穏やかな日常
「ユージーン王子、本日からこちらの制服を着用して下さい」
コレリックはそう言いながら、絹とは明らかに違う素材の制服を広げて見せた。麻や綿とも違う。細かい布目だけど光沢がなくて庶民的な雰囲気に見える。
「学園に通う生徒の見た目で身分差が分からないようにして、平等な学びが得られるようにしたい上に、フィルデンテの技術を流行させたいのでしょう?」
ドヤァっといわんばかりの笑顔でコレリックは黒の上着を広げている。後ろのラックに掛かっているシャツとズボンも、光沢のない物に変わっている。
「えっと、これは新しい布?」
「はい、こちらは防寒防暑の布でございます。季節の変わり目にも快適に過ごせる衣装になっているはずです。先日のフィルデンテ滞在中に仕立てておきました。ついでに、何人かの友人に売り込んでいるのでお一人だけ、この素材の制服を着用するという事態にはなりません」
具体的に売り込んだ先の名前を挙げてもらって驚いた。コレリックやミュティヒェンは勿論、兄上も同じ物を着るらしい。それから僕と親しい友人やその婚約者も。
兄上も着るというのは、モルガン家についての報告を聞いた両親の意向らしい。南部地域に対して含む所はないと見せる意図と、悪意の持ち主達への牽制も含むそうだ。
「コレリックが優秀で本当に嬉しいよ」
「私がただ防水布の帽子や傘だけを作らせる程度の無能だとお思いですか?大切なユージーン王子の為の物も当然作るに決まっているではありませんか」
夏期休暇が終わって学園が始まった。学園の門から講堂までの真っすぐな道に立ち並ぶプラタナスの葉が黄色くなりだして、カサカサと乾いた音を立てている。僕は夏期休暇の前と違って大勢の友人に囲まれながら 通学するようになった。その中には当然にソフィーも居るのが嬉しい。
講堂裏の畑に、夏期休暇前に植えておいた芋類が育っていて、今度皆で孤児院に配りに行こうなんて話ながらプラタナス並木の道を歩いていく。ここの並木が栗や銀杏じゃなくて良かったなんてこぼしたら、コレリックは呆れたけれど、ソフィーは笑ってくれた。
「ユージーン様!ミュティヒェン様!おはようございます!」
講堂前の広場で、寮暮らしのジャックとカーラが大きく手を振りながら、僕らの名前を呼んだ。呼んだ名前がミュティヒェンなのは、二人はこの夏期休暇の間にミュティヒェンとかなり仲良くなったからだ。
ミュティヒェンが二人の大声に嫌そうな顔をしているのが仲の良さを象徴していると思う。気を許していない相手には笑顔しか見せないのがミュティヒェンだから間違いない。
「ミュティヒェン、気を抜きすぎ。その顔で対応するとカーラとジャックが不敬を働いている様に見えて、この制服が台無しになっちゃう」
コレリックに注意されたミュティヒェンはいつもの笑顔を張り付けて、カーラに挨拶を返した。なんでジャックには挨拶を返さないのか。
「ユージーン様、私にも複合魔法を教えて下さい」
「えっ?」
ジャックの突然のお願いにビックリして言葉につまった。
「あの村の皆から言われたのです。貴族なのにユージーン王子と同じ魔法使えないのかと。悔しいので、ユージーン王子とは違う複合魔法を開発したいんですけど、まずは基礎を知らないといけないと思ったのです」
ガラガラガラガラ
予鈴が鳴って、僕らは校舎へと急ぎ足を進める。僕はともかく他の仲間は運動や
魔術などの実技授業で準備の必要な子もいる。皆、競歩選手の様に歩いて喋る余裕もない。
「ジャック、また魔術の授業の時に詳しく話そう!」
ギリギリ間に合った算術の授業。僕の斜め前の席の子が当てられて、今日も間違った答えを言っている。ノートにはちゃんと正解が書いてあるのが見えて、カルロが言ってた子だと気付いた。できない振りは将来を挟めるだけなんだけど。
「君、やる気あるの?これくらいの割り算、僕が育った孤児院の、学園に通わない子でもできるよ」
突然コレリックが、すぐまえの答えを間違った少年をつついて、馬鹿にするような発言をした。たぶん態と周囲に聞こえるように言った台詞で、教室内がザワつきだす。
頷く者、笑う物、顔を青ざめさせる者、批難の視線をコレリックに向ける者、色々な反応だ。
きっと僕の心を読んで、この子が改心するように発破をかけて、ついでに周りにも向けた言葉だったんだろうけど、やることが派手すぎないかな?
「コレリック、授業中の私語は慎みなさい。では、次の問題をネイサン答えて」
パンチパーマの様な髪型の教師は、コレリックに注意をしてから、クスクスと笑っていた生徒を指した。
彼、笑ってたけど、夏期休暇前の試験で笑えない様な点数だったよな。と思ったら案の定答えられず、次は孤児院から奨学金を借りて通ってきている優秀な女子生徒が当てられた。
当然の顔で答えている彼女は、ジェリがオタータの財務官に勧誘していたし、義姉上も側近に勧誘していた。
僕の斜め前で項垂れる彼には、是非彼女の姿を見習って欲しいと思う。
午後一つめの授業は文学。既に数ヵ月はお世話になっている、女性教師の顔を見て「おやっ?」と思った。既視感というか、目の印象が知っている人に似ている気がする。
「本日は、少し遊び心を持って学びましょう。暗馬を含む手紙を書いて下さい。本当に出すつもりで書くのですよ」
いたずらめいた課題を告げた時に、キラキラと僕らを見渡す目で気付いた。イザベラに似ているんだ。この教師が噂のイザベラの大伯母様?にしては若すぎる気もする。次の授業で一緒になるマティーヤ先輩に聞いてみよう。
「当たり障りのない文章に、本来伝えたい内容と、それを解読する為の鍵を書くんですよ。不自然にならないように、日頃の手紙と文体を変えずに書くのコツです」
説明を聞いて、いつも受け取る手紙が分かりにくい理由に気付いた。そうか、あの回りくどい文章は、暗号にした時に不自然にならないようにするためのものだったのか。普段から装飾的な言葉を並べておけば、確かにどんな言葉を書いても不自然ではないか。
「この手紙の想定する相手は、商売仲間への密約や、友人へ対する日常の愚痴でも、恋人や婚約者への愛の囁きでも構いませんよ」
恋人へ、と言われて自然に窓の外へと視線が向く。偶然に校舎見上げたソフィーと目が合って微笑み合う。ソフィーへの手紙を課題として提出するなら、ジェリへの手紙を装う必要もあるわけか。どんな暗号を使おうか。それとも、紙やインクに仕掛けをしようか。
「ユージーン、ユージーン・ヴィモルーティス?授業を聞いている事は態度で示して下さいと以前も申し上げたと思うのですが?」
「申し訳ありません。愛しい人への手紙に使う暗号は風流な物が良いと思ったので、空の雲や、校舎を囲む木々にヒントがないか探しておりました」
教師への言い訳を述べつつ、空の雲や運動場に生える木々に目を向けると、ソフィーに話しかけている黒髪頭の彼が視界に入った。
内緒の手紙は僕からよりソフィーから書いて欲しい。あのジェラルドと何を話して、何を思ったのか報告してくれないだろうか。
「言葉の言い訳は完璧ですが、集中していない、授業外の事を考えているのが丸分かりな態度は頂けませんね。一度作法の授業にも参加する事をお勧めしておきます」
隣でコレリックが、少し離れた席でジェリが頷いている。
カルロの様子も見たいし、今度作法の授業にも参加してみようかな。
暗号の手紙は次回までの課題とされて、文学の授業を終えると、僕は急いで教室を移動した。実技棟地下の端の部屋。テーブルが一つだけのあとは広々とした部屋に、僕が入ると、先輩三人と老齢の教師が一人、待ち構える様に立っていた。授業に遅刻したわけではないとおもうんだけど。
ガランゴローンガランゴローン
始業の鐘が鳴って、僕が遅刻じゃないと、安心した所で、ジャックが朝と同じ台詞を言った。
「複合魔法は確かにイピノスの特産を作るには便利な魔法だと思うけど、なんで僕に聞くの?先生に習うものじゃないの?」
「ユージーン王子、複合魔法なんてものは、普通の人間には使えません。私は過去に赤毛で筋骨隆々な男が使っていたのを見たことは有りますがね」
気になったことは一つづつ聞こうと思って、尋ねると返事は教師から反ってきた。赤毛で筋骨隆々な男って、多分僕の師匠の事なんだろうけど、他の人は使わないのかな?
「そうなの?ゼフは当たり前のように使っていたけど?」
「そのゼフ以外に複合魔法を使う者を見た事がありますか?」
そう言えばないなぁ。同時に何種類かの魔法を父上は操るけど、混ぜるなんて事はしてなかった。
「僕が教えるのは、そりゃ構わないけど、僕も魔術具の研究がしたいから、魔術式や魔術語の基礎を学びたいんだ。しかも研究の成果は結構急ぎで出したい」
「そちらは、私にお任せください。王子は優秀ですからきっとすぐに覚えられますでしょうし、その成果を出すための協力は惜しみませんよ」
「マティーヤ先輩?魔術具に詳しいのですか?」
「おや?ご存じないのですか?コーヒーポットを作り、温風の魔術具を小型化したのは、このマティーヤですよ」
ニコニコと僕を見ている先輩と、ナゼか前のめりに話す教師の姿に混乱する。八年前にはコーヒーポットは有ったけれど、その時マティーヤ先輩って何歳?
「え?先輩、何歳の時にコーヒーポットを作ったの?むしろそれまでは、コーヒーはどうやって飲んでたの?」
笑いながら、三歳でコーヒーポットを発明したと聞いて、一瞬転生者を疑ったけれど、始めて会ったときに何も感じなかったし、本物の天才かもしれない。
始めて会ったときに、不遇の四男と呼ばれた理由が、マティーヤの発明品で、兄たちが自由に目覚めて家を出たために、一番自由な筈の四男が家に縛られた事を、先生が嘆いているのだと言われて、少し納得する。
長男は森でコーヒー苅り、次男は町で宗教家、三男は海で海賊。海賊って……
色々聞きたいマティーヤの家庭環境は今度じっくり聞く事にして、僕はモルガン侯爵から預かった例のスカーフ留めの話をした。
「ユージーン王子の伝手を利用させて頂ければ、いくらでも魔術具は作れますから、コレの複製品もおそらくすぐに作れるでしょう」
「僕の伝?」
「フィルデンテです。から地の山で持れる鉱石と、イピノス南部からうちの北部にかけての地域に、生息する植物を使う事で、理論上は、どんな魔術にも適応できる道具ができるようになるんです。私も一度作ってみたかったですし、協力は惜しみませんよ」
複合魔法の研究も魔術具の解明に役に立つと教師からの助言もあって、僕らは秋の間、複合魔法と魔術具作成に励む事になった。
カーラが、魔術語の習得に少しだけ文句を言っていたけれど。
次回10月7日(土) 昼頃
次次回 10月9日(月・祝)昼頃
次次回10月12日(木)夜
ストック切れにつき来週は更新頻度を一回減らします。もうしわけありません。




