第32話 不穏な距離感
それから少しして、車がベイエリアを抜けた。
するとそこには、徐々に赤い鉄骨が姿を見せてくる。
――――『ゴールデンゲートブリッジ』
学生時代、ここには何度か訪れたことがあった。
夕暮れの光に照らされたその姿は、久しぶり目にするとやっぱり圧倒される。
車から降りて、ビジターセンターの周辺を懐かしむように歩いた。
世界中から集まった人々が、思い思いのポーズで記念写真を撮り、興奮した声が飛び交っている。橋の象徴的な朱色と、対照的なサンフランシスコ湾の深い青…
「やっぱ、すごいな……。」
思わず漏れた声…
日本では絶対に味わえない、この広大な感じ。
ここには、何者にも縛られない無限の可能性が広がっている。
俺はこの巨大な構造物を見上げ、両手を広げて胸いっぱいに風を吸い込んだ。
その風はただの海風じゃなく、この国の偉大さと、そこから生まれる新しい何かを運んできているような気がする。
すると突然、梓がぎゅっと俺に抱きついてきた。
一瞬、何が起きてるのかよくわからない自分がいる。
「えっ…」
「ねぇ。ここって、世界で一番“愛されてる橋”なんだって。」
その言葉を笑顔で言う彼女に、なぜか胸の奥に妙なざわつきを覚えた。
―――――愛されてる…
今の俺には、梓のその一言が妙に引っかかった。
俺はハッとして、彼女を自分から引き離す。
「いや…ちょっとこれは違うだろ…」
「なにが?」
「いや…マジで何なの。こういうのやめろよ」
梓は、父親の仕事の関係で幼い頃から海外を転々としていたそうだ。
そのせいか、俺たちと話すときの物理的な距離が、どうにも近い。
佐田の肩に平気で腕を回したり、当たり前のように俺の腕を組もうとしたり…
おかげでそれを週刊誌に書かれて、花凛に隠すのに大変だった時もあった。
そのせいで『テックソリューションの富士見さん』とかは、“俺と梓がデキてる”って、今だに言いふらしてる。
梓はツンとすました顔になると、手の甲でさらりと自分の長い黒髪を後ろに払いのけた。
「別に、大したことないじゃない。」
困惑顔の俺に、ふっと不敵な笑みを浮かべる。
いや…大した事だろ?!
花凛が相楽にそんなことしたら、俺なら絶対許さないし!
そう言えば、花凛もそう言うとこあった気がする…―――
あいつの場合は、男が抱きついてきても逃げないんだよ。
朔なんか、大学の時から平気で花凛に抱きつくし!
あいつら、いっつも会うとハグしあってる…
花凛は「朔ちゃんは璃子と同じなの」って言うけど、そんなはずない!
あいつは大学の時、花凛を気に入ってたんだ。
そう言うのに、男が全く下心ないはずないだろ!?
それで一回、朔と大喧嘩になったのに!
あぁっ!そんな嫌な事まで、思い出した!
「もう、ホテル戻ろうぜ…俺ちょっと疲れた…」
それに梓は小さく頷いて、俺たちに付いて来てたアメリカ人運転手に声を掛ける。
≪次は、ホテルに戻ってほしいわ≫と‥‥
宿泊先は、シリコンバレーから車で三十分の高級ホテル。
フォーシーズンズホテル シリコンバレー アット イースト パロ アルト
梓が隣り合ったコネクティングルームにいるから、打ち合わせもやりやすい。
俺の広々としたスイートルームの窓からは、シリコンバレーの夜景が一望できた。
夜はこのホテルで、重要な別の投資家と会食。
それも無事に済み、初日の出来は上々でホッと一息だ。
部屋に戻るとスーツを脱ぎ、シャワーを浴びる。
それから部屋に用意されていた冷えたミネラルウォーターを、一気に飲み干した。
俺はソファに腰を下ろし、無意識にスマホを手に取る。
その時、センターテーブルに置いた外したばかりの腕時計を、ふと手に取って時間を確認した。
そこには、日本時間と現地時間の二つの針が刻まれている。
パテック フィリップ のカラトラバ・トラベルタイム――――
この時計……あいつ気に入ってたんだよな…
俺に似合ってるって―――
そう思うと、またため息だ。
俺は、腕時計のもう一つの時間に目をやった。
花凛のいる遠い東京―――
時差を計算すれば、日本はまだ昼間の3時頃だ。
花凛、今は仕事中だな…
―――LINEを開いては閉じる。
≪サンフランシスコ、ついた≫
そのたった一言を、送るだけだ。
でももし既読スルーされたら?
もし返事が来なかったらって…そう思うと結局指は止まったまま動かない。
いままで、こんな風に躊躇った事はなかった。
ただほんとに最近のあいつは、時々よそよそしくて冷めた目をするときがある。
こんな風になったのは、いつからだった…?
何かを言いたそうにしても、ぐっと飲みこんでるみたいな遠慮がちな態度。
―――もしかして、あいつホントに別れようとかって考えてるのかな。
留学の事も、俺に内緒であっさり決めてたし…
俺一体、何したよ?
窓の外の夜景はどこまでも輝いているのに、心の中は妙に暗い影をずっと引きずってる。
その時俺のスマホが小さく震える。
それは、隣のコネクティングルームの梓からの電話だった。




