プランだと三人で月90,000なんだって。」
「ふ…ふーん。」
別に、あいつがどこのジムに通ってようが、どうでもいいんだけどさ。
「私も誘われたんだけど…」
「お前、前誘ったら、ジムやだって言っただろ?!」
「だって、凱斗の所、年会費100万以上するんだもん。そんなとこ行けるわけない。」
「……。」
「それに、相楽君は体の為に、週末フットサルしてるみたい。」
「へぇ…。」
「はぁ…できた。これで全部おわった。」
俺と話しながらも、隣で最後の仕事を仕上げてご満悦だ。
こっちの気も知らないで、フットサルとかプライベート知ってんのもムカつく…。
「花凛、先シャワー浴びてこいよ」
俺は時計を見るとそう言って、花凛の背中を軽く押した。
今夜は、ずっと気を張っていた彼女を、早く休ませてやりたい気もする。
「私が先でいいの?」
「もちろん。ホットミルク淹れといてやる。」
「うん…ありがと…」
そう小さく頷いて、花凛はバスルームのドアを閉めた。
リビングに残った俺は、ふうっと一息ついてソファに沈みこむ。
はぁ…なんで俺がこんな気を使ってんだ。今日、いつから形勢逆転した?
最初は俺の方が、怒ってたよな?
惚れた方が負けだって…朔に言われたんだよな…耐えろって。
えっと…――”朔、花凛男と飯食ってた”
思わず朔にLINEする。この胸の内を、あいつに話さずにはいられない。
久世朔は、幼稚園からの幼なじみで、俺の全てを唯一知る親友だ。
こんな時間だし、もう寝てるか。
その時、テーブルの上に、彼女がぽんと置いたスマホに、無意識に目が行く。
ほんの数秒後、その画面が静かに光った。
―――そこに表示されたのは、―――“相楽恭平”
はぁ?……時刻は、午前二時を回ってるんだぞ?
…咄嗟に息を呑んだ。
花凛の同期、戦略コンサルタント、東大卒…
今日、初めて顔を見た――あの男の名前だ…
内容までは見えなかった。
通知バナーが消えるまでの、ほんの数秒。
だが、それだけで、胸の奥がざわつく。
多分仕事。この時間でも動いている業界だし。
それはわかってる。俺自身だって、夜中に連絡を飛ばすことがある。
でも、――どうしても、今日は気になって仕方ない。
初めて“相楽恭平”という、男の顔を見たからか?
イケメンで、均整の取れた体格。
そして何より、花凛の隣に立ってもまったく違和感のない雰囲気。
俺の中に、そんな奴が花凛のすぐそばにいることへの、言葉にできない違和感と焦燥があった。
“信じてる”とか“嫉妬はしない”とか――そんなカッコつけたことを言えるほど、俺は大人じゃないのが、今日あいつを見てよ―――っくわかった。
スマホの画面は、もう消えていた。
けれど、そこに浮かんだ名前は――確かに、俺の目に焼きついている…。
―――相楽恭平。
その名前が今夜から静かに、俺の中をかき乱し始めた。
「凱斗?」
その時急に背後から花凛に呼ばれて、ハッとする。
「え?あ…、お前スマホ…」
「ん?」
「なんか…仕事かなぁ…連絡…。」
別に、中を見たわけでもないのに、なんとなく後ろめたい気がして白々しい言い方になるオレ。
「変なの…、あ、相楽君だ。」
スマホを見てる花凛の隣に、さりげなく並んで立ち画面を覗き見た。
≪悪い、今気づいたんだけど、来週のプレゼン資料、補足資料1枚抜けてたかも。
確認お願いできる?≫
「あ――。まぁ、これは今じゃなくていいか。こんな時間だし。」
はぁ?今じゃなくていいなら送ってくるな!
「何?なんで側に立ってるの…。」
「え?あ…いや…お前身長縮んだ?」
「わけわかんない。縮んでないから!早くシャワー浴びて来て…もう2時まわってるよ。」
「あ…そうだな…。」
「凱斗、ホットミルクどこ?」
「え?あ、あ?花凛、自分で作って。」
「えっ??」
「シャワーしてくる。寝るなよ!絶対寝るな。」
あぁ…俺は相楽に振り回されて…カッコ悪っ。
でも――相楽恭平は、要注意だ。
俺の中のアンテナが、危険を察知してる。
あいつは、ただの“同期”で済む男じゃない。…たとえ、花凛がそう思っていたとしても。