第11話 同期の彼女
それ以上何も言えなくなってうつむいた私に、凱斗は黙って車を駐車場に入れた。
気が付いたらもう恵比寿の駅についていて、ここからちょっと家までは歩こうって…。
車から降りて、地上に向かうエレベーターの中で彼はそっと私の手を握る。
「とりあえず着替えてオシャレして…おいしいもの食べて…それからな?」
指先でエレベーターのボタンを押すと、凱斗は私に微笑んだ。
凱斗は、ずっと頭の中でなんて言おうか考えていると思う。
せっかくの久しぶりの休日のランチ前、余計な事を口走ってしまった。
でも…もう私も限界かもしれない…。
仕事が嫌いなんじゃない。
ただ、それ以外の余裕が無さ過ぎて、自分の人生を見失いそうだ。
―――それから地上に出ると、私達は、思ってもみなかった人に遭遇した。
「かいちゃあん!!」
後ろから名前を叫ばれて振り返ると、そこにはすごく華奢なかわいい女の子が立っていた。
最近話題になっている、女優の今泉美央だ。
彼女は、私とは反対側の方に回り込んで、凱斗の腕にぎゅっと抱きつくと、キラキラの瞬きをしながら彼に話しかけて来た。
「何であれから連絡くれないのぉ!美央ずっと待ってたんだからぁ」
「いや、なんで俺が…」
「私の事、かわいいねって言ってくれたよねえ!」
そう言った今泉美央に、凱斗はぎょっとして私の方を見た。
私はそれに、そっとつないでた手を離す。
「いや、ちょっと待って。そんなの社交辞令だし!この状況何?オレ今彼女とデート中なんですけど」
「美央はオフー!こんなところで、会えると思わなかった。ラッキー♪」
「マジない…。オレは、アンラッキー…」
「凱斗…」
「え?」
「……」
「あのさ?俺店予約してるから行くから!ね!?また今度!」
「またっていつ?!」
「あ――。それ言葉の綾ね。又はないから。じゃっ」
そう言って凱斗が、彼女に抱きつかれた腕を両手で振りほどこうとしていたら、今泉美央は突然私の方を睨みつけた。
「何この子。めっちゃ地味―。こんなのまるでリクルートスーツー」
上から下まで舐めるように見ながら発したその言葉に、私は思わず一歩後ずさる。
凱斗は彼女を無視して、私の手を引っ張って歩き出した。
「あぁ…かいちゃぁん!またねえ!!」
そう言って笑顔で私達に手を振る美央ちゃんを背に、凱斗は振り返りもせず真っ直ぐに私の家の方に歩き始める。
「“また”はないって、言ってんだろ」
そう小声でつぶやく凱斗は、怒り心頭だ。
「あの子って…」
「あー…なんか、俺が出たテレビの、スタジオゲストかなんかだったんだよ」
「…あぁ…」
「ファンだとかなんとかって、俺に写真集くれて、そこに確か電話番号挟んであったわ」
「……」
「オフィスにあるかな?アレ。どこやったか忘れたけど」
「……。」
「やっぱ女優さんて、実物見ると可愛いね」
「そうかな。きっと整形だろ。ったく、失礼な女だな…。マジでムカつく」
「……」
「こんなことなら、花凛のマンションに車留めたら良かった」
「買い出しするから、あそこでいいよ?」
「まぁそうだけどな…」
それから私のマンションについて、そこに荷物を置くと着替えを済ませ、メイクを直して凱斗とランチへ。
こんな土曜日久しぶり。ほんとに呼吸ができるってこういう事かな?
こうやって一緒にいると、優しいし楽しいし、色んなことが考え過ぎなのかなって思う。
凱斗が予約してくれていたランチのコースも、本当においしかったし、久しぶりに沢山笑った気がする。
思わず漏らした弱音についても、彼は食事の間一切話を振らなかった。
それから二人で、駅にある大型スーパーで夕食の為の買い出し。
二人でハンバーグを作ろうって事になる。
他には焼き野菜のグリルとサラダと、そしてスープと。
一つ一つ手に取り、カートに野菜を入れていたその時だ。
見覚えのある人がいて、思わず二度見する。
そこでは相楽君が、小柄な女の子と一緒に買い物をしていた。
これは…
話しかけるべきか、知らん顔するべきか…
思わず凱斗の顔を見る。
「ん?何?」
「え…あ…ちょっとこっちきて…」
私はカートを押している彼の腕を引っ張って、売り場の一つ先の角に行き、隠れて相楽君の様子を伺った。
「なんだよ」
「しっ」
「え?芸能人?」
「違う…」
そこから野菜売り場を覗くと、やっぱりあれは相楽君だ。
「あれ…相楽君かも…」
「はぁ?なんだよ。今度は俺と買い物してるの見られたらまずいって…。」
「違うよぉ!あれ見て!」
「おっ!彼女??」
「知らない…でも、どう見てもそうだよね?」
「まぁな。腕組んでるし」
そう言って笑った凱斗は、ふざけて私の腕を組んだ。
「どうしよう…もうお会計行く?」
「何で!まだ野菜これしか買ってないだろ」
そう言ってカートの中のパプリカを1個手に取り苛ついてる。
「……」
「話しかければいいじゃん」
「え~」
「俺達も見せつけて」
「……」
「ほら」
そう言って、凱斗に背中を押され思わず一歩踏み出したらそこには既に相楽カップルが…
「あ…桜庭…」
相楽君は、私を見て一瞬笑顔になったけど、後ろに凱斗がいるのを見て小さく頭を下げた。
「こんにちは。こんなところで会うなんて」
朗らかに凱斗に挨拶してる相楽君を見て、隣に来た凱斗が相楽君に会釈する。
「偶然ですね。花凛がっ、いっつもお世話になっております」
「えっ?あ、いえ…こちらこそ…」
「恭平君、この方は?」
「あ、同じ会社の…同期なんだ」
私とその子は、お互い小さな会釈をする。
それからなんとなく気まずい感じで、それぞれ買い物に戻った。
途中何度も、凱斗が相楽君の方をちらちら見ようとする。
「ちょっとぉ!見ちゃダメ!!」
思わず私は両手で頬を挟んで、顔をこっちに向けた。
「ねぇ、相楽ってさ?恵比寿に住んでんの?」
「住んでない。目黒」
「ふぅん…。じゃあ彼女の家がこの辺?」
「知ってるわけないでしょ…」
「同期って、カレカノいるとか話し、しないわけ?」
「会社ではそんな無駄話、してる余裕もないから」
「ほぉ…」
凱斗は何度か小さく頷くと、機嫌よく選んだ野菜をカートに入れて行く。
それから二人でワインを選び、特上のお肉をひき肉にしてもらって私達は駐車場に向かった。
するとそこには、またもや相楽君カップルが…
―――凱斗の車の3つ隣に相楽君の車。
「なんか、あっち荷物多くない?」
凱斗が言うのも無理はない。私達はエコバック一つ分なのに、相楽君は4つも。
しかもそれは、大きなショッピングバック。
「大食いなんだろな」
「そんなわけないでしょ」
凱斗は後部座席にエコバックを丁寧に置くと、車に乗り込みエンジンをかける。
知らん顔するわけにもいかないからここは…
「相楽君、またね!」
声を掛けたら、彼は右手をあげて笑顔で返事をした。「またな」って。
それに凱斗も、車内から小さく頭を下げる。
私が助手席に乗り込むと、彼はゆっくりと車を発進させた。
「アウディA6か」
「えっ?」
「あ、あいつの車。アウディ乗った事ないんだよね俺」
「ふぅん。じゃあ買えば?」
「別に、欲しいって言ってないだろ!」
「車なんてなんでもいいもん。私は朔ちゃんが乗ってるプリウスが良かったな。運転しやすそう」
「何年前だよ。そんなの、免許取り立ての時じゃん」
「そうなの?」
「でもなんで、あいつがプリウス乗ってたって知ってんだよ」
「え?前送ってもらったことあるもん」
「朔に?!」
「うん」
「いつ?!」
「え~…いつだったかなぁ…。あれはたしか…」
「早く!」
「急かさないでよぉ…えっと…大学の4年の時の…ゼミ旅行の帰りかな?」
「ゼミ旅行??」
「あ、朔ちゃんと私ゼミ一緒だったから」
「何で二人で旅行なんて行ってんだよ!」
「二人じゃないよぉ。みんなでだよ。九十九里浜だったから何人かで車出して…
私が朔ちゃんの車だったの」
「……」
「お前…車で遠出なんて乗り物酔いするだろ…」
「うん。だから助手席」
「……」
「朔のやつ、そんな事何にも言ってなかった!」
「え?だってあの頃凱斗と私、まだ付き合ってなかったもん。別にわざわざ言わないでしょ」
「……」
「はぁ。ハンバーグ楽しみ」
そう言って笑った私に、凱斗はムッとして「朔め…」って…。
その後なぜか無言でじっと前を見据えたまま、ハンドルに指を添えている。
……ん?
なんだろう。なんか機嫌が悪いような?
「ねぇ、ハンバーグには目玉焼き乗せる派?それともチーズ?」
話を振ってみても、返事は「どっちでもいい」の一言だけ。
助手席の窓の外に流れる街並みに目をやりながら、私はふわっと小さくあくびをした。
──ちょっと思い出しちゃった。
大学の頃、朔ちゃんと過ごした日々。楽しかったなぁ…学生時代。…懐かしい。
けれどそれは、もうずっと前の話だ。
そんなことを考えているうちに、車はゆっくりとブレーキを踏み、目的地に到着していた。