第15話 美人秘書にヤキモキ
星野梓―――彼女は凱斗の秘書だ。
私達とは同じ大学だけど、総合政策学部を卒業した、二つ上の女の人。
新卒で大手外資系ラグジュアリーブランドに入社して、PR部門でVIP顧客対応やイベント企画を担当。
24歳のとき、スカウトを受けて凱斗のITベンチャーに転職した。
現在はCEO秘書兼 広報・渉外のアシストを担当している。
国内外の取引先との調整、スケジュール管理、メディア対応など幅広くこなしている才女だ。
学生時代から、ファッション雑誌や広告モデルをこなしていたと言うだけあって、身長169センチのスレンダー美人。
185センチの凱斗の隣にいてもとてもお似合いで、時々週刊誌で二人は噂になっていたりもする。
表向きはクールで仕事第一、だが面倒見が良く部下や若手社員の憧れだ。
凱斗を「社長」ではなく「胡蝶さん」と呼ぶ唯一の女性社員。
英語とフランス語もペラペラ。
気にしちゃいけない…
気にしちゃいけないのに…
「星野さん…急ぎ?」
どうしても気になってそう尋ねたら、スマホから目を離さないまま凱斗が答えた。
「あー…来週のシリコンバレーの出張、ドレスコード確認しとけって」
「ドレスコード?」
「VCとの交渉で、パートナー企業とディナーがあるんだ。そうだ、お前にスケジュール送っとく。お土産何がいい?」
「星野さんも…行くの…」
思わずそう尋ねたら、ふっとスマホから顔を上げた凱斗が、すっごくうれしそうな顔をしてこっちを向いた。
「行く行く。何?気になる?」
「……」
「はぁー。三泊五日なんだよな。もうちょっと長くいられたらいいんだけど、仕事だし仕方ない」
「ふぅん…」
そんなに長く行きたいのっ。星野さんと!
ムッとしてひき肉を冷蔵庫から取り出そうとしたら、凱斗が後ろから急に抱きついてきた。
「何?もしかして星野の事、花凛気になってる?」
なんだか、彼女との出張で浮かれたようなその声に、少しイラっとする。
「気になってるはずないでしょ!仕事なんだから」
そう言いながらも、本当は気になってた。
凱斗の隣にいる星野さんは、何度も噂になっているほどお似合いの人だ。
それに…彼女は今、誰よりも凱斗に近い。
私は去年の凱斗の誕生日パーティで、彼女に言われた。
――私は最高の男しか狙わない。それが胡蝶凱斗だって…
私が彼女だって知ってて、そんな事言うとか…
その時の星野さんの印象、めちゃくちゃ感じ悪かったの覚えてる。
でも…佐田さんとか瀬島さんとかも、みんな彼女を信頼してるし、女性社員の憧れの的だし…
そんなこと私が言おうものなら、私の方が感じ悪ってなりそうだから黙ってた。
その時、「テックソリューション」の富士見社長が、ちょっと自分が秘書と結婚したからって≪秘書はいいぞー凱斗≫って言ってたのも、私忘れないから!
凱斗も美人秘書との出張で、浮かれてればいいんだわ!
私は凱斗を背中から振りほどくと、次々に冷蔵庫から野菜を取り出し音を立てながら、キッチンに並べた。
怒りが野菜に込められちゃう…
「あ…俺なんか手伝うよ」
「いい」
「え?」
「私、すっごく料理得意だから!」
目を見ずにそう言ったら、凱斗は苦笑いをして「無理しなさんな」って手際よく料理を始める。それを横目で見て、複雑な気持ちになった…
だって星野さんのインスタには、まるでレストランのような手料理がしょっちゅう並んでる。なんだかあれ見て、自己嫌悪だ。
良く「胃袋を掴まれる」って言うけど、まさに星野さんがそうだった。
家庭料理、フランス料理、和食から、デザートまで、まるで職人みたい。
あれ見たら、凱斗だって絶対「おおっ!」って思ってるはず。
私だって、あそこまでじゃないけど元々料理が嫌いではない。
だけど時間に余裕のない私は、「今日何食べた?」って凱斗に聞かれても、しょっちゅうコンビニ食だったりする。
だから凱斗は、私が“料理が苦手だ”って自然とそう思ってるみたい。
凱斗は料理が得意で、手際もいい。
カレーもルーから作るし、前はラーメンのスープも鶏ガラから作ってた。
学生時代から一人暮らしなのもあるけど、調味料に凝ったりもする。
そんなところが星野さんと似てる。
今日だって、ハンバーグにはナツメグを入れるって、言ってきかなかった。
側でいつの間にか鼻歌を歌いながら、玉ねぎのみじん切りをしてる凱斗をなんだか切ない気持ちで見つめる。
あんな人がそばに居て、この人どうして私なんだろ…。
そう言えば、この間もすごかったわ!
休暇のハワイでの黒いビキニ!
あれはDカップかな…ううん!それ以上ありそう…一緒にいた友達もめちゃくちゃ美人だった。
璃子なんて大学の時から知ってたって。モデルやってる先輩で有名だったよってそう言ってたなあ…。
はー…みんな幸せそうなのに、私だけボロボロ…
そうだ、明日美容院行かないとだ。
「おい…」
「え?」
「お前ちょっとは手伝えよ」
「私?」
「だって、自分で作るとかって駄々こねといて、何一人でぼーっとしてんだよ。全部俺がやってるじゃん!」
別に駄々とかこねてないし!人を子供みたいにっ。
「だって、私料理苦手なんだもん。カップ麺しか作れないし」
「はぁ??」
もういいや、ハンバーグ。
見れば凱斗ほとんど、自分で作ってるし。
「あ!そうだ!!」
「え?何っ?!」
「凱斗、音楽かけていい?」
「え?別にいいよ。好きにしなよ」
「わーい。back numberかけよ」
「え?」
「凱斗、最近の新曲聞いた?ドラマの主題歌」
「え…あ、最近あんま聞いてないかも」
「そうなんだ?私好きなんだ。「ブルーアンバー」」
「へぇ…」
「なんか、曲もいいの」
「……」
「凱斗とライブ行ったよね?昔。あれからback number好きなんだ!」
そう言って笑った私を、凱斗はじっと見つめてる。
私は手元にあるスマホをいじって、Siriに声を掛け部屋に音楽を流した。
「Hey Siri 、back numberかけて」
「花凛…。 」
名前を呼ばれて、思わず凱斗の方を向く。
「……どうしたの?」
私が笑ってごまかそうとしたその時、彼が突然、一歩詰めてきた。
次の瞬間、唇が触れる。
不意打ちなのに、甘くて優しくて——
一度離れて、それはまたそっと重なった。
部屋にかかっている曲は「HAPPY BIRTHDAY」
切ない片思いの歌だ…
どうしたんだろ…
ふっと離れた唇。近くでじっと私を見てるけど――
あれ?凱斗、もしかしてなんか…切ない顔…
黙ったままのその目が、ちょっと潤んでる…
何か言いたげな感じ?
私が、ハンバーグ作らないから??
話ごまかそう…。
「えっと…懐かしいねこの歌」
「あんま知らないわ、これ」
「そう?あ!凱斗留学してたからじゃない?これ流行ってた時、大学一年の時だもん」
「へぇ…。よく覚えてるな」
「ちょうど私の誕生日の頃なんだー。当時家庭教師に行ってた子が、このドラマ見て来年東大受けるとか言い出しちゃって!」
そう言って笑ったら、なんだか余計にムッとした。
「けっ。また東大かよ」
「え?あ…ね!なんかback numberって、そう言えば片思いの歌多いね?」
「……」
「HAPPY BIRTHDAY~片思いのオレーだって!!」
そう言ってもっと笑ったら、ちょっとムッとした。
「え…。…あー…凱斗とかは片思いとか、しないよね?そっか!した事ないよね?そうだそうだ、モテモテだから!」
しまった!嫌味に聞こえるかな…
「はぁ?」
「あ…!そう…そうだ!私はずっと片思いばっかりの人生!!」
「誰にだよ!」
ダメだ!なんか余計に火に油注いでる!
ここは話を、もっとそらそう…
えっと…えっと…
「あ…凱斗エプロンした方がいいよ。Tシャツ汚れる」
「あぁ…」
「あー。手が今使えないから、後ろ結んであげる」
機嫌を取るようにして私は後ろから、エプロンをつけてあげようとした。
良かった…
ここからはちゃんと、料理手伝お…。
「ダメ、これ前からつけて花凛」
「え?前?」
言われて、今度はその通り前に立ち、エプロンを前で結ぼうとしたらケラケラと笑い出す。
「バカだなぁ。これだと尻がエプロンつけてんじゃん。そう言う意味じゃなくて、こうやって前から手回して!」
ハンバーグをこねる途中のその指で指示され、言われた通りに前から手を回す。
まるで…お母さんコアラに抱きつく子供コアラみたいだ。
凱斗…なんかあったかいな…。
私は紐を結ぶのを忘れて、思わずぎゅっと抱きついてしまう。
心臓の鼓動がドクンドクンって…規則的でなんだか安心するな…。
久しぶりだ…こんなにホッとしたの。
「凱斗…」
そしたら、凱斗も両肘で私を挟んできたけど…その手にひき肉がついてる!!
「花凛…」
「あー!!まだひき肉こねてる途中だよぉ!」
それに凱斗は気づいて、二人で思いっきり笑った。
「いや、ちょっと待て。このビニ手外してすぐ手洗うわ」
「私が洗わないとだよぉ!腕についたぁ…」
「ほら、避けてやるからこっちで洗えよ」
私…今まで忘れてたけど…
こんな穏やかな時間が、私達にもあったんだってこと…。
忙しすぎて、忘れてたーー
「凱斗、私のハンバーグハート型にして?」
「よし。ハートな?」
「うん」
「俺もおなじにしよ」
「凱斗のは反対に向けて、お尻にする!」
そう言って私が笑ったら、凱斗もいっぱい笑ってて…
たかがハンバーグ作りが、こんなに楽しくなるとは思わなかった。
それから、買ってきた色とりどりの野菜を、形よく切ってオーブンに並べて野菜のグリルを作って、出来上がったハンバーグに添える。
そして大好きなハンバーグの上には、私はチーズで、凱斗は目玉焼き。
ワインも添えたら、ちょっとしたディナーになる。
あの時、車の中では何にも答えなかったけど、「俺が好きなのは目玉焼きだ」って。
この時そう言って、笑ってた。
それから、どっちも好きな私に、彼はちょっと自分の目玉焼きを分けてくれた。
「俺が好きな物、お前だけには譲ってやる」って…そう言って。