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僕とソフィーの天曜日

畑の作業を終えて音楽室にやってきた僕の目に真っ先に映ったのは、ピアノの前に佇むソフィーだった。その隣ではジェラルドが必死に話しかけている。ソフィーが困った表情を浮かべているのに、構わずに話しかけ続けるジェラルドに少し苛立つ。確かに本当のソフィーを見ていない事がよくわかる光景だ。


皆が弦楽器や笛の棚を囲み今日の授業で使う楽器を選ぶ中、僕は人気の少ない棚へと向かい、箱型の木製打楽器と足で踏むタイプの金属製の打楽器を手に取った。


「ソフィー、お待たせ」


僕の呼びかけにソフィーだけじゃなく、ジェラルドも振り向いた。僕が手に取った二つの楽器を持ち上げて見せると、ソフィーはホッとしたように肩の力を抜いて、ふわりと笑った。

ジェラルドはソフィーの後から僕を睨みつけている。僕は構わずにソフィーの傍へといき、ピアノの椅子の横に箱形の打楽器を置いた。


ガランゴローンと始業の鐘が鳴り、教師達が教室へと入ってきた。今日は各々が好きな楽器を扱う授業のため、音楽教師が全員揃っている。

僕はソフィーの手を取って、ピアノの前へとエスコートし、それから自分も木製の打楽器に腰かけて足元に金属の打楽器を並べた。自然と教室中が僕らに注目している。教師に目を向けると頷いてくれたので、そのまま演奏を始めよう。


ソフィーに目配せをすれば、ニッコリと笑って鍵盤を柔らかく叩きはじめた。紡がれる単音のメロディーは、いつか僕が思わず口ずさんだ前世で一緒に聞いた曲のサビで、懐かしくて温かな気持ちになる。そこから和音が足されて前世で聞いた曲から形を変えていく。それはまるで、前世からこの世界に僕らが馴染んだ様子を表している様だった。


僕はゆっくりと奏でられる音階を辿りながら、ソフィーの伝えたい事を想像する。この音楽に隠された暗号はまだ分からないけれど、ソフィーに合わせて音を出す事はできそうだと思い箱の側面中央をポンポンと叩きはじめた。


十二小節分が過ぎた頃、ソフィーが奏でる和音に違和感が生まれて、ソフィーが僕にニッコリと笑いかけた。この不協和音が暗号らしい。

不協和音の原因になる音階の番号を並べるけど意味が分からなくて、僕は右足で低音の金を鳴らす。ソフィーは笑いながら同じ演奏を繰り返してくれて、今度は音階番号と拍数で、文字を予測する。

この世界の文字に充てても意味の通る文章にならなくて、もう一度低音の鐘で答えつつ、今度はひらがなに変換する。並べた数字は『らんちにいくの』と読み取れる。僕が左足で高音の鐘を打つとソフィーの目が三日月になった。

新しいメロディーは『じぇりも』と問いかけられて今度は右足で低音の鐘を打った。

ソフィーが奏でる音に僕は鐘でイエス・ノーを答えて、ソフィーもデートを喜んでくれている事を確認した。


「ソフィーさんが作曲したのかしら?面白い演奏でしたわ」


「えぇ、ソフィーさんの和音の使い方と細かい旋律はピアノ奏者として素晴らしい物ですね」


「ユージーン王子も箱の特性をよく把握して、さらに足鐘で補足しながら旋律のように演奏するなんて、素晴らしい技量です」


二人で楽しく演奏を終えると教師がにこやかに評価してくれて、他の生徒たちも拍手を贈ってくれた。カルロとカーラは呆れたような顔をしているけれど。

さりげなくソフィーも僕も細かい技を織り交ぜていたから、純粋に技量も評価してもらえると思っていたけれど、思った以上の評価だ。そんな周囲の反応や評価に水を差す者が居た。


「しかし、曲としては華やかさに欠けていませんでしたか?私ならばもっと華やかに盛り立て、ピアノの音色に似合いの演奏ができます」


バイオリンのような小型の弦楽器を携えて、ジェラルドがやってきた。ソフィーは授業前と同じような表情で僕を見つめる。僕は立ち上がってソフィーの前へ行き、ジェラルドの視線を遮った。

こうして正面で向き合うのは初めてだけど、遠くから見ていた時と同じようにジェラルドは僕を睨みつける。その眼には諦念が滲み、焦りが浮かんでいるようで、幼いころにイピノスの農村で僕に怒鳴ったサラとイメージが重なった。

勝手に落胆してないで、リベリー侯爵令嬢にでも相談してくれたら、良かったのに。


「ユージーン王子、先ほどの不釣り合いな演奏でお分かりになりませんでしたか?ソフィーにふさわしいのは私です。婚約者の居る身でソフィーをたぶらかさないでほしい」


隣国の王子だけあって、堂々とした姿勢と張りのあるよく通る声で僕に言葉をぶつける。けれど、僕に向かうその目も僕を見てはいない。本当に思い込みが激しい人だ。


「ジェラルド、残念だが今の曲は僕以外には演奏できないよ。ソフィーの演奏は文学の課題で僕が書いた暗号文の返事で、その返事が僕の演奏だったんだから。お互いの事を理解していないと成り立たない。ソフィーの事を何も理解してない君に演奏できる分けがないんだ」


足元の床をツン、トン、トン、と踏み鳴らすと、周囲で女子から「きゃぁ」とか「まぁ」とかという声が上がった。


「まぁ、ソフィーの理解だけじゃなくて、君に負けてる事なんて一つもないけどね」


僕は三歩ジェラルドに近付き至近距離で、頭の天辺からつま先までなめる様に見ていく。

サラと違って力を持った生まれなんだから、そんな簡単に諦めてるんじゃねぇよ。心配してくれてるリベリー侯爵令嬢の気持ちを無視してんじゃねぇよ。ソフィーや俺の事を勝手に決めつけてんじゃねぇよ。

前世の中学時代を思い出しながらジェラルドを睨みつけると、ジェラルドの表情が青ざめていた。威嚇しすぎた事に気付いて、三歩下がりながら、いつもの僕に戻す。


「なんなら勝負でもする?もし、何か僕に勝るものを見せてくれたら、君の真の願いをひとつ叶えてあげるよ」


「えっ?」


ほんの数秒で雰囲気の変わった僕に驚いたらしいジェラルドが口をポッカリ開けて間抜けな返事をした。周囲を見回すと皆も似たような表情をしている。


「ユージーン王子、その勝負というのはわたくしも挑んでも宜しいですか?」


皆がポカンとしている最中、カーラがウキウキとした様子で僕の目の前にやってきた。いつかもこんな事が有ったなぁ、なんて思いながらカーラの申し出を了承した。

カーラが当然の様に、皆が挑戦できると勝手に宣言をして、僕はまた了承した所で、今が芸術の授業中だった事に気付いて、先生に謝罪した。


その後はミュティヒェンの笛に合わせて打楽器を演奏したり、カルロと二人で弦楽器を演奏したりして過ごした。ソフィーは気が付くと女子に囲まれて作曲をしている様子だった。

賑やかな音楽の授業の中、ジェラルドだけが一人で笛を吹いていて、何だか悪いことをしたような、申し訳ない気分になった。喧嘩を売ってきたのは彼なのに。


授業を終えた僕は急ぎ馬車で移動して、王都に僕が作ったカフェ、【プドゥチ・メナチ】に来た。今日だけ店員をしてくれるミュゲとイスカに確認するとソフィーはまだ来ていない様だ。

手筈を確認して秘密の部屋に入る。部屋の扉を開けると、木製の四角い質素なテーブルと、それを挟むように木製の椅子が配置されている。部屋は木目調の壁で飾り気がなく、その代わり扉の正面にはさざ波が煌めく海岸が広がっている。


ここは十一歳の誕生日の我が儘で作った部屋だ。絵の上手い孤児を連れてカージェス領へ行き、海の絵を何枚も描かせた。その絵を魔法で壁の大きさに引き伸ばして、さらにゼフの複合魔法をかけてもらって、まるで海を眺めている様に感じる部屋を作った。

ソワソワしながら海を眺め、約束の時間はもうすぐと思った所で扉が開かれ、ピンクの髪を揺らしたソフィーが顔をのぞかせた。


「このお店には随分と凄い仕掛けがあるのですね」


ソフィーは扉から正面の壁を見て、まばたきを繰り返している。そんなソフィーの手を取って席へとエスコートし、案内してきたミュゲに頷いて料理を持ってくる様にお願いした。


「あの時座れなかったテラス席での食事をしたいと思っていたんだ。これは魔術で景色を映している偽物だけど、必ず本物の海の見えるテラス席があるカフェに連れていくから」


ソフィーの向かいに座って、壁に映している海の景色を説明する。これを作った当時は知らなかったけど、沖合を行く船は海賊で乗っているのはマテーヤ先輩の兄だと教えると、ソフィーもすごく驚いてくれた。

ソフィーが落ち着いた頃、ミュゲとイスカが大きめの平皿を持って部屋へと入ってきた。そのお皿に乗っている料理を見たソフィーが声を上げて笑いながら僕を軽く睨む。


「わたくしは結構小食なんですけど?」


「知ってるよ。だから、ほら、よく見てよ」


ソフィーの前に置かれた皿には、ハンバーグ、サラダ、パンが乗っているけれどどれも小さめで、僕の前に置かれた皿には少し大きめのオムライスが乗っている。前世でたった一回デートしたあの日に食べたのと同じメニューを今世の食べ具合に調整した量で出した。


おいしいと言ってくれるソフィーの瞳が三日月に細められて、言葉だけじゃなくて本当に喜んでくれているのだと伝わってきた。僕のオムライスも美味しいよと言えば、一口欲しいと可愛らしくおねだりされる。公式の場でもないしと、貴族らしさなんて投げ捨てて、僕らは一口ずつ食べさせあった。

給仕係として側に控えているミュゲ達が兄上に報告しない事だけを祈っておこう。

食事を終えると、ミュゲとイスカは平皿を下げて、代わりにカートにカップやポット、それからパフェを一つ載せて運んできた。


「本物のパフェ!」


グラスの底に焼き菓子、その上にカットフルーツやクリーム、パン菓子が重ねられて、一番上に飾り切りされたフルーツが飾られたパフェにソフィーの目が輝いた。前世で見たのと同じ様な表情で、スプーンを握りしめパフェを見つめる姿が、すごく可愛い。


「まだ本物とは言えないかもしれないけど、ソフィーと一緒に食べたくて用意したんだ。喜んでくれてよかった。それに、ソフィーから本物って認めてもらえて嬉しいよ」


僕はコーヒーを片手に、嬉しそうにパフェを食べているソフィーを眺める。あの時と同じシュチュエーションにソフィーが笑った。


十一歳の僕、よくやった!ほらソフィーが笑ってくれてるぞと、あの頃の僕に自慢したい。

ソフィーを見つけたら何をしたいのかと、ジェリやコレリックに尋ねられて作ったのがこの部屋とパフェだった。パフェの研究の為にオタータで野山を走り回る子に美味しい実のなる木を教えてもらい、焼き菓子の研究は孤児院に材料を寄付しながら子供たちにしてもらった。どれもこれも今では良い思い出になっている。


ソフィーがパフェを食べ終わった所で、僕は姿勢を正した。


「ねぇ、ソフィー。ソフィーの望みを教えて」


「わたくしの望み?」


雰囲気の変わった僕を見て、ソフィーも背筋を伸ばした。けれど戸惑ったように僕の言葉を復唱して首を傾げた。僕はできるだけ、自分の気持ちが伝わるようにソフィーの瞳を真っすぐに見つめて問いかける。


「ソフィーは将来どうなりたい?ソフィーの望みを聞かせて。メイドとしてどこかのお屋敷で働きたいとか、外交官になって外国に行きたいとか、人の役に立つ商品を見つけて世の中に広めたいとかある?」


ソフィーがどんな暮らしをしていたのか、イザベラ嬢から聞いて知った僕はふと思った。控えめに笑って主張をしない姿がソフィーの本質なんじゃないかって。時々ジェリと暴走しているのはカエさんの気質な気がした。

だから、僕はソフィーの話を聞くべきだと思ったんだけど、僕が重ねた質問にソフィーは悩みこんでしまった。


「ソフィー、俺の話を聞いてくれる?」


『俺』と主語を変えただけで、ソフィーは何の話か気づいて、小さく何度も頷いて同意してくれた。


「俺が好きになった人は、仕事が好きで、後輩の為に熱心な指導をする人で、常にお手本のような姿を見せてる人だった。それだけじゃなくて、嫌われ者な俺にも笑顔を向けてくれる、優しい人でもあった。俺は自分にないお手本のような美しさに憧れていたし、その微笑みに心が安らいだ。

だけど俺は自分が関わる事で、その人に悪意や悪評が向くのが嫌で、遠くから眺めているしかできなかった。

ある日、そのお手本の様な美しさが乱れて、明らかに落ち込んでいる様子を見た。その時俺は人生で初めて心を乱されて、できる事は何でもしたい、支えになりたいと思ったんだ。

だけど、近づくだけで悪評を生む自分は相談に乗る事も、励ますこともできなくて、何もできない自分が許せなかった。いつも姿を見るだけで元気を貰っていた人に何も返せないのが悔しくて情けなくて落ち込んだよ」


「……優しすぎるよ」


小さく呟いたソフィーの金色の瞳は間違いなく僕じゃなくて、俺を見ている。そこから心の視線を僕に戻さないと。呟きには首を振って、俺と僕の気持ちを更に言葉にする。


「落ち込んだ俺を救ってくれたのもまたその人だったよ。何もできないと思ってた俺に、助けを求めてくれたんだ。二人で海に行って、悩みを聞いて、俺の思う事を伝えた。それが俺にできるその時の精一杯だった。俺がその人の助けになったかは知らない。少しでも力になれていたら良いなとは思う。

海に行った帰りにその人は『明日が天曜日になれば良いのに』って俺と二人きりの世界を望んでくれたんだ。

俺が好きになった人はそんな人だったけど、僕が運命を感じた人はソフィーなんだ。あの人と似ているけど違う。こうして、俺に付き合ってくれているけど

ねぇソフィー、あの日カエさんが望んだ天曜日が、どんなものか知っていたら教えてくれないかな?ソフィーもその天曜日を望んでくれている気がしているんだけど、違うのならソフィーの望みも教えてほしいんだ。

俺の意識が残る僕は、大切な人を守りたい、助けたい、支えたいと切実に願っているんだ。この願いを叶えるには、大切な人の望みを知らなきゃいけないと思う。仕事に生きたいのか、都会で贅沢したいのか、田舎でのんびりしたいのか、ソフィーはどんな風に暮らしたい?」


カエさんに言われた言葉を言った所でソフィーは驚いた様な顔をして、金の瞳を潤ませ、僕が好きなのはソフィーだと言った辺りからポロポロと涙を零し始めた。ハンカチで涙を拭ったソフィーは大きく息を吸って真っすぐに僕を見た。


「その人はね、海岸を歩きながら話してるうちに心が軽くなったし、すごく救われてたよ。だからもっと側にいて欲しくて、本当は優しいのに見た目で怖がられ誤解される人が、堂々と好きなことをできる、堂々と一緒に居られる天曜日を望んでたんだよ。わたしもその人と同じ天曜日を望んでたから、もう願いが叶っちゃってるんだよね」


「そっか。じゃあ海のある田舎でのんびりと領主の仕事をしながら、時々パフェを食べる未来を目指して良いかな?」


僕の問いに、ソフィーは笑顔で頷いてくれた。あとは堂々とソフィーと居られるようにジェリとの婚約を解消するだけだな。


次話は28日(木)に、最終話は31日(日)に更新予定。年内で完結の予定です。

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