9.この口調って疲れるのよね(と、その頃のアーキン王子)
「対等というなら、あなたに要求がありますわ」
「お? なんだ? 俺も言いたいことはあるけど、先に言っていいぞ」
「お前呼びはやめなさい。あなたの生意気な態度や言葉遣いは簡単に直るとは思いませんが、私のことは名前で呼んでください」
「あー……わかった。ルイーザ」
「ルイと読んでくださいな。私、追われてる身なので。軽々しく名前を呼ばないで欲しいのです」
「じゃあ、お前呼びの方がいいじゃねえか」
「た、たしかに……」
名前を隠す必要はあるけど、全然違う名前で呼ばれるのは嫌だし慣れるのにも時間がかかる。
だから愛称を教えたけど、お前と言われた方が安全ではあると、言われてようやく気づいた。
気持ち的にはルイ呼びされたいのだけど。
「どうしましょう」
「やっぱ馬鹿だな」
「うるさいですわ!」
「わかったよ。名前で呼んでやるよ、ルイ。家に見つからない方法は、他に考えよう」
「あ……ありがとうございます、レオン」
「俺もそう呼ばれるのか。まあいいか。それより俺からは、ルイの口調だ」
「口調? なんのことですの?」
「それ。令嬢ってのはそんな言葉遣いするのが普通なのか? 隠した方が身元がバレにくいと思うぜ。俺も、そんなに好きじゃない」
「そう……じゃ、わたしも素を出すことにするわ」
「おう。それでいい」
同じ貴族階級の方々を敬う言葉遣いを、幼い頃から教育されてきた。親兄弟でもこんな話し方が求められる。特に殿方相手には。
庶民のクソガキでも、男性は男性だ。
学校は楽しかったな。仲のいい友達となら、周りに隠れて砕けた言葉で話せた。もう、そんな機会はないと思ってたのに。
「そうだ。私からもうひとつ要求があるの」
「今度はなんだ」
「ずっと思ってたのよ。転びそうになったら助けてよ」
少なくともレオンの前で転んだ三回目については、こいつはそれを予見していた。
そうじゃなくても、私がよろければ咄嗟に駆け寄るくらいはできるでしょうに。転ばせる霊の動きも見えてるわけだし。
「なんだ。そんなこと……お前には必要ないだろ?」
レオンは私を見上げながら、不思議そうに答えた。
「お前は転んでも起き上がれる強さを持ってる。俺にはわかる。世の中には、一度挫折したらそれきり立ち直れない奴が大勢いる。けど、お前は違う。自分で起き上がれる、折れない心を持ってるだろ?」
人の本質を見透かすような目。この子に見えるのはもしかして、霊だけではないのかもしれない。
……いやいや。待ちなさい。
「それとこれとは違うでしょ! そりゃ起き上がれるわよ! でも転ぶと痛いの! 支えてくれたっていいでしょ!」
「ちっ。ごまかせなかったか」
「今舌打ちした!?」
「あー。うん。わかった。やれるならやる」
「それ! やらない人の言うやつ!」
「だって。ルイは俺より重いだろ。自分より体重ある奴を支えるの大変だろ。下手したら潰される」
「誰が太ってるですって!?」
「言ってねぇ! あくまで比べての話だよ!」
「手を貸すくらいはしなさい!」
「じゃあ、倒れたら起こすときに助けてやるよ」
「よろしい」
「いいんだ」
政治とは、こういう妥協点を見つけていくこと。私は高い教育を受けているから、わかっている。
まあ、学校の成績はそんなに高くはなかったけど。そこはそれ。卒業は問題ないレベルだった。今私を追いかけている、厄介な公爵家という威光も加味されたし。
「なにニヤニヤしてるんだよ。気持ち悪い」
「なっ!? このクソガキまた叩かれたいの!?」
「あはは!」
「あっ! こら待ちなさい!」
拳を振り上げた私を見ながらレオンは笑い、駆け出した。
レオンは冗談っぽく振る舞っているけれど、彼を見失えば私は行き場を失うことになる。走りにくいドレスで必死に追いかけることとなった。
やっぱりこのクソガキ、可愛くない!
――――
クライヘルト王国第二王子アーキン・クライへリルは得意の絶頂にいた。
国の重鎮たちが大勢が集まるパーティーで、ルイーザに婚約破棄を突きつけることに成功した。
少し前に決まって発表済の婚約は、アーキン自身は乗り気ではなかった。家同士の政治的結びつきの都合によるものだと知っていたからだ。
たしかに一度はルイーザの魅力に惹かれはした。けど彼女、アシェリーに迫られてからは彼女にしか目が向かなかった。この子との愛こそ真実だと。
既に発表していた婚約を破棄するための口実を探っていたけれど、まさかルイーザの方から渡してくるなんて。
ママが用意した礼服を汚すなんて重罪は、自然に婚約破棄を申し付けるにはぴったりだった。
第二王子としての威厳も十分に保てたし、マザコンなどと意味のわからないことを口走って逃げていったルイーザの姿は滑稽で、自分の威厳を引き立たせていた。
少なくともアーキンには、自身がそう見えていた。
ルイーザを捕まえられなかったのは残念だけど、すぐに解決することだろう。パーティーの雰囲気に水を差したこと、断罪しなければいけない。
けれどアーキンにとっては、もっと大事なことがあった。
「お集まりの皆様、大変失礼いたしました。ルイーザ嬢は逃げてしまった様子。対処はすぐにいたします。そして、雰囲気を壊してしまったお詫びと言ってはなんですが、代わりに喜ばしいお知らせをします!」
ざわめきが止まらない会場でアーキンが声を上げれば、周りの注目が一気に集まる。
ああ。これだ。これこそが王家の、権力者だけが得ることができる快感。
「彼女、アシェリー・ドライセン嬢との婚約を正式に表明することを、ここに誓います!」
そしてアーキンは、傍らに立つアシェリーの腰に手を回して強引に引き寄せた。
周りはしばし絶句した後に、控えめな拍手が響く。
そうか。皆、俺の堂々とした姿に気圧されて大きな反応ができないか。よいだろう。それを許すのも、人の上に立つ者の度量。
隣のアシェリーは、引きつった笑顔を周りに向けていた。パパとママも同じ様子だった。
ルイーザとの婚約破棄はママには伝えていたけれど、アシェリーとの婚約は言ってない。この場での発表は自分で決断したことだ。
きっと喜んでくれることだろう。重大な決断を自分の意思で行えるようになるまでに成長した息子を。
アーキンは周りの反応全てを、己の偉大さに圧倒された故のものだと受け取っていた。