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第12話 彼女の側にいる男

土曜の朝。


俺の睡眠時間は三時間ほどだった。でもその割には、目覚めがいい。


こんなことは、もうとっくに慣れっこだ。

24時間のうちの大半が、仕事でできていると言っても過言ではない毎日。


今朝もベッドから起きて、一通りメールや資料のチェックを済ませ、キッチンで淹れたてのコーヒーを片手に、ノートPCの前に腰を下ろした。


時刻は午前7時半。


休日だと言うのに、桜庭(さくらば)に電話を入れ、朝から会議をこなす。


画面に接続されたZoomが開き、すぐに同期・桜庭花凛(さくらばかりん)の顔が映った。


髪はいつもの長い巻き髪を片方に寄せ、こんなに朝早くても薄くメイクはされている。

どんな時も気を抜かないのが、桜庭らしい。


でも、画面はなぜかバーチャル背景…。


そう思った瞬間、昨夜の光景が脳裏をよぎった。


―――大手町のバルに、突然現れた「胡蝶凱斗(こちょうかいと)

桜庭は“友達”だって言ってたけど、あのときの距離感と、彼の目を思い出すと、それ以上の関係に思えなくもない。


胡蝶さんは、テレビや雑誌でよく見かける人だった。


日本最大手のゼネコンの三代目御曹司だというのに、親の七光りには頼らず、自力で道を切り拓いたとう起業家だ。そのうえ、アメリカのフォーブスにも「30歳未満で世界を変える30人」に選ばれてた…。


もしかしてあいつ…あれからずっと、あの人の家にいるんじゃないか?


相楽(さがら)君…聞いてる?」


桜庭の声で、思考が引き戻される。

「ん、ああ。大丈夫。続けて」

表情を変えずに返しつつも、頭の片隅に“胡蝶”という名前がチラついていた。


打ち合わせが終わったのは8時すぎ。

PCを閉じて伸びをしたところで、今度はシャワーを浴びて身支度をする。


それから、日経新聞や、海外の主要な新聞や経済誌に一通り目を通し俺は時計を見た。


その後、国内外の著名な経営者や専門家が話すポッドキャストを聞きながら、溜まった家事を一通りこなす。


普段はできない事を、一つ一つ片付けて行く感じだ。


――――それから12時ちょうどに、玄関のチャイムが鳴った。


ドアを開けると、そこには池原茉理(いけはらまり)がいた。


彼女は、社会人異業種交流型フットサル会のマネージャーで、明日のバーベキューの買い出し担当だ。




「こんにちは、恭平くん!」


今日は彼女と一緒にスーパーを回る予定になっている。


「よお。…池原さん、もう昼食べた?」


「ううん。まだ!」


そんな彼女には笑顔で返したが、なんとなく俺は気を使っていた。

ちょっと前に俺は一度、池原さんに告白されたことがある。


丁寧に断ったが、こうして距離を保ちながらも彼女は変わらず接してくるし、こんな買い出し当番なんかは、よく一緒になった。


だから俺も、その事はあまり気にしないように普通にしている。


「じゃ…なんか食べに行かない?オレ昼まだなんだ」


「いいよ!じゃあ…恵比寿は?ランチして駅のライフ行こうよ!」


「いいね。そうしよっか」


玄関脇に並べたスニーカーを履きながら、俺は一瞬だけ先ほどのZoomの画面を思い出す。


桜庭の背後の、あのいつもとは違うバーチャル背景。

…そして昨日見た“胡蝶凱斗”の存在。


俺の胸の奥で、それがなぜ、こんなに胸をざわつかせるのか…この時はまだわかっていなかった。



恵比寿に着くと、俺たちは駅地下に車を停めて、シェイクシャックでハンバーガーランチを取る。


池原さんは、熱心に自分の仕事の話を俺に話して聞かせた。


彼女は、大手スポーツアパレルメーカー・マーケティング部にいて、プロスポーツチームやイベントのスポンサー契約、ブランド戦略に携わっている。


こういう異業種の話を聞くのは、本当に興味深くて面白い。


社交的で行動力があり、男女問わず人を惹きつけるタイプだ。


海外出張やイベントで日焼けすることも多く、健康的な小麦肌で良く笑う。

俺とは、このフットサルサークルで出会った。



そう言えば…桜庭とは、真逆のタイプだ…。



あいつこの間の台湾出張の時、日陰探して歩いてた…。

暑くて溶けるって…


「ふっ…」


「何?思い出し笑い!」


「あ…いや、別に」


「何?私、何かおかしい事言った?」


「いや…仕事の事で、ちょっと思い出しちゃって」


「わぁ、どんな事??」


「あ…同期がさ…」



「うんうん」


「めっちゃ日焼け嫌がってて」


「それって女の子?」


「うん。台湾の日差しに溶けてた」


そう言って笑いながら、コーラのカップを手に持ちストローをそっと口に運んだ。


「同期かぁ…女の子ですごいな、戦コン」


「まぁ、頑張り屋だけどね」


「……」



「そろそろ行く?」


「あ…そうだね?私買うもの全部、メモしてきたんだ」


「さすが!」


こうして、俺たちはトレーを片付けると、すぐ側にある大型スーパーに向かった。



飲み物やお菓子は、またそれぞれ担当で、俺と池原さんは野菜と肉だ。

これは毎回誰かが当番になってやる。


明日はデックスビーチで、みんなでバーベキューだ。



「あ―――、今度は玉ねぎ…その次が、サンチュで…あとは…トウモロコシ…」


「っていうかさ、野菜バラバラで書いてない?」


「バラバラ?と言いますと?」


「種類ごとに場所別れてんだからさ、根菜は根菜とか、葉物は葉物とか…まとめて動けば無駄がない」



「さっすがぁ。頭いいね、恭平君!」


彼女はそう言って笑うと、さりげなく俺に腕を組んだ。


一瞬戸惑ったけど、振り払うのもなんか悪いなって…


「別に…頭いいとか関係ないだろ、そんなの」


そう呆れて言うと、メモを取り上げ自分でカートを押すことにする。


すると野菜売り場の角の所で、急に目の前に桜庭が現れた。

それは思わぬ偶然だ。


「あ…桜庭…」


驚いた…そう言えば桜庭恵比寿に住んでるって。


池原さんから恵比寿って聞いたときは、“もしかして”って思わなくもなかったけど…

その後ろには胡蝶さんが…それを見て、咄嗟に小さく頭を下げた。


「こんにちは。こんなところで会うなんて」


一応…社交辞令って言うか…昨日名刺もらったし…


「偶然ですね。花凛がっ、いっつもお世話になっております」

花凛?

って…呼び捨て?それにお世話になってるってなんだよ…。

まるでそっちの方が、近しいみたいな言い方。


こんなところで二人で買い物とか…

やっぱ二人は…


―――見れば桜庭のカートの中にはパプリカが一個…



「えっ?あ、いえ…こちらこそ…」

なんだこれ…別に俺が遠慮する必要ある??


って、なんかちょっとイラっとしたその時だった。


「恭平君、この方は?」


「あ、同じ会社の…同期なんだ」


そう池原さんに説明すると、お互い小さく会釈をする。

それから俺たち4人は、なんとなく気まずいまま、それぞれまた売り場に戻った。


「後は…ナスと、かぼちゃと…」


「あの人、めっちゃカッコいい…あれって…」


「あぁ、「インフィニティ・コネクト」の胡蝶さんだよ」


「え!?あ!やっぱり?!そうだよね?!カイティだ!」


「カイティ?」


「女子の間でそう言われてるじゃん!あの人ITで成功して、凄いよね?モデルとか女優とか、みんな今カイティ好きじゃない?」


「……」


「あの辺りの起業家の若手で、一番かっこいいもん。」



「……」


「恭平君、知り合いなの?」


「あ…俺は別に…」


「じゃあもしかして!あの同期の子の彼氏なの??」


「えッ?」


「あーーそれはないか…カイティめっちゃ遊んでるから」


「遊んでる?」


「週刊文襲見てないの?」


「見てない…」


「この間も、萌子ってモデルと旅行か?って羽田で写真撮られてたよ。そんなのばっか」


「……」


「あの人も、大勢のうちの一人でしょ」


池原さんは、反対側の野菜売り場で、買い物をする桜庭たちを横目で見てそう言った。


「…あ…桜庭は友達だって…そう言ってたけど」


「それ彼氏って言わないのは、きっと曖昧にされてるんだよ。カイティだもん。一般人と付き合わないでしょ」


「……」


そう言った彼女が、呆れたように肩をすくめた瞬間、俺はふと桜庭たちの方を見る。

すると桜庭は、両手で胡蝶さんの頬を自分の方に向けて、何かを言って笑ってる。


「うわっ…ラブラブだね。綺麗な人だから、あの感じだとカイティの方が、落としにかかってるのかな」


「……」


「まぁいいや。これで全部?」


「あ…肉で終わり」


それから俺たちは買い出しを済ませると、地下駐車場に降りトランクにそれをしまっていた。

それはショッピングバック四袋分だ。


「すごい量だな…。トランクギリギリ…」


そしたら池原さんが後ろで「カイティだ」ってつぶやくから、思わずその目線の先を見る。

すると、桜庭たちも車に戻ってきたとこだった。


エコバックを一つ、胡蝶さんが持っていて、彼女が笑顔でこっちに手を振っている。

それに返事を返すと、荷物が少ないあっちはすぐに駐車場を後にした。



それから、帰りの車の中で俺はずっと桜庭の事を考えていた。



池原さんが言うように、もしチャラいやつだったら…

―――桜庭、ホントに大丈夫なのか?


確か…胡蝶凱斗って…


たしか大学…え?桜庭と同じ??

いや、でも何万人いるんだよ。おんなじ大学のやつ。


大勢のうちの一人…って…

でも…あいつは、友達って言ってたしな…


――≪花凛がっ、いっつもお世話になっております。≫


「……」

別に…お世話なんてしてないけど。なんかあの言い方苛つく。



その時、助手席の池原さんは、ずっと明日のバーベキューの話を楽しそうにしていた。


「恭平君?」


「えっ?あ、何?ごめん…聞いてなかった」


「だから、お肉は預かってもらっていい?」


「あ…いいよ。俺んち冷蔵庫空っぽだから」


「ふふっ。そうなんだ。じゃあお願い」


その時、スマホの通知音が小さく震える。

桜庭からのSlackだ。――週明けのプレゼン資料に大幅な修正あり…




「あ…俺すぐに仕事しなきゃだ」


俺は池原さんにそうつぶやくと、その足で彼女を中目の駅で下ろした。


「お仕事頑張ってねー!」


彼女は、「ほんと大変だね」ってにこやかに手を振っていて、俺はそれに軽く手を挙げ、車を飛ばして自宅に急いで帰る。


桜庭に、“修正点が複数あるからZoomで“って言われてたから、帰ってすぐにパソコンを開けた。

その時のPCの中の桜庭の背景は、見慣れた恵比寿の彼女の自宅で、それを見てなんだか俺は複雑な気持ちになる。


これって…桜庭の家に胡蝶さんいるよな?多分…

もしかして…泊まり?いや…でも…


夕飯食べるだけとか…

友達だったらなんの不思議もないよな…



俺だって…大学の女友達ならそんなのいくらでもいるし…


≪相楽君??≫

「え?あ、何?ごめんもう一回…」

ダメだ…なんか集中できないや。


こんなの初めてだ。


さっきスーパーで見た桜庭は、俺が知ってる桜庭じゃなかった。

この画面に映る、どこか他人行儀な真剣な顔じゃなくて…


「なぁ…」


≪え?≫


「桜庭って、彼氏いる?」


≪えっ?≫


何でそう言う事を口走ったのかわかんないけど、俺は仕事中に…


「胡蝶さんって、桜庭の彼氏?」


って…聞いてしまったんだ。



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