《俺》の親友
司教の紹介状を携えて、王都中の孤児院をまわった。あまりに孤児の扱いが悪そうな所はまた別の策を打つことにする。それに城から離れていけば、孤児院の外にこそ前世の「俺」の様なすれた目をした子供が居る事にも気付いた。
そうして夕方近く、最後に向かった南東にある孤児院は近付くにつれて、前世の名前で呼ばれている様な、引き寄せられる様な不思議な空気を感じた。
孤児院の敷地を囲む木の柵の内側には、割りと大きな木が目隠しの様に植えられている。門とも言えない入り口から正面に見える木造三階建ての孤児院は、傾き始めた日射しに照らされてオレンジ色に輝いて見えた。その輝きすら『俺』を呼んでいるように思える。
一度目を閉じて、心を落ち着けてから建物を観察すれば、外壁に華美な装飾はなく、建物自体は質素な共同住宅の様にも見える。けれど目隠しの様に植えられている木立の手入れはそれなりにされているし、玄関周りには落ち葉や伸びた雑草もなくて清潔感はある。
玄関の前に立てば、前世の名前で呼ばれているような不思議な感覚がより強くなった。あの人が居るかもしれない期待が高まり、緊張気味に伯爵がドアノッカーを鳴らす手を見つめた。
突然の訪問に戸惑った様子の青年はこの孤児院の責任者だと名乗り、世話役は自分一人だと言った。年長の子供達と協力しながら生活しているそうだ。
そうして、責任者だと言う男性に案内された食堂で見つけたのは、俺を殺した親友だった。彼も気付いた様子があったので、前世で縁のある人間に会えば感じるものがあるのか。夕食の支度をしている女の子達には特別な感覚はないから、あの人は居ないのだろう。
居ないだろうと思いつつもあの人が居ないかぐるりと食堂を見回し確認してから、再度親友だと思う少年を見れば、飴色の瞳と視線がぶつかった。
俺は生まれ変わって、こんなに幸せなのに、親友はまた最悪な親の下に生まれたのか。それとも別の事情で孤児になったのか。どちらにしろ、恵まれた環境とは言えないだろう。
それでも濃い茶色の髪はサラリと揺れるし、前世よりも穏やかそうな面差しに見える。孤児にしては肌艶が良くて身綺麗だし、褐色の肌は健康的な日焼けだと思う。お前は、今幸せなのか?
引き寄せられる様に少年に向かって一直線に歩き、正面で向かい合った。
「お前、名前は?」
「コレリック。お前は?」
前世の様な崩れた言葉で問いかければ、少年は素っ気なく返事をして、フイッと顔を背けた。そっぽを向いたのは、気まずい思いがあるからだろう。前世の癖がそのままだ。そのぶっきらぼうな対応と、敬意の欠片もない言葉に孤児院の責任者が息を飲んだが、俺としては懐かしい気持ちになっただけだ。チラリと兄上を振り返り、「マカセテ」と声にせず口を動かせば頷いてくれた。
「俺はユージーン。お前、俺の所で仕事しないか?」
怪訝そうに縋められた飴色の瞳には困惑が滲んだ。もう一度まっすぐ顔を見たら、前世と同じくタレ目な事にも気付いて笑ってしまった。僕が懐かしさに笑うと少年は雰囲気を尖らせた。
「仕事?」
「そう仕事。僕はお前と仕事がしたい。」
僕の言葉に少年が固まった。一段と不審げに僕を見ている。前世の事があるからな。なんて説明したものか。どうにか二人で話ができたら良いんだけど。
「ユージーン、その子が気に入ったの?でも、そのままじゃ家には連れていけないよ」
兄上は何か閃いた様な顔で僕の肩を叩いてから、孤児院の世話役と向き合って表情を変えた。突然に権力者の表情をして大人のような雰囲気を纏う姿に驚いた。
「ここ、国からの支援金がかなり少ないよね?私が言う通りにしたら、支援金を増やすこともできるかもよ?運営してる商会は奴隷も扱ってるって聞いたけど、こことは無関係?そんな訳ないよね?」
「確かに後ろ楯の商会は奴隷商も営んでいますが、こことは無関係です。ここの子供達はいずれ故郷に帰る予定の子ばかりでございます。……コレリックも、あと数年で故郷に帰る予定なのですが」
兄上が孤児院の現状を詳しく尋ねれば、資金には困っていないのだと言う。ここは北のオタータ辺境伯の支援を受けて、西のイピノス領にある商会が営む訳アリの孤児院だった。ここで国の支援金の話を受け入れるとオタータ辺境伯の顔を潰して本業の商会の方に影響しかねないと、責任者の男性は語った。
ここに居る子供は皆イピノス領の子供たちで、人拐いの噂もあながち間違いではないけれど、犯罪には当たらないと説明されて、兄上と二人で首を傾げた。
イピノス領は山の麓の僅かな耕作地をやりくりしている状態で、子が生まれても育てられる収入を得られないのだと、青年は語った。育てられない子は領地の端の農村に捨てられて、森の抜け道を一日歩くと領外に出る。そこで商会の私兵に保護されてここに連れて来られ、ここで生きる術を学んだら実家のある町や農村に戻るか、子爵領の未開拓地で村を作っていくらしい。
イピノスの事情は判ったけれど、なんでそこにオタータ辺境伯が絡んでいるのかが僕にはわからなかった。でもメントラータ伯爵は何やら事情を察したらしくて、遠い目をして頷いていた。今度その事情も聞いてみよう。でも今は、この少年と二人で話す機会を優先したい。
「こことイピノス領の事情は分かったけど、僕はどうしてもこのコレリック君と仕事がしたい。少し二人で話させてくれないか?」
「先生、俺も、コイツと二人で話したい」
僕が兄上とメントラータ伯爵に、コレリック少年が孤児院の責任者へと向き合う。三人ともが困ったような表情で、お互いの顔を見合った。
「ユージーン様、その少年にご執心な理由を伺っても?」
「夢の中で一緒に仕事をしていた。だから、夢で見たことを相談したいんだ。なっ?」
少し狡い気もしたけれど、嘘でもない。ついでにコレリック少年も同意を示した事で、メントラータ伯爵が二人で話す事を認めてくれた。
ただ、完全な二人きりはできないと言われ、僕らは庭の食堂の窓から見える所で話す事になった。兄上とメントラータ伯爵は孤児院の大人と食堂で話しながら僕らの様子を見ると言う。
食堂の吐き出し窓から庭に出て、井戸の横にある物干し竿の前で僕とコレリックは向かい合った。
まばらに雑草が生えた広場の端には、しっかりと世話をされている事が分かる野菜畑が見える。その横の小屋からは、ヤギや鶏の声が聞こえてきている。孤児院の西側に当たる庭は夕日に染まって、物干し竿の影は食堂の前にまで伸びている。
改めてコレリック少年の飴色の瞳と視線を合わせて、前世の事を謝罪する。許してくれるまで、何度でも謝らないと。
「悪かった、あんなことをお前にさせて」
「なんで、殺された方が謝ってんだよ?」
向かい合って自然に出たのはお互い前世の言葉で、一緒に暮らしていた時の様な雰囲気になった。
「約束を破ったのは俺だし、約束を破らせたのも俺だから。あの時……お前の手が震えてた。仕方なしに俺を撃ったんだろう?」
「…………」
ただただ真っ直ぐと見つめ返すだけの少年が何を思っているのか、全く読めない。そう言えば前世でもこんな表情で俺を見ていた事があった気がする。何か言いたそうだけど、それが何か俺は聞かなかった。言わないって事は大したことじゃないだろうと思っていた。
だけど、本当は違ったのかもしれない。その視線の思いを聞くべきだった。語ってくれるように言葉を尽くすべきだったと、優しさに溢れた人生を生きてきて気付いた。
「初恋に浮かれて、お前の話を聞かなかった。お前が三日帰ってこなかった事を変だと思いつつ、何もしなかったのも俺だ。もう、あんな過ちは犯さない。お前の話には必ず耳を傾けるし、ヤバイ時は必ず助ける。ほら、今の俺は王子なんだ。結構権力もあるし、お前に理不尽を言う奴くらいは祓えると思う。だから、俺と一緒に仕事してくれ」
「初恋か……本当に、ちゃんと助けてくれるのか?お前、前世でも俺に言ったんだぞ?『お前の事は必ず助けるから困ったら相談しろ』って。なのに、お前はあの日俺の話を聞かずに部屋を飛び出して行ったじゃないか」
「必ず助けるって言いたいけど、絶対とは言えないかもしれない。あの人に何か有ったら、また多分全て投げ出す」
「なにかあったらって、その初恋の彼女にも出会ったのか?」
「いや、まだ。でも絶対居るから探してる」
コレリック少年が目を見開いて固まった。飴色の瞳が夕日を受けて透き通った琥珀色に色を変えたように見える。生まれ変わってもモテそうな見た目だ。
ジッと見つめ合って数瞬、固まっていたコレリック少年がため息を吐いて呆れたように目を細める。睫毛でできた影で、瞳は飴色に戻った。
「はっ?お前……。そうか、また一緒に仕事してやるよ。だけど、条件がある」
呆れた表情を引き締めて言うから、僕の背筋も伸びる。
「条件?大抵の条件なら問題ないと思うし、俺にできる事ならなんでもする」
「そうじゃない。むしろ何もしないで欲しい。何でも一人で解決しようとしないでくれ。少しは俺の事も頼ってくれよ。お前の考えてること、思ってること俺にも話してくれ。あの時、俺の話も耳に入らない程取り乱していた理由が初恋だったなんて、初めて知ったよ。親友だと思っていたのに、初恋すら知らなかったなんて寂しすぎるじゃないか。もし、お前が前世と同じ関係を望むのならこの誘いは断る。だけどこれはやり直しの人生だから、関係をやり直して前とは違う関係を作ると約束してくれるならその誘いに乗る。もっと俺を頼ってくれて、お前が心を開いてくれるなら、王子さまの付き人って立場も受け入れるよ」
姿は変わっていても、目の前のコレリック少年は俺の親友だった。手を握りしめながら一息に語られた言葉には、少し俺を責める雰囲気も感じられた。少しの責める様な雰囲気が却って俺の気持ちを楽にしてくれた。
「これから、俺が困ったら助けてくれ。宜しく頼む」
僕に都合の良い条件で了承してくれた事に、ホッとして手を差し出すと、ニカッと笑って握り返してくれた。前世で、必ず助けるって宣言した時も、こんな夕焼けの下だった気がする。
大人達が話している所に並んで戻って、コレリックの了解を得られた事を報告した。兄上は良かったねと微笑んでくれているし、メントラータ伯爵もホッとしたような表情をしていた。手続きの話をしましょうと切り出した伯爵の言葉で僕らは応接室に移動した。
応接室の窓から見える木に実が成っているのを見つけた。あの木は柵沿いに植えられていた木だと思う。鳥が啄んだ様な穴が空いているから果実だろうけど。この季節、冬の終わりから春の始めに実る果実ってなんだっけ?
「ユージーン様の従僕候補の教育を依頼してその費用をお渡しするという形でいかがですか?こちらはユージーン様のお誕生日の我儘の延長で、気に入った子を一人、少々高く買い取るという事で予算を立てます」
「普通は連れて行ってそちらで教育をするのではありませんか?それに、余分な収入は困ると先程もお伝えしたかと」
僕が外の木に目を奪われている間に、伯爵と責任者の交渉は始まった。責任者の人の言葉を受けて、僕はコレリックに希望を含めつつ問いかける。
「僕の身分では一緒に働く人にも、品格を要求される。さっき兄上が言っていた通り今の言動じゃあ連れていく事すらできない。だから、ここで教育を受けて欲しいんだけど、できるだけ早く来て欲しいんだ。二月で読み書き、計算、礼儀作法と、何か特技と言えるものを身に付けて欲しいんだけどできそう?」
「私にならできると信じて下さったのですよね?必ず期待にお応えします」
スッと背筋を伸ばし、顔つきまで変えて丁寧な言葉で話始めたコレリックに、僕達以外の三人が目を開いて固まった。猫被りが得意で、沢山の女性を騙してた前世の事を思い出して、笑いそうになるのを堪える。
「さすがコレリック。文字や計算は今までどれぐらい学んだ?腕っぷ……体術はどう?どっちが得意?教師の推薦の参考に教えて」
「殿下の従者に必要なレベルが分からないので、必要な事は全て指導してください。多分体術の方が得意ですが、必要な事は精一杯勉強します」
驚きからいち早く立ち直ったのはメントラータ伯爵だった。さすが年の功と言うべきか、長年の王宮勤めの実力と言うべきか。
「オタータ辺境伯へは私とマーディン様が話を通しますから問題ありません。それよりも教師の選定ですが、孤児院又は商会の伝で依頼できる教師はいますか?」
「伯爵、それこそオタータ辺境伯に、教師の紹介を頼んでみたらどうだろう?」
兄上と伯爵の間で話が進んでいって、十日後くらいからコレリックの勉強が始まる事になった。ふと、兄上と机を並べて勉強したときの気持ちを思い出した。『俺』と同じく録に学校に行かなかった親友もきっと、誰かと勉強するのは楽しいと思うんじゃないか。
「コレリック一人の為に教師を出すのはもったいないなら他の子達も一緒に学んだらどうかな?」
「他の子供も?」
「僕が兄上と勉強してる様に、仲間が居た方が勉強って捗ると思うんだ」
子供らしい笑顔を心がけて言ったのに、了承の返事をした伯爵の表情はひきつっていた。