60.レオンはお金持ちが大嫌い
「あがっ!?」
ちょうど肺のあたりに体重がかかったか。息が漏れるような声が出た。
アーキンはなんとか抜け出そうと、背中に手を回してレオンの足を探ろうとする。掴んでどけようと思っているのか。
レオンはその手を、逆に掴み返した。
そのまま手を地面に叩きつけながら、自分もアーキンの上から降りてしゃがんで勢いをつけながら手に向けてナイフを振る。結果として、アーキンの右手人差し指が根本から切断された。
「ぎゃっ!? あ、あああ……」
「なあ。さっき訊いたよな。お前はなんで偉いのかって」
「え、えら、えらい……」
「答えられないか」
「や、やめろ。殺さないで……」
レオンはアーキンの体を蹴って、腹ばいになっていたのをひっくり返して自分の方へ向かせた。
指が一本無くなった己の手に絶望的な目を向けていたアーキンは、怯えるようにレオンから顔を背けた。
それを許すレオンではないけれど。
「殺しはしない」
「え?」
殺意を隠そうとしないレオンの口から予想外の言葉が出て、それでも助かるかもと希望を抱いたアーキンは微かに笑みを見せた。
その顔面に、レオンのつま先が刺さる。
「ごっ!?」
「殺しはしない。死ねば霊になって、つまらない人生に未練を感じて現世に留まるだろうから。そのままルイに憑くか? それは許さない」
アーキンの顔面を蹴りながらの言葉に、私はこっそり頷いた。こいつの霊が周りを飛ぶなんて御免だ。
「だから生きてもらう。死んだほうがマシって思える状態になって、長生きしてもらう。そうすれば死んだ時、ようやく楽になれたと冥界にすんなり行くだろうからな。俺も殺生の罪を犯さなくて済む。お互いに利があるんだ」
「く、狂ってる……来るな! おい来ないでくれ! た、たすけてママ!」
地面に座り込みながらも、なんとか蹴りから逃れようとして、後ずさりながら両手をレオンへ向けて止めようとしている。そんな風に手を差し出すと。
「狂ってる? まさか。俺は正気だよ。常にな」
レオンはアーキンの右手の指を掴むと、片手でナイフを一閃。よく研がれたナイフは人差し指に続き、中指と薬指も切断した。
「あ、あああああ! なんで! なんでこんなこと! お、俺が、なにしたって、言うんだ!?」
「俺はな、金持ちが嫌いなんだよ」
アーキンの胸ぐらを掴んでナイフを握った手で殴る。少し手元が狂えば、あの馬鹿王子の頬がざっくり切り裂かれるだろう。
体重をかけながら、執拗に顔面を殴り続ける拳が、数度目にアーキンの鼻を折った。
既に血まみれで目は腫れ上がり、口からは前歯が折れているのがわかる。けど、レオンは殴り続けた。
「親が偉いってだけで偉そうな態度取るような金持ちが、嫌いなんだよ。自分で稼いでる商売人はいい。立場をわかって民のために頑張ってる奴には、ムカつくけど手出しはしない。けど、お前みたいな奴は!」
また、骨が折れる音がした。頬だろうか。それとも、別の歯だろうか。
「地位にふさわしくない金持ちを、俺は許さない。絶対に。絶対に!」
レオンの過去になにがあったんだろう。知らないけれど、きっととても悲惨で、恨みを持ち続けているのだろう。
アーキン本人にではない。ドライセンの親子にでもない。
その立場を使って他者を陥れ、不当に私腹を肥やして快楽を貪る貴族や、その上にいる王族へ、レオンは怒りを奮っている。
たぶん、陥れられたのは私も同じ。だからレオンの拳は私のためにも振るわれている。
「あ……あ……」
「口を開けろ。お前を半殺しにした俺たちのことを、誰かに喋られては困る。特にルイのことをな」
「ひゃだ、しゃへら、やい、しゃへらない! ま、まま!」
前歯がほとんど全部折れて、まともに話すこともできない。おそらく口の中も切り傷だらけだろう。未だにママに助けを求めるアーキンの懇願をレオンは無視して、強引に口をこじ開けてナイフを突っ込んだ。
「動くなよ、動いたら喉を切り裂くかもしれない。死ぬぞ」
悲鳴があがる。口内をズタズタに切り裂かれる痛み。開けっ放しになった口からは血の混じった涎が出ている。
レオンがナイフを抜いた時には、先端に切断された舌が刺さっていた。
「舌が無くても意思は伝えられるな。問いかけに頷くとか、指で文字を指すとか」
「あ、あ……」
「鼓膜を破り、指を全部切り落とすか。いや、肘の先でも同じことはできる。肩から先を落とすか……」
「ああああああああ!!!」
話せなくなったアーキンは、恐怖のあまり悲鳴と共に倒れ込んだ。股間から水がチョロチョロと流れ出ているのが、月明かりに照らされて見えた。
「…………おい。俺たちのこと、誰にも言うんじゃないぞ。もし話したことがわかったら、今度こそお前を解体してやる。四肢を全て切り取って、耳と目と鼻を潰す。それか、完全に沈黙するかだ。わかったか?」
「あー! あー!」
必死に頷くアーキンを見て、レオンはようやくナイフをしまって私の方を向いた。
「ルイ。お前からはなにかあるか?」
「あー。特に……一発だけ蹴らせて。今の見たら、それで十分かなって」
「わかった。それで気は晴れるのか?」
「もちろん。というか私の復讐のふりして、レオンがやりたいことやっただけじゃないの、これ」
「ははっ」
笑うなクソガキ。けど、私ひとりの力ではアーキンに永遠に復讐できなかったのも事実。
「ありがとう、レオン」
「別に。俺がやりたいことをやっただけ」
「感謝は素直に受け取るものよ」
「そっか。じゃあ、どういたしまして」
「よろしい」
それから私はアーキンのそばまで歩み寄って。
「私を人殺し呼ばわりしたこと、謝りなさい」
恐怖のあまり震えている彼は、不格好ながら地面に這いつくばって許しを乞うた。