62.家族は、作れる
「未練晴れし霊魂よ、あなたの門出を改めて祝います。願わくば、冥界での暮らしが心地よきものであるように」
教会の裏手にて、マーガレットは地面に横たわっていた。エドガーの祈りの言葉が夜明け前の空に朗々と流れる。
霊は既に冥界へ行ったらしく、遺体は微動だにしなかった。
マーガレットの遺体は自身の恨みを晴らして、教会へ戻る寸前で力尽きた。彼女は再び動かぬ遺体となり、二度とおかしな真似をすることはないだろう。
朝になったら、ここの教会の神父様にそういう筋書きの上で見つけてもらい、伯爵家に連絡の上、再度の埋葬をしてもらおう。
空はだんだん白み始めていて、夜明けが近いのがわかった。
一晩中起きていたのか。公爵令嬢としてはありえない振る舞いだ。
もちろん、慣れないことをしたから、眠くなってきた。今夜のことは魔道具の呪いだと街で噂になるだろうけど、私たちは一旦寝ないと。
その時ふと、レオンがいないことに気づいた。
彼はすぐに見つかった。教会の裏手の井戸から水を汲んできて、床に座ってタオルを濡らしてナイフを拭き始めた。
「なにやってるのよ」
「ナイフの手入れ。血と脂を落として、研ぎ直して鋭くする」
「ふーん。寝なくていいの?」
「元々、夜に動くのは慣れてるから。それに、放っておくと錆びる。早く拭き取らないと」
「そっか」
私はレオンの隣に腰をおろして、その様子を見ていた。
「……訊かないのか?」
「え?」
「俺がアーキンを、必要以上に傷つけたこと。あいつは舌と、利き腕の指を三本失った。歯も永遠に戻らないだろう。単に恐怖を与えるだけなら、あそこまでする必要はないだろ?」
「そうかしら。ボコボコに殴っても、ああいう男は傷が癒えると恐怖も忘れるものよ。そして復讐しようとする。素性のわからないレオンじゃなくて、私にね。だから、消えない傷をつけるべきなのよ。そうすれば簡単には忘れない」
だから、私にとっても良かったこと。
「あそこまでやるとは思ってなかったから、驚いたのも事実だけどね。結果として、良かったのよ」
「そうか。でも、気になるだろ? なんで俺がああしたのか。なんで、金持ちが嫌いなのか」
「ええ。気になるわ。でもレオンが話したくないなら、訊かない。詳しい理由はニナたちも知らないんでしょ?」
「…………家族を殺されたんだ。両親と姉。祖父も。ああいう、自分の利益しか考えないような奴に……俺のネクロマンサーの才能を利用しようとする奴に」
「そう」
レオンが権力者に自分の力を見せることを嫌がってたのは、そういう過去があったから。
ひとりで旅をして王都の居酒屋に暮らすことになったのは、家族がいなかったから。
死んだマーガレットを連れて歩いていたのをアーキンに見られた以上、それを誰かに話されるとネクロマンサーの存在を権力者たちが察することになる。
だから、徹底的に痛めつけて情報を漏らさせないようにした。
「辛かったのね」
「別に。俺の家族は最後まで、俺の幸せを願っていた。……ルイよりは、幸せだ」
「私の家族は酷かったもんね。媚を売ったアーキンはあの様だし、いい気味よ。でも私たち、同じだったのね」
「家族を失ったから?」
「そう。もちろん、ニナのお店のみんなは家族みたいなものだし、リリアたちもいる。だから寂しくないのかも……」
「そうだよ。寂しさはそんなに感じてない」
「うん。そう。だけど、やっぱり家族がいないなら、誰かが、わた、し、が代わりに……代わりに……なる……」
「おい。待て。言ってることがわからな……」
それ以上、私はレオンの言葉を聞けなかった。
慣れない夜ふかしはするものじゃない。睡魔に勝てず、レオンにもたれかかるように眠ってしまった。
目が覚めると、私はまだレオンに倒れかかっていた。彼もまた座ったまま、すやすやと寝息を立てていた。
ただし、寝落ちしたままというわけではないようだった。
まず、肩に毛布をかけられている。それからレオンがナイフの手入れに使っていた道具が片付けられていた。
私を起こさないように作業を終えて片付けて、毛布を用意してから改めて私を支える姿勢になって眠ったのか。
面倒なことをしたな。けど、私を起こさない気遣いだけは嬉しい。
それに、レオンの寝顔は普段の生意気さからは想像もつかないほどに愛らしかった。
ずっとこうならいいんだけどな。
「俺も……」
ふと、レオンの寝言が聞こえた。
「俺も、家族になってやる……」
どういう意味だろう。
そういえば昨日、寝落ちする寸前に家族のことを話してた。私たちが似たもの同士ってところまでは覚えてるけど……寝ぼけながらなんて言ったんだっけ。
まあいいや。無意識に言ったことなら本心なのだろうし、いずれ思い出すはずだ。
今はレオンの体温を感じながら、もう少し眠っていたかった。
それから数日間、私たちはラングドルフ領に留まって、人々の噂が消えていくのを見届けた。
マーガレットの遺体は正式に埋葬し直され、他に不可思議な出来事は起こらなくなった。
伯爵様はドライセン家の背信行為と魔道具の流出を公にして、回収に尽力すると民衆に約束した。領内でなにかおかしなことがあれば知らせてほしいと、街だけでなく村々にお触れを出したそうだ。
ドライセンの家が罰を受けて、それ以上何も起こらず、起こったとしても伯爵様が自ら対処してくれる。恐ろしい歩く遺体もなくなった。
魔道具の呪いは一段落つき、罪なき民が恐れることはないと、エドガーが街の聖職者たちを通して噂を流したことが大きい。本当に、神父たちはいい人ばかりだ。
民は安心して、人通りが次第に戻ってきた。
ドライセン家はお取り潰し。アシェリーだけでなく、家族のほとんどが魔道具の取引先を探す手伝いをしていたらしい。全員に、厳しい罰が与えられたという。
立場を奪われて、しばらくは牢に収監される。その後は庶民として生きるか、遠くの街のお金持ちの使用人となるかだろう。
アシェリーは街から遠く離れた田舎町に強制送致された。表向きは療養という形だ。
首を大きく損傷して、そこから下が動かなくなったらしい。今後はなにをするにしても、他人の助けが必要になる。
その介助役が、アーキンだ。
会話ができなくなり、王族としての仕事が果たせなくなったアーキンを、国王陛下は切り捨てることにしたらしい。
嫡男なら既にいるし、換えもいくらでもある。わがままで突飛な行動を起こす彼は、いらなかったのだろう。
不慮の事故で動けなくなった妻を助けるという名目で、何もない田舎へと息子を封じ込めた。周りにはこれを、本人が愛を選んだ美談として喧伝する。
愚かな息子を公の場に出すことを永遠に禁じた上で、王家の体面を保った形だ。
アーキンを溺愛していたという王妃は悲しんでいることだろうけれど、甘やかしすぎるなと国王陛下から相当絞られたらしい。あくまで、リリアの使用人仲間からの伝聞だけど、正しいはずだ。
王妃だって、息子はあと何人かいる。それに娘も。これに懲りて、子供たちとの接し方を学んでくれることだろう。