第38話 真夜中の作業
急ぎ足でマンションのエントランスに入った頃には、もう小雨が降り出していた。
今日は降るって、言ってなかったのにな…
相楽君が、プレゼン資料のデーターを破損したって連絡をして来た。
親友の璃子と飲んでたけど、それを渡すために急遽家に戻ることになってしまう。
璃子が「仕事し、困ってるなら行ってあげな」って、そう言ってくれたから…
部屋の電気をつけると、鞄を投げ出すようにソファに置き、ノートPCを立ち上げ、保存してあったプロジェクトのデータを探した。
――よかった。まだ残ってる。
そのとき、ちょうどインターホンが鳴った。
相楽君、もう着いたのかな?
その画面越しに見えるのは、白いTシャツにグレーのパーカーを羽織った相楽君だ。
会社にいるときよりずっとラフな雰囲気で、下ろした前髪にうっすら雨粒が光っていた。
「入って~上に上がってきて」
≪夜分にごめん…≫
そう答えた彼に「いいよ」と言って、エントランスを解錠するボタンを押す。
その後玄関に立った彼は、書類バッグを肩に下げて、どこか気まずそうに笑った。
「あ、中入って?」
「あ…うん…」
「今見てみたんだけど、たぶん私が持ってるのはひとつ前のデーターだと思うの」
「あぁ、じゃあそれもらって帰る」
「でもそっちのは、最終で修正してるよね?」
「仕方ないよ、それを今から全部直す」
「えっ?もしかして一人で??徹夜になっちゃうよ!?」
「まぁ、自分の仕事だし…」
「そう言えば…」
私はすぐに、パソコンでフォルダーを探す。
リビングのテーブルの側に立ったままの相楽君は、落ち込んだ様子で画面を眺めてた。
いつもはあんなに、自信に溢れているのに…
「私の別のフォルダに、控えていたメモがあるみたいだから…今からそれを元に、一緒に復元しよう。私にできることなら何でも手伝うから」
「あ…でも、もう遅いし…」
「え?」
私は思わず壁の時計を見る。時刻は11時過ぎている。
「大丈夫。これから帰って自分でやってみる」
相楽君はそう言ってるけど、これを最終案まで仕上げるとしたらきっと…
明日は金曜日。
恐らく相楽君、一睡もしないで仕事行かなきゃいけない…
「桜庭も、早く寝ないとな。それにここでは…」
相楽君、私の事気を使ってくれてる。
でも、私が困ったときはいつだって全力で助けてくれるのに…
こんな時、放っておくなんて…出来そうにない。
「相楽君、そこに24時間のファミレスあるの」
「ファミレス?」
「そこで、これ一緒に仕上げようよ」
「でも…桜庭も、疲れてるだろ…」
「大丈夫。二倍にして返すって言ったよね??任せて!それに途中で引き揚げてきたから、小腹すいちゃった」
そう言って笑ったら、ホッとしたような顔をして彼は小さく頷いた。
これを一人でやるのは本当にきつい。
同じことを、いつもやってる私だからわかる。
いつも助けてくれている相楽君を、私が助けるチャンスだ。
ファミレスは、深夜という事もあり人気も少なく、意外と作業がはかどった。
ドリンクバーも充実している。
私達は、ほとんど私語もせず真剣に作業に取り組んだ。
おかげで予定よりもずっと早く終わる。
ドリンクバーと、私が食べたプリンを相楽君が払ってくれた。
「ほんとありがとう。マジで助かった…」
「これで少しは寝られるね。来週は私達ちょっとゆっくりできそうだし」
「そうだな…」
私達の仕事には波がある。
案件が動き出す週やプレゼン前は、深夜帰宅は当たり前だ。
凱斗にドタキャンする事も、多々あった
案件の合間には、今日みたいに、久しぶりに友達とご飯食べたりする余裕もできる。
でも、”暇=早く帰れる”わけではなく、結局は勉強や社内プロジェクトに充てられた。
私を送ってくれてる相楽君の横顔は、なんだかいつもより元気がない。
普段ミスしない相楽君が、ミスをした。
完璧主義の彼にとって、今回のミスはショックなんだと思う…
「なんか…せっかく璃子ちゃんと会ってたのに…ほんとごめんな」
それには同僚のプライベートを邪魔してしまったって言う、申し訳なさも加わっていた。
「いいよそんなの。またすぐ会えるから。気にしないで」
「……」
相楽君は小さく頷くと、何も言葉を発しなかった。
それから10分ほどの道のりを、黙ったまま歩く。
雨はいつの間にか止んでいて、私達は差していた傘をそっと閉じた。
「雨、止んでる」
「あぁ…明日は晴れそうだな」
「良かった~。私、雨あんまり好きじゃないから」
「俺も。どっちかって言うと晴れ男なんだけどな…」
「そんな感じ!」
「そんな感じって…どんな感じだよ」
相楽君はその時、今日初めて笑った。
「やっと笑ったね」
「え?」
「明日頑張ってね。プレゼン」
「あぁ。これ終ったら、なんかおごる」
「そうだね。ファミレスのプリンじゃ足りないな~」
「こいつ…」
ふざけて笑った私に、相楽君は拳を振り上げる真似をして口角を上げる。
それからアプリでタクシーを呼んで、それが来るまで私も一緒に待っていた。
「そう言えば、来月の出張俺達一緒だよな?」
「うん。また台湾だね」
そう嫌そうに返事をしたら、彼は何か思い出し笑いをする。
それにちょっとだけ首を傾げたけど、私は何も聞かなかった。
それからすぐにタクシーが、私のマンションの前に到着する。
「じゃあ、また明日」
「うん、おやすみ」
「ほんとありがとな」
それに笑顔で手を振って、彼を見送る。
いつもは私が助けてもらってばかりなのに、初めて彼の力になれたことが嬉しかった。
次の日、相楽君のプレゼンは無事終わる。
今回相楽君は、同期の桜庭湊君とペアだった。
相楽君と桜庭君は、二人飲みに行く約束をしていたらしく、そこに私も誘われる。
久しぶりの同期三人での飲み会だ…。




