我が儘王子と侍従
コレリックが侍従として城へやって来て数ヵ月経った。僕はコレリックを連れて、日課になった執務棟の散歩をしている。この数か月で、コレリックはニーナやメントラータ伯爵をはじめとする大人達の信頼を得た。おかげで城内なら二人だけで歩けるようになって、僕には気を抜ける時間ができた。
厚手の絨毯が敷かれ足音が響かない廊下をゆっくりと歩き、今は二階の税務、財政部門の執務室が集まる廊下にいる。東側の廊下から左に曲がって南の一角に入った所だ。
僕が居る所から二つ先の扉が開いて、くたびれた雰囲気の紳士が出てきた。官僚の制服を着ておらず城内に入れるという事はどこかの貴族なのだとは思う。あの部屋は徴税官の執務室の筈で、この時期にあの部屋を訪れるという事は、領地の税収が思わしくないという相談かな。
四角い顔の紳士は少し薄くなった頭頂部を隠すためか、茶色いくせ毛をふわふわと自由にさせている。財務に不安のあるいくつかの領地を浮かべながら振り返ってコレリックを見ると、眉を寄せて紳士を見つめていた。と言うことはあの貴族はイピノス子爵か?
普段、故郷のことを話すことはないけれど、何か思う事のありそうな表情が気になる。
「あの人に会ったことある?」
「……はい。今となっては定かではない記憶ですが、よく領地の畑を眺めている姿が在ったように思います。……私がいた農村は領都から離れていましたが、天候が乱れる度、植物の成長の時期毎、よく来られていた、と思います」
小声でコレリックに確認すると、コレリックは考え込む様子を見せつつ答えてくれた。定かではない記憶というのは、親友の意識が宿る前の記憶なんだろう。僕も『俺』の意識が目覚める前の記憶はだんだんと曖昧に薄れていっている。
ただ、それでも記憶に残っているのだから、その姿は間違いないものだろう。コレリックの言葉も柔らかいし、きっと悪い領主ではないと思う。おそらく熱心だし領民を蔑ろにするわけでもないけれど、正直すぎて稼げない人物ではないだろうか。
うーん、これは王都の外に出る口実に使えるんじゃない。
すこしだけ速足で歩いて子爵に呼び掛けると、不思議そうな顔で振り返った。大人にしては少し背が低くて、けれど肩幅や胸板のある子爵を見上げて僕はニッコリ笑いかけた。子爵は僕の顔を見ると素早く跪いた。僕の目の前にはクルクルでフワフワの毛玉。子爵の様子から見るにコレリックが自領の元領民とは気付いていなさそうだ。
「顔を上げて、立ってくれて構わないから、普通に話して。あのさ、もしここでの用事がもう終わっているなら、少し僕に付き合ってくれない?」
「はい。私の用事は確かに済んでおりますが……付き合うとは?」
「用事が済んでいるならば行こう。さぁ、ついてきて」
顔は上げたものの、跪いた姿勢のまま困惑の表情で子爵は返事をした。相手が戸惑っているときは、次々に行動を促せば、こちらの思惑通りに事が運ぶ。前世での仕事の手順を思い浮かべながらクルリと向きを変えて元来た道を戻ろうとしたら、目の前にコレリックが立ち塞がった。
同い年なのに僕より少しだけ体格が大きいコレリックが、口元だけ笑顔の威嚇の表情で、真正面の至近距離に立っていると少々萎縮してしまう。この恐ろしい表情は母上に習ったらしい。
「ユージーン様、どちらに子爵を浚って行かれるので?」
コレリックの表情があまりに恐ろしくて、もう一度クルリと振り向いて子爵の顔を見ると、額に汗をかいて、目を白黒させていた。困惑と焦りで判断力が低下していそうな様子は、騙すには最適な相手の表情だ。今の僕は別に騙すつもりなんてないけど。
「子爵を庭へ招待したい。私と趣味について語らおう」
「ユージーン王子の趣味でございますか?」
ニッコリ笑って、少し子供っぽい喋り方で子爵に問いかけた。子供っぽい雰囲気を出せば、子爵の緊張や警戒が薄らぐかと思ったんだけど、相変わらず子爵の額からは汗が噴き出している。
「僕は植物を育てるのが好きなんだ。領地で畑を眺めていたという噂の子爵も同じ趣味かと思ったのだけど違うの?」
未だ跪いた姿勢の子爵と、恐ろしい表情のコレリックに前後を挟まれて、身動きがとれない。どうしようかと思っていたら、後ろから方に手を乗せられた。振り向くとコレリックが恐ろしい表情を消して、肩を落としていた。
「ユージーン様、思い付きで行動するのはお控えくださいといつも申し上げております」
「でも、子爵とゆっくり話をしようと思ったら、今しかないでしょう?この時期の王都に何日も滞在するわけないんだし」
「言いたい事は分かりますが、ユージーン様のお庭に子爵は入れません」
「えっ?なんで?」
「王族の居住区域への立ち入りは特別な許可が必要でしょう?」
「僕が許可をすれば……」
「ダメです。こんな所で権力を濫用しないでください」
コレリックが呆れた様な顔で僕を見つつ、誰かを手招きした。振り向くと子爵が出てきた部屋から覗き見していたらしい官僚がこちらにやってくる。コレリックがいくつか言葉をかけると、その官僚は子爵の肩をポンポンと叩いて足早にどこかに行ってしまった。
「ユージーン様が育てた植物を見て頂きながら話がしたい。そういうご希望でしたら叶えられる場所を知っていますから私の案内についてきてください」
立ち去った官僚の背中をポカンと見ていた僕と、官僚に叩かれた肩をガックリと落とした子爵を引き連れてコレリックはゆったりと歩いていく。階段を下りて、人が行きかうエントランスホールを横切り、一階の北側の部屋に入った。
コレリックに案内された先は執務棟の中にある面談室の一つで、大きな窓から中庭にも出る事ができる部屋だった。促されて子爵と中庭に出れば確かに見覚えのある花の鉢植えがいくつも並んでいた。どれもこれも母上にねだられて差し上げた物だ。
子爵が大ぶりの薔薇の前で立ち止まった。花弁が朱色から薄橙にグラデーションしている見栄えの良い花だけど、それ以上の価値はない。その隣にある下向きに薄紫の小さな花を咲かせている植物は薬の材料にもなるのだけど。その価値に気付いていないとすると、子爵は自領の植物の価値にも気づいていない可能性があるのではないだろうか。
「これらの世話を王子がされているのですか?私は畑を眺めるばかりで、実際に世話をする事はないのですが、どれも立派な花を咲かせていますね」
「この辺りは僕が世話をした花で間違いないと思う。母上がやけに欲しがると思ったらこんな所に飾っていたなんて、知らなかったよ」
「ユージーン様があまりに美しい花を育てて、王妃がユージーン様の花ばかりをあちこちに飾るので、近頃は王宮の庭師達が戦線恐々としていますよ」
室内にお茶の準備を整えたコレリックがニコニコとやってきた。僕らはコレリックに促されて室内に戻ってテーブルに着く。今日は会談の席だから僕の前にもお茶が出される。
「花の美しさは分かりますが、先程も申し上げました通り、私は眺めるばかりで育てた事はないのですよ。しかも私が眺めているのは芋畑ばかりでして」
子爵は相変わらず額から汗を出しつつ、恐縮した様子でお茶に手を伸ばした。子爵が庭を眺める視線の先には華やかだけど、薬にも食料にもならない物ばかりだ。僕が王族らしく装飾的な趣味を楽しんでいると思っているのだろう。
「うん。子爵は領地の収穫が心配で畑を眺めていたんでしょう?母上は綺麗な花を好むからここには花が飾られているけれど、僕が育てているのは花だけじゃないんだよ」
「芋の育て方もご存じと?」
「芋は宮殿で育てると都合悪いから育ててないけれど、あの辺りの小さい花は育て方次第では食べれる様になるよ。師匠が素晴らしいから、結構植物には詳しくなったと思うんだ。土や気候と植物の相性や、珍しい植物の価値の高め方なんかも自信があるよ」
懐疑的な目を向けてくる子爵に向かって、少し子供っぽく、ふふんと胸を張るように宣言した。ニッコリ笑って言ったつもりだけど、また片方の口の端しか上がらなかったらしい。子爵が目を見開いて、ピシリと固まった。
「王子?」
子爵と無言で見つめ会っていたら、後ろからコレリックに呼び掛けられた。叱られる前に僕の要望を伝えておこう。今度こそちゃんとニッコリ笑って、いつかの兄上の真似をする様に顔の前で手を組んで、テーブルに身を乗り出した。
「子爵、僕を領地に招待して!子爵の領地の植物を見せて。稼げる植物を見つけるから!ねっ?お願い!僕の知らない植物に出会わせて!」
ねっ?と僕が首を傾げた所で子爵がふっと口許を緩めた。
「噂には聞いておりましたが、なかなか我が儘にお育ちになられた様でございますな。私のようなしがない田舎貴族は王子のお願いをお断りする術もございません。王子の目に敵う植物が有るかは分かりませんが、私の領地へご招待致しましょう。実りの季節も近い時期ですから、植物の探索には宜しいでしょう」
子爵の了承を得られてウキウキしていたけれど、その日の晩餐の席で僕は母上から勢いよく叱られた。父上はただただ笑って、怒る母上を見ていた。人が怒っているのを見てあんなに笑えるとは、流石王様だなぁなんて考えてたら、それが口から零れてしまったらしく母上のお説教を一層長引かせた。
それでもイピノス領へ行く事の許可を何とか得て、コレリックと公務計画書を作り、夏の社交シーズンに兄上と一緒にイピノス領に視察に行く事になった。公務計画書を作る時に、彼女を探しに行きたい、たまには気を抜いてコレリックと喋りたい、という希望をコレリックに伝えたら、見事に僕が領内を歩き回る建前を作り上げてくれた。
イピノスに行くのはもちろん、あの人を探すのが一番の目的ではある。だけどそれだけじゃない。コレリックと一緒に居た子達の姿を見て彼らの故郷の事が気になったんだ。彼らが故郷で家族と子供らしく過ごすには、領地の状況を変えないといけない筈だ。
地理の授業で聞いた感じでは、特殊な地形を有する土地でもあるらしい。地質の詳細迄は資料がないけれど、睨み通りなら、原種のタバコの様な植物があるのではないかと思う。
イピノス領へは汽車で移動する事になった。初めて見る汽車は想像していた物と全然違って、連結されたトレーラーハウスの様相だった。
この汽車は百年くらい前に、「大勢を運べる箱を夢に見た」と言った王様が、発明で有名な領地に銘じて開発整備された物らしい。汽車とは言うけど、魔法の力で動くから、揺れも少ないし煙を吐き出す事もない。
汽車は当時の勢力に沿って延伸されていった物なので、イピノス領まではものすごく遠回りをする経路を辿った。これなら馬車か歩きの方が速そうだなんて言ったら、そんな体力無いでしょうと皆に呆れられた。
確かに汽車と言っても広い個室に寝台が備えられた乗り物で、一泊二日揺られっぱなしだったけれど全然疲れていない。乗ってみて運賃が高い理由にも納得したけれど、国民のために安価で乗れる様に改装した方が良いんじゃないかな。
イピノスの駅に降り立てば、真っ正面に高く聳える山の後ろに夕日が見えて、街に影を落としていた。山の手前に見える壁に囲われた屋敷が領主邸らしい。
駅に出迎えに来てくれた子爵と馬車に乗って、子爵邸へと向かう。子爵の頭の上は相変わらず茶色いくせ毛がふわふわとしていて、馬車の揺れに合わせて右に左にと動いていた。
駅から出た所で十字路があり、まっすぐ行くと領主邸、右に行けば領外に出る門、左が町を抜けて農村に向かう街道だと教えてくれた。領主邸に続く道沿いにはまばらに建物があるが、どの建物も古ぼけて見えるし壁のひび割れが気になる。
町を歩く人々は全体に痩せぎみで、王都で見た人々よりも着ている服がくすんで見える。想像していたより、危険な経済状況の様だ。
駅からひたすら真っすぐに進んで、空が茜色のうちに子爵邸には着いた。門から入るとすぐに木造の建物があり、その奥にもの寂しい雰囲気の花壇がある。門の内側で景色が変わるのは左側だけで、右側にはひたすらに森が広がっている。
子爵邸の入り口で奥方と二人の子息を紹介されたあと、入り口近くの応接間に案内された。応接間の窓からは森とその向こうに山が見える。森には何種類もの木が見えて、手入れがされていない気配がする。
「僕の我が儘を聞いてくれてありがとう。十日ほど、この領地でお世話になる予定で来たけど大丈夫かな?」
今回は僕が招待を受けて、兄上は付き添いという事になっているから、子爵との挨拶は僕が最初にする。そして僕の挨拶を聞いたメントラータ伯爵の眉がピクリと動いた。うん、良い勘していると思うよ。
「招待を受けて頂き、領地一同歓迎いたします。華やかさの無い領地ですが、どうぞゆっくりお過ごし下さい」
子爵は今日も額から汗を吹き出している。それでもニコニコとしていて、初めて会った時とは違う印象を受ける。兄上は初めて会うって言ってたけど、第一印象としては悪くないんじゃないかな。
「うん。それでね、子爵は兄上に領都を案内して、この領地の貴族を紹介して欲しいんだ。僕はこちらの領地の南の農村の出身の侍従に案内してもらって、南の農村や南西の草原なんかを見て回るから。申し訳ないんだけど馬車を一台、荷馬車で構わないから手配して貰える?」
「南の農村となると馬車で一日かかりますが、そんな遠くまで行かれるのです?まさかユージーン王子はせっかくご招待したのに、我が家には滞在されないのおつもりですか?」
「ユージーン王子、また勝手な事を仰られても困ります」
僕のお願いを聞いた子爵は困った様にメントラータ伯爵を見て、伯爵はコレリックを見た。この数ヵ月で僕の我が儘の手綱を握るのはコレリックだと、メントラータ伯爵も認識していたらしいけれど、今回はコレリックも共犯なんだな。
「でも、メントラータ伯爵も行動計画に承認のサインしてくれたじゃない?ほら」
差し出した書類を覗き込んだ伯爵と子爵が天を仰いだ。『マーディンは社交を目的とし、ユージーンは植物の研究を目的とする』ってちゃんと書いてあるんだ。
「ユーは、我が儘で自由気儘な第二王子だもんね。子爵、申し訳ないけど馬車と人員を、我が儘な第二王子に融通してあげてくれる?」
兄上は、晩餐の席の父上と同じ顔でククッと笑って僕の計画を支持してくれた。子爵は兄上の言葉に頷くとすぐに手配の指示を出し始めた。