天曜日の朝
秋が深まり、学園のプラタナスも赤い葉が増え、ハラハラと舞い落ちるようになった。そよ風と言うには冷たい風を感じながら、校門から真っ直ぐと続く道をコレリックと並んで歩く。僕らの前にはジェリとソフィーが楽しそうにお喋りをしながら歩いている。
僕は先日、文学の授業で書いた手紙をソフィーに渡した。暗号でデートのお誘いをしたけれど、読み取って来てくれるだろうか?僕が指定したのは、今日の午後だ。
「ユージーン王子、今日の音楽の授業ですけれど、わたくしとセッションしませんか?」
講堂前の広場までもう少しと言うところで、ソフィーが振り向いて、僕に笑いかけてくれた。ソフィーと目が合ったそれだけで幸せだけど、言われた言葉は僕をもっと舞い上がらせた。
「えっ?セッション?」
「わたくしはピアノを、ユージーン王子は打楽器でいかがですか?」
ソフィーとは音楽の授業でしか一緒にならないから、一緒に学生らしいことをする機会がなかった。音楽の授業でも、お互いの立場と表向きの事情を考慮して、今までは距離をとっていたのだ。それがセッションとは、ソフィーの隣でジェリも笑っているし、何かの計画があるのだろうとは思うけれど。
「うん、それは勿論構わないけど、どの曲を演奏するつもり?」
ふふ、と笑った目が三日月のように細められているのを見て、ソフィー自身も悪戯を企んでいる事に気付いた。これは、あの暗号のお返しって事かな。楽しみにしていよう。
朝イチの作法の授業に出るというソフィーと講堂前の広場で分かれて、講堂の裏へと続く道を進んだ。授業の前に冬野菜達に水と光を与える為に畑へと向かっていると、コレリックとミュティヒェンが揃って教師から呼び出された。こんな朝はきっとあの音が背後から、聞こえてくるはず。
と思ったのに全然あの音は近付いて来なくて、予想外のトコトコトコトコという音が聞こえてきた。思ってもない音に振り向くと、リベリー侯爵令嬢とカーラがやってきた。
ん?カーラ?二人の足元を見るといつも通りの女性らしい靴なんだけど、地面が固まっていて、埋まらずに歩いていた。いや、カーラの足元は防水布のショートブーツか。でも、デザインは女性らしくて、僕の作業用のブーツとは全く印象が違う。スカートと合わせて町中で履いていても違和感がない雰囲気のブーツだ。例の布はこんなにも早く流行っているのかと感心する。
「ごきげんようユージーン王子。ごきげんようお芋さん」
「ユージーン王子、わたしもやっと複合魔法が使えるようになったんです」
僕がカーラの足元を見ているうちに、目の前に来た二人は、それぞれに違う笑顔で僕に挨拶を投げ掛けた。リベリー侯爵令嬢に会うのは夏の休暇以降始めてか。雰囲気が少し変わった気はするけれど、あんまり積極的に話したいとは思わない。
「この地面はカーラが複合魔法で固めたの?」
カーラは頷きながら、僕の目の前の地面に手を向けた。氷の魔力と……えっ?火の魔力?そんな相反する魔力を合わせるなんて、カーラ天才じゃない?いつも通りの様子のリベリー侯爵令嬢は放っておいて、カーラの魔術の話が聞きたい!
「この魔術の詳細はまた次の授業時に、今日はシルビア様のお付きなので」
僕の気持ちを読んだように返事をしながら、カーラは胸の前で指で話を作って見せて一歩下がった。指で輪を作って僕に見せるって事は、リベリー侯爵令嬢はカーラにお金を払ったんだろうけど、一体いくら渡したんだろう?ミュティヒェン達を呼び出した教師も買収してるとしたら、僕と話すためにかなりお金を使ってる気がするけど大丈夫かな。
「ご心配なく。 教師は親族で父の仲間ですから、家のために動いていると思っています。父は未だにわたくしをユージーン王子に縁付けたいと思っている様ですから。それよりユージーン王子、もっときちんと手綱を握っていて下さいませ」
何も言ってないのに、リベリー侯爵令嬢は資金の説明をしてくれた。僕、そんなに分かりやすいかなぁ。それより手綱ってなんだろう。まぁ何となくわかるけど。
「手綱?」
「婚約者と恋人ですわ。特に婚約者の方!夏の間、毎晩わたくの部屋に忍び込んで来ていましたのよ?侵入者を誤魔化すのにどれだけ苦労したかお分かりですか?」
ピシリと閉じた扇で指されて、リベリー侯爵令嬢の怒りを悟った僕は、クルリと二人に背を向けて畑の世話を始めた。畑に手を翳して水魔法を、広く薄く注いでいく。詠唱は必要ないから、畑の芋の蔓の観察をしながら、一応会話を続ける。
「ジェリの手綱なんて僕に握れるワケないよ。握った瞬間に振り回される。ジェリは毎晩、リベリー侯爵令嬢の家で何をしていたの?」
「ジェリーヌ様は、わたくしに文具やら装飾品やらを届けに来られていました。昼は昼で表から屋敷への献上品も届けに来ていましたね。態々髪の色を変えてまで」
ジェリのあの髪の色は確かに目立つからなぁ。代わりに髪の色を変えてしまえば、それだけで別人の様に見えるのも確かだ。まぁ、危険には違いないから、変装して潜入なんて止めて欲しい事ではあるけど。
リベリー侯爵令嬢にこっそり届けていた装飾品ってのは、十中八九魔術道具だろう。一体何の魔術が込められていたかは分からないけれど、ソフィーに渡していた物の様にリベリー侯爵令嬢の身を守る為の物だったと思う。
それよりも文具ってのは一体何だろう。畑の全体に十分な水が届いた事を確認してから、水の魔法を切って、ライトボールを十六個畑の上に投げあげた。
振り向いて文具の詳細を求めると、リベリー侯爵令嬢はうんざりした顔で、深いため息を吐いた。文具はそんなに厄介な物だったんだろうか。僕は近くの木陰をさして、移動しながら話を聞く。
「ええ、何の変哲もない文具、インクと大量の紙束ですわ。わたくしが憂いなく領地経営の 勉強に励めるようにと手配して下さったの。おかげで、先祖代々の手記を暗記してしまいましたわ」
リベリー侯爵令嬢のお勉強は、モルガン侯爵家の一件に関する証拠集めだろう。だけど、犯罪の計画や実行に関わることを手記に残すものだろうか。
「過去から学ぶ事って多いよね。僕も王家の歴史書は書き取りをしながら学んだよ」
「ええ。初代様からお父様、果ては傍係の各家まで、何を大切にしてきた家なのかよく分かりました。わたくしの周囲にはそれを不要と仰られる方が居られるので、家の方針には染まりませんでしたけれど」
ソフィーが見せてくれた、アメリアの母の日記の写しと同じような内容なのだろう。その考えからどうしてモルガン家への攻撃につながるのか、思考が僕には理解できなかったけれど。
「まぁ、理解と納得は別だよね。じゃあ文具は役に立っていたわけだね。それなら装飾品が、気に入らない物だったの?」
「いいえ、とっても気に入って、父と出掛ける時にはいつも着けておりましたわ」
口元はにっこりと形作っているのに、目が全く笑っていない。僕が予想した通り身を守る為の魔術具だとするなら、父親との外出に危険がある事になる。リベリー家はどれだけ不穏な家なのか。一体何の魔術道具だったのか、あとでジェリに詳細を聞く事にしよう。
「ならジェリの行動は、リベリー侯爵令嬢にとって利が有った訳だ。僕が文句を言われる道理はないよね?わざわざカーラを雇ってまで無益な訴えをしにきたの?」
「あら、つい愚痴が長引いてしまい失礼しました。今日は、ユージーン王子にとって、今、一番益になるお話をお持ちしたんですよ」
「僕の益になる話?」
「ええ。ジェラルド様の事です。あの方がユージーン様と敵対してまでソフィー様を求める理由をお教えしますから、対応して下さいませ」
どうやら確かに僕にも益のある話の様だと判断して、畑を見渡せる所にあるベンチに座って話を聞く事にした。一応マナーとしてリベリー侯爵令嬢が座る所にハンカチを敷くと、リベリー侯爵令嬢は一瞬だけ動きを止めて瞠目した。ほんの一瞬の事だったし、すぐにいつもの冷たく見える微笑みを浮かべたから、僕はその表情変化に気付かなかった事にして、人一人分の間を開けて座った。
「ジェラルドはソフィーの事を好きな訳じゃないの?」
「……好きだと思い込んでる、と言うのが正しいでしょうか。ジェラルド様は幻の、偽物のソフィーに恋をしているのです。おそらく真実の姿を見れば心が離れるでしょう」
隣に座るリベリー侯爵令嬢は僕の問いに少しだけ悩んでから、言葉を選ぶように、ゆっくりと答えを返した。僕の方は向かず、畑の上に浮かぶ光の球を眺めながら。いや、実際には記憶の中のジェラルドとソフィーの姿を見つめて居るのだろう。その横顔が少しだけ寂しげに見える。
「ソフィーの真実の姿?」
「ええ、ジェリーヌ様より行動力が有って、はっきりとした意見を持っていて、嬉々としてユージーン王子の敵を陥れる強かな姿ですわ。それと侯爵令嬢という身分での姿ですね」
「なんだか、リベリー侯爵令嬢の思い込みも含まれている気はするけど、確かに、ジェラルドと話すときの控えめな微笑みがソフィーの本来の姿でない事は同意するよ。というか、ジェラルドの本来の身分なら、候爵令嬢の方が都合良いと思うんだけど?」
「いいえ。ジェラルド様は、平民になりたがっているので身分を偽って入学し平民との接点を得ようとしていたのです。ですから貴族のご令嬢では困るのですよ」
「えっ?なんで平民に?王族の方が便利だと思うけど!」
驚いて、少し反応が大きくなった僕にリベリー侯爵令嬢は小さく笑った。水色の髪がフワリと揺れて僕の方に顔が向けられる。
「ユージーン王子だって平民になろうとしていたではありませんか?」
「僕はソフィーの傍に居る為だった。けれどジェラルドは逆なんだろう?」
リベリー候爵令嬢は顔の向きを畑の方に戻して、ジェラルドと出会ってからの事を僕に語って聞かせた。
五歳で隣国へ行って出会った時から、会う度に成長するジェラルドの様子が変わる事を、嬉しげに、寂しげに、普段より少し早口で語っている。遠くを眺めている横顔がイザベラ嬢の事を語るカルロの姿と重なる。
みんな好きな人の話をするときは饒舌になるんだなぁ、なんて微笑ましい気分で聞いていられたのは、最初のうちだけだった。
十歳の時リベリー侯爵令嬢が僕と出会って、僕の話をジェラルドに語った辺りからどうやらこの流れは決まっていた気がする。いや、会ってもいないうちに期待されたって知らないよ。話してもないのに勝手に落胆されても困るって。この話で判ったのは、ジェラルドが思い込みの激しい性格だって事だった。
そろそろ芸術の授業の時間も近づいてるし、話を切り上げよう。
「それで、リベリー侯爵令嬢はジェラルドが好きなの?」
ここまで話を聞いていて間違いないと思うけど、ここは確認しておくべきだろう。ジェラルドが平民になりたい理由は判った所で僕は問いかけた。
「えっ?わたくし?」
「そう。あの時の約束は守るけど、ジェラルド王子妃になりたいの?それともジェラルドという人の奥さんになりたいの?」
「もちろん、どのようなお立場でもジェラルド様を望んでいますわ。初めてお会いした時の王子さまらしい爽やかさも、商人になりたいと言った時の瞳の輝きも、仕事中の真剣な横顔も、全てわたくしをひきつけて離さないのです」
「そっか、じゃあ、シェラナ商会の会頭とつなぎを作っといて、僕にできる限りの事はするから」
ジェラルドをこのまま平民にすることは簡単だけど、ジェラルドはまだ未成年で親がいるし、身分もある。留学は許してもその後は家元での仕事があるかもしれない。保護者への連絡は必須だろう。
「シェラナ商会と、ですか?」
「うん。国際問題にならないように根回しもしなきゃいけないでしょう?あぁ、それから、リベリー侯爵令嬢も、もっとジェラルドを惹き付ける努力をしておいて。さっき僕に語ってくれた思いは言葉や贈り物で表現をした方が良い。表現しなければ何も伝わらないよ」
「ジェラルド様への思いですか……」
僕の助言に、視線を落としたリベリー侯爵令嬢の肩をカーラが叩いた。それから僕の首もとを手のひらで指す。
「言葉にするのが難しければ、贈り物でも良いと思いますよ。ユージーン王子も素敵な贈り物で仲を深めたそうですし」
カーラが指した先では、ピンクのカットガラスがキラリと光った、




