第20話 私の元気がない理由
その日の業務終了のチャイムがとっくに鳴っても、私のデスクにはまだ案件の資料が広がっている。
帰り支度を始める同僚たちの中で、相楽君が私の机に手を置いた。
「桜庭、今日のやつ…もう少し詰めとこうか?作戦会議って事で」
「えっ?でももう遅いよ?」
「どうせ帰ってもそれ考えるんだろ?ならここで一緒にやった方が、早いから」
そう言って彼は、自分のデスクからノートPCを片手に戻って来た。
人の気配が、少しずつ無くなっていくオフィス。
私達は向かい合うように座り、ホワイトボードに市場データーを書き込みながら意見を交わす。
相楽君は時折私の顔を覗き込み、細かい修正や補足を提案してくれた。
「午前中の件、あれはお前のせいだけじゃないから。俺もチェック甘かったし…」
「…でも、やっぱり悔しい…」
「なら、次取り返せばいいんじゃない?」
その声は真剣で―――けれどどこか優しかった。
休憩がてら入れてくれたコーヒーを手渡された時、ふと気づく。
相楽君って、ここまで面倒見良かったっけ?
同期だから、気にかけてくれることもあったし、私も何かと頼りにはしてた。
でも、こんな子供の宿題見てくれるみたいに…
手に持っていたコーヒーを、そっと口に運んだ時だった。
ホワイトボードのペンを置いた相楽君が、突然真顔で言う。
「…お前が困ってたら、俺に任せろ。絶対に助けてやるから」
そんな彼に、胸の奥の知らなかった領域が熱くなる。
なんか…泣きそうだ。
―――昨日…
凱斗と二人で、日曜日を過ごすはずだった。
二人でランチをして、午後から私は美容院へ。
最初は凱斗が迎えに来てくれるって言ってたけど、会社でトラブルが起きたからオフィスで待ち合わせようって。
そう言われて、私は髪を切った後、タクシーで凱斗のオフィスに行った。
日曜日のオフィスは、しんと静まり返っていて誰もいない。
でもきっと凱斗はCEO室にいるのかなって…。
何度か来たことあるから、迷わずその部屋の前まで行きノックをしようとしたその時だ。
中から女の人と凱斗の声が聞こえて来て、それはすぐに星野さんだってわかった。
≪これ…私のとこに忘れてた…≫
≪…梓のとこにあったのか≫
梓って、呼び捨て??“私のとこ”…それって星野さんの部屋って事??
≪もうっ≫
≪たまたま花凛に知られてさ。ホントにうざいあいつ≫
≪ふぅん。かわいいのに≫
≪そうかな??オレはあんまそうは思わないけど≫
「……」
ホントにうざいって…もしかして私の事?
私がたまたま知った事って…
昨日の彼女からのメール?
でも、私何にも言ってないよ?星野さん?って聞いただけ…
私はドアから一歩後退り、なんだか聞いてはいけないものを聞いたような気持になった。
みんな創業メンバーは梓って呼ぶし距離も近い。
凱斗がCEOでも一番年下だから、みんな敬語を使わない。
別にそんな事気にしてない…
それより気になったのは…
――マジうざいって私の事?
ちょっとショックで、何が何なのか自分でもよくわからないんだけど…
頭の中、すっごく混乱してる…
気持ち整理しないと、私今凱斗の顔見られそうにない。
何かの間違い?
私はエレベーターに慌てて飛び乗ると、一気に一階まで降りてタクシーに手を上げた。
車に乗り込んで、何度か深呼吸をしてみる。
どうしよう…
何かの誤解かな…
でも…
あの二人の会話何?
って…それから何にも考えられなくなって、私は急いで家に帰った。
凱斗から何度かLINEがきて、どこにいるんだって…
『花凛、今どこ?』
「え…あ…家」
『え?なんで?』
「あ…私ちょっと具合悪い。ごめん。だから…今日無理…」
『俺そっち行こうか』
「あ、いい。明日仕事だし…ほんとすぐ寝ちゃう」
『何、具合悪いってどこ悪いんだよ、頭?おなか?』
どこが悪いって聞かれて心が痛いって…そう言いたかった。
璃子は「それって私の事!?」って聞いちゃいなよってそう言った。
だけど…
そんなの私絶対に聞けない。
聞けるはずないよ。
「あ…ごめん。また連絡する」
『ほんとに大丈夫なのか?』
「うん。またね」
『おい、花凛…』
何かを言おうとした凱斗の通話を、咄嗟に切って私はベッドに潜り込む。
それから何度かかかってきた通話を無視してたら、いつの間にか眠っていた。
もしかしたら、あの前見たメールの着信画面も星野さんだったのかな…
――ちゃんと名前見ればよかった。
「桜庭…」
「え?あ、もう10時まわってる…」
「もう帰ろうか」
「…そうだね」
「お前、今日飯どうする?」
「私…あんまり食欲ないや。帰って寝ようかな」
「そんなのダメだ。ちゃんと食べないと」
「相楽君、お母さんみたい」
そう言って笑ったら、彼は一度腕時計を見てからスマホでお店を検索した。
「あー…じゃあ、間取って中目辺りでサクッとご飯食べてくか。今からでも開いてるとこ、結構あるし」
「…まぁ、それなら家から近いし行こうかな…」
「じゃあ決まりな」
こうして私は、相楽君と一緒に夜ご飯をたべることにしてオフィスを後にする。
気軽な同期とのご飯。
特別な意識はせず、いつものように当たり前に私は付いて行った。




