学友の家
モルガン領から海岸沿いの道を東へと進んで行く。馬車の進行方向右手には、穏やかな波間に太陽が煌めきを作る景色が広がる。真っ青な空に白い雲がフワフワと浮かんで、心を宥めてくれる。
あの人と見た海も、こういう風な明るくて穏やか景色だった。空の高いところをピーヨロロと甲高い鳴き声を響かせながら島が飛んでいく。
「そんなに海がお好きでしたか?」
じっと外を見ていたらコレリックの声が聞こえて、僕はゆっくりと振り向いた。コレリックは真顔で僕を見つめている。
「ん?そうだね。海を見ると、波音を聞いていると、不思議と心が鎮まるんだ」
「心が鎮まる?」
小さな声でおうむ返しに問われて、僕は薄くなった前世の記憶を引っ張り出した。髪を切ったあの人を見たときの心のざわめきと、無意識に海へ向かった焦りと、海を見た後の心の落ち着きを思うままに語る。
「うん、諦めがついたり、考え纏まったり。……どうでも良くなったり」
「それは、良い事なのでょうか?」
「どうだろ。必要な事だったと思うよ。ところでコレリック、フィルデンテ領までは、どのくらいで着くの?」
前世を匂わせるような話をわざわざしたのは、珍しく二人きりの空間になっているからだと、気がついた。馬車の外にはランティスとサイノスが付いてきているけれど、窓を閉めてしまえば、こちらの会話は聞こえないだろう。
「夕暮れ前には領主邸へ到着できる予定です」
コレリックの返事を聞いて、僕は窓を閉めた。聞くのは今しかない。
「時間もあるようだし、『俺』の疑問に答えてくれるか?お前、あの人を知ってたのか?」
はぁ、と態とらしいため息をはいてから、僕を見た。親友だった頃の様に肩を竦めて首を降る仕草に少し苛立った。
「知ってるもなにも妹だよ。これ以上は本人から聞いて。勝手に喋ったら、多分すげぇ怒られるから」
『親友』の妹、と言われても、思い当たる人物がいない。本当はもっと聞きたいけれど、これ以上は答えてくれない事はわかる。僕の意識に戻してもう一つの疑問をぶつける事にした。
「じゃあ、僕として聞くよ。一体いつからソフィーと知り合いだったの?ジェリと一緒に何を企んでるの?」
「詳しい話は聞いていません。けれど、イザベラ嬢の紹介でソフィーとジェリは知り合ったらしくて、今の状況は、ほとんどがソフィーの計画だそうです」
「ソフィーの計画?」
「時期が来たら、ソフィー自身が話してくれる筈ですから。今は大人しくジェリの言う事を聞いていて下さい。ここから僅かの時間ですが、観光気分で楽しんで頂いてかまいませんから」
コレリックの言葉と同時に馬車が止まり、扉をノックされた。窓を開けて前方を覗き見ると、領境の検問所のようだ。検問所で止められても馭者や護衛との問答だけで今までは済んでいたのに、なんだろう?
サイノスの声が聞こえて、コレリックが返事をすると、扉が開かれて見知った顔が乗ってきた。
紫色の髪がワッサワッサと揺れるフィルデンテ伯爵令息のカルロだ。髪を整えれば男前なのに、イザベラ嬢に言われて、ボサボサ頭で過ごしているカルロが、顔にかかった髪をかきあげて、満面の笑みを見せた。
「ようこそフィルデンテへ!将来のかかあ天下同盟として仲良くやりましょう」
十歳で初対面した時の、穏やかで礼儀正しいカルロはどこへ行ったのか。今やコレリックの次に僕に意見を言う人物になっている。それから、『かかあ天下同盟』ってなに?誰がそんな言葉を教えたの?
芸術の授業で陽気な音楽ばかりを奏でて、イザベラ嬢といつもベッタリで、文学の授業は眠りがちで、作法の授業は笑顔で全てを誤魔化す、学園で会うままのカルロらしい姿に思わず笑ってしまう。コレリックも笑いながら、カルロを僕の隣に座らせてた。
「カルロ、案内頼むよ」
ガタガタとフィルデンテ領の道を馬車で揺られている。検問所以降、大きく響くようになった車輪の音と、揺れの激しさに思わず顔を顰めた。
「カルロ、発明家と技術者の多い領地だって聞いていたんだけど?」
「ああ、はい。そうですね。最近は発明家がいなくて困ってますけど」
発明家には、二つのタイプがいると思う。手当たり次第に関連性のない物を次々に作る人と、一つの物を研究して発展させていく人。僕の考えでは、後者の方が成功例が多い気がする。けれど、何となく予感だけど、フィルデンテの発明家は前者なんじゃないかと思う。
「発明って新しい物を作るばかりじゃないと思うんだよね。この道だって、まだまだ開発の余地がある。建築関係の発明家とか、石材加工の発明家とかいないの?せめてジェウェニーやモルガンの道を見習ったら?」
「えっ?道を開発ってどういう事ですか?」
僕の言葉に、カルロは首をかしげた。僕と同じ水苔色の瞳を瞬かせて、ポカンとした表情をしている。
「ジェウェニーやモルガン、王都の中心部を馬車で走っても、こんなに揺れないでしょ?土の固め方とか、石畳の組み方、砂利の粒の大きさなんかで、変わるんだよ。馬車が揺れない道の開発したらどうかって話」
「あー、こんな田舎で馬車の様れを気にするような上品な人は居ないからさ」
「ユージーン王子、その話は伯爵も混じえて話す方が宜しいかと。今は寛ぎながら、カルロに街を紹介してもらいましょう」
コレリックが僕の言葉を制しながら窓の外をご覧くださいとばかりに示した。目を向けると窓の外には、赤や青や黄色の目に染みる建物が並ぶ町並みが広がっていた。
「ここは繊維街です。元は麻や綿の布を作っていました。今から百年ほど前に、とある職人が、子供がイタズラに差し出した虫が糸を吐き出す様子を見て、絹織物を発明して栄えました。今では国中で生産されていますが、絹は我が領地が発祥なんですよ」
ドヤァという笑顔で説明されて、思わずシャツの襟を触りながら外に目を向ける。町並みは鮮やかだけれど、絹の様な上品な感じはしない。職人さんが上品だったらそれはそれでおかしい気もするけど。
「最近は水を弾く布の発明に、職人たちは夢中らしいです。最近っていうのが、数十年の事なんですけどね。どこの家も外壁に、新しい布で作った飾りをつけて、水が染みないか実験中なんですよ」
カルロの話を聞きながら目を凝らすと、確かに建物自体が鮮やかな訳ではなく、軒先に吊るされた布や、掲げられた看板の鮮やかさだった。水を弾く布と言われて興味が出たのか、コレリックも向かいの席で窓を覗き込んでいた。
しばらくすると、突然に草原が広がった。道の両側に草原その向こうには林があるようにも見える。
「ここは、先程の繊維街で加工する材料の生産地なんです。この先は食料生産の農地が広がって、農地から放射状に、各職人の街や集落があるのが我が領の特徴なんですよ」
領地面積は狭いけれど、平地だからこそできる街の広げ方だろう。都市計画を立てて領地整備をしたとしたら、力のある領主だったのだと思う。
草原も農地も人工的に作られた物故、よく見知った植物が繁っていた。草原や農地の景色を見ながら、学園の噂話を話ながら過ごした。しばらく経って、農地を抜けた先に見えてきた街は、どこかで見たようなくすんだ色の街だった。
「この辺りが一応領都で、商店とか、建築の職人とか、兵士が住む町です。それで、あれが、領主邸」
領都に入るとなだらかな上り坂になって、その坂道の先に森に囲まれた尖塔が見える。フィルデンテの領主邸は、砦の様な、迷宮のような外観だった。
上端が波打つような形をした塀が続きその右角に黒い門扉がある。そこを抜けると、いきなり、池が広がって、欄干のない石橋がかかっている。
橋を渡った左側には二階建ての木造建築物が見え、右には小さな林が広がる。塀の右端から入った筈なのに、右に土地が広がる事に混乱しているうちに、正面には赤い石造りの建物が聳える。
派手なお屋敷だと思っていると、大きく開いた間口に馬車がそのまま入っていく。点点とランプが置かれている薄暗いトンネルを抜けると、今度は目に痛いほどの青い建物が有って馬車はそこで止まった。
「ようこそわが家へ!」というカルロの笑顔に促されて降りると、カルロとそっくりな壮今の男性が、玄関の前に立って待っていた。
「ユージーン王子?」
僕の名前を呼んで、口をあんぐりと開けた伯爵らしき人に、僕は僕にできうる最高の笑顔を向けた。お披露目後のオタータで過ごした間に僕の笑顔は自然な物になったらしいので、きっと僕の友好的な気持ちも伝わるだろう。
「フィルデンテ伯爵、急に無理を言ってすまない。しばらく滞在させてもらうよ」
「本当にユージーン王子が来られたのですね……」
口は閉じたものの、目が大きく開いて瞬きを繰り返す伯爵をカルロが突っつく。
「だから言ったでしょう。父上にもお話があるらしいので、ひとまず、中に入って頂きましょう」
カルロの平易な言葉と少し崩れた態度に伯爵は、顔をを白くした。僕にとっては、いつもより少しだけ周囲を意識した口調に聞こえているけれど、伯爵のあの顔色は、不敬に怯えているように見える。
「カルロ、滞在中はカルロの部屋で泊まらせてくれるの?」
「えぇ?!ちゃんと客間用意してます……けど、私の部屋で三人で寝るのも楽しそうですね」
途中で気付いて、僕の仲良しアピールに乗ってくれたカルロは流石だ。けれど、伯爵はまだ困惑の表情のままだ。
「ユージーン様、親しいご友人に浮かれるのは馬車の中だけにしてくださいと申し上げました。モルガン侯爵からの課題をきちんと遂行してください」
コレリックが真面目な顔をして僕を咎めつつ、カルロとの仲良しアピールを後押ししてくれた。それから、フィルデンテ伯爵に一通の手紙を差し出した。
「こちらはモルガン侯爵からお預かりした物です。目を通されましたら、お呼びください。その間に私が受かれた王子とご子息にマナーの復習をさせておきますので」
コレリックは例の笑顔で僕らと伯爵を見回した。大人にもあの顔を使うコレリックの胆の座り具合は凄いと思う。
「お部屋は……」と遠慮がちに聞いてくる使用人に、カルロの部屋に泊まりたいと言い、カルロも了承してくれたので、そちらに荷物を運んでもらう。荷物の整理などをしている間、お茶でもと応接室に通された。
そうして入った応接室。変わった布の張られたソファに、ガラス天板のローテーブル。木目の分かる壁と、装飾の華やかな飾り鎧、派手な花瓶に挿されたじみな花、となんだかカオスな印象の部屋だった。
「この応接室にある物は、歴代当主の発明品や特産にしようとした品なんだ」
どうやらフィルデンテは、代々ある意味優秀で、ある意味ダメな領主が継いでいる土地らしい。よくもまぁと思うほど、特産品に溢れている。代々新しい産業を起こしたり特産品を作っては、一過性の流行で終わらせて、継続的な収益を上げれていないのだ。
一つのものを改良して発展させるよりも、新しい物を作る方が簡単だなんて、天才しか言えないだろう。
カルロから一つ一つ、何代目の領主が何の目的で作ったのかなんて説明を受けているうちに、応接室に、伯爵がやってきた。
「ユージーン王子は、本当に息子と親しくしてくださっているのですか?」
「もちろん。カルロは楽しくて、愉快で、面白くて、ひょうきんで、そして優秀だもの。誰もが親しくしたいと思うでしょう?嫡男でなければ、僕の側近になって欲しかったくらい」
「ユージーン王子は我々南部の貴族を取り込んで王位を狙うのでしょうか?」
フィルデンテ伯爵が真剣な目で問いかけてくる。モルガン侯爵の手紙だけじゃ、足りなかったか。よほど根強く王家への不信感を植え付けられているみたいだ。
「僕は王位なんて狙わないよ。美しい景色も、珍しい装飾品も、便利な道具も素晴らしいと心から思っている。そういう物に囲まれて暮らせたら幸せそうだと憧れもあるかな。それと、フィルデンテは勿体ないとも思っている。誇れる技術や大事な領民が、誰かの悪意に閉じ込められているんじゃない?」
「モルガン侯爵の手紙を真実だと証明することはできますか?」
「次の冬にはおそらく国中に詳びらかにできる。けれど、その為にフィルデンテの話を知りたいし、閉じ込められて停滞していた分の救済もしたい。これが僕の本音だよ。フィルデンテ伯爵、冬の社交で国中を驚かせる特産品を売ろう?」
僕の渾身のお誘いに、フィルデンテ伯爵はようやく表情を緩めてくれた。