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『俺』と『彼女』のあの日

一旦席にと促されて、座って室内を見回せば、モルガン邸の応接室が、先日より華やかに見える理由は女性が三人も居るというだけではないと気付いた。カーテンの色がパステルカラーになっているし、棚に飾られた花瓶に挿されている花も、母上が好みそうな大ぶりで華やかな物に変わっている。


「侯爵、随分と屋敷の様子が変わっていますが、何か心情の変化がありましたか?」


「それはもちろん、可愛くて優秀な娘ができたからね。本当にソフィーと縁ができたことは、僥倖ですよ」


僕の正面で隣同士に座るソフィーとモルガン侯爵は、髪の色も似てるし佇む雰囲気も似てるから、並んで居ると親子だと言われれば納得してしまう。僕と問答をしながらも、時々目配せをして通じ合う様子も有って、一層本当の親子の様に見えてしまう。僕は、八年も探して一言しか交わせていないのに。


「モルガン侯爵、フィルデンテでの成果も見て頂きたいので、場所を屋外に移したいしたいのですが、宜しいですか?」


お茶の手配を始めようと使用人達が動き出そうという所で、コレリックが声をかけた。


「あぁ、そうだったね。折角だから久し振りに北の庭を開けよう」


北の庭と侯爵が言った瞬間、執事やメイド達が一斉に息を飲んだ。


「旦那様、北の庭でございますか?」


「ずっと君が、手入れはしていたんだろう?ピエールの仕事を若い子達に見せてあげよう。私も、ソフィーやこの子達と一緒なら行けると思うんだ」


執事の確認の言葉に対し、にこやかに候爵が答えれば、年齢のメイドが目を潤ませながら部屋を出て行った。「案内するよ」と侯爵が言うのを、コレリックが慌てて止めた。


「申し訳ありませんが、ユージーン王子にはソフィー嬢と話し合う時間が必要でございます。仕用人を一人扉の前に残して、二人の話し合い後に連れて来てもらう事はできませんか?二人が来る迄に、私達四人で王子を持て成す仕度も致したいのです」


「あぁ、そうだったね。扉の前にはアンを置いて行こう。アンはソフィーを大切にしているから、変な物音が聞こえれば、ユージーン殿下でも容赦はないだろうからね」


「えっ?」


まるで既に話ができている様な侯爵の物言いに驚いていると、ジェリがクスクスと笑いだすし、侯爵も何やらジェリと頷き合っている。けれど、ソフィーは困惑した顔で二人の顔を見比べている。


「あの……ジェリーヌ様?」


「ソフィー、殿下は何年も前から、君の事を探していたらしいよ。ソフィーは殿下の事をどう思う?」


「第一王子殿下に隠れがちですが、立派な方だと聞いています。それに、きっとお優しい方なのだろうなとは思います」


ほとんど話した事のないソフィーに優しいと言われて、前世に海辺で言われた言葉が重なった。ソフィーがカエさんなら、きっと僕の畑を見て気づいてくれているはず。休暇に入る前に収穫した、大きくてゴツゴツとしたゴーヤの姿を、ソフィーも見ていてくれたのだろうか。


「ソフィー嬢は、どうして私を優しいと思ってくれたの?その理由は学園で育てている植物?」


「ユージーン王子、ゆっくりとこの何年分のお気持ちを話してきてください」


モルガン侯爵とコレリックのありがたい取り図らいで、僕とソフィーは応接室のテーブルを挟んで向かい合う事ができた。アンと呼ばれたメイドに室内で立ち合っていても構わないと伝えたけれど、ソフィーが二人で話したいと言い、アンを部屋の外に待機させた。ソフィーがそう望んだのなら、きっと前世の話をしたいという事だろう。


いつも通りの綺麗な姿勢で座るソフィーの後ろにあの海の絵が有って、海を背に『俺』を“良い人”だと言ったあの人と向かい合っている様な錯覚を起こしてしまう。


「……カエさん」


「本当に、マサルさんなんですね?」


下がり気味の目尻を更に下げて笑う表情が、前世で初めて言葉を交わした日と同じだ。小さな丸い鼻先も、口元のえくぼも、全てカエさんに見えてくる。ソフィーはソフィーとして今を生きてるのに、前世のままと言ったら嫌がるだろうか。学園で会う時にはキッチリとまとめられている髪を今日は下ろしていて、首を傾げた時にサラリと揺れた。


「えっと、何か困っている事ない?ジュリに無茶を言われているとか、僕、今ならそれなりに力を持ってるから話しを聞くだけじゃなくて、助けてあげられると思うんだ」


何から話を聞くべきか分からなくなって、前世で始めて言葉を交わした時と同じ台詞を言ってみた。ソフィーは小さく笑って首を降った。薄ピンクの髪が肩口で揺れる。


「今だけは、カエとして話をする事を許してくれますか?きっとユージーン王子にとっては忘れたい事でしょうけど、あの日言えなかったお礼を言わせて下さい」


「カエさんと過ごしたあの一日を、いやあの三年間の毎朝の数十秒を忘れた日なんてないよ。録でもない男の、つまらない生涯の、幸せな時間は全てカエさんがくれたものじゃないか。お礼を言うのは俺の方だよ」


「マサルさんはいつも、力がない、助けられないって言ってたけれど、私は何度も助けてもらってたんです。きっと自然な事過ぎて覚えてないんでしょうけど」


僕を見ていた、ソフィーの金色の瞳がどこか遠くを向いて伏せられる。口許は微笑んでいるように見えるけれど、寂しそうな視線に僕の胸がズキリと痛んだ。


「俺がカエさんを助けてた?」


「一番最初は私が三歳、マサルくんが五歳の頃だったかな。お兄ちゃんが私の髪を切ろうとしたのを止めてくれたり、お気に入りの縫いぐるみを引きちぎろうとするのを止めて取り上げて、私に返してくれた。そういう時はいつも「泣かないで」って頭をなでてくれて、私を励ましてくれてたよね」


言われて、呼び起こされる記憶は、親友がいつも女の子を泣かせていた頃。笑いながら、泣きそうな女の子を見てる親友に、母親を殴る父の姿が重なって、俺は親友に親父みたいにはなってほしくなくて必死に止めていた。あの時親友が泣かせていた女の子の顔は……


「それから、近所の公園でミィちゃんにごはんあげてくれた」


僕が必死に記憶を探っている間にも、カエさんは話を続ける。視線は僕の後ろ、を漂っていて、きっと記憶の中のマサルを見ているのだろう。


「ミイちゃん?」


「白黒のぶち猫。私は撫でるしかできなかったのにマサル君は、お家からご飯を持って来てあげてて、優しいなあって思った」


大怪我をした母親を見ながらご飯を食べるのが嫌で、食パンを持って公園に言って食事を済ませていた頃だ。あの時の猫か。一週間くらい一緒にご飯食べてたら、猫を虐待してるって通報されたな。そうか、あの頃からカエさんは、俺を俺として見ててくれたのか。


「それから私が中二の頃、公園で部活の練習を、テニスの素振りをしてたら、いつも見ててくれたでしょ?応援されてる気がして頑張れた」


カエさんが中二の頃って事は、俺は少年院を出て家を飛び出した頃か。確かに公園に居る事が多かったかも……あ、あの子か。真剣にラケットを振る姿が眩しくて、羨ましくて見てた。ひたむきに努力できる事が凄いと思っていた。


「あと高一の時。高校に入ってすぐの頃。友達になったばかりの子の誘いを断り切れなくて、連れて行かれたクラブに入る手前で、追い返してくれたでしょう?」


「あ、それはカエさんの兄貴の仕業だ。珍しく、アイツに頼まれたんだよ。『あんな真面目そうな子、こんな所で俺らみたいな暗い道を進ませちゃいけない』って。俺の顔怖かったから、俺が脅せば帰る筈だって言って、やらされたんだ」


あの時の親友の切羽詰まった顔には驚いたから、よく覚えてる。確かにあの時の真面目そうな女子高生は、離れぎみのたれ目に、真っ直ぐな眉で、薄い唇をキュっと結んだ綺麗な子だった。


言われてみると俺と力エさんは何度も会っていて、カエさんはいつも俺を見ていてくれた。犯罪者の子ではなくて、一人の人として見ててくれたのだと気付く。


「やっぱりお礼を言うのは俺だな。俺を見ていてくれて、笑いかけてくれて、返事をしてくれて、名前を呼んでくれて、それから俺の好物を知っていてくれてありがとう」


あの日ドライブに出掛けたときに、俺の好きな缶コーヒーとツナサンドを渡してくれたり、タバコがマルボロが似合うって言ってくれたり、一口くれたパフェがバナナアイスを避けた所だったのは、俺の事を知っててくれたからなのかと、腑に落ちた。俺が始めて声を掛けた日の驚いた顔も、警察を追い返してくれたのも、俺を知っててくれたからこそ。覚えてなかった自分が情けない。


「お礼を言われる事なんてないよ。マサルくん、死んじゃったの私のせいでしょう?」


「えっ?そんな事ないよ。俺は悪い事をたくさんしてたから、仕方なかったんだ。」


「仕方なくない。私が関わる度にマサルくんどんどんひとりぼっちになった。お兄ちゃんの世話する為に他のおともだちがいなくなって、優しいんだって知ってほしくてミィちゃんと居る事を周りに話したら警察を呼ばれて、わたしのせいでマサルくんをひとりぼっちにした。静かに隠れて暮らしてたのに、私のために外出なんかしたから、殺されちゃったんでしょう?」


あの日海辺で話したカエさんは案外に思い込み気質で、真面目で、少し融通の効かない所が有った。俺が何と言っても、きっと考えは変わらないだろうと思う。少し狡いかもしれないけれど、その罪悪感を利用させてもらおうかな。


「俺はあの日、人生で一番幸せだったし、録でもない人生を終えられる事にホッとした。それで、もし生まれ変われるなら、カエさんと穏やかに生きたいと思ったんだ。俺はこうして生まれ変わったんだけど、俺の願い事は叶うかな?もし、カエさんがマサルに対して申し訳ないと思っているのなら、ソフィーとして僕の願いを叶えてくれる?」


「ユージン王子殿下の願い?」


遠くを見ていた視線が戻ってきて、金色の瞳に僕の姿をはっきりと映してくれた。僕は気持ちが伝わるように、真っ直ぐに見つめ返す。


「そう、俺はユージーンで、カエさんはソフィーになった。僕、ユージーンとしてはソフィーという人と新しい関係を作りたい。遠くから見るだけじゃない。手の届く距離で話し合い、笑い合う関係、できれば恋人という関係になりたい。ソフィーとしての気持ちで答えて」


「ソフィーとして……ソフィーと王子という立場では」


立場と言いながら目を伏せるソフィーに、僕は勝利を感じた。諦めを載せた表情を浮かべるという事は、僕と恋人になる事を望むけれど諦めるという事だろう。


「立場はどうにでもする。平民になっても生きていけるようにカフェのオーナーとしてお金も稼いでる。フィルデンテの職人に弟子入りして平民として暮らしても良い。モルガン侯爵令嬢ソフィーが王子妃としてユージーンの所にお嫁に来てくれても良いし、僕がここに婿入りしても良い。僕としては、ここに婿入りしてソフィーと海を眺めながら暮らせたら一番幸せだけれど」


畳み掛ける様に告げる僕とまた視線を合わせてくれるけれど、まだ瞳が潤んで揺れている。


「ジェリーヌ様とご婚約されているのですよね?」


「ジェリは全て知っているし、僕じゃなくてコレリックに惚れているんだ。だから、学園を卒業するまでにコレリックに貴族の身分を与えて、僕はジェリを手酷く振って阿呆な王子として王家を追放されて、君を追いかける計画だったんだよ」


僕はまっすぐにソフィーを見つめながら、ゆっくりと話した。それから、フィルデンテで用意したネックレス二本を取り出して見せる。

カルロのペンダントを見て思い付いて、大慌てでお願いをした物だ。淡いピンクのペンダントヘッドを僕が持ち、オレンジに近い黄色のペンダントヘッドをソフィーに渡す。


「お互いの色を身に付けて、いつでも傍にいる気持ちで過ごしてくれる?」


「わたくしも、ユージーン王子と幸せな家庭が持ちたいです。 決して浮気をしない旦那様と、子ども達に期待をかけすぎず、子供に役割を押し付けず、家族皆が笑い合える家庭で過ごしたいです」


ソフィーとして、どう過ごしてきたのかとか、この夏に何をしていたのかも聞こうとしたら、それは皆の居るところで話す方が良いとソフィーが言うので、皆に合流する事にした。ソフィーがベルを鳴らすとアンと呼ばれていたメイドが静かに入って来て、ソフィーの顔を見た瞬間に破顔した。


「お嬢様にとって、本当に大切なお話ができたんですね?」


「えっ?」


「だってお嬢様、表情というか、瞳がいつもと違います。いつも候爵にも、私達にもお優しくして下さりますけど、遠慮がちで素直な気持ちを出していない感じだったじゃありませんか。アンは心配しかできないのが悔しかったんですよぉ」


笑いながら泣き出したメイドの目元にハンカチを当てながらソフィーが微笑む。アンが本当にソフィーを大切にしているのが伝わってきて、僕も嬉しくなる。


泣き止んで落ち着いたアンに先導されて応接室を出ると、庭へ向かう筈なのに屋敷の奥へと進み階段を昇りだした。廊下を何回か曲がってまた階段を昇った先で、アンが聞けてくれた扉の中に入ると、潮の香りがした。眩しくて視線を下に向ければ、目の前でカルロが正座をしている。一体何が起きているんだ。


「カルロ様は、またイザベラ様の肖像画で何かを作られたのですね」


ソフィーは呆れた口調で呟いて、カルロの前を素通りしていく。カルロは石畳で整備された小径に正座させられていて、かなり足が痛そうなんだけど。


眩しさに慣れ辺りを見回すと、生け垣の向こう側で、太陽が水平線に沈もうとしている。白いブロックで区切られた所だけに花が植えられていて、背の高い木は生えていない開放的な庭だ。

生け垣に近い所ではパラソルを立てて、金属の箱の中で炊き火をしていて、その横のテーブルには海鮮やカット済みの野菜が並べられている。

コレリックとジュリはパラソルから少し離れた所で別の炊き火をしながら侯爵と談笑しているようだ。


「ユージーン様、カルロの事は放っておいてこちらに来て下さい」


コレリックに呼びかけられ、ソフィーに手招きをされるけど、カルロは一体何をしてるんだろう?


「ユージーン様行って下さい。イザベラの許しが出る前に動いたら、僕は結婚してもらえなくなるので。それにユージーン様がここで立ち止まられると、僕の罰が長くなりますから」


カルロにも促されて皆の居る所へ行くと、眼下に領都の街並み、その向こうに砂浜と海岸の景色が広がって、海岸から向こうがあの絵の景色と重なった。


「ユージーン王子が美しいと言って下さった景色ですよ。この庭は妻が絵を描くための庭だったんです。ここに来ると妻や子供達を思い出して、後悔ばかりだったのですが、ジェリーヌ嬢やソフィーのお陰でまた私もこの景色を美しいと思えそうです」


静かに語りかけてくれるけれど、侯爵の瞳には力がみなぎっている様に見えた。


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