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《親友》と《僕》

僕が二ヶ月と言ったのにコレリックは一月半で必要な事を学習しきったらしい。依頼した教師からの興奮気味に書かれた報告書は、驚きと称賛の言葉に溢れていた。「コレリックは特に文学の才能があり言葉選びのセンスには目を見張るものがある」なんて報告されて微妙な顔になったのは許して欲しい。前世でクソ兄貴の見る目がなかったって事だろう。


報告書にはコレリック以外にも見所のある子供が複数人居て、それぞれの得意分野も書かれていた。この見所のある子供たちを農村で働かせるのは勿体ないという教師の意見には僕も同意したい。



報告書を受け取った三日後、春が終わりに近付いて暑くなり始めた今、再び兄上とメントラータ伯爵と三人で、馬車に揺られて南東の孤児院を訪問した。


柵沿いの木立が青々と葉を繁らせて、馬車を停めた道に木陰を作っている。やっぱり植物が作る木陰は心地良い。木陰を作る木を見上げたけれど、もうあの果実はなくなっていた。ゼフに聞いたら爽やかな香りの割に甘い果実だと思うと言っていて、温州みかんの様な物を想像したけど、確認することは叶わなかった。


一度出会ったせいなのか、前世の名前で呼ばれるようなあの感覚はもうなくて、ドアノッカーを鳴らす伯爵の手をぼんやりと眺める。ドアノッカーのゴンゴンという重たい音が響いてすぐに、世話人の青年が出てきた。


案内された応接室で再会したコレリックは、別人の様な佇まいで僕を待っていた。茶色の髪は整えられ顔の横でサラリと揺れ、少し垂れた飴色の目が穏やかそうな雰囲気を作っている。初対面でぶっきらぼうな受け答えをした少年とは思えない。


僕達が並んで座った向かいに座るように促せば、ゆったりっとした所作で腰を下ろした。貴族の子息の様な雰囲気があり、剥き出しの床板や硬い座面のソファーがある孤児院の応接室には似合わない。とてもここで育ったとは思えない姿だった。

そうして、メントラータ伯爵が侍従としての雇用契約書を渡すと、しっかりと確認をした。一度僕を見て首を傾げたけれど、何も言わずに綺麗な文字で署名をしてくれた。


「少年は随分と見違えましたね。ところで、孤児院の責任者という立場で、子供たちに教育をするという事についてどう感じられたか教えて頂けますか?」


伯爵は、返された書類とコレリックの顔を交互に見て満足げに頷いた後、世話人の青年に問いかけた。これは、事前に伯爵と打ち合わせをしていた内容だ。比較的、子供たちの将来を気に掛けている所で、教育を不要のものと言われれば、これ以上の手の打ち様はない。


「困窮していないとは言いましたが、通常の資金状況では最低限の教育しかできません。今回の事はとてもありがたい事でした。ですがうちでは、少々困った事にもなりそうです」


世話人の青年は、眉尻を下げ心底困ったような表情で食堂の方向を見ながら答えた。教育を受けた子供たちの中に意識の変わった子が居たのだろう。意識の変化が悪い方向でなければ良いのだけれど。


「農村で生きていくには過剰な物だったと」


「えぇ、何事にも分相応と言うものがあるのだと、今回の事で私も学びました」


「そうですか。実は王子方は孤児達の未来を良いものにしたいとお考えなのです。教育を受けさせる事で支援金を増やし、増えた支援金分、監視の機会も増やそうという計画を立ててらっしゃいます。ですが今のお話ですと難しそうですな」


伯爵と世話人の青年が話し合いをしている間、僕は大人しく出されたお茶を頂いた。添えられている焼き菓子は、形は歪だけども爽やかな柑橘の香りがして美味しい。一口で食べないとボロボロと崩れてしまうし、サクサク食感ではないけれど、クッキーだと思う。

きっとここの子供達が作ってくれたのだろう。料理も学ばせれば、僕の計画が一歩進むかもしれない。


「孤児院を出た子供の働き場所が領都になる孤児院でしたら、歓迎されるのではないでしょうか?最初は西側の二つの孤児院に話を持ちかけてはいかがですか?あちらはお金にうるさい商人が運営していますから手間よりお金を優先する筈です。それにあちらは、働き口の斡旋という名目で孤児を売っているという噂もありますから、教育して価値が高められると言えば乗ってくるでしょう。それにいくつかの孤児院で実績を出せば、他のところも乗らざるを得なくなりましょう」


世話人の話を聞いて西側の街並みを思い浮かべる。比較的綺麗な建物が多い地域だった。特に北西の地域なら富裕層や貴族の邸宅も近くにあったし、僕の計画にちょうど良いかもしれない。


「良い情報をありがとう」


カップを置いて世話人にニコリと笑いかけてお礼を伝えたのに、世話人は目を見開いて固まった。世話人の隣に座っていたコレリックは額を叩いて天を仰いだ。相変わらず、僕の笑顔は好意的に受け取って貰えないらしい。


「僕は北西の孤児院に話を持ちかけるから、兄上は南西の孤児院の担当って事でどうかな?」


「ユーには、何か策があるのかい?」


正面二人の反応は放っておいて、兄上に向き直った。兄上の向こう側からメントラータ伯爵が僕の顔を覗き込んでくる。伯爵とは、今後の計画は帰ってから相談するって話していたから、突然言い出して驚いているのかもしれない。


「僕は町に店を作りたいんだ。そこで雇う予定として、教育を受けてもらおうかなって」


「僕は特にそういうのも無いんだけどなぁ」


「僕はただの我が儘だけど、兄上は為政者らしい計画を立ててよ」


兄上が首を傾げてサラリと淡い色の金髪が揺れる。顎に手を当てて机の上のお茶の水面を眺めながら考え込むと、メントラータ伯爵が一つ咳ばらいをした。兄上から伯爵に視線を移すと、伯爵は世話人の方をチラリと見遣った。


「ユージーン様、その口ぶりではマーデイン様の名前で南西の孤児院にけしかける内容も考えておられるのでしょう?思い付きは思い付いた時にご相談下さいと何度も申し上げておりますのに、またこっそり計画なさってましたね?」


わざわざ、ここで言い出した理由を尋ねているんだろうけど、そんな物はなくて、本当に今思いついたから言ってみただけなんだよな。えっと、ここで態々話す建前を考えなくちゃ。


「これは、話を聞いて今思い付いたことだよ。伯爵に話してた時は、教育を受けると支援金が増える案だったけど、子供の就職先によって支援金が増える仕組みにしたらどうかな?より良い所に就職させるために、しっかり教育をするようになると思うんだ」


「ユージーン様が町に作りたいお店の話も聞いておりませんが?」


「あー。まぁ、僕の我が儘だからさ。事業にする気はなくて……」


伯爵への言い訳が思い付かずに困っていると、突然コレリックがソファーから立ち上がって僕の斜め前に跪いた。至近距離で見上げる飴色の瞳が少し潤んでいる様に見えるのはなぜだろう。胸に当てた右手が微かに震えている様子が、前世で最後に見た親友の右手と重なって見える。


「ユージーン王子、私と約束した事は覚えておいでですか?お守り頂けないなら、即刻この契約書破りますが?」


「えっ?」


メントラータ伯爵の手元にあった筈の契約書を目の前でピラピラと揺らしている。コレリックが言う約束っていうのが、前に来た時に二人で話した内容だというのは分かる。分かるけれど、今の会話のどこで、コレリックとの約束を破ったのかが分からなくて困惑する。

間抜けな声しか出せない僕の顔を見たコレリックは、小さくため息を吐いて、一度目を伏せた。


「今、町に作りたいお店の事を隠そうとなさいましたよね?そうやって一人で抱え込んで、夢の中の様にまた私を置いていくのですね。あの約束はやはり守られないのですね」


置いていくと言われて、前世の光景がいくつもフラッシュバックする。親友から困った事を相談される度、俺は一人でケリをつけに行った。上司からヤバそうな仕事を頼まれた時も親友に知らせなかった。あの人と目が合ったあの日の嬉しい気持ちも話した事はなかった。

コレリックが言った「寂しい」「頼ってほしい」という言葉がリフレインして、胸が締め付けられる様な感じがした。


「そっ、そんなことない。伯爵に説明しにくくて困っただけだよ!ほら、カフェを作りたいって言っても、カフェがないから説明できないでしょう?」


焦って言い募る僕を見たコレリックが口元をピクピクさせだした。前世で親友が悪戯をしかけた時の笑いを堪える表情と重なった。もしやとコレリックが持っている紙をよく見れば、契約書なんかじゃなく筆記練習で同じ言葉を繰り返し書いているだけの紙だった。


「カフェ、ですか。ふふっ、なるほど。王子がお忍びで利用できる軽食処を作りたいのですね。確かにそれは、王子の我が儘と言える計画ですね。伯爵、ユージーン王子のこの計画は私がきちんと筋を通して動きます。マーディン王子に提案している内容の確認に移ってもかまいませんか?」


コレリックは驚くほどの速さで表情を変えてメントラータ伯爵に向き直った。コレリックと一緒に伯爵の顔を見ると、口が半開きの伯爵らしからぬ表情になっていた。伯爵と僕の間に座っている兄上は口を押えて肩を揺らしているけど、何がそんなに面白かったんだろう。


「ユージーン王子は、得難い臣下を持ちましたね。えぇ、えぇ、マーディン王子に提案しようとしている内容を伺いましょう」


キュッと顔に力を入れた伯爵が僕に向き直った。態々ここで話した建前は、あの子たちでいいか。城で勝手に決めるんじゃなくて、あの子たちの気持ちも大事だし。


「最初はこの孤児院でコレリック以外に優秀だった子、ミュゲとイスカだっけ?二人を教師役として派遣するんだ。で、南西の孤児院の優秀な子は教会の孤児院の教師役に。南西の孤児院はそれを足掛かりに他の孤児院の教師役を担って貰う。南西の孤児院で教師役ができるほど優秀な子が育ったら、兄上は親のいる小さい子向けの教育施設を作ってミュゲとイスカを教師として雇ったら良いんじゃない?」


「良い計画だと思うけど、なんで僕が教育施設を作るの?ユーのアイデアなんだから、ユーが作れば良いんじゃないの?」


兄上は優秀で善良な人だから、成果になりそうな僕の提案を素直には受け入れてくれない。ついでに、僕が臣籍降下したいと思っている事に不満らしい。

もしかして兄上も王様なんて面倒な立場に立ちたくないのかと思って一度だけ尋ねたけれどそんな事はないそうだ。


「さっきも言ったけど、僕は我が儘で自由気ままな第二王子なんです。政治に絡みそうな面倒な事は優秀な第一王子にお任せしたいと常に思っております」


子供らしい口調で、けれど態とらしく丁寧な言葉で僕が答えると、何故か兄上はニヤニヤと笑いながらコレリックを見た。


「コレリック。君、とても優秀そうなのに、こんなにやる気のない王子に仕えるの?僕に仕えてくれれば、未来の王の側近だけどどう?」


「ユージーン様が自由を謳歌されているようでなによりです。私は自由な気質のユージーン様をお慕いし仕えようと思いましたので、そのお誘いはお断りします。それに仕える立場で申し上げるものではないかもしれませんが、私もユージーン様は王には向いていないと思いますので、大きな事はマーディン王子にお任せするのが良いと思っています」


「コレリックが何気に失礼なこと言ってる気がする。そんな事より兄上、僕の提案はどう思う?まぁ、兄上が良いと思っても、ミュゲとイスカが村に帰りたいって言ったら、また違うことを考えなきゃいけないんだけど」


僕は世話人に向き直って尋ねた。コレリックや兄上がしたみたいに首を傾げてみたけれど、その場の空気が一瞬固まって、僕の顔にこの仕草は似合わない事を理解した。

メントラータ伯爵の咳払いで固まった空気が解かれて、世話人の青年がニッコリと笑顔で僕と向き合った。


「もし、その計画を実行されるならミュゲもイスカも大喜びでしょう。特にミュゲは作法の授業の度にコレリックを羨ましがって、領都に残りたいと言っていましたから」


世話人の言葉を聞いた兄上が、顎に手を当てながら首を傾げて青い瞳を瞬かせた。さっきの僕と同じ仕草なのに、空気が固まっているのではなく、兄上の言葉を自然に待つ雰囲気ができている。僕と何が違うんだろう。


「その子達の年齢はいくつだった?」


「ミュゲもイスカも十二才ですね」


世話人の青年の言葉を聞いた兄上は、真剣な目で伯爵の方を向いた。


「伯爵、二人は次の学園の入学に間に合うと思う?僕の建てる教育施設なら、例え庶民向けの幼児教育だとしても、その教師は学園の卒業っていう箔は必要じゃないかな」


「報告書を読む限り能力には問題ないでしょう」


伯爵の答えに頷いた兄上の指示で、その場にミュゲとイスカを呼んだ。コレリック程ではないけれど、ゆったりとした優雅な仕草ができるし、名前を書かせれば文字も綺麗だった。

意向を聞いてみれば、王都で働ける可能性があることを、二人とも凄く喜んだ。聞けば二人は八人兄妹、十人姉弟の末っ子で実家には戻れず、開拓村に行くしかない状況だったらしい。領都で身を立てる道があるなら、どんな事でも頑張れると言ってくれた。

兄上は計画をしっかり練って、ついでに別の政策も立てるから、学園でも肩身の狭い思いはさせないと二人に為政者の顔で約束していた。


首を傾げたあざとい顔、キリリとした為政者の顔、僕を見守る優しい顔。いくつもの表情を自然に使える兄上はすごいなと、僕は傍観者になってその様子を眺めていた。


城に戻って、待ち構えていたニーナがコレリックの周りをグルグルと回りながら見下ろしている。ニーナは生粋の貴族女性だしやっぱり孤児を取り立てるのは忌避感があっただろうか。


「貴方が、ユージーン様が見込んだ少年ですか?」


三周グルグルと回ってコレリックの正面に立ったニーナの言葉はやっぱりどこか刺々しい。けれどコレリックは微動だにせず微笑んだままニーナを見つめ返した。


「コレリックと申します。これから、ご指導宜しくお願いします」


「優秀な子だという報告書はわたくしも読みました。ですが、王子の侍従には他にも大切な事がございます。貴方にそれがあるのか見極めさせて頂きますね」


その日から、ニーナによるかわいがりが始まった。かわいがりと言っても物騒な物じゃなくて、愛情たっぷりの本当に可愛がる行為だ。課題を与えて、褒めて、お菓子を与えて、着飾らせて……僕もコレリックも呆気にとられた。


その行動の中にも教育が含まれていたらしい事を知ったのは、一年以上先の事。

ただ、そのおかげで僕らは、前世で叶わなかった穏やかで愛情たっぷりな子供時代を過ごす事ができた。


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