6.彼女は冥界に行きました
やがて夫の方が、レオンに向き直る。
「ファラは、これで安心して天国へ行けるのですね?」
「はい。……ただし天国へ行く前に、煉獄で罪を清める必要があるのですけれど」
「煉獄? それに罪とは?」
「煉獄は、死者が背負った罪に対する罰を受け、これを精算して天国へ行くための過程となる場所です。多くは、重ねた罪の重さの間だけ、清めの炎に焼かれ続けることになるらしいです」
「罪とはなんなのですか!? ファラがどんな罪を犯したというのですか!?」
「ちょっ! 待ってください! お父さん落ち着いて!」
レオンに食ってかかろうとした彼の前に私は咄嗟に立ちふさがった。なんでこんなクソガキのために体を張らないといけないのかは疑問だけど、暴力は良くない。
一方のレオンは冷静だった。お前も少しは申し訳なさそうな顔をしなさい。
父親の気持ちも確かにわかる。幼い娘に罪があって、しかも炎で焼かれるなんて冷静にはいられない話だ。
「親より先に死ぬ罪。それから、指輪を盗んだ罪。理不尽と思われるでしょうけれど、神が作ったシステムなんです。人の身、そして死者の身で逆らうことはできません」
「神がなんだ!」
「うわーっ!? 待ってください! 神様は尊敬しないと! とりあえず落ち着いてください!」
聖職者でもないのに神様の尊さを説くことになってしまった。いえ、私も神は尊敬してはいるけれど。我々を見守ってくれてると習ったけど。
だったら、この邪悪で生意気なクソガキをなんとかしてくださいな。
「あなたたちがするべきは、ファラちゃんを許すことです。そうすれば、煉獄で過ごす時間のほとんどを省くことができます」
レオンは私の背中に隠れたまま、静かに言った。
死んだ娘のその後を救える方法がある。その事実に父親は動きを止めた。
「許してあげてください。何も恨んでないと、ファラちゃんに言ってください。それが何よりの供養になります」
「ファラ!」
立ちはだかっていた私の姿は、既に彼らには見えていないようだった。
薄い靄のようなファラの霊に、夫婦はしっかりと語りかける。
「許します! あなたのこと、全部。何を恨むことがあるものですか!」
「ファラは俺たちの、大事な娘だ! 今もそうだ! 死んだ後の幸せも願っている! 死んだことも、指輪のことも許す!」
「だから、天国でも幸せになって! ずっとわたしたちのこと、見守ってて! 指輪のことは気にしないで! あなたのやったこと、全部許すわ!」
そう言い続けるのを、私はただ見つめていた。
レオンはそれを見ながら、ファラちゃんの霊に近づくと塩の入った小瓶を取り出す。
「冥界に帰りなさい。それが君にとっての最善。神も、子供のしたことと許してくれるでしょう」
言いながら塩を少しだけ振りかけると、ファラの霊はゆっくりと消えていった。
その寸前、彼女は幼い少女の姿をはっきりと見せながら、笑っていた。
私にはそう見えた。
「本当に、ありがとうございました。娘は無事に天国へ行けるんですね?」
落ち着いた両親に家のリビングに通されて、私たちはお茶を頂いていた。
彼らからは、先程の無気力さは感じられなくなっていた。娘の死後の幸せを確信して、吹っ切れた印象だ。
「ええ。煉獄へ行くのは、どんな善人も同じこと。人間、生きていれば何かしらの罪は受けるものですから。ファラちゃんの場合は、他の人よりもずっと短い責め苦で終わりますよ」
「そうですか……本当によかった……」
夫は言いながら妻の身を抱き寄せた。
娘の死は大きな悲劇。けれどふたりは乗り越えて前に進むことができそうだった。
「それから、今起こったことは他言無用でお願いできますか? 話したところで信じる人もいないでしょうけれど」
「え、ええ。わかりました」
「あの、少ないですけれど、これを……」
レオンのお願いにうなずいた夫。それから妻の方が、小さな袋をレオンに手渡した。
微かな金属音。中身が何らかの硬貨数枚なのは察せられた。
急に現実へ引き戻されるような音だった。
いや待って。お金取るの? でもレオンはお金のことなんて一言も口にしていなかった。これは夫婦からの、ほんの気持ち。
聖職者には、こうやって喜捨をするものなのは私も知っている。そういうのは、公爵である私の家のようなお金持ちばかりがやるものだと思ってたのだけど。
というか、娘を亡くした家から金を取ろうとするなんて。
「そんな。いいんですか? ありがとうございます」
「待ちなさい」
「待たない」
「痛っ!」
夫婦に聞こえないような小さな声で返事したレオンは、同時に私の足を踏んで、遠慮なく謝礼を受け取った。こいつは。
その後も夫婦は、娘を救ってくれた恩人に何度もお礼を言っていた。
「ちよっとレオン! お金を取るってどういうことなの!?」
夫婦の家を辞し、離れながらレオンに問い正す。
「訊きたいのはそれなんだな。他にもっとあると思ったけど」
「あるけど! とりあえず最初に気になったのよ!」
「教会は基本的に、信者の喜捨で成り立ってる。寄付って言うべきかもな。あと領主様からの補助金か。お前も公爵令嬢なら、これくらい知ってるだろ」
「ええ。父も教会の神父様には随分と良くしてましたから」
「領によっては、土地の人間から直接税を取り立てる権限も教会にはある。教会が自前の領地を持ってるってことだな。残念ながら王都、王家の直轄領のここでは出来ないけど」
残念ながらって言った。可能ならやるのか。
「ということは、あなた本当に神父様なの?」
「神父じゃない。教会で働いてるだけ。正確には、要請があったら手伝いに行くって程度。霊が見えるこの目は役に立つことが多いからな」
そうだ。それを最初に聞かないと。霊が見えるというのが信じがたいけど、彼の振る舞いを見るとそれは本当のようだった。
だとすれば重要なのは。
「私の周りには、まだ霊はいますの? さっきファラちゃんはあの世に行ったそうだけど」
「百体とかいる霊の、たった一体が去っただけだよ。他の霊は相変わらず、お前の周りを漂っている」
「そう……」
あまり落胆は大きくない。さっき私の前から消えた霊は一体だけ。残りはわたしたちの視界の後ろに集まって、濃い靄を作っていた。