従者達の事情
お露目から五日経った。今、僕は離宮の自室でメントラータ伯爵とその子息のミュティヒェンと向かい合っている。
「ミュティヒェンは辞書が筆記具のつもりでって言ってたけど何が得意なの?」
「私の一番得意な事は気配を消す事ですね」
「はっ?」
メトラータ伯爵とニーナの子なら常識人だろうと思ったのは、僕の勘違いだったらしい。お茶を出していたコレリックも微妙な顔になった。
「うん、よく分からないから、気になる事を一つずつ訊くね。普通、乳母の子とはもっと幼いうちから交流が有った筈だと思うんだけど」
「おもちゃを手離したくなかった姉のワカママが原因ですね」
ピクリとも表情を変えず微笑んだままで端的に返事をするから、本心も人柄も全く読めない。隙が無いというのはこういう態度だろうと思う。伯爵は無言でお茶を飲んでいて、そちらも何を考えているのか分からない。
そう言えば、あんなに素直で悪意に鈍かった兄上もいつの間にか、出かけるといつも同じ笑顔だけで喋るようになっていたっけ。貴族の会話は、こちらの意図を隠して相手の真意を引き出すのだとも言われた気がする。
「ミュティヒェンにはお姉さんが居るの?」
少しの沈黙の後、僕は苦手な微笑みを浮かべて、声音を変えてミュティヒェンに次の質問を投げてみた。表情か少し落とした声のトーンか、どちらが影響したのか分からないけど、ミュティヒェンの表情が一瞬だけ強張った。すぐに元の笑顔に戻ったけれど。
「ええ、姉に甘い兄が二人、まともな兄が一人、甘やかされた姉が一人。それから、殿下と同い年の妹が居ます。兄の一人は、マーディン王子の侍従をしていますが、お分かりになりますか?」
兄上の侍従は三人居て、赤髪のよく笑う人と、青い髪の物静かな人、それからミュティヒェンと同じ緑の髪の目つきの悪い人だ。いやあれは僕を睨んでるから目つきが悪く見えるのか。珍しい赤目はそういえばメントラータ伯爵と同じだ。
「兄上の侍徒?……僕の事を嫌っている彼かな?」
「ふふ。兄は割りとまともですが、少々視野が狭いのです。ユージーン王子の本質が見えていないのでしょう。ご無礼が有ったのなら私が代わってお詫び致します」
「ミュティヒュンのお兄さんが正しいと思うよ。僕はワガママで自由気ままな放蕩王子だからね。ミュティヒェンも兄上に仕えた方が良いんじゃない?僕の従者なんて貧乏くじをわざわざ選ぶ様なものだよ。ねぇ?」
僕は隣に立つコレリックと扉の前のサイノスに視線を向ける。二人とも笑顔で頷いてくれたけど、貧乏くじって思ってたの?
「自由気ままな振りをなさっているだけでしょう?ですが、身分を不要な物と思ってる、というのは本心でしょうか?だから従者を付けようとなさらないのではありませんか?ですが私は、王子がたとえその身分を捨てられたとしても、付いていくつもりで仕えたいと申しています」
僕よりうんと貴族らしい会話に長けているミュティヒェンは、全く自分の本心を語らずにカマをかけながら僕の意向を探ろうとしていて不快に感じた。
「なぜ僕に仕えたいの? 僕は事務官だとしても、何を考えているのか分からない人を傍に置く気はない。もし本当に僕に仕えたいと思っていて、王宮事務官や兄上の従者じゃダメな理由があるなら、正直に言って」
僕は笑顔を作るのを辞めて、丁寧な言葉も捨てた。ミュティヒェンの言動が気に入らないと表にだしてみた。伯爵とミュティヒェンが揃って息を飲んだ所で、コレリックが僕の肩を叩いた。
「ユージーン様はミュティヒェン様から貴族らしさを学ぶべきですし、ミュティヒェン様はユージーン様について事前に情報を集めておくべきでした。この場はユージーン様のやりかたに合わせてお話する事をお勧めしますが、ユージーン様はさっさと殺気を抑えてください。話を聞く気はあるのでしょう?」
コレリックに言われてびっくりした。殺気立っている自覚なんて無かったし、そこまで怒っている訳でもなかったのに。コレリックに促されたミュティヒェンが笑顔を消して謝罪をした。その笑顔を消した表情が、記憶の中の海辺で振り向いたあの人と重なった。
「私は家を出たいのです。従者の少ない、ユージーン王子付きになれば、忙しさから家に帰れない、と言い訳ができそうだと思っていたのです。けれど、けれど今は、それだけではありません。ユージーン王子は、『生まれで将来が決まるわけじゃない』と、農村の子供に、説いたのですよね?私も、生まれと、関係ない、将来を望んで、います。それが平民になる道だとしても、家から離れたいです」
時折、言葉を詰まらせながら堪えるように話す様子に、コレリックが目を伏せた。そう言えば『俺の親友』はいつもヘラヘラ笑顔で本心を話さない奴だった。あの頃のあいつが隠していた本心は何だったのだろう?
一旦落ち着くように、ミュティヒェンの前にお菓子の乗った皿を滑らせた。皿を見て動かないミュティヒェンの口許にクッキーを一つ突き出したら、薄く笑ってそれをパクリと食べた。雰囲気が落ち着いたのを確認してから話を続ける。
「家は帰りたくないほど嫌いなの?伯爵とは仲良さそうに見えるけれど」
「兄と姉にうんざりしているのです。私が気配を隠すのが上手くなったのは姉から隠れる為でした」
「そんなに兄弟仲が悪いの?」
「表向きは悪くはありません。私が何も言いませんから。姉は年の離れた兄二人が甘やかしたせいでしょう、我儘放題です。「男は自分の言うことを聞くものだ」と思っている節があります。幼い頃から、姉の悪戯や我儘に振り回され、私が何と言っても『男の子でしょう?』と話を聞いても貰えませんでした」
兄の横暴に晒されていた『俺の親友』を思い出した。あの頃は力がなくて、暴力なんて間違った方法になってしまったけれど。それが原因で親友の人生もめちゃくちゃにしてしまった気もするけれど。今なら、もっと違う道が選べる。
「分かった。いいよ。今日から僕付きに任命する。すぐに呼べる様に住まいも寮に移してくれる?伯爵は今から帰ってミュティヒェンの荷物をまとめて持って来てくれる?コレリックは寮の手配をしたら、ミュティヒェンに任せる仕事の選別をして」
僕は少し考えてから、ミュティヒェンを専属事務官に任命する事に決めた。ミュティヒェンの姉上というのは、伯爵の言うことすらも聞かないらしい。恐縮しながら、ミュティヒェンを宜しく頼むと言い置いて帰っていった。
ミュティヒェンを事務官に任命した三日後、僕はゼフを連れて庭を歩いている。離宮の東側、王宮最奥にある僕専用の庭で、温室にほど近い東屋へと向かって。僕の両隣にはコレリックとゼフが並んでいて、護衛達は少し離れたところから見守る形だ。
ゼフとコレリックが並みの騎士には勝てる腕っぷしを持っているからこそ許されている。
「ユージーン王子、私を紹介したい人と言うのはどなたです?」
「言わない。僕の勘が言えばゼフが逃げるって警告してるから」
今日はオタータ辺境伯親娘を招いているのだけれど、ミュティヒェンの助言によって、ゼフには内緒で計画を進めていた。東屋には四人分のお茶と軽食が用意してあって、それを見たゼフが立ち止まった。
「私が逃げる…… 今からでも失礼した方が良い気がしてきました」
「あっ、来た。もう逃げられないよ。座って」
ミュティヒュンが二人を連れて近付いてくるのが見える。姿が見えた所でオタータ辺境伯が足を止めて天を仰いだ。ただ似ているだけじゃなくて、因縁のある二人だったみたいだ。ご令嬢が気遣うようにそっと辺境伯の肩を叩いて歩くように促した。ゆっくりと歩いてきた二人を僕は笑顔で歓迎する。
「ようこそ僕の庭へ。オタータ辺境伯とジェリーヌ嬢」
「お招き承りありがとうございます。その、殿下の隣の方が、師匠のゼフという方ですね?」
「そうだよ。うん、やっぱり似てるね。ねっゼフ?」
僕は辺境伯とゼフそれぞれに笑いかけつつ、こっそりとゼフの足元の土に魔法をかけた。瞬間ゼフの身長が数センチ低くなる。
「王子、逃げませんから、私の足を固めている土魔法を解除して下さい。」
「うん、解除しない。ゼフの体、まだ逃げようとする重心だもん」
僕がゼフと小声でやりとりをしている間、オタータ辺境伯は目を細めて庭を眺めた。結構珍しい植物を集めた筈なのに、辺境伯もご令嬢も驚いた様子がない。二人とも僕と同じように園芸が趣味なんだろうか。
「ユージーン王子、こちらの庭園はその庭師に指示をして作らせたのですか?」
「ゼフに指示をしたのは、珍しい植物の苗を集めてもらう事だけで、世話をしたのは僕だよ」
「珍しい植物ですか。王子、その庭師はあまり信用されない方が宜しいのでは?確かにここの植物は特定の地域でしか生息しない物ですが、私の目にはありふれた物でございます」
「オタータ領の植物ばかり?」
再びぐるりと庭園を見回す辺境伯の視線を追っていく。薬の材料になる小さなオレンジの花、母上のご機嫌取り用のバラやガーベラ、最近こっそりと育て始めた根菜達。それから、全部の世話を魔法でしているタバコを植えた畑と、コーヒーの木を植えている温室。一周見回した辺境伯の視線が僕の所に戻ってきた。
「我が領に生息しないのは、温室の樹木とあの畑の植物ですね」
「あぁ、コーヒーとタバコかぁ。あれは、僕が指定した物だからゼフが選んだ物じゃないね」
なるほど、それだけオタータの植物が植わっているなら、それはさぞ見応えのない庭園だろう。何だか情けない気分になる。
「王都では珍しい事に違いないでしょう。不思議な事に北の運河を境に生えない植物達ですから。ですが正しい植生をお伝えせずに珍しい植物だとその庭師が言ったのでしょう?ところで、詐欺師の様にこの庭園を造った者は、本当の名も身分も王子に明かしていないのではないですか?ねぇ、叔父上?」
落ち込んだ僕に優しい表情で語りかけていた辺境伯が、最後にゼフの方を向いて片方だけ口角を挙げた。その呼び方に驚いて、僕はゼフの顔を見る。
「似ているとは思ったけど、ゼフはオタータ辺境伯の叔父上だったの?」
「ここまで言われたら、締めて全て話しますから、魔法を解いて下さい」
言いつつゼフは逃げようとしている。ふくらはぎが膨らんで、僅かに腰が動いたのを確認した。僕が悩んでいると、コレリックが静かにゼフの後ろに移動しだした。
「この庭の入り口に、ランティスとサイノスを立たせました。私もそばに居ますから取り逃したりしませんよ」
「分かった。コレリックを信じるよ」
僕が魔法を解いた瞬間、ドンっと音がして、気絶したゼフが椅子に座っていた。コレリックが手早く縛り付けてから、近くに生えている植物を千切ってゼフの鼻に詰め、ゼフが目を覚ますとその植物を鼻から抜いた。
ゼフは物凄く顔を歪めながら目を白黒させている。うん、めちゃくちゃ臭いし、状況訳わかんないしそうなるよね。放心状態のゼフ放っておいて、オタータ辺境伯とご令嬢に席を勧めた。
「辺境伯、見苦しい物を見せてすまない」
「いえいえ。愉快な物を見せて頂きました。王子には感謝しかございません」
本当に愉快そうにハハハと笑う辺境伯の前に、コレリックがコーヒーを出した。ご令嬢もコーヒーを希望された様で、辺りが香ばしい匂いに満たされる。
「ゼフの言い分もあると思うけど、ひとまず辺境伯から話を聞こうかな」
「私の父は三人兄姉の末子でした。上の二人が自由すぎたために 後継ぎにならざるを得なかったのが私の父です。祖父は貴族の務めを放棄し勝手に家を出て行った二人を許しませんでしたが、今はもう故人です。私の父は、出て行った二人の身をひたすらに心配して会いたがっております。私は父の願いを叶えたいと、叔母と叔父を探して、叔母は十年程前に交流を再開しておりました。なかなか見つからなかった叔父が、そこの庭師でございます。 叔父上、今は誰憚る事もありません一度里帰りして、父に顔を見せてやって下さい」
辺境伯の叔母というのは、駆け落ち同然でイピノスの商会に嫁いだ例の人だ。三~四十年前の話で、ご令嬢も知らない事らしい。顔を引き締めた辺境伯がゆったりと、僕とご令嬢の顔を見ながら話してくれて、最後にゼフに向かって頭を下げた。
ゼフは辺境伯の下げられた後頭部を見つめて何か考えている。里帰りの休暇くらいちゃんとあげるのにと思った所で、視界の端でジェリーヌ嬢が僕の斜め後ろばかりを見ている事に気付いた。僕の斜め後ろには、元親友で、元孤児のコレリックが従僕として控えている。そう言えば、お披露目の日もコレリックを熱心に見つめていた気もした。もしや……いや、まさか。
「オタータ辺境伯、僕はジェリーヌ嬢に温室を案内したいのだけれど構わないかな?その間にゼフとよく話し合って」
「お気遣いありがとうございます。ジェリ、王子と散策しておいで」
ゼフは椅子に縛ったままオタータ辺境伯の向かいに残して、僕はジェリーヌ嬢とコレリックを連れて温室のコーヒーの木が生えている一角へ足を向けた。
「ジェリーヌ嬢、まさかとは思うけれどコレリックに脅されている?」
「なっ?」
「えっ?」
コーヒーの木を見上げながら問いかけると、詰まったような声が二つかえってきた。振り向けば、コレリックもジェリーヌ嬢も驚いた表情で僕を見ている。全く想像もしていなかった事を言われたという風な表情だ。一番最悪な想定は除外できたかな。
「あぁ、脅されているという自覚がないかもしれないのか。うーん。例えば『僕は貴族の隠し子なんだ。いつか身分を取り戻すからその時は』なんて言われたりしてない?」
前世で親友が女の人からお金を巻き上げる時に使っていた常套句を思い出しながら聞いてみたら、コレリックは口をへの字に曲げて僕を睨んだ。そしてジェリーヌ嬢もキッと目尻を吊り上げた。威嚇する猫みたいに赤い髪が膨らんだように見えたのは流石に錯覚かな。
「違います。コレリックはそんな事を言う子ではありません。勇敢で優しい、わたくしの王子様なんです!」
「はっ?」
「やっぱりそうだったんだ。コレリックとどこで知り合ったの?コレリックが何をしたの?」
間抜けな声を出したコレリックは放っておいて、僕はウキウキとジェリーヌ嬢に問いかけた。親友が純粋に好かれているのが嬉しい。
ジェリーヌ嬢が顔を赤らめながら語ってくれたのは、あの孤児院での出来事だった。頭に落ちてきた毛虫を取ってくれた、とか鶏に追い掛け回されたときに助けてくれたとか、一緒に木を植えた時の横顔が凛々しくてカッコよかったとか、次々に可愛いエピソードが出てくる。話を聞いているうちにコレリックは頭を抱え始めて、「ジェリが貴族なんて聞いてない」と呻き始めた。
ジェリーヌ嬢は例の大叔母様とお忍びで孤児院のお手伝いによく行っているらしい。あの世話人の青年はジェリーヌ嬢から見たら従叔父に当たる人だと教えてくれた。
ジェリーヌ嬢にとって僕は王子様を横取りした悪者だとも言われた。そんなにコレリックが好きなら、協力しても良いんだけど。
「ジェリーヌ嬢はコレリックと結婚したいの?なら、一旦私と婚約しない?」
「えっ?どういう事ですか?」
コレリックは口を開いた間抜け面で無言になったけれど、ジェリーヌ嬢は思案顔で問い返してきた。恋愛脳なお嬢さんかとおもったけれど、案外思慮深い人かもしれない。
パッチリ二重の吊り気味なエメラルドグリーンの瞳は、コーヒーの木の幹を写しているけれど、頭に浮かべているのは、僕の婚約者という立場でのコレリックとの距離感かな。
「私の婚約者という立場を使って手紙のやり取りをしたり、会って話す事もできるよ。将来の事を言うなら、コレリックが貴族になれるだけの功績を成人するまでに立てさせるよ。コレリックが貴族になれたら、私の有責で婚約破棄をするから。コレリックは、傷心のジェリーヌ嬢を浚う王子様になれば良いんじゃないかな?」
「ユージーン王子に何の利点も無いではありませんか?」
ジェリーヌ嬢はエメラルドグリーンの瞳を僕に真っ直ぐと向けた。澄んだ瞳は、嘘や誤魔化しを許さないと訴えかけてきている。曲がった事が嫌いで、本質を見抜こうとする雰囲気は、僕の大事なコレリックを預けても良いと思えた。
「僕は、運命に導かれる相手を探し求めているんだ。先日のお披露目の場にも特別な運命を感じるご令嬢はいなかった。きっと庶民として暮らしているのだと思う。我儘で自由気儘な放蕩王子は愚かにも、優秀なジェリーヌ嬢と婚約破棄をして、王や貴族の怒りをかい王宮から追放されるんだ。それから僕は平民になって、貧しいながらも運命の相手と結ばれ幸せに過ごす。どう?僕にも有益な話でしょう?」
考えつつも提案を受け入れてくれそうだったジェリーヌ嬢に「早まるな」なんて言うから、返事を保留にされた。
ジェリーヌ嬢にこの社交期間中には返事が欲しいとお願いをして元の四阿に戻ると、項垂れたゼフと清々しい表情のオタータ辺境伯が待っていた。社交期間の終わり、領地に戻る辺境伯と同行して里帰りする事になったそうだ。
オタータ領には多様な果樹があると聞き、どうにかついて行けないか、僕は口実を考えはじめた。